はじめての自分語り

 電車に揺られながら、お嬢は興奮したように俺へと語りかけてくる。


「面白かったですね、映画!」 


「はは、喜んでもらえたなら何よりだよ」


 お嬢が来て三週目の週末、俺たちは映画館に映画を見に行ったのだ。

 先週末に「来週もデートに行こう」と話していたが、どこに行くかは決めていなかった。


 俺も頭を悩ませていたのだが、お嬢が見ていた再放送ドラマの劇場版が今上映していることが分かったのだ。

 なので、映画館に行ったことのないらしいお嬢を連れて映画を見に行って、今はその帰りの電車というわけである。


 三時ごろの電車はなんだかがらんとしていて、俺たち以外にあんまりお客さんはいない。


 俺とお嬢はそれをいいことに、内緒話をするようにこそこそと映画の感想を話していた。


「あのポップコーンを食べながら見るというのが、非日常へと連れて行ってくれるというか、おうちじゃ体感できない臨場感というか……いえ、もちろん作品も面白かったのですけれど!」


 お嬢にしては珍しくあわただしい口調でそう続けて、ふ、と表情を緩める。


「ほんとうに、空木さんには感謝してもしたりませんね。

 貴方と出会えていなかったら、こうした経験も知らないままだったのでしょうから」


 でも、とお嬢が眉をハの字に垂らして、困ったように「でも……」と言い淀む。


「あんまり無理はしないでくださいね。最近、どことなく疲れているようですから」


「別にお嬢が気にするほどでもないよ。俺が好きでやってることだしね」


 お嬢の言葉を俺が緩やかに否定すると、お嬢が不満を表すようにむ、と声を漏らした。


「いいえ、いいえ。いいですか空木さん、もし貴方が倒れでもしたらその責任はどこにあるでしょうか? 空木さん自身? 空木さんを雇っているアルバイト先の方々? いいえ、それは私です。

 今の空木さんは私という居候を養うために普段ではしなくていい苦労をしています。その負担は―――」


 げ、お嬢の小言モードだ。


「ご、ごめんごめんってば。お嬢のお礼の言葉はちゃんと受け取ります。これでいい?」


「ええ、ええ。最初からそう言ってくださればいいのです。

 空木さんの謙虚なところは美徳ですが、過度な謙遜は相手の気持ちをないがしろにしてしまうときもあるのですよ?」


「謙遜って言うか、なんつーか、お嬢の気持ちを受け取る権利が俺にはないというか……」


「? どういう意味ですか?」


「あー、いや別に何でもないんだけど―――」


 お嬢の視線から逃げるように、顔を逸らして電車の窓の外の街並みに視線を移した。


 時速数十キロで過去を置いていくように電車は前へと進んでいく。


 立ち並ぶビル。人の帰る家々。たまに見える小学校。思い思いに歩き、立ち止まる人々。

 青い空と、薄くかかる雲と、遠くに見えるまぶしい光源。


 全然似ていないけど、その景色に、俺はどこか故郷の面影を見た。


 だからかな、俺の口はついつい、誤魔化す言葉も忘れて、素直に自分の身の上を話し始めちゃったんだ。


「俺の家、共働きでさ。あんまり両親が俺にかまってくれなかったんだよね」


 突然話し始めた俺に、少しだけお嬢が驚いたように目を丸くした。


 そんな彼女に少し笑ってから、俺は語り始めた。



 俺の実家、かなり田舎の方にあるって話したっけ? うん、そうそう、新幹線と飛行機乗り継いでも半日くらいかかるところにあるの。


 それでさ、まあそんなところにあると学校とかも小さくて、子どもも少ないんだよね。

 俺の家の近くには子どもが住んでる家なんかなくて、そのあたりの子どもは俺だけとか言う感じだったんだよね。


 孤独じゃなかったかって? まあ、近所に地域のじいばあがいたからな。俺に声かけてくれたり、すっげえ子どもの頃は面倒見てくれてたりしたよ。

 いま思えば血もつながらないのにありがたいことだよな。


 まあ、でもやっぱりさみしい気持ちはあったかな。いま曲がりなりにも大人に近い立場にいるからこそ認められることだけどね。

 子どものころはそれを認められなくて強がってたりもしたから、あはは、俺も大人になったってことかな?


 家に帰ったら誰もいなくて、俺が「ただいま」って言っても帰ってくる声なんかなくて、なんか家ががらんとしてんの。

 友だちもいないから話し相手もいないし、暇つぶしにその辺の森とかをよく散歩してたよ。

 飯の時間だけは両親が帰ってきて一緒に食べたりするんだけど、まあ、それもちょっと遅めでさ。

 二人とも疲れてるからあんまり会話とかも多くないんだよな。


 あ、だからって言って俺と両親の仲が悪いとかじゃないよ?


 俺がだんだん大きくなると二人とも仕事が落ち着いてきて、俺と一緒に過ごせる時間も増えて来たし、高校受験とか大学受験時とかはめちゃくちゃ手助けしてくれたし。


 ただ、なんていうのかな。


 子どもの頃は、ちょっとさみしかったんだ。


 俺は……俺も、あんまり『普通』の家みたいなのを知らずに育ったなーとか、ちょっと思ってたんだ。


 まあお嬢に比べると、俺のした経験なんて、あくまでも一般人のレベルだってわかったけどさ。


 うん。俺の心の中にはいつもあの頃の「さみしくなんてないぞ」って強がる俺がいたりするんだろうな。


「だから、なんつーか、俺がお嬢に色々するのは、俺のためなのかもしれない」


 自分の過去を語り、俺はそう結論付けた。


 本当は親にしてほしかったことがあった。

 本当は親に言って欲しかった言葉があった。

 もう経験のできない取りこぼしてしまった思い出があった。

 

「俺は、そういうのをお嬢にしてあげることで、幼いころの俺を慰めてやりたかったのかもしれない」


 お前があの頃欲しかったものは、やっぱりすごく素敵なものだったよって。

 俺はそれが得られなかったけど、それを誰かに与えることはできているよって。


 なんとなく、それが俺があの日お嬢を引き取った本当の理由だった気もする。


 たぶん、あの日の泣きそうな女の子に俺は自分を重ねたんだろう。


「あはは、だからね、本当にお嬢に過度に感謝される謂れはないんだよね。

 だって、俺のいろんな行動は全部、俺のためなんだからさ」


 誤魔化すように笑って、お道化てみせた。


 だけど、お嬢はすごく真剣な顔で俺のことを見ていた。

 いや、厳しい顔をしているとか、真面目な顔をしているとか、そういうのじゃなかったけど。


 お嬢は柔らかな表情を浮かべながらも、俺が誤魔化そうとした部分には取り合わず、俺が吐露した正直な気持ちだけを受け止めてくれている気がした。


「では、そんないま―――私に重ねた幼いころの空木さんは、どうですか?」


「―――それ、は」


 電車の向かい側の椅子に、幼いころの自分と、側にいる両親を幻視した。


 子どもの頃の俺は、先ほどお嬢がそうしていたようにすごく楽しそうに映画の感想を両親に話していた。


 俺の記憶にはそういう記憶はなかったけれど、なんだか、すごく満たされた。


 ああ、俺は子どものころ、こういうものが欲しかったんだろうな。


「ちょっと、満足そうかもしれない。気づけたのはお嬢のおかげだな」


「ま。お礼を言うのが逆になってしまいましたね」


 くすくす、とお嬢が口元を抑えて微笑んだ。


 何度も見たその仕草なのに、なんだか異様に恥ずかしくなってしまった。


 ガラにもなく、自分が足りなんかしてしまったせいかもしれない。


 何より、なんだかお嬢に理解されているという、この状況がえらく落ち着かなかった。


 なので、俺はいっそ開き直ってここから逃げてしまうことにした。


 俺はわざとらしくあくびをひとつすると目を閉じて腕を組んだ。


「ごめん。俺、ちょっと寝る。着いたら起こしてくれる?」


 お嬢はの突然の申し出にも慌てずに、「はい」と短く答えてくれた。


「なんなら、私の膝を枕にでも使いますか? かけがえさんには寝心地がいいと評判だったのですよ?」


 なんか変なことを言われた気がしたが、俺は聞えなかったふりをしておいた。


 これ以上話していたら、いつもよりももっと調子が狂いそうだった。


 瞼を閉じてしばらくすると、電車の緩やかな揺れが俺に眠気を持ってくる。

 俺はその泥のように意識に絡みつく温かさに逆らうことなく身を任せた。


「おやすみなさい、空木さん」


 意識が落ちる前に聞こえたその言葉は、俺を、すごく安らがせてくれた。

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