037 夏への扉

 高等部一年生の春。

 俺は死のうとしていた。


 自分が無能力者であることは受け入れていた。だとしたってそのせいで馬鹿にされることはある。

 俺は、特別になりたかった。髪も染めた。服装も、特徴的に気を付けた。でもそれはどうせ見た目だけに過ぎない。


 俺はしょうもない人間だ。

 それがくつがえることはない。毎日鏡を見て髪や服装を整える度、馬鹿らしくなっていく。

 俺は何をしているんだ、と。

 こんなことに意味などないんだと。

 そんなことを考えるうちに、馬鹿にされることが心を傷つけて……


 端的に言えば、それに耐え切るだけのメンタルってもんがなかった。だから、そんなことを言い続けられるくらいなら消えちまったほうがマシだって思ってた。


 自分でも思い切りが良い方だとは思ってたが、実際決断して行動にうつすまでほとんど時間はかからなかった。それは時間に追われる主婦が今日の晩御飯何にしよう、冷蔵庫の余り物でいいか、と考えるくらいにはフットワークの軽いものだったと思う。


 俺は校内を真っ直ぐに屋上に向けて歩き出す。希望の持てないスクールライフにおさらば決めるぜ、と結構上機嫌だったと思う。そんなふうに階段を登っていて……


「どこに行く気」


 話しかけられたんだ。凛とした、少女に。

 振り返って、彼女の姿を見て。

 腰に手を当て胸張る彼女の横を抜けて吹き抜ける春風が,俺に恋だと教えてくれた。


「そっちは屋上。侵入禁止」


 知ってる。

 だからドア壊してでも中に入ろうと思っていた。

 飛び降りるため。

 だというのに。


「……?」


 首をかしげる彼女。

 彼女を見た瞬間にその考えが吹っ飛んでしまった。そんな、自分の重々しい悩みが紙くずくらいのくだらない、軽々いいものに思えてきた。それはどうしてか、と言えば今俺の心の中に広がるこのさわやかなときめきが物語ってくれる。


 ああ、そうか。


「お名前は……」


 彼女は不思議そうに傾く。


「舞園……由梨花」


 彼女は無表情だった。でも、分かる。

 この屋上は、校舎の端にある。なんとなくでたどり着けるはずじゃない。ここに、足が向いた。心のどこかで、彼女もここに足が向いたとしか思えなかった。


 その感情の読めない顔の下に、どのような想いが渦巻いているのか正確には分からない。だけど、彼女だって苦しんでいる。そして、自分が苦しんでいるというのに相手に目を向けることもできる。

 きっと、やさしい人なんだろうと思った。どうにかその心を支えてやりたいとも思った。なにより。


「では……由梨花さん」


 一目ぼれだ。

 惚れてしまった。 


「好きです付き合ってください!」


「? ごめんなさい」


 ●◯●◯●◯


 そうだ。そういうはじまりだったんだ。

 こういうことを思い出すってことは、どうやら俺は死んじまったのかもしれねぇ。


 いや、死んだ。俺はあの会長の痛みに耐えきったんだ。彼女を、命だけは救うことが出来たんだ。


 じゃあ、満足だ。

 満足のはずなのに……

 どうしてこうも、落ち着けないんだ。


 十分だろ。

 好きな子の命を何度も救えた。

 好きな子と一緒の時間も過ごせた。

 あんなに幸せな最期を迎えたじゃねぇか。

 何が不満だっつーんだよ。


 ……いや、分かってる。

 最後の最後、彼女の声が泣いていたから。ありがとうとかそういう言葉はなく、泣いていたからだ。


 あーあ……そうか。好きな子を、泣かせちまったのか俺は。こりゃあ地獄に行ったら鬼にぼこぼこのタコ殴りにされちまう。

 それも……当たり前だ。

 だが受け入れよう。

 それが俺にできる精一杯の……


……すなぎも……


 おかしい。声が聞こえる。

 俺は死んだはずだ。だとすればここは死者の世界ってわけだ。だから、彼女の声がするはずはないって言うのに。


……すなぎも!……


 声がする。俺を呼んでる。

 言い慣れていない、大声で。

 下手に叫んで。


……すなぎも‼︎……


 ぬっと、手が伸びてきた。

 目の前に、手が。

 真っ暗闇の意識の中に伸ばされた手は間違いない。


「由梨花……さん……?」


「いるの。すなぎも」


 ああいる。バリバリ死んで居る。

 だけども。


「どうして、ここに」


「決まってる」


 そして、彼女が笑った気がした。


「ストーカーさんが追いかけてくれないから、迎えにきちゃった」


 なんで。

 なんで由梨花さんは。

 俺がやばい時にいつも助けてくれるんすか。

 どうして。

 もう俺は死んだはずなのに。


「死んじまったんすよ、俺は」


「そんなの認めない」


 はっきりと彼女は言う。


「わたしが認めてあげない」


 この手を掴め、と由梨花さんが言う。

 最後の最後だと思ってカッコつけたのに。


「俺、カッコ悪いっすね」


「うん」


「そんなはっきり言わないでくださいよ」


「でも。そんな貴方だから、わたしは好きになった」


 俺はめいいっぱい手を伸ばす。

 そうして、がっちりと彼女の手を掴む。

 しっかり。

 もう二度と離さないくらいに強く。


 俺の体が、力強く引っ張られる。

 もしかしたらそれは体じゃないのかもしれない。

 意識……存在。

 そういうものだったのかもしれない。

 だけど、細かいことはどうだっていい。

 忘れちまいそうだった。

 そうだ。俺は。


 俺は。


「由梨花さんの公認ストーカー 砂肝和一だぁあああ‼︎」


 ●◯●◯●◯


 掴んだ!


 会長の体の中から無理矢理引っ張り上げる。光の粒子が会長の体からあるべき姿を再構成していく。そこにいる存在を。そこに居るべき彼を。


 ぐるぐると空気中で渦巻く光が、柱になって、人を象って。人間が出来ていく。わたしの愛する彼が。


 光が収まっていく。

 床に倒れ込む生徒会長の前に、二つの人影がある。

 一つはわたし。

 そしてもう一つは、すなぎも。


 彼はわたしの前で照れたように頭をかく。目は泳ぎ、ぎこちない。わたしは、彼の手を握っている。


 あたたかい。

 生きてる。

 生きてるんだ。


「すなぎも!」


 彼の腕を引っ張り、近寄らせて抱きつく。強く。感触を抱きしめるように。


「ゆ、由梨花さんッ。ちょっと、い、痛ぇ! う、嬉しいけどち、力が!」


「よかった」


 嚙みしめるように呟く。すなぎもはわたしの行動に戸惑いつつも、そっと抱き返す。ぎこちないけど、それがたまらなく嬉しかった。


「感動の再会はそこまでだよ」


 声に目を向ける。そこには指を銃のポーズにしてこちらに向ける会長がいた。両足を失っても堪えた様子はない。


「君たちが抱き着いていてくれて嬉しいよ。同時に殺すことが出来る!」


 ぐぐぐっと震えながら、その指の軌道はわたしたちをまっすぐ狙い、外れることはない。


「させてたまるかっ」


 床に倒れていたりあが会長に覆いかぶさろうとする。


「君は邪魔をするんじゃァないよ!」


 足を思いっ切り殴り、りあの目に血の目つぶしをひっかける。目を抑え、後方に飛びのくりあに目も向けず、会長は光線を打ち放とうとする。


「さよならだよ! 金輪際会うことはないだろう!」


 わたしは、すなぎもから離れなかった。

 もう離れ離れは嫌だった。

 だから、逃げることはない。


「由梨花さん」


「大丈夫」


 手を、会長のほうにかざす。


「どうにだってなるから」


 逃げさえしなければ。

 目の前のことに立ち向かえば。

 わたしには、変えられる。


「グッバイ、ボーイアンドガール! 地獄の淵は苦しかろうが、二人一緒ならば寂しくはないだろぉ!」


 会長の言葉が響く。


 そして。


 会長の体中から血が噴き出した。

 噴水みたいに派手に。


 彼の表情が驚愕に染まる。

 そのまま、ばたりと倒れる。


 唖然とするわたしとすなぎも。

 

 カタン、と物音が聞こえ入り口に目を向けると腕を組んだとがみ先輩が立っていた。


「力の使い過ぎだ。報いを受けたんだ、おまえは」


 血だまりに伏せる生徒会長を見下ろし、とがみ先輩は言った。

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