第18話:二人きりの夜

「うわあ……」

 びゅうっと夜風が音を立て、セイリーンの金色の髪を大きく揺らせた。

 ディアラドが連れてきてくれたのは、王城の天辺にあるバルコニーだった。


「すごい!」

 宝石のように星がきらめく夜空が頭上に広がっている。

 こんなに星空を間近で見るのは初めてだ。

 遠くから見た、そびえたつ城の頂上にいるのだと実感する。


「見ろ! 今日は満月だ!」

 ディアラドが月を指差す。

 煌々と輝く白い月は、つかめそうなほど近い。


「美しいですね……」

 セイリーンはバルコニーに近づき、眼下を見下ろした。

 満月の明かりに照らされ、自分たちの歩いてきた道やつらなる建物が遙か下に見える。

 昼間の喧噪けんそうが嘘のような、静謐せいひつな光景だった。


「町並みが一望できるのですね。綺麗です……」

「ここは俺のお気に入りの場所でな! 寝る前によく来るんだ。王都が静かに夜を迎えているのを確認すると、気持ちよく眠れる」

「……王の習慣なのですね」

(自分が治める国を、街を、人を見守っているのだ、この方は)


 ふっとルシフォスの言葉を思い出す。

 彼も城のバルコニーから国民や街を見下ろすのが好きだと言っていた。

(このすべてが自分のものだと思うと、わくわくするのだ)

 そう言い放つ彼に違和感を覚えた。

 ルシフォスの目や言葉に、民に対する支配欲を感じて。


(でも、彼は違う……)

 少しずつ明かりが消えていく民家や店を、ディアラドは穏やかな表情で見つめている。


「寒いか?」

 ディアラドが突然、セイリーンに魔獣のマントをかけてきた。

「いけません! これは王のあかしである大切なものです! 私のようなものに――」

「好きな女に自分の服をかけるのは当たり前だ。それに魔獣狩りは通過儀礼に過ぎない。たとえこの毛皮のマントがなくても、俺が王であることに変わりはない」

「で、ですが……」

「王冠がなければ王ではないのか?」

「い、いえ……」

 王冠は象徴にすぎない。

 たとえ国王が王冠をしていなくても、うやまう気持ちに代わりはない。


「だろう? このマントは暖かい。それに魔力を帯びているから、剣や弓だけではなく攻撃魔法もしのげる便利な毛皮だ。だから着ているだけだ」

 そう言うと、ディアラドはセイリーンを毛皮のマントでくるんだ。

 すっぽり漆黒の毛皮に包まれたセイレーンをディアラドが優しく見つめる。

「着心地はどうだ?」

「温かい、です……」

 ふわりと心地のいい香りがする。

 獣の匂いではない、爽やかで清々しい森の香りだ。

 まるでディアラドに包まれているようで、セイリーンはドキドキしてきた。


「気に入ってくれて嬉しい! この国にしかない物や景色、食べ物がいっぱいある。

そなたに紹介するのをずっと夢見ていたんだ!」

 快活に笑うディアラドが、そっとセイリーンの肩に手を置いた。

「セイリーン、本当に来てくれて感謝している」

「いいえ、こちらこそありがとうございます……」

 国を訪れただけで、こんなにも喜んでもらえている。

 ずっと自分を想っていた、という言葉をセイリーンはようやく実感してきた。


(でも……相手は国王。失礼がないようにしなくては)

 気さくに振る舞ってくれるディアラドが手のひらを返すことはないと思いたいが、彼の機嫌を損ねたら最悪戦争になる可能性もある。

 相手は魔物相手に長年戦ってきた武勇の民の王なのだ。


「どうした、セイリーン。まだ寒いのか?」

「いえ」

「では何か不安か……? 少し震えている」

 セイリーンはぎくりとした。

 ディアラドは驚くほど小さな異変も見逃さない。


「家に帰りたいか……?」

 ディアラドがぼそっとつぶやいた。

 目線を落としたディアラドが、あまりにもはかなげに見えてセイリーンは驚いた。

(不安なのは私だけじゃない……)

「帰りたいのならば明日の朝一番の馬車を用意するが……」

「いいえ」

 セイリーンは迷わず否定した。

「私……まだここにいたいです。ディアラド様のおそばに……」


 この選択がどんな未来を呼ぶのか予想もつかない。

 だが、この風変わりな辺境の王のことをもっと知りたかった。

(今は自分の気持ちに素直に従いたい……)


 王太子であるルシフォスの婚約者となってから、ずっと自分の気持ちを押し殺し、不安を一人で抱えていた。

 その結果が婚約破棄だ。

(そんな生き方は嫌だ……。自分を変えたい……変えていきたい!)


 セイリーンのきっぱりした言葉にディアラドは少し驚いた表情になった。


「それならばいいが……。そうだ! 手紙を書かなくてはな! サイラス公爵がさぞや心配しているだろう。明日の朝、すぐにミドルシアのそなたの父に届けさせる!」

「……!」

 ディアラドは約束をきちんと覚えていてくれたようだ。

「便せんもたくさん用意してあるんだ!」

 ディアラドに手を引かれ、セイリーンは城内に戻った。


 城の警備に当たっている兵や使用人たちが、王のマントを羽織っているセイリーンをぎょっとしたように見つめる。


「……っ!」


 やはり王のマントを羽織るというのは特別なことのようだ。

 先程までとは全然違う驚愕の視線を感じる。

「あっ、あのディアラド様、マントを――」

「ああ、長すぎて歩くのに邪魔そうだな。もう大丈夫か?」

「は、はい。ありがとうございます」

 ディアラドがさっとマントを自分の肩にかける。


「ちょっと待ってろ!」

 そう言うと、セイリーンの向かいの自分の部屋に駆け込み、すぐ出てきた。

 ディアラドが腕一杯に紙類を抱えている。

「えっ。あの、これ……」

 得意げな顔で差し出されたのは、便せんの山だった。

「国中からかき集めるように言った! 白いのも青いのも赤いのも、模様が入っているものもあるぞ! 好きなものを選べ!」

「はい」


 セイリーンは思わず吹きだしてしまった。

「これは……一年分くらいありそうですね。とても使い切れません」

「必要なら、もっと持ってこさせる!」

 セイリーンが笑ったのが嬉しかったのか、ディアラドが顔を上気させた。

「ありがとうございます。使わせていただきます」


「では、明日の朝に。何かあったらすぐ俺を呼べ。向かいの部屋にいるから!」

「寝所でお休みの王を起こすなんてできません……」

「別に構わない。酔っ払ったキースがたまに夜中にくだを巻きに来るし。あいつ、酒を飲むと一段と面倒くさくなるんだ」

「そ、そうなのですか……」


 一応城内に兵はいるが、驚くほど王の警備が緩い。

 賓客ひんきゃく扱いとはいえ、自分のような他国の人間を王のすぐそばの部屋におくのもそうだ。

 もしくは――よほど周囲の人間に信を置いているかだ。


 おそらくは後者だろう。

 魔物や部族間の戦いに明け暮れた歴史を持つ王国の王が、油断するとは考えにくい。

 護衛は精鋭ぞろいで、少数でも身を守れる自信があるのだろう。

 

「おやすみ、セイリーン。……何かあったらすぐ俺を呼ぶんだぞ!」

「わ、わかりました! おやすみなさいませ、ディアラド様!」

 ドアを閉めるまで、ディアラドがずっと気遣うように見つめる姿が目に焼き付いた。

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