第5話

 その後も、ニギは寝たり起きたりを繰り返した。ニギが眠っている間、コノは船外を監視し続けた。


 ニギが起きた時、コノは新たに作ったプログラムを披露することがあった。中でも『バーチャル・トラベル』はニギのお気に入りだった。


 地球の観光地を旅行するというプログラム。コノがデータベースの情報から、世界各地の情景を三次元化したのだ。手をつないで旅をした。


 ナイアガラの滝、エジプトのピラミッド……戦火で破壊されてしまった景色がリアルに再現されていた。



* * *


 十二個目のランプが点灯したあと、ニギは眠るのをやめた。いつ体力が尽きてもおかしくない最後の十年。眠ったまま死を迎えたくはなかった。


 コノは相変わらず陽気で、ベッドで眠る本物のコノは昔のまま美しかった。もう、映画を見たり、旅行やゲームをしたりする気力を失っていた。


 それを察したのか、コノもあまり話しかけなくなっていた。目を閉じ、船外センサーから遠くに輝く星々を眺める日々が何年も続いた。


 日ごとに体力は衰えていった。ニギは余命が長くないと悟った。


「コノ、お願いがあるのだけど」


「どうしたのよ。かしこまっちゃって」


 コノの語尾を上げ、からかうような口ぶりは、努めてそうしているのだろう。体力は間もなく底を突く。


 コノは生体データを把握しているので、頬を撫でるほどのそよ風でも、ニギの命の炎が消えてしまうことを知っている。


「長い間、ありがとう」


 ニギは敢えて淡泊に礼を述べた。コノは茶化すことなく「うん」と小声で返事をした。気が遠くなる長旅における唯一の友人。


 過去に出会ったどの人間よりも深く知り合えた親友、そして、恋人――さらには、親族のような感覚もある。この関係を的確に表現する語は存在しない。


 もし表すなら、辞書に新語を書き連ねるしかないだろう。


「で、頼みって?」


 僕にはやるべきことがあった。


「窓を開けてくれないか?」


 ベッドから見えるのは宇宙船の内壁だけだ。だが、壁の外側は強化ガラスになっており内壁をスライドさせると、直接、宇宙が見える構造になっている。


 有害な電磁波や、網膜を焦がす可視光線は遮断する構造だ。しかし、外部状況によっては身体にダメージを受ける可能性があるので、一度も開いたことはない。


「これが最期だから」


 自らの口から発した『最期』という単語は、ニギに想像以上の切迫感をもたらした。間もなく死ぬ。最期の瞬間は自身で――肉眼で外を見たい。コノは、「分かった」とだけ返事をした。


 コノの様子から、ニギは配慮が足りなかったことを反省する。ニギが亡くなってもコノは残る。電力が続く限り永遠に。話し相手もなく起動し続けるコノを思うと、心臓を鷲掴みにされたような苦しさを覚えた。


 船体がガタガタと震え出す。開閉機構へ動力が伝達されたのだ。


「随分、動かしてないので時間がかかりそうよ」


 ちょうどいい。このタイミングで話しておくことにしよう。


「……僕がいなくなったあと、君はどうしたい?」


 沈黙が流れる。人工知能は瞬時に返答を演算することができる。だが、このように間を取るあたりに人の感情のようなものを感じる。


「私は……」


 コノは言葉を詰まらせるが、続けて語ったプランは極めて論理的だった。


 ニギが亡くなったら防腐処理を施す。その後、スリープモードに入る。起動条件は二つ、外部環境に変化があったとき、生命体を検知したとき。三つ目の条件は言わなかった。


 「分かった」と返すのが精一杯だった。コノは気丈に振舞っているようにも見えた。だが、人工知能がそういう態度を取るのだろうか?


 コノは『退屈』とは言うが『寂しい』と言ったことはない。ニギが生きていることは、退屈をしのぐ程度のものかもしれない。いっそ、その方が気が楽だ。

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