9. 黒幕
「川路大使、気でも狂ったのか! Dloopの秘書を拘束するとは、何を考えている!」武雄の予測した通り、大英帝国モリアティ全権大使は翌朝早々に五帝国会議を招集した。「もしそれで我々の行動を牽制しているつもりなら、大間違いだぞ? Dloopを我々とCSAとの問題に引きずり込もうなどという企みは、全世界に危機をもたらす。即刻、当の怪人を解放することをここに要求する」
一体どんな理由をこじつけてくるかと思ったが、あまりにも平凡すぎた。書記官の一人として紛れ込んだ利史郎が見る限りでも、歯切れが悪く勢いがない。それはそうだ、ここまで事態が切迫していても出てこなかったDloopが、たかが怪人一人のためにしゃしゃり出てくるとは考えがたい。裏にレヘイサムの依頼があることは明白だったが、それを推理する材料を持たない他の大使たちは殊更に不信感を抱いたようだった。
「ほら来たぞ、ついに馬脚を現した!」
早速食いついてきたのは、大英帝国軍に首都近くまで迫られ、いつ本国政府が降伏の決断をしても可笑しくないという状況のCSA全権大使バートレットだった。
「私は以前から、連中は怪人を兵器に利用していると言っていただろう! それ見たことか、ここでお仲間を見殺しにしては、連中が反乱を起こす。だから躍起になって解放を要求しているんだ! 怪人を戦争に使うこと自体、Dloopとの協定を蔑ろにしている事になるというのに――」
「おやおや、バートレット大使は遂に気が狂われたと思われる。貴君は怪人をDloopに引き渡したいのか? それとも自国で拘束しておきたいのか?」矛盾を突かれ黙り込んだバートレットに冷笑してから、モリアティは武雄に顔を向けた。「悪い事は言わん。さっさと解放するんだ。でなければ何が起こるか、わからんぞ」
「かの怪人は〈千里眼〉――この意味がおわかりでしょう。彼女は我々の会話を全て見聞きし、Dloopに報告していたのです。それでも解放しろと仰るか」
〈千里眼〉という言葉を聞いて、モリアティ大使は当惑したようだった。レヘイサムからそこまで聞かされていなかったのだろう。大使は馬鹿ではないと聞いている。だからこの時既に、〈千里眼〉は実はレヘイサムによる密偵なのではないかという疑惑も浮かんでいるかもしれない。
しかし未だに、どうやってレヘイサムが怪人を味方に付けているのかわからない。確かに彼の弁舌は魅力的だが、それだけでろくな知能も持たない怪人まで仲間に出来るとは思えない。怪人には未だ隠された秘密があるのか、あるいは本当に、怪人二十面相という名の通り――彼は怪人なのか。
「むろん、この会議で行われる会話については、たとえ〈千里眼〉に見られていようとも構いません。しかしそれ以外――個別の折衝や本国政府とのやりとり、そういったものを全てを知られているのです。とても許容出来るはずもない。〈千里眼〉については我が国が責任を持って処置します」
「いや、しかし――」
何か、得体の知れない動きがある。モリアティ大使は本能的にそれを悟っている様子だった。しかしレヘイサムの援護を失うことは、大英帝国にとってCSAとの争いの結果を危うくする。
それは何としても、避けなければならない。
結局はそう結論づけたのだろう。唐突に声を張り、武雄をにらみ付けて机上を拳で叩いた。
「駄目だ! Dloopを刺激するようなことを、大英帝国は許すわけにはいかない。即刻〈千里眼〉を解放するんだ」
「お断りします」
「どうした川路大使。何をそう意固地になっている。貴国がCSAの肩を持って、何のメリットがあるんだ? 連中にカリフォルニアを譲るとでも言われたのか? 止めておけ。日本にあそこを統治するような余力はないはずだ」
「どうも、意固地になっているのはモリアティ大使の方に見えるが。私だけか?」
口を挟んだのは、オスマンのパシャ大使だった。武雄によると、五帝国会議では一番の食わせ者だという。彼が隣に座るペリーエフ大使に目を向けると、太ったロシア人はウォッカを口に含みながら同意した。
「あぁ。妙だ。モリアティ大使、また何かそぞろ、悪巧みをしているんじゃないか?」
「馬鹿を言うな。貴公らはDloopが恐ろしくないのか」
「今は、気の違ったブリテン人の方が恐ろしいね」
軽口を叩くパシャに、ペリーエフは大笑いする。
「そうだそうだ。いつ難癖を付けられて攻められるかわからん。――あぁ、もしや、それが狙いか? これを口実に日本を攻めようと? 無理筋だ、それは。無理すぎる」
モリアティは腕を組み、考えに沈む。そして数秒後、顔を上げて言った。
「場合によっては、それも考えなきゃならんかもな」
さすがにこれには、パシャも言葉を失った。口を開きっぱなしにしてモリアティを見つめ、やがて眉間に皺を寄せつつ机上を指で叩き始めた。
「あんたは今じゃ、本国では英雄らしいな。斜陽の帝国を蘇らせた偉大なる人物だと。ひょっとしてまさか――王位でも狙っているのか? ならばこの辺にしておけ。CSAは、元はといえばイギリスの植民地だ、親子喧嘩だと思って多少のことは目を瞑ってきたが、さすがにそれ以上は見過ごせん」
「おやおや、いまだ飛行戦艦の一隻も作れない時代遅れの国が、随分偉そうに」
「代わりにムハンマド常勝軍50万がインドのすぐ側にいることを忘れるな」
「数ならインド人も負けんよ。命があれば女王陛下に忠誠を誓う三億の民が武器を手に取る」
「せいぜい、その武器が自分たちに向けられないよう注意することだな」
「――ちょっと失礼」
汗を拭いながら席を立ったペリーエフを、パシャが一喝した。
「何処に逃げるんだ大使! ここは旗幟を明確にして貰おうか」
渋々ペリーエフは腰を下ろし、もごもごと口の中で何か呟いてから言った。
「あぁ、その、ロシア帝国は、その――」途端に机に身を乗り出し、懇願するようモリアティに言った。「その辺にしておけ大使。もうこれ以上は――」
「わかった。何が欲しい。石炭か」途端に背筋を伸ばすペリーエフに、モリアティは腕組みしつつ続ける。「ノースアイランドの採掘権なら、くれてやってもいいぞ。南半球まで掘りに来られるならな」
「待て待て。それは――議会も承認済みなのか」
「これくらいは私の一存でどうにでもなる。さぁ、どっちにつくのか、はっきりさせたまえ」
四つの視線ににらみ付けられ、ペリーエフの顔は赤くなり、次いで青くなる。やがて懐からハンカチを取り出し、彼は汗を拭いながら言った。
「これは、さすがに難しい問題だ。諮問会議に諮る必要がある。ここは一旦休会に――」
途端に、何のための全権大使だ、これだからロシア人は、と、パシャとバートレットが噛みつく。そうした中でも武雄とモリアティは冷たい視線を送り合っていて、互いに互いの腹の内を探ろうとしているようだった。
結局そこで五帝国会議は休会となり、議題は翌日に持ち越される。しかし事態は急速に動きつつあった。
「私が思うに、レヘイサムの小型飛行戦艦はこういう物」帝都から同行していたハナは、五帝国会議の武雄の大使室で黒板に向かい説明する。「弟君がDloopに見せられた船の特徴からして、ロシアの設計だと思う。硬式気嚢の骨組みが独特なんだよね。たぶん田中久江に殺されたミヤコンから買ったか、彼と赤軍の関係から分離主義者同士の繋がりで手に入れたんじゃないかな。そして機関。これは森房子が山羽二郎を騙して手に入れた物で、山羽式オリハルコン蒸気機関、二号が二基、三号が二基。明らかに過剰だね。多分三号は別の用途で、二号二基が飛行戦艦では利用されていると思う。そして仮に、飛行戦艦の全構造がオリハルコン合金製だとしたら――相当に軽量高速型。太平洋を三日――いや、四日くらいで渡れるかもしれない」
「千代田でも七日かかる」武雄は世界地図を前に考え込んだ。「航続距離は」
「小型だから、あんま石炭積めないと思うんだよね。だから航続距離に全振りしたとしても、やっぱり四日で太平洋を横断するのが限界じゃないかな。多分だけど」
「山羽美千代の〈機関〉は、使っていませんか。あれがあれば、もっと速度が出るかも」
尋ねた利史郎に、ハナは唸りながら否定する。
「それはないと思うなぁ。レヘイサムが〈機関〉を手に入れたのは、飛行戦艦が出来た後でしょ? そんで飛行戦艦の機関はそれなりに大がかりで船体の重量配分の問題もあるから、凄い機関士がついてても改造して取り付けるような事は怖くて出来ないと思う。だから多分、あれは弟君の見たグライダー型飛行機にしか使われていないと思うな。けどこれは凄いよ。多分時速百五十キロくらいは出る。大砲どころか、兵隊さんの鉄砲でも狙うの大変だろうねぇ」
「それは何機あった? 武装は」
武雄に問われ、利史郎は記憶を探る。
「最低四機――それ以上は見えませんでした。格納する余裕もなかったように思えます。武装は機体の真下に取り付けられていて、機関銃のような音がしていました。こんな形です」
描いてみせると、武雄は唸りながら言う。
「ヴィッカースの重機関銃のように見える。恐らくイギリスから供与されたんだろう。歩兵相手には恐ろしい代物だが、飛行戦艦が相手では牽制にしかならないだろうな。オリハルコン製どころか、鋼鉄製の気嚢でも貫通させられんだろう」
「そのようでした。しかしその間、彼の飛行船は自由に動ける」利史郎は腕組みし、ハナの描いた乱暴だがよく特徴が捉えられたレヘイサムの小型飛行戦艦を眺めた。「姉さん、設計図があれば、こうしたものは誰でも作れるものですか」
「無理に決まってるじゃーん。最低、戦艦と飛行船、両方作れる造船所じゃないと」
いいことに気づいた、というように、武雄が指を鳴らしながらしながら周囲を歩き回った。
「日本だと三菱か石川島。イギリスだとグラスゴー。しかし大英帝国がレヘイサムと接触したのは、比較的最近のはずだ。CSAが作ったならばバートレットがあれほど混乱するとは思えんし、いくら腐敗しているとはいえロシアの造船所が秘密裏に分離主義者のための飛行戦艦を作れるとも思えん」
「ではどうやって、彼は総オリハルコン合金製の飛行戦艦を――それを作れる帝国はなく、原料となるオリハルコンも手に入れることは不可能で――」
武雄は利史郎の力を試すように、じっと見つめてくる。だが利史郎はすぐ、その問題が今までに抱いていた疑問と繋がることを発見した。
「レヘイサムの、一見無謀とも思える犯罪の数々――それは決して、帝国に対する真の挑戦ではなかった。後援者の注意を引くためのデモンストレーションだったんですね」
武雄は頷き、地図上の西欧に指を置いた。
「僅かだがオリハルコンは輸出されている。恐らくそれをため込んで、レヘイサムの飛行戦艦を作ったのだろう。彼の背後には、間違いなく連中がいる。ローマ共和国だ」
五帝国会議の様子を見て危惧を抱いていたが、その比ではない緊張感に利史郎は包まれる。五帝国間の反目に、かの没落した帝国が関わっていたとすれば――本当に、世界中で戦火の交わる大戦が始まってしまうかもしれない。
「とにかく、外交問題は私の仕事だ。お前はレヘイサムを捕らえる事に全力を尽くしてくれ」武雄に言われるまでもなく、世界大戦の危機なんて利史郎が対処するには地位も能力も不足しすぎている。「それで、あの〈千里眼〉をどうするつもりだ」
ちょうど外から複数の馬車が到着する音が聞こえてくる。利史郎が窓から外を見下ろすと、一台は四頭立ての囚人護送用の馬車で、座席からは寒そうに両手を擦り合わせつつ牧野警部が降りてくる。
「帝都に移します。そして尋問を」
「まぁ、それがいいだろうな。そうだ、ハナを借りてもいいか。もうすぐ提督が来る。レヘイサムの飛行船を説明するのに力を借りたい。それと連中、ハナが作ったという新型のゼンマイにも興味があるとか――」
「僕は構いませんが」
ハナを見ると、彼女は慌てて鞄を探った。そして小型のゼンマイと歯車を組み合わせた柄付きの置き時計のような物を取り出し、利史郎に差し出す。
「これ、言われた通り作ったけど。ちゃんと動くかわかんないよ?」
「大丈夫、実地で試します」
では、と頭を下げて帽子を被る利史郎を呼び止め、武雄は僅かに躊躇してから言った。
「気をつけろ」
利史郎が頷くと、武雄は背を向け机上の資料に意識を向けた。
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