第16話 君が死にたいと言うのならボクの出番はない

 苦しむ龍平の顔の前に突として姫奈が現れた。先程までの寂しそうな表情はどこへ行ったのか。愉しそうに口も目じりも大きく横に広げて、鼻を膨らませて笑っている。


「あなた、すっかり信じ込んだでしょう。誤魔化しても無駄よ。顔にそう描いてあるのだから。ああ、おかしい。毎日愉快痛快に暮らしているわたしがそんなこと考えるわけがないじゃない。」


 映画の中に出てくる悪女のように大袈裟にけらけらと大きくて高い声で笑った。龍平は姫奈のこの笑い顔も笑い声も好きではないが、憤りはしなかった。


 でも、胸を撫で下ろすことも出来なかった。先程見てしまった姫奈の顔が虚構だとは信じられない。姫奈は自身の感情を表現する力には長けているが、人を騙すことには関しては無能だからだ。


「わたし、もう行くわね。見送りは結構。旅行の当日遅刻なんかしては嫌よ。」


 龍平は手を振ることも出来ずに立ち尽くすばかり。見かねて姫奈は龍平の目の前まで戻り、その手を強く握った。


「あなたなら色んなことを教えてくれると信じているわ。」


 龍平の頬っぺたに軽く唇を押し当てて再び身を翻して去っていった。龍平にはなぜか悦びもなかった。姫奈の後姿が見えなくなっても身動きがとれない。動き出す勇気が欠けていた。あまりにも龍平は無力である。惚れた女が死に向かっていると察知しても気の利いた言い回しも出てこない。僕が君を幸せにしてあげると慰めることも出来ない。なるようにしかならないではないかという心構えしか込み上げてこない。


 所詮、人は人であり僕が口を出すべきことではないのだ。無慈悲な主張かもしれないがそれに同調するしかないではないかと居直るしかなかった。


 なぜ姫奈の苦しみを一手に担ってやろうという気概になれないのだろうか。僕は僕なりに姫奈を愛したのだからそれ以上のことは期待に沿えないと見出すのが龍平の良くない癖であった。


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