はじめての家族談義





「そういえば、昨日バイト帰りにかけがえさんと会いましたよ」


 夜、俺は洗濯ものを畳みつつお嬢に切り出した。

 かけがえさんと会ったのは昨日だったが、昨日は帰ったのも夜遅かったしお嬢に言うのを忘れていた。

 というか、俺が帰るのをうつらうつらしながら待っていたお嬢をこれ以上起こしておくのは心苦しかった。


『お嬢、寝てて良かったんですよ?』


『家主より先に私が寝ていたら、空木さんに誅されてしまうかもしれません……』


『ほお、俺に。具体的に何されちゃうんです?』


『空木さんが……私の唇に……ちゅうなどを……』


『誅とキスのちゅうでちょっとうまいこと言わないでよ! というかそんなことしたら俺が深鏡さんから誅されます!』


『深鏡さんも……私も……空木さんのことを、信頼してますからだいじょうぶですよ……むにゃ』


『ははーん、お嬢だいぶ寝ぼけてますね?』


 帰って来た時のお嬢はこんな調子だったものだから、まあやっぱり話すのは今日でよかったんだと思う。


 俺のジャージをパジャマにしているお嬢は、昼間のうちに干していた洗濯物の山のうちからバスタオルを手に取ると、丁寧すぎる程丁寧に、畳む手順を頭の中で反芻するように三つ折りにしていく。


「ま。かけがえさん、お元気でしたか?」


「ちょっと疲れてそうだったけど、概ねいつものかけがえさんだったかな。自信満々って感じ」


「それならよかったです。かけがえさんにはずーっとご迷惑をかけ通しですから」


 お嬢が今度は俺のTシャツのしわを軽く伸ばして、袖を折り曲げこれまたゆっくり、丁寧に畳んでいく。


 一昨日くらいまではどうやって畳むかも知らなかったが、俺が教えた甲斐もあってか今ではこうして自分で迷うことなく畳んでいけるようになった。

 まだ一回一回手順を頭の中で思い出さないといけないらしく、スピードはそれほどでもないがそのくらいはご愛嬌と言ったものだろう。


 俺も同じように洗濯物に手を伸ばして、手の中にやたらすべすべとした布地の感触があった。

 なんだこれ?


 俺が何と無しに手を抜くと、しゅるりとやたら薄い布が引っ張り出される。

 それはどう見ても俺が着るには小さすぎ、お嬢が着るとちょうど良さそうなサイズ。

 女性の身体を最低限隠し、さらにこの上から服を着るためのもの―――まあ、俗に言うキャミソールというやつだった。


 ……いや、だったではないが!?!??!


「うおおおっ!?」


 俺が手を放してシュババッと野生の獣もかくやというスピードで部屋の隅へとバックステップ。


「なんでお嬢俺の洗濯物と分けてないんですか!? 俺下着類は分けてくださいって頼みましたよね!?」


 こてん、とかわいらしくお嬢が首を傾げた。


「いや小首傾げてないで! お嬢の、ほら、それですよ!」


「キャミソールですか? これ下着でしょうか?」


「え、下着でしょ!? 少なくともそれだけで外に出たりはしないでしょ!?」


「確かにそうですけど……でも、それほど大騒ぎするほどですか?」


「するほどです!」


「別にただの布ではないですか?」


「それはその通り! と肯定できるのは相当女慣れしている男だけです。世間の男の八割はただのその布地を見るだけでそわそわしちゃうんですよ」


 例えば風野なんかは「下着くらいでオタオタしてもなあ。大事なのは中身じゃない?」とか言ってたけど、どれくらい女ひっかけてたらそんなこと言えるようになるんだろうか。


「私、空木さんに見られて恥ずかしいものはないって前言いましたよね?」


「俺が見た時に心乱さちゃうのでその言い分は不受理です」


「ま。つまり、空木さんは私の下着を見るとドキドキするのですか?」


「まあ、ドキドキはするでしょうね……」


 主に深鏡さんに殺されるんじゃないかという不安で……。


「そ、そうですか。な、なら私も気を付けた方がいいですね。

 ええ、ええ。これからはもう少し注意して洗濯物を分けるようにします」


「はい。そうしてください。俺の心の平穏のために」


「は、はい、はい。そうさせていただきます」


 珍しくお嬢がやや頬を赤くして頷いた。


 ……こういう顔のお嬢はちょっと珍しいな。

 いつもニコニコ笑顔で余裕があって、あんまり恥ずかしがったりするイメージがなかったので、ちょっと意外だ。


 指を組んで、ほどいて、また組んで、と繰り返しながらもじもじしていたお嬢だったが、俺が興味深そうに見ているのに気が付いてのか、こほんと咳ばらいをひとつでいつもの顔色に戻した。


 そしてにこ、と笑顔を浮かべて俺を見返してくる。


「それにしても空木さん、下着ひとつで随分取り乱すんですね。ふふ、ご家族のに触れる機会はなかったんですか?」


「え? あー、まあ、あんまり? そういうのは、うん。俺姉とか妹とかいませんでしたし」


「ま。そうなんですね。じゃあ、空木さんのご家族ってどんな方なんですか?」


「別に普通ですよ、普通。普通に田舎で会社員してますよ」


「ふつう」


 それがわからない、というかのようにお嬢が口の中で音を転がす。


「あ、えーと、まあ、お嬢のお父上に比べるとなんて事のないサラリーマンってことですよ」


 あ、こういう言い方はよくなかったかもしれない。

 お嬢と父親の関係はわざわざ思い出さずとも、中々に複雑で、厄介だ。


 だがお嬢は俺の意思に反して「そうですね」と淡々と答えてくれた。


「ふふ、お父様は比べる対象としては適しませんよ。なにせ、50年以上御伽々のトップにいた方なんですから。

 御伽々の先代から今の立場を引き継ぐときは、8人のご兄弟と社内闘争に明け暮れたそうです。なんでも、それぞれが忍者や侍の末裔を雇った血で血を洗うものだったそうで……」


「それは確かに現代日本とは信じられない出来事だね……」


「ええ。結局は末弟のお父様が勝って今の立場を手入れたそうですよ」


「一応聞きますけど、冗談ですよね?」


「ま。どうでしょう?」


 口元を手で抑えて微笑むお嬢の真意はわからない。もしかしたら本当の出来事なのかもしれない。

 ちょっと……いや、かなり信じがたい出来事だが。


「でもこうしてお嬢の口からお父さんのことちゃんと聞いたことなかったですね。お嬢の家族とかってどうなってるんですか?」


 そうですね、とお嬢が指で唇をなぞって、考え込むそぶりを見せる。


「お父様とは、あんまり家族らしい話をした覚えはありません。優秀な方でしたけど、同時にとても厳格な方でもありました。

 私には常に『御伽々の娘として恥のないように努めよ』と」


 それは、厳格というよりも冷たさすら感じる態度だ。


「お母様は生まれた後すぐに亡くなられたと聞いています。なので、お母様に関して私は覚えていることはありません。少し、さみしいですけどね」


 ふ、と何か水面が揺れるが如く溢れそうになった感情を誤魔化すように、お嬢は薄く微笑んだ。


「あとは空木さんもご存じのとおりです。父と母、そして二人の姉。それが私の肉親です」


「ああ、御伽々ほのかさんか。俺はまだ……?」


 俺の言葉にお嬢が「ご存じありませんでしたか?」と首を傾げた。


「御伽々ほのか姉様と、深鏡みすみ―――いえ、正しくはさん。私の二人のお姉さまです」


「……え?」


「空木さんも昨日お会いした、あの『かけがえ』さんですよ?」


 そう言って、お嬢がこてんと首を傾げた。



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