受験の不安


 数日経って、あれからも何度か勉強を教えて、ほんの数日後に入試が迫ったある日、突然スマホが震えた。メッセージを受信した合図である。

 この頃はほとんど咲ちゃんとしかメッセージのやり取りは行っておらず、次いで妹、母、父といった順番で、だいたいその並びから変わることはない。今回もその通り、そのメッセージの差出人は咲ちゃんだった。


――今日図書館に来てくれませんか?


 咲ちゃんには既に入試対策の幾つかのノートを渡しており、本番までは自分だけの集中した環境で勉強できるように配慮していたのだが……どうかしたのだろうか。

 もしかしたら、ノートに不備があったかもしれない。突然聞きたいところができたのかもしれない。


――いいよ。終わり次第向かう


 まあ、どれだとしても、断る理由はない。とりあえず返信し、学校に向かう。時間がやばいからな。



「そう言えば、そろそろ入試だな」

「そうだな」


 斗真がワクワクしたような顔で話す。我が校では入試の日は在校生は基本的に休みで、部活も休みとなる。そのため、日々部活の休みがほしいと嘆いていた斗真が喜んでいるというわけだ。

 俺はと言えば、その顔とは対称的な気持ちになっている。もちろん休みになるというのは少なからず楽しみなことではあるのだけど、その日、咲ちゃんが入試であることが大きな心配の要因である。

 彼女が不合格になることは無いとは思っているが、絶対というのはない。特に勉強やスポーツでは。

 というわけで、まるで教え子が合格できるように祈る教師のような心持ちになっているのだ。


「はあ……」

「おっ!何だ?もしかして嬉しくないのか?休み」

「いやあ、嬉しいと言えば嬉しいんだが、ほら、妹の友達がいるって言っただろ?その子の入試の結果が出ると思うとな」

「あー、あの子か。どうなんだ?お前的には。ずっと教えてやってたんだろ?」

「大丈夫だと思ってるよ」

「じゃあ大丈夫だろ。少なくともその子以外でその子の実力を一番理解しているお前が大丈夫って言ってるんだ。少しくらいそのこと自分のこと信用してやってもいいんじゃないか?」


 少し頬を上げつつも真面目な顔でそういう斗真。斗真も子の学校の入試を受け、そして入学しているのだ。入試に関する考えは決して間違えていることはない。


「そう……だな。気軽に考えるか」


 ちょっとは不安もましになる。そうして、前を向いてみれば、にやにやしながらこちらを覗き込んでくる斗真。


「それにしても、その子のことホント好きなんだなあ、お前、恋愛的にも好きになっちまったか?おいおい!」

「うっせ。ちげーよ」


 頭をベシッと叩いてやる。いってえと言いつつも色々いうのを止めないのはこいつがドMだからだろうか。

 そういう考える価値すら無いしょうもないことも思考に戻ってきた時、斗真の後ろから声が響いた。


「そうね。ちょっとは信じてあげたら?きっと一番不安なのは貴方じゃなくその子でしょ?」


 ひょこっと顔を出した佐山は何もなかったかのように平然と話し始める。……どうやって入ってきた?ドアから入ってきたような気配しなかったけどなあ。佐山の謎は深まるばかりである。

 それは置いておいて、たしかに俺ばっかりそんなに落ち込んでる暇じゃないな。きっと彼女だって不安だろうし、せめて俺くらいは大丈夫だって信じ続けよう。今日会うんだし。


「二人共すまんな……不甲斐なくって。まあでもおかげで分かったよ。きちんと咲ちゃんの背中を押すよ。彼女が安心できるように」

「おう。折角勉強教えてって言ってくる健気な後輩なんだから、お前ができることは何でもしてやれー!」


 ははは!と笑いながらバシバシ肩を叩いてくる斗真に感謝し、いつものようなやり返しは勘弁しておく。



 図書館の奥、いつも咲ちゃんがいる。


「来たよ」

「あ、お兄さん来てくださったんですね」


 さっきまで参考書をじっと見つめ、ノートへ忙しなく書き込んでいた彼女は、声を掛けた瞬間顔を上げる。その顔はいつもと変わりないようにも見えるが、少し落ち込んでいるようにも見えた。


「今日、どうかした?」

「……見てもらえますか?」


 鞄から取り出したのは、数学の小テストだった。そのテストのの点数を見ると、50点満点中41点と上々である。数学の勉強の成果が出ていると考えて問題ないくらいである。この調子なら入試でも、解けるはずの所を落としたりすることは無いだろう。


「良かったじゃないか!これならきっと大丈夫だよ!」


 それを俺の言葉を聞いて、咲ちゃんは少しびっくりしたような表情を浮かべた。そうして目線をさまよわせて、もう一度俺の顔を見る。

 俺に見せていた小テストを鞄に直し、席を立つ。


「お兄さん。ちょっと外に行きませんか?」


 外は雪が降っていた。まだまだ日が落ちるのが早い時期。まっくらな外は想像以上に寒く感じた。咲ちゃんも白い息を吐きながら、手を擦っている。

 前と同じ自販機の前につき、足を止める。そしてベンチに座った彼女は隣を叩く。それにちょっと待ってて、といった俺は前と同じココアを買って、咲ちゃんに渡し、隣に座る。

 

「ココア、なくても良かったのに。でも、とっても暖かくて、そして嬉しいです。ありがとうございます。」


 あたたかいココアのペットポトルを頬につける。前と同じこの動作は、彼女の癖のようなものなのかもしれない。

 しばらく風の音に耳を澄ませていると、彼女がココアを開け、口に含み、飲み込む音がした後、話し始めた。


「……そう大切な用があるわけではないんです」

「俺を呼んだ理由、のことか?」

「はい。ただ、学校で小テストをして、自己採点では40点を超えて、お兄さんが用意してくれたノートもしっかり勉強して……心配することなんて無いはずなんです」


 しばらくためて、でも、と息を吐くようにつぶやく。


「なんだか、不安になったんです。お兄さんに教えてもらったはずなのに。……呼び出した後、学校でさっきのテストが帰ってきて、自己採点と点数が同じでした。ひまりちゃんにも褒めてもらいましたし」


 ひまりちゃん、自分のことみたいに喜んでくれたんですよ?と、ふふ、と少し笑いながら言う咲ちゃんからは、それが本当に嬉しかったのだろうというのが見える。


「でも、それでもなんだか不安で……そして、そうやって不安になる度に、お兄さんに会いたくなるんです。お兄さんに応援してほしくなるんです。……お願いします。私の背中を押していただけませんか?」


 彼女は真面目な顔でこちらを見つめる。その瞳に夜の光が写って鮮やかに見える。しかし、その瞳には確かな不安がゆらゆら揺らめいていた。

 ふう、とひとつ息を吐いて、咲ちゃんに向き直る。不思議そうな顔をしている咲ちゃんにはっきりと、自分の気持を伝えるために。


「咲ちゃん。君に勉強を教えている間、俺はこんなに真面目な子が落ちるわけがないとずっと思ってた。それに、教えたこともきちんと出来るようになって……うん。君なら絶対受かる。自信をもって。もし自分が信じられなくなったら、咲ちゃんを信じる俺を信じてくれ」


 咲ちゃんがあっけにとられて何も言えない様子を見て、少し焦る。さっきの言葉、ちょっとクサ過ぎたかもしれない。妹の友達に掛ける言葉じゃなかったか?

 俺がなんとかして弁解の言葉を口に出そうとした時、咲ちゃんが今までで一番魅力的な笑顔を浮かべて、言葉を発した。


「ありがとうございます。その言葉が聞けて良かったです。……わかりました。私は、私を信じるお兄さんのことを信じて、受験に向かって最後がんばります。だから、絶対お兄さんは私のこと、応援しててくださいね!」


 ぴょん!と飛び上がるようにベンチを立った彼女は、家を急ぐように走り出す。俺はと言えば、その姿が近くにある彼女の家に入るまで、その背中を見つめていた。

 

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