第33話


「だから、それだとアタシの魔法で閉じ込めた方がマシだって!」


「君の防御魔法は貴重なんだ。できれば攻撃には使いたくない」


 鎧武者――もといイリナ先生との戦闘から撤退してしばらく。

 拠点に戻ってきた仲間たちは、僕が指示するよりも早く再戦時の対策を立てていた。撤退したことがよほど悔しかったのか、血の気が多いレティを中心に、熱を帯びた作戦会議が繰り広げられている。


(この前向きさは、貴重だね……)


『うむ。各々、修羅場を潜っているようじゃの』


 強敵を相手に退いた程度で凹むほど、柔なメンタルの持ち主はいなかった。


『ところで、あの鎧の中身……もしかしてイリナなのじゃ?』


(お、正解。よく分かったね)


『えっへん!! 魔力の波長が似てたからのう!!』


 サラマンダーが得意気に言う。

 魔力の波長か……僕も読み取れるようになったら色々と便利かもしれない。

 今度相談してみよう。


『しかし、アニタに勝るとも劣らない実力者じゃった。一介の教師にしては、強すぎる気がするのじゃ』


(そうだね。まあ、そのくらいじゃないと特級クラスは導けないのかも)


 イリナ=ブラグリーの経歴も僕は知っている。

 今でこそ教師だが、彼女はかつて国の兵士だった。

 だが単なる兵士ではない。


 彼女が所属していたのは、秘匿された暗殺組織。

 日の光を浴びない闇の組織で生きてきた彼女には……特殊な強さがある。


「くっそー……頭が疲れてきたぜ」


 レティが髪をがしがしと掻く。

 見れば他の仲間たちも疲労している様子だ。


「しばらく休息にしよう」


 僕は皆に向かって告げた。


「休息って……あいつの方から襲って来たらどうすんだよ?」


「あの鎧武者は、台座の部屋から離れられないんじゃないか?」


 僕は原作知識を、さも推測であるかのように言う。


「最後に俺が逃げた時、鎧武者は追ってこなかった。多分、宝玉の守護者か何かなんだろう」


 原作通りなら、イリナ先生は台座のある部屋からは出てこない。

 曖昧な根拠しか提示できないが、勝率を上げるため多少強引にでも信じてもらう。

 幾つかの反論を予想しつつ、その更なる返答を考えていると、ふとレティが変な目で僕を見ていることに気づいた。


「なんだ?」


「いや……あいつのこと、鎧武者って言ってるんだな」


 しまった。

 原作ではイリナ先生本人があれを鎧武者と言っていたので、うっかりそのまま使ってしまった。


「悪い。他の呼び名が決まっていたか?」


「いや、鎧武者が一番分かりやすいな! アタシもそう呼ぶぜ!」


 他の皆も同意見らしく、鎧武者の名で統一することが決まった。

 休息の件についても受け入れられたようだ。各々が肩の力を抜く。


「少し見回りしてくる。皆はゆっくり休んでいてくれ」


 そう言って僕は皆から離れた。




 ◆




 念のため周辺の魔物を狩っておいた方がいいだろうか。

 そう思いつつ見回りを始めると、小さな人影が遠くに見えた。


(今のは……)


『エヴァじゃな』


 一人で拠点から離れて何をする気なのか。

 不安になった僕は、急いで彼女を追う。

 細長い通路を進んだ先にある部屋で、エヴァは杖を手に、風の魔法を使っていた。


「エヴァ、何をしている」


 集中している彼女の背中に僕は声を掛ける。

 ここに魔物はいない。なのに魔法を使う理由なんて、一つしかない。


「さっきまで戦っていたんだ。今、修行したところでオーバーワークだぞ」


『ど、どの口が言うのじゃ……!!』


 サラマンダーが大層驚いた様子で声を発した。

 僕はいいのだ。主人公としての責務を――やがて世界の救う英雄になるという責任を背負っているのだから。


 エヴァはゆっくりこちらを振り向いた。

 その目には――憎悪が宿っている。


「……放っておいてよ」


「駄目だ。大事な仲間の無茶は見過ごせない」


「仲間って……私、何もしてないじゃない」


 エヴァは自嘲するように笑った。


「そんなことはないだろ。魔物との戦いではよく活躍してくれたし、鎧武者に初めて攻撃をあてたのもエヴァだ。あれで俺たちは士気が上がり――」


「――うるさいッ!!」


 エヴァの怒鳴り声が、部屋に響く。

 僕は一瞬だけルークの演技が解けそうになった。それほどの気迫だった。


「あ、貴方、さっきから上から目線じゃないっ!? どうせ私を見下してるんでしょ!? 私にはこの程度の活躍で十分だって!! それ以上は期待してないって!!」


「落ち着け、俺にそんな意図は……」


 エヴァが溜めに溜めた鬱憤を爆発させる。

 正直、この展開は予想していた。なにせ最終試験が始まってから、僕はエヴァのプライドを何度もへし折っている。鬱憤が溜まるのも無理はない。


 でも、ここまで混乱するとは思わなかった。

 今の彼女は原作の比にならないほど激情に駆られている。


 ――責任を取らねばならない。


 エヴァがここまで混乱したのは、僕のせいだ。

 僕が彼女の心を元に戻さなければならない。


「貴方のせいで、私の計画は全部潰された!」


 エヴァは涙を流しながら告げる。


「リーダーになるつもりだった! 誰よりも活躍するつもりだった! そして最後は首席で入学するつもりだった! なのに、全部……貴方に奪われた!!」


 心底の憎悪を瞳に込めて、エヴァは僕を睨む。


「このままだと、貴方が首席になる。そうなったら……私はまた、お姉ちゃんに負けてしまう……っ!!」


「お姉ちゃん?」


 そのキーワードを口にすると、エヴァははっとしたように手で口を押さえる。

 しかしもう隠しきれないと悟ったのか、エヴァは再び自嘲して語る。


「貴方も、知っているでしょう? 私の姉……マステリア公爵家の長女を」


 その問いに、僕は頷いた。


「超人……レナ=マステリアか」


 エヴァは小さく首を縦に振る。

 超人の異名を持つその少女は、マステリア家の長女として生まれた。確かエヴァの三歳上である。


 どうして彼女が超人と呼ばれているのか。

 それは彼女のが異様に高いからだ。


 たとえば記憶力。彼女は一度見聞きしたものを絶対に忘れることがない。その能力を駆使して幼い頃から大量の書物を読み漁ってきた彼女は、頭の中に膨大な知識を詰め込んでいるらしい。


 たとえば視力。彼女はとにかく目がよくて、どんな攻撃も瞬時に見切って回避できる。魔法が加われば尚のことだ。視力に限らず聴覚、嗅覚など、五感の全てが常人よりも圧倒的に鋭敏である。


 たとえば思考力。知能指数と置き換えてもいい。彼女は純粋に頭がいいのだ。学んだ知識はすぐに応用でき、どのような分野であろうと次々と学者を驚嘆させるほどの新説を立てることができる。


 レナ=マステリアは幼少期から魔法の腕が凄まじく高かった。

 ある日、その理由を一人の学者が調べた結果、これらの能力が判明した。

 彼女は魔法の才に恵まれたわけではない。ただ、魔法を使う基盤となる人間の能力そのものが異様に高かったのだ。


 故に――超人。

 努力では辿り着けない、天賦の才を持つ人物である。 


「私が、他の貴族になんて呼ばれているか知ってる? ……出涸らしよ」


 酷い言葉だ。

 姉に劣等感を抱いているだけでなく、鋭い悪意までもがエヴァの心を蝕んでいた。


「私は、お姉ちゃんに負けたくなかった。だから、お姉ちゃんが通ったこの学園に来て、お姉ちゃんの記録を上回ってやりたかった」


 震えた声で、エヴァは言う。


「でも、やっぱり駄目なのね。結局、私は貴方みたいなには負ける」


 僕は本物なんかじゃない――。

 心のどこかで、そう叫んでしまう弱い自分がいた。


 その言葉を表に出してはならない。僕は偽物だが、ルークは本物なのだ。ここで「俺は本物じゃないさ」と謙遜すると、ルークのイメージを毀損することに繋がる。


「私は……お姉ちゃんを超えられない……っ」


 エヴァは深く傷ついていた。

 そんな彼女に発破をかけることこそが、本物であるルークの責任だ。

 何か言え。彼女に前を向かせる言葉を伝えるんだ。

 本物ルークの使命を果たせ。


「――いいや、超えられる」


 僕の感情を、ルークの熱い魂でコーティングして言葉にする。

 足元ばかり見ていたエヴァの目が、こちらを向いた。


「エヴァは少し、自分が持っているものを過小評価している。……たとえば、レナ=マステリアの得意な属性は何だ?」


「……火よ」


「じゃあそれは、エヴァが得意とする風属性に勝るものなのか?」


「そ、そんなこと……」


 エヴァは少し考えてから、震える声で答えた。


「……ない。風の魔法は、速いし、見えないし……火属性に負けない」


 魔法を使う者としてのプライドが、エヴァの言葉に力を与える。

 上級魔法の習得は困難だ。エヴァがどれほど努力してきたのか僕には想像もつかない。そんな計り知れない覚悟の存在があることに――僕は賭けた。


「じゃあエヴァは、レナ=マステリアにはできないことができるよな?」


「…………少し、だけど。できるわ」


 できるに決まっている。

 属性の違いは大きく、火の魔法と風の魔法は似ても似つかない。


「でも、その程度ではお姉ちゃんに勝てない……」


「その気持ちは、レナ=マステリアにもあるのか?」


 エヴァが目を見開く。


「あの超人に勝ちたいと願う気持ち。天賦の才を持つ姉に、何が何でも食らい付いてやるという意志……それは、エヴァだけのものなんじゃないか?」


「ぁ……」


 僕の言葉は、エヴァの心に届いたようだった。


「エヴァは強い。俺が保証する」


 剥き出しになったエヴァの心に僕は訴えかける。


「エヴァは姉に追いつきたいと……あの超人に追いつきたいと思っているんだろう? もし俺がエヴァと同じ立場なら、そんな強い心は抱けなかったかもしれない」


 これは嘘だ。

 ルークなら、たとえどんな立場でも強靱な心で英雄を目指す。


 でもきっとルーク以外なら……ルークとエヴァ以外なら、超人の妹に生まれた時点で野心をなくしてしまうだろう。

 彼女の心が強いのは、紛れもなく事実だった。


「だから、もう少し信じてみろ。エヴァ自身の強さを――姉にはない自分だけの強さを」


 ルークの魂が、僕に熱い言葉を吐き出させた。

 エヴァは胸のあたりに手をやり、ぽたぽたと涙を零す。


「……不思議。なんで、貴方の言ってることって、こんなに胸に響くの……」


 それは僕がルーク=ヴェンテーマだからだ。

 やがて英雄になる最強の男だからだ。


「……分かった」


 エヴァは涙を拭い、僕の顔を見た。

 その瞳には、失われていた炎が蘇っている。


「信じてみるわ。私のこと……そして、貴方のことを……」


「ああ。俺もエヴァのことを信じている」


 人々を安心させるルークの熱い笑みを、僕は浮かべる。

 エヴァはどこか僕に見惚れたような顔をした後、微かに俯いた。


「見つけた。……お姉ちゃんにはない、私だけの強さ」


「お、それは幸先がいいな。どんなものだ?」


 普段通りの明るい口調で僕は訊いた。

 するとエヴァは、頰を紅潮させて僕を見る。


「私の傍には……貴方がいることよ」


 潤んだ目が、真っ直ぐ僕を見つめていた。

 沈黙がしばらく続く。やがてエヴァは耳まで真っ赤に染めて踵を返した。

 パタパタと拠点まで小走りで移動するエヴァを、僕は無言で見送る。


(取り敢えず……元気を出してくれたかな)


 一息つく。

 よかった。エヴァが前を向いてくれて。


『よい言葉を与えたのじゃ』


「……僕の言葉じゃないけどね」


 リズの時と同じだ。

 エヴァと話している時、僕はルークを演じることに集中していた。


 たとえ僕の感情が発端だとしても、ルークの性格でそれをコーティングしているなら、それはもうルークの言葉だった。僕の本心からは、あんな血が滾るような熱い言葉は出てこない。


「エヴァはさ、姉に影響を受けすぎているんだ」


 僕は、僕が思うエヴァという人物についてサラマンダーに語る。


「彼女は、本当はもっと強いんだよ。でも姉の存在が大きすぎて、無意識に姉のような人間になろうとしてしまっている。話し方も、戦い方も、全部偽物なんだ。……僕みたいに」


『それは……』


 エヴァが抱えている問題を、僕は鮮明に理解できた。

 何故なら、僕自身も同じ問題を抱えているからだ。


「サラマンダー……僕は、何様なんだろうね」


 思えば、エヴァとの会話は何もかもが僕自身に返ってくるブーメランのようなものだった。

 無茶ばかりしているくせに、エヴァには「無茶をするな」と警告して。

 ルークと比較ばかりしているくせに、エヴァには「姉と比べるな」と暗に伝え。


「僕に、あんなことを言う資格はあったのかな。幼馴染みを死なせ、小さな村すら守り切れず、何もかもが中途半端で成し遂げられたことすらない僕に……」


 自分が実現できていないことを人にやらせるのは、とても恐ろしいことだった。

 見知らぬ街を他人に案内するようなものだ。エヴァの目指す先は本当に僕が示した方角でよかったのだろうか、今になって不安が膨らんでくる。


『お主は正しいことをしたのじゃ!!』


 サラマンダーのあどけない声が、僕の脳内に響き渡った。


『妾が保証する!! お主の言葉はちゃんとエヴァの心を救ってみせた!! お主のやったことは正しいのじゃ!!』


「そっか……」


 サラマンダーが保証してくれると心強い。

 僕一人では生み出せなかった自信が、仄かに芽生える。


「よかった。やっぱりルークの力は偉大だね」


『…………また、か……ッ』


 エヴァの心を救ってみせたルークは、やはり素晴らしい人間だ。 

 そう思っていると――ふと、僕の正面に和服を着た少女が現れる。

 サラマンダーが人の姿に変身したようだ。


「どうしたの、サラマ――」


「――妾はお主を褒めているんじゃ!!」


 サラマンダーは激情と共に怒鳴った。


「何故、そんな他人事のような態度を取る! 妾はお主に言っておるんじゃぞ!!」


「あ……うん、ごめん。そんなつもりはなかったんだけど……」


 僕を褒めていると言われても……。

 だって、僕がエヴァの心を救えたのは、僕がルークを演じていたからだし……それを僕の力だと言うにはあまりにも無理がある。


 しかし、サラマンダーは今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 こんな顔をさせているということは、僕は何か間違えているのだろう。


 ……よく、分からない。


 ただ確実なのは、ルークならサラマンダーにこんな顔をさせないということだ。

 やっぱり僕の力だけでは誰も笑顔にできない。力不足を痛感する。


 サラマンダーは、僕がルークの演技を優先しすぎていることを指摘しているのかもしれない。

 だとすると、僕の取るべき態度は……。


「……ごめん。大丈夫だよ、ちゃんとサラマンダーの気持ちは伝わってる」


「本当か? 妾の言葉は、ちゃんとお主に届いておるか……?」


「うん。心配かけてごめん」


「……なら、よい」 


 サラマンダーは人の姿を解除し、目に見えない状態になった。

 僕は安堵に胸を撫で下ろす。サラマンダーに怒鳴られるとは思っていなかったので、まだ心臓がバクバクしていた。


 ……サラマンダーは知らないのだ。


 ルーク=ヴェンテーマという人間が、どれほど強くて、どれほどの偉業を成し遂げるかを。

 それを知っているのは、この世界でたった一人……僕だけである。

 

 僕の苦悩を、サラマンダーにまで背負わせる必要はない。

 それが、偽物である僕にできる、唯一の優しさだと思った。


「サラマンダー。拠点に戻る前に相談したいことがる」


『なんじゃ?』


「心を読む精霊術って、対策できる?」


『む、そんな奇っ怪な技を使ってくる奴がおるのか。難しそうじゃが……精霊術なら何とか抵抗できるかもしれん』

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