episode6 悪夢
「ふぅ…………よし。」
洗面台の吐瀉物を全て洗い流し、跳ね返った水でびちゃびちゃになった服を着替えて、少し湿っている床を拭いて一安心。
さっきよりはだいぶマシな顔つきになっていると思う。多分だけど。
とりあえず自室に戻り、スマホで時間を確認した。
午前2時半ごろ。姉さんも日葵さんも多分寝ているのだろう。姉さんの部屋からは物音ひとつ聞こえない。
Rhinも来ていないし、きっと二人とも何事もなく帰ってきているはずだ。
「……。」
布団に潜って、俺はもう一度眠ろうと試みるも、先ほどの夢のせいで完全に目が冴えてしまって眠れそうにもなかった。
「……はぁ。」
仕方なく俺はそっと部屋の扉を開けて、玄関に向かう。外に出れば、きっと気分転換にはなると思ったからだ。
目的地は決めない。適当に歩いて、とりあえず気晴らしだ。
「いってきます。」
家の中に挨拶をして、ダボっとした部屋着に適当な上着を羽織っただけのファッションのファの字すらどこかに放り投げたような恰好のまま玄関の扉を開ける。
深夜の空気というのは独特だ。
昼間とは全然違う、静寂に包まれた夜の闇が俺のことを包んでくれているような気がして、ちょっと落ち着いた。
「…………」
俺は、自宅を少し歩いた先にある自販機で買ったコーラを飲みながら、静寂の中へ溶け込むように歩き出す。
今日は、昨日よりも少し冷たい。夏の終わりと秋の到来を感じさせる気温。
「んくっ…………ぷは」
炭酸の刺激と甘さが、乾いた喉に染み渡って心地いい。
もう少し歩けば少し安く買えるコンビニがあるため、普段は絶対に自販機では買わないのだが、今日はなぜだか無性に欲しくなってしまった。
プライミング効果という奴だろうか。
等間隔に配置されたLED街灯の光に当てられながら、一歩ずつ歩みを進める。
「……あー、やっぱ美味いな。」
誰にみられている訳でもないし、誰かに見られたところで何か言われるわけでもないのだが、それでも夜中にコーラを飲むという背徳感が、さらに美味しさを引き立ててくれた。
「……あれ?」
ふと、前方に見覚えのある人影を見つけた。
それは、夜中でもわかるほどに美しい黒髪と、月明かりでもはっきりと分かる端正な顔立ちをした女性。
彼女は等間隔に配置されたLED街灯の、ちょうど電気がついていない1つの下で、誰かを待っているかのような雰囲気を醸し出している。
「……姉さん?こんな時間に何やってんだろ……」
家を出るときに部屋の中は確認していなかったし、外に出ていたのかと俺は姉さんに近づいていく。どうやら向こうはこちらに気づいていないようだ。
「霎帙>」
「…………?」
しかし、近づくにつれて俺はある違和感を覚えた。
姉さんの様子がおかしいのだ。別に特別何か変な挙動をしている訳ではないけれど、なんていえばいいんだろう。画素数が足りない?画質が荒い?姉さん単体として見るのなら違和感なんて全くのないのだが、すぐ傍の電柱と一緒に見ると、なんだが"ういていた"。
その横顔には何の違和感もない。生まれてから今まで、一日だって見なかったことはない姉さんの顔。
「姉さん。こんなところで何してるんだ───」
姉さんに声をかけようとした瞬間、俺の言葉は遮られた。
いや、正確には声が出せなかった。
「……え」
一瞬の出来事だった。
俺の真後ろにあった一軒家が、半壊した。
まるで大型車が突っ込んだような、轟音を放ちながら。
「─────なっ!?」
何がぶつかったのかはわからない。何が起こったのか全く分からなかった。
何の前触れもなく、時限爆弾でも起動したかのように、建物が壊れる。
パラパラとコンクリートが崩れ落ち、土煙が上がる中、俺は呆然と立ちすくむ。
「なんだよ……!」
俺は、自分の目の前で起きていることを理解できなかった。
あまりにも唐突すぎて、現実味がなかった。
「っそうだ!姉さ……」
ふらつく足取りで、俺は姉さんの方に視線を向ける。
「
そこに、俺の知っている姉の姿はなかった。
そこに居たのは、頭があるはずの部分から巨大な
その腹部からは腸のような臓器が垂れ下がり、その先端から見知った姉さんの頭が生えていた。
その頭部の各パーツ、主に口や、鼻からは大量の血が流れており、地面を真っ赤に染め上げている。
「…………は?」
まだ夢を見ているんじゃないかと、頬を引っ叩きたくなった。
この数秒間で起こった何もかもが現実離れしていて、思考が全く追いつかない。
「
姉さんが凡そ人語に聞こえなくもない言葉で叫ぶ。
それと同時に彼女の身体はぐねりと曲がり、背部から無数の触手が生えた。
「────────」
言葉を失った。
あまりに突然のことで、脳が処理落ちでもしたようだった。
理解が、できない。
「
目の前の怪物は何かを
「ッ!?」
俺は咄嵯に後ろに飛び退き、間一髪回避に成功する。
思考なぞしていない。本能がアラートを鳴らし、脊椎反射で動いただけだった。
刹那。ズバンと重々しい音が足元から響き、パラパラとアスファルトの破片と、ガードレール"だったもの"が宙を舞う。
見なくてもわかる。その触手には、叩くだけでもアスファルトを叩き割り、ガードレールを鉄屑にするだけの火力があるのだ。
直撃したらどうなるか、想像もしたくない。
「なんなんだよ、これ……!」
俺の姉が、少し目を離した隙に化け物へと変異していた。
改めて思考してみても意味が分からない。疑問符しか浮かばない。
「
「……な、なに言ってんだよ………?」
意味が分からない。何を言っているんだ。
どうして俺が姉さんを殺すというのだ。
『俺も、日葵さんも、何も悪くなかった。悪いのは全部■■した姉さんの■■■達だろ!?』
知らない。
「
「な、なんで……!」
体が動かない。まるで金縛りにあったかのように、俺は動けなくなっていた。
『違うよ棗くん!私が、気づいてあげられてたら、由里は。由里は……!!』
「あぁあああ!!!あぁああああああああ!!!」
耳を、塞ぎたい。俺は、違う。
日葵さんは今日も元気だった。違う…………!!
「
うるさい……黙ってくれ
姉さんの口がパクパクと動くたびに、俺の耳にノイズが入る。
『私たちのせいで!!由里はッ!死んだんだよ!!』
『違う!俺達のせいじゃない!全部■■たちが悪いんだ!!』
『そんなの嘘だ!私が一番近くにいたんだ!!私がしっかり話を聞いてあげれば、こんなことにならなかった!!』
やめてくれ。俺は、何も知らないんだ。
違う。違う。みんなが幸せなんだ。
日葵さんも、姉さんも、俺も、みんな幸せで────。
「
「──────ッあ、」
声にならない叫びが喉から絞り出される。
「俺、は─────」
気持ちいいほど綺麗に切り取られていた最悪な記憶が、脳裏に再び縫い付けられた。
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