第23話 陸上部

白崎しろさき先輩、中庭の花壇の土起こしは一段落付いたので、次はグラウンドのプランターに取り掛かりませんか?」

 脱法ハーブ事件といまだにコソコソ噂の冷めやらぬ放課後、さかえ先輩に指摘された通りに提案を試みる。


 榮先輩の名前は出さずにあくまで俺からの発案という体にしないと、それだけで白崎先輩は無駄に反発しかねない。


 とはいえ、俺と鈴木さんが入ったことで、たった三人とはいえ人手が増え中庭花壇の土起こしに目処が立ったのも事実だ。


 白崎先輩は喜び勇んで事あるごとに、おぼつかない手付きでスマホを操作して花の苗を勝手に注文しようとするので、さっさと次の仕事に取り掛かった方がいい。


「ほほう? 鮫島さめじまくん、仮入部の身でありながら良いことを言うじゃないか。私もちょうど今それを言おうと思っていたところなのだよ!」

「すみません、先輩のセリフを奪ってしまって……」

「いやいや、いいんだよ鮫島くん。なにしろ私は寛大さがウリだからね。……………………代わりと言ってはなんだけど、私にも例の秘薬をだね……?」

「ですから、ただのバジルですよ……?」

 大仰に胸を逸らして見せ、こっそりと俺の耳元でそんなことを囁いてくる。まだ誤解しているようだがどうしたら信じてもらえるのだろう……?


 あと、寛大さがウリの人物は他人の胸の大きさに目くじらを立てたりはしないと思う。


「二人とも先のことまで考えていてすごいですねー! プランターも10基ありますし、手分けしてやりますか?」

 手を合わせて感心してくれる鈴木さんの言う通り、グラウンドのプランターは全部で10基ある。そしてその全てがまったく手入れされていない。


「あのプランターたちは、私が入学した一年前から手付かずで荒れ放題だったからね。手分けするよりは1基ずつみんなで手入れしていった方がいいだろうね」

「それでもずいぶん時間はかかりそうですねー」

「一部の運動部からはプランターが邪魔だから撤去してほしいという意見が上がっているくらいなのだよ。だから時間はかかっても1基ずつ綺麗にして、いずれ全部のプランターがこんな風になるのだと示すべきだろう」

「そうですね。俺もその方が良いと思います。順番に終わらせていきましょう」

「ひひひっ、鮫島くんのやる気が垣間見えちゃったよー!」

 そんな冗談を言いながら鈴木さんが俺の肩をわきわき揉んでくる。


 そのまま押されるように談笑混じりにグラウンドのプランター前にたどり着いたのだが、改めてその惨状を目の当たりにしたことで、それまでの談笑が唸り声に変わってしまった。


「うーん……」

「これは、なかなか……」

 唸った挙げ句に言葉を失ってしまうが、一年以上手付かずだったのだから当然だ。


 まずプランター自体が風雨にさらされて土汚れがひどく、表面をこすってみてやっと本来は白っぽい色合いであることがわかるくらいの状態だった。とにかくそれくらい汚れきって見る影もない有様なのだ。


 本来は環境委員が持ち回りで管理することになっていると言っていたが、これでは管理も何もないだろう。表面の汚れだけならまだしも、中の土からは雑草さえろくすっぽ生えていないのだから。


「……ひとまずプランターの中の土を全部取り替えましょう。このままでは何も植え付けられないですから」

「ラジャー!」

「任されたっ!」

 鈴木さんが以前と同じ敬礼のポーズを決め白崎先輩が親指を立てる。


 ……その決めポーズはもしかして申し合わせてやっているのだろうか? 俺は何も聞いていないのだが……。


 そんな疑問を思い浮かべながらも、早速プランターの中の固くなった土を掘り出していく。

 用務員倉庫から持ってきた手押し車、いわゆる猫車と呼ばれる一輪車で倉庫の脇に運んでまとめておき、再生させて次のプランター用の土として使う算段だ。

 やや時間はかかるが、土のリサイクルが出来るので無駄がない。倉庫の中に花と野菜両方に使える培養土がたくさんあることは確認済みだがリサイクルできるものはした方がいい。土の処理はその辺に適当に捨てるわけにはいかず意外と手間がかかるのだ。


 ここ数日間は土を掘り返してばかりだなと苦笑しながら、倉庫から一輪車を押してグラウンドに戻ってくると、どうやら陸上部が練習を始めるためにプランターのすぐ側に集まってきている姿が見えた。

 その陸上部員の一人が白崎先輩になにやら話しかけている。


「なんだよ園芸部、いまさらこんな汚え植木鉢なんか使うつもりかよ? 邪魔だからさっさと撤去すればいいだろ」

「ああ、これはこれは陸上部部長、三年の石中先輩じゃないか。ごきげんよう」

 小さな身体をふんぞり返して、わざわざ腕組みしてからこれでもかと言わんばかりに大仰な挨拶を返す。


 どうやら三年生のようだが、白崎先輩にはぜんぜん敬おうとする様子はない。

 普段通りの口調、それどころかむしろ、挑戦的な態度といっても過言じゃないように見える。


「あいかわらずムカつく喋り方だな。こんなものわざわざ使わなくても適当な花壇の方で作業してればいいだろ。園芸部なん――」

「失礼。私たちはガーデニング部なのだよ。ちょっと事情があって園芸部ではないのさ。覚えておいてくれたまえ」

「……チッ、そんなことどうだっていいけどよ、こんな花も何も咲きやしない邪魔なだけの植木鉢なんか――」

「花も何も咲かないのは、決められたスケジュールに沿ってプランターの管理をしようとしないからじゃないのかい? 環境委員の委員長である石中先輩?」

 言葉尻をいちいち遮って、片眉を持ち上げて不敵な笑みを浮かべる白崎先輩。


 この陸上部の部長という三年の石中先輩が、集合場所にも現れずに環境委員の仕事を丸投げしていた委員長だったのか。


「と、とにかくっ、俺たちの練習の邪魔だけはするなよ。いくぞっ」

 旗色が悪くなってきたと感じてか、鼻息荒くそれだけ吐き捨てると周りの部員たちを伴って足早に去って行った。


「あ、鮫島くんおかえりー!」

 先輩たちのやり取りの最中、威嚇のつもりだったのか背後でずっとショベルを構えていた鈴木さんが俺に気付いて声をかけてくる。


「……今のは?」

「ああ鮫島くん、見てたのかい? あれが環境委員でありながら部活を優先してちっとも委員長らしい働きをしない石中先輩なのだよ」

 口にするのも忌々しそうに鼻の頭に皺を寄せて、やれやれとため息を漏らす。


「いや部活優先って、委員長だったら委員活動を率先してやるべきじゃないんですか?」

「ふむ……。彼はああ見えて陸上部のエースらしくてね。詳しくは知らないがタイムだか記録だかがそこそこ優秀らしいのだよ」

「だからって……」

「うちの学校の陸上部から以前、全国インターハイ出場を果たした卒業生がいてね、そのおかげで陸上部は特別扱いされているのさ。そして彼は、歴代二人目となる全国インターハイ出場か? と持て囃されているのだよ。以前言った『どうしても優先するべき用事がある場合には委員活動は休んでもらって構わない』って方針は覚えているかい?」

「はい、環境委員が集まった時に先輩が言っていた――」

「あれは彼が言い始めた方針なのだよ、部活を優先するためにね。学校としても、優秀な成績を修めてくれるかもしれない生徒の活動を、そもそも手入れの行き届いていないプランターのために煩わせるわけにはいかないのだろうよ」

「……」


 ほとほと呆れてものが言えない気分だ。

 しかし、なるほど。確かにそんな方針がまかり通っている状態であれば白崎先輩が言ったように、責任感のない人たちには軽々しく触れて欲しくないという気持ちには俺としても熱烈な同意しかない。


「でも、おかげでわたしたちの好きなようにお花を植えられるんですよね? わたしは嬉しいですよー!」

 分厚い眼鏡を曇らせるほど血気盛んに、鈴木さんがむんっとショベルを担ぎ直して笑顔を浮かべる。


「……ふっ、そうだとも彩子あやこくん! 時間はかかってしまうだろうが花を愛する者だけで渾身の楽園を作り上げて見せようじゃないかっ!」

 バシンッと背中を叩かれた鈴木さんがショベルの重さに抗えずによろめく。


 太陽の子なんてよく言ったものだ。この前向きさは本当に照り付ける太陽そのものなのかもしれない。


「そうですね、じゃあ、作業を続けましょう!」

 気を取り直してプランターの土の掘り出しを続けることにする。


 手順としては一端空っぽにし、今度は倉庫から運んできた培養土を入れていく。

 次のプランターからは最初に取り出した土を再利用する予定だが、今回の1基目は培養土を敷き詰めてやれば完成だ。


「ふう……。とりあえず1基だけは土の入れ替え完了だね、お疲れ様だよ」

 白崎先輩が額の汗を拭いながら声をかけてくる。気が付けばすっかり陽が暮れ始めていた。


 三人がかりでやっと1基だが土が入れ替えられただけでも中々の達成感だ。プランター自体も綺麗に出来れば良いのだが、まずは花の植え付けを出来るようにするのが最優先だ。


「鮫島くん、折り入って相談なのだが、このプランターは寄せ植えにしようと思う。そして、寄せ植えの組み合わせは彩子くんに一任しようと思うんだ。どうかね?」

「――ええ、それが良いと思います」

 ニヤリと笑みを浮かべる白崎先輩は初めからそういう魂胆だったのだろう。


 苗の植え付け方はネモフィラの時に教えている。あの時のネモフィラたちの叫び声が気にならないと言ったら嘘になるが、ここまで頑張っている鈴木さんへのご褒美としては最高のプレゼントだろう。反対するような野暮な真似はしない。


「ほ、ほあーっ!? 本当ですか!? わ、わたしっ、頑張りますっ!」

 手押し車の荷台に片脚をかけて今まさに乗ってみようとしていた鈴木さんが、突然の大抜擢におかしな声を上げて驚きつつもビシッと敬礼してみせる。


 手押し車に乗ってみたくなる気持ちはわからなくもないが危ないので止めた方が良い。


「ああ、よろしく頼むよ彩子くん」

「だっ、だったらせっかくなので、今はまだ蕾の花苗でまとめて夏前くらいにぱあーっと次々開花する感じでやってみていいですか!?」

「もちろんだとも。花が咲き始めれば環境委員の仕事もわかりやすくなって指示しやすくなるだろうからね」

「じゃあじゃあ、長く咲き続けてくれるお花が良いですね! ひひひっ!」

 浮かれ気味にワントーン高い声ではしゃぐ鈴木さんが、土汚れも気にせず培養土の表面をなぞりながら白崎先輩に花の配置を伝えて盛り上がっている。


 花が咲いた時の配置や色合い、バランス、開花時期の調整。


 苦労して土の入れ替えを終えたからこそ、一番の醍醐味と言っても過言ではない楽しい植え付けを心ゆくまで楽しめるのだ。


 プランター一面に咲き誇った時の様子を想像して浮かべる笑顔こそが、なにより一番最初に咲く花なのだから。


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