第5話 プランター

「……むぅ。陽和ひよりのやつ、また節操もなく乳が育っていた気がするな」


 校舎の角を曲がったところで待っていてくれたのだろう、先に行ってしまった二人にあっさりと追いついた。

 ちょうど、白崎しろさき先輩が先ほど繰り出したボタニカルクローの感触を確かめるみたいににぎにぎ手を動かしているところだった。


「それはそうと彩子あやこくん」

「はい先輩、どうしました?」

「見ての通り、私はデカ乳が嫌いだ」

「えっ、逆に好きすぎていじわるしちゃってる感じなのかと思ってました!」

「そんな小学生みたいなことはしないよ」

 小学生みたいな見た目の先輩がフンッと鼻を鳴らす。


 そして尊大に腕組みしながら、はばかりもせず無遠慮に鈴木さんの胸元をじっと凝視する。


「………………あえて問おう、彩子くん。君は何カップなんだい?」

「えっ、わ、わたしですか!? シ――、びっ、Bですっ!!」

「…………………………うむ、そうか。ならばギリギリ合格だよ。改めて歓迎するよ彩子くん、ガーデニング部にようこそ!」


 瞬時に身の危険を察知したのだろう、鈴木さんはうっかり口にしかけたサイズを辛うじて飲み込んで下方修正してみせた。


 ずいぶんと長考する間があったが九死に一生を得たようだ。

 返答の如何によっては、またあのボタニカルクローと名前だけやけに格好良い、獲物を掴んで離さないまさしく猛禽類じみたえぐい鷲掴みが炸裂するところだったろう。


「あのっ、それよりもさっきのさかえ先輩と何で揉めていたんですか?」

「そ、そうです先輩っ、どうしてガーデニング部と園芸部って似たような部活があってわざわざ分かれて活動してるんですか?」


 歓迎すると言いつつも、鈴木さんの胸へ疑いの眼差しをロックオンし続ける白崎先輩に、先ほどの見るに堪えない小学生のケンカについて尋ねて意識を逸らす。


 俺の思惑をすぐに理解したのだろう、鈴木さんはわずかに背中を丸めて胸から注意を逸らしながら質問を投げかける。


「……こほん。ふむ、取り乱してしまってすまなかったね。では次はグラウンドに向かいながら話そうじゃないか」

 ひとつ咳払いをして、胸へのロックオンを解除した先輩が先を歩きながら説明を始める。


「まずそもそも去年までは園芸部という一つの部活だったのだよ。去年、私と陽和が入部した時点で二年生、いまの三年生には一人も部員がいなくてね。待望の新入部員だったわけさ。そして活動を続けていたのだが夏にが起こったんだよ。それを機に当時の部長から私が花を、陽和が野菜を育てるように作業分担することになったのさ。そしてそのままあの分からず屋のデカ乳が意地を張り続けるものだから、三年生の引退後、部員が私たち二人だけになったタイミングでガーデニング部と園芸部に分裂する運びになったのさ」


 すいすい歩きながら淀みなく話してくれる白崎先輩の表情をうかがい知ることは出来ない。

 しかも話してくれた経緯だけでは、結局のところ何が原因で榮先輩と仲違いしたのかもわからなかった。


 ただ一つだけわかったのは、去年の夏に何事か問題が起こったらしいことだけだ。


 正門の花壇は卒業前の先輩たちに手伝ってもらっていたと言っていたから、その時にはすでに別々の作業を分かれて行っていたのだろう。


「さあ、グラウンドに着いたよ。見たまえ」

 たどり着いたグラウンドで話を締めくくるように白崎先輩が指し示した先には、その外周を囲うような配置でかなり大型の立派なプランターが10基も設置されていた。


「うわあ、おっきいですし、たくさんありますねえ……」

 鈴木さんが眼鏡をくいくい動かしながらそれぞれのプランターを見回す。


 すでに部活を始めている運動部の邪魔にならないよう一番近くのプランターに近付いてみると、見渡していた時から懸念していた状況がよりくっきりと浮かび上がってしまった。


 もはや言うまでもなく、手付かずだった中庭の花壇に輪をかけたように一切の手入れがされていない。プランターに入ったままの土はいったいいつからその状態なのか、養分が枯れ果てているのだろう、水通しも悪く雑草さえろくに生えていない有様だ。


「……我がガーデニング部が管理している、いや、管理するべき花壇はこれで全部だよ。しかし見ての通り、恥ずかしながらこれが現状なのだよ。人手が足らなくてまったく管理が追い付かないんだ」

 白崎先輩が肩を落としてため息交じりに呟く。


 環境委員の呼び出しで集まった裏庭、次に正門の歩道脇、前庭の庭木下、中庭を囲むほどある花壇、そしてグラウンドの大型プランター。どう見積もってもそれなりの人数がいないと管理なんて間に合うはずがない。


「あ、あの白崎先輩、ガーデニング部の他の部員は……?」


 鈴木さんが入部したと説明された時、敬礼しながら『ガーデニング部1号』と名乗っていた。

 その時から不穏な気配が漂っていて聞き出すのが怖かったのだが、思い切って胸に秘めていた質問を投げかけてみる。


 ここに至るまでのあまりにも整備の行き届いていない花壇の数々を見て回った限り、想定出来る白崎先輩からの返答はきっと――


「わたし一人さ!」


 ぽんっと控え目な胸を叩いて白崎先輩がふんぞり返ってみせる。


 やはりだ。ほんのわずかな奇跡的な可能性として、昨日のうちに新入部員がどっと押し寄せていたりしないだろうかなんて脳裏を掠めたが、駄目だった。現実はいつだって残酷だ。


 そもそも去年の時点で白崎先輩と榮先輩の二人しか入部しなかったのだから、今年に限って選ばれし土いじりの精鋭みたいな生徒が集ってなんて来るはずがない。


「いえ先輩、わたしがいますよ! 今は二人です!」

「……そうだったね。訂正しよう、ガーデニング部の部員は彩子くんと私の二人さ!」


 まるで変身バンクのラストで決めポーズを構える魔法少女キャラみたいに、ビシッとこちらを指差して白崎先輩が片脚を上げる。

 それを見て、鈴木さんも慌てて引き攣った笑顔にダブルピースを添える。こんな不安にしかならない決めポーズも珍しい。


「まあ、あとは非常勤で作業を手伝ってくれる用務員のおじさんと、ガーデニング部と園芸部の兼任顧問の先生がいるのだけど定期的な雑草防除だけで手一杯なのだよ。それだけでも手伝ってもらえているだけありがたいってところさ」


 それでやっと四人か。ただ用務員のおじさんは非常勤で顧問の先生だっていつもいつも草引きなんて出来るはずはないだろう。

 実質、白崎先輩と鈴木さんの二人きりだし、園芸部を名乗っていた榮先輩に至っては一人きりだろう。


「それに、本来であればこのプランターは環境委員が持ち回りで手入れをする決まりなんだ。まあ、手入れをするに至る状態にないのだがね……」

「白崎先輩は環境委員の副委員長と言っていましたが、そもそも委員長であるはずの三年生や他の二年生は……?」


 聞き出すのが怖かったもう一つの質問、すでにまともな返答なんて期待はしていないのだが、一応確認の意味を込めて聞いてみる。


「うむ。みんないろいろと放課後は忙しいそうなのだよ。無理強いは出来ないからね」


 やはり裏庭で発していた『どうしても優先するべき用事がある場合には委員活動は休んでもらって構わない』という宣言のせいで、ただの一人も活動はおろか集合さえしていないのだ。もう少しくらいは強制力を持たせても良いだろうに。


「……結果、誰も活動せずに荒れ放題ってことですね」

「いやはや耳が痛い。けれど、まあ見ての通りの有様だからね。本来ならばお花に水を与えたり雑草抜きが環境委員の仕事になるのだけれど、この状況ではまともな仕事に至れないからね。プランターを一から清掃するとなると委員活動の範疇では収まらないしね」 

「ですが、強制的にでも始めないことには――」

「それがきっかけでお花のことを嫌ってほしくはないからね」


 興味のないことを嫌々やらされるほど、嫌悪感への近道はない。


 誰だって一方的にトイレ掃除を押し付けてくる相手に好感なんて抱かない。そして、ぶつけようのない憤りはいい加減な結果となって跳ね返ってくる。


「それになにより、お花たちは生き物だからね。私は責任感のない人たちには軽々しく触れて欲しくないって気持ちもあるのだよ。……まあ、いまはまったくお花は咲いてないのだが!」


 晴れ晴れしい表情でおどけてみせる白崎先輩の気持ちには、完全に同意しかなかった。


 生き物の世話をするという意味では、動物も植物も差なんてあるはずがない。嫌々押し付けられて適当な管理で被害を受けてしまうのはお花たちの方なのだ。


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