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  • あまりよく覚えていないのですが、富士見ファンタジア文庫ができて、『スレイヤーズ』などの作品が登場したとき、当時のニフティサーブの「会議室」で、こういう作品を総称してどう呼ぶかということで、「会議室」名として選ばれたのが「ライトノベル」だったと思います。だからもともと「便宜的」につけられた名称だったと思います。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     なるほど、そうだったんですね。最近ではあまり見かけなくなりましたが、以前は、ノベルズという出版形態もありましたしね。

     私がここで書いたことは、少なからずの人は、各々の経験に照らせば、納得できることかなと想います。ライトノベルという言葉が普及する前、私は栗本薫の『グイン・サーガ』、夢枕獏の『魔獣狩り』、大沢在昌の『新宿鮫』などの作品を読んでいましたが、いずれもエンタメ作品として読んでいました。ここにライトノベルの区分けを持ち込もうとすれば、前1者、もしくは前2者の間となるのでしょうが、そこに何かしらの意味があるとは想えませんしね。

     他方で、出版社側からすれば、ユーザーは囲い込めれば、それに越したことはないわけです。私もそれが悪いとは想いません。小説でこれを論じると、何となくきな臭くなりますが、例えば音楽ジャンルで言うと、ハードロック、ヘヴィメタル、パンク、プログレ、ヒップホップと分けて、その特定のファン層を囲い込み、ここに宣伝して売った方が効率が良いというのは明らかです。

     ただ、例えば、私はカドカワさんが出している木下昌輝の『敵の名は、宮本武蔵』が好きだったりするんですが、当たり前のように、カクヨム・ネクストには入らない。とすると、やはりこの区分けはどうなんだろうねと想う次第だったりします。

  • ログインするという見方を否定する訳ではありませんが、たとえばバブル世代と呼ばれる50代のオジサンオバサン達は初期のファミコン世代としていいです。GUIではありませんでしたがCUIのパソコンならありましたのでパソコンゲームで遊んでいる人たちはいました。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     恐らくPC9801や8801のゲーム(もしくはMSX?)のことを言っておられると想いますが、それについては私も知っております。

     また、本話はあくまで私個人の仮説ですので、参考程度にとどめて、読んでいただければと想います。

  • 私も以前はYoutubeのヒーリング系BGMを聞きながら書いていたのですが、ある日公開停止になってしまいました。ほぼ必須だったのでだいぶルーティンが狂ったなあと。
    最近はシンゴジラ、ワールド・ウォーZ、コクリコ坂などを流しながら書いています。

    本題はどこまで読ませるかの話でしたね。
    ちょっとズレるかもですが、常連さんや作者仲間向けのメタ的な書き方は避けた方が良いかなと思うことがあります。特にコンテスト作品だとなおさらですね。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     私の場合、台詞があると厳しいので、もっぱら音楽ですね。ラジオのしゃべりも集中の邪魔になり、ダメですね。でも、最近、ユーチューブは広告が増えた気がしますね。なので、使いにくい。

  • 八代亜紀――舟唄への応援コメント

     私も、同時代には演歌に敵意を持っていたので、八代亜紀さんの曲は好きな曲だったとは言えないのですが、「舟歌」は印象に残っていました。とくに、オーボエの音(「オーボエの音ってこれか!」と認識したのはこの曲が最初でした)、ピアノの間奏など、アレンジはとくに印象に残っていて、この曲だと意識しないままふと頭によみがえることがあります。
     この曲以上に印象に残っているのが「雨の慕情」で、「あれ? 雨が降って恋人が来ないんじゃなくて、その逆なの?」ということが印象に残りました。この曲も阿久悠さんの作詞です。
     「舟歌」もそうですが、八代亜紀さんの声と唄でなければ、ずいぶん印象の違う曲になったと思います。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     懐メロという言葉がありますが、まさに歌というのは、人それぞれの想い出とともにあるもの。阿久悠作詞の曲を八代亜紀が歌うということは、当たり前過ぎてありがたいと想うこともありませんでしたが、今後は、昭和の豊かさをしのばせることになるのかもしれませんね。

     ところで、『雨の慕情』(TEICHIKU RECORDS提供なんで公式と想う)をユーチューブで聞きましたが、吸う息が録音されていて、色っぽく聞こえていい感じですね。ジャケ写で八代亜紀の名前の隣に「男と女・酒と歌」とあり、まったく売る気がない――少なくとも若い人向けには――と想いますが、確か大ヒットしたんですね。おっしゃるように、歌詞に面白みがあり、それが受けたのかもしれませんね。

  • PNに惹かれ読ませていただきました。
    この例え納得です。
    確かにゲームはファミコンは1983年ですが、アーケードならもっと前。既に50代の方の少年時代から慣れ親しんでいるもので、読む層の広さも伺えますね。
    興味深く読ませていただきました(^^)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

     例えに納得していただけたようで嬉しいです。『転生・転移』を「小説家になろう」さん発の単なる流行とだけとらえると、反発も大きいのかなと想います。『転生・転移』を導入すると、却ってリアリティが上がる。この効果を知っていると、『転生・転移』ものの良さを理解する糸口になるのでは、と想います。


  • 編集済

    私はかつて中国語を学び、その際
    五言律詩や七言絶句などの漢詩を
    暗唱しましたので、ラップなどは
    漢詩だと思えます。逆に「春眠」
    などをラップのリズムで朗詠したら
    楽しいだろうと思ってます。
    頼山陽の漢詩も然り。
    勿論訓読ではなく中国語の
    発音ですよ。

    チュンみえん

    チュンみえん ぶじゅえしゃおー。
    ちゅーちゅう ウエンティにあお
    いえらい   ふんゆシェン
    ふあろー   ちとオシャオ

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     実際の中国語の発音が分かると、漢詩の楽しみ方も増すのでしょうね。うらやましいです。

     


  • 編集済

    初見でのコメント、失礼します。

    ブレス
    歌っている方の息づかいから、「生」(せい。生きていること)を感じます。
    だから、
    ボカロ曲には、ちょっとした違和感も覚えるのです。
    生身の人間が歌おうとしたら、息続かないよね?!
    呼気の強弱すら感じられない機械音(人口音声)。
    それに、メリットもあると思います。
    機械だからこそ、できることとして。
    しかし、
    やはり、人の息づかいって、大切だよな、とも思うのです。

    …という話が、
    「書く」世界にも言えますよね。
    昨今話題のAI登場で。



    初見での長文コメント、失礼致しました。
    m(_ _)m

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     確かにボカロ曲では、ブレスの再現は難しそうですね。

     AIで小説ですか? カクヨムでも読んだことはありますけど、やはり、『まあ、そんなものだよな』という感じでした。

     アンディ・ウオーホールがポップ・アートでやったようなことを、できるかもとは想いますが。『AIが書いた小説』を原材料として、それを編集して何がしか新奇なものをと。
     

  • 再生しました。すごかったです。
    歌声は当然かないませんが、こんな激しい歌詞はボクには到底書けません。
    打ちのめされちゃうから、ユーチューブはなるべく遠ざけてます。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     そうですか。椎名林檎さんの歌詞の方が刺さっちゃいましたか。

  • 転生=ログイン
    見事な言い当てですね。
    闇雲に不特定多数に読んでもらうのではなく、コア層に届ける、という考え方も頷けます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

     褒めていただけて嬉しいです。私自身(転生無しの)歴史小説を書くというのもあって、この問題には頭を悩ましました。一般に転生小説は、「なろう」初の流行という現象面でしか語られません。しかし、読んでいる人が面白いと想う、何がしかの理由があるのだろうと。ただ、これは転生歴史ものを好んで読む人にとっても、案外、言語化するのは難しいのかなとも想いました。それで、いろいろ考えた挙句、このような結論(推論?)となりました。

  • Prince
    間違いなく素晴らしいミュージシャンでした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    共感していただいて、嬉しいです。

  • 読みやすさからいえば、短いが正義は大切ですね。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     共感していただいて嬉しいです。

  • 更新投稿お疲れさまです。短いが正義! ニヤリとしました。
    WEB小説とゲーム世代。ナルホドと感じ入りました。確かに紙媒体とは違う楽しみが有りますよね。卓見です。
    一話目で書かれた『ブレス』のお話しも、大変興味深かったです。ライブ感。
    ボクも、アコースティック演奏の『フィンガリングノイズ』に興味を持ち、少し調べた事が有ったのを思い出しました。意図的に演じているアーティストが多い! ボクは『カッチョエエっ!!』と思う方です(笑)
    最近中々お邪魔出来ず、続きをため込んでしまっていること、心苦しく思っております。近いうちに再開させていただきますので、どうか気長にお待ちください。
    本年もお疲れさまでした。来年もお優しい言葉を掛けて貰えるよう頑張りますので、どうかよろしくお願いいたします。
    良いお年を、お迎えください

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

     いろいろ共感していただいて嬉しいです。

     アコギ好きとのことで、ゴンチチさんの番組で紹介されていた名演を1曲。
     Caetano Velosoの『Nega Maluca / Billie Jean / Eleanor Rigby』
     一応3曲のメドレーなのですが、実質マイケル・ジャクソンの Billie Jeanのカバーで、素晴らしいです。(ユーチューブで聞けます。概要欄の記載を読む限り、公式の配信と想われます)

     読む方は、お好みのものを、ご自身のペースでお読みくだされば、と想います。カクヨムの読み合いというのは良い文化だとは想いますが、そうでないと、ホラーや戦記というのは、どうしても遠慮して筆先が鈍ってしまいます。
     
     こちらこそ、よろしくお願いいたします。ひぐらし様も、良いお年をお迎えください。

     追記 ゴリさんのますますの活躍に期待なのら!

    編集済
  • ログインですか、納得です。

    そう考えると、コンピュータゲームのない時代に歴史改変ものの元祖『アーサー王宮廷のヤンキー』(1889年)を書いたマーク・トウェインの発想力は卓越しているのだと改めて思いました。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     納得してくださって、とても嬉しいです。

  • それは永遠の命題やね、物書きの(*'▽')

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     かの手塚治虫でさえ、人気凋落のために、思い悩んだと聞きます。ただ、私には、凋落の前の作品より後の作品(火の鳥やブラックジャック)の方が明らかに面白いと想われるのです。

     つまり、読んでいる側からすると明らかなことが、書き手側にはつかみかねるということが、手塚治虫ほどの才能を有する者にも起こりえるということですね。と同時に、時代の変化に対応し、作風を変えて、後期傑作群を作り出した手塚治虫の尋常で無さというのは感じざるを得ませんけど。

    編集済
  • こんにちは。興味深く読ませていただきました。
    ブレスワーク、本当に大事なものだと思いますが、サ行やブレスが耳障りと感じる人も中には居るらしくて、カットしてあるものは確かに多いですよね。
    聴かせたいのか何らかの効果を狙ってあえてブレスを一部残してある場合もあります。
    私は小説の説明的な文章も歌のブレスも、全部じゃなくて適度が好きです。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     そして情報ありがとうございます。やはり、意図的にカットしているのですね。なるほど、耳障りに感じる方もいるのですね。残しているのは、作り手の中にも、私のようにブレスの音を好む人もいるからだと想像します。

     ただ、少し想うのは――本話の主題にもつながりますが――ブレスの音を好む作り手側の人も、そうした作品が主流ということで、これを盲目的にカットしている場合が多いのかな?と。

  • なるほど。ブレスですか。
    これまで注目していなかった音なのですが、確かに消されていますね。
    ライブだとそういった声も全て聞けるからいいですよね♪

    小説も書き手と読み手で全く受け止め方が異なるので難しいですね。自分が書いたものを時間をあけてから読むと、全く違うものに感じたりするので見直すときに違う視点が生まれますよね!

    鋭い着眼点だと思いました!

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     褒めていただき嬉しいです。

     私は書いた直後は、そのエピソードがとんでもなく素晴らしいものと想えることが良くあります。ただ、2、3日置くと、あれっとなります。それは、熱があるからなんでしょうが、でも、この熱が無いと、良いものも書けないとも想いますので、難しいものですね。

     『書き手であることを意識せずに読む』というのは、無いものねだりなのかもしれません。