27:怪異の類似性

 かくして土曜日、四枚のスケッチを参考にいくらか話し合ったあと――

 それ以上怪異を取り除くための対策を取ることなく、結菜と颯馬は一〇〇一号室を辞した。

 申し合わせ通り、まずは「飛上が恋人にありのままの事実を伝えること」を優先した格好だ。



 翌週の月曜日になると、颯馬は例によって結菜の部屋に顔を出した。

 その日は大学で履修している講義の都合もあり、夕方頃になってからの来訪だった。

 結菜がリビングでタブレットに漫画のネームを描いているあいだ、颯馬はいつも通りキッチンに立ち、手際よく夕食の下拵したごしらえをはじめていた。


「ねぇ颯くん、土曜日のことなんだけど」


 結菜は、メガネ越しにタブレットの画面を見詰めながら言った。

 アプリ上にタッチペンを走らせ、漫画の構図を模索している。


「どうして、飛上さんにあんなこと言ったの?」


「あんなことって、いったい何のことだい結さん」


 問い掛けに対し、颯馬は恍けた反応ではぐらかすようにき返してきた。

 結菜は、ページの中で大ゴマにどの程度割合を使おうか……などと思案しつつも、問いを補足するようにして続ける。


「それはだから、怪奇現象の問題を解決するのに当たって、最初から私や颯くんが手を出すのは良くない、みたいなこととか……。あと、まずは佐渡さんに事情を打ち明けるべきだ、みたいな提案とか」


 あのとき颯馬が語った言葉は、八割方間違ってはいない。

 たしかに怪異の発生には普通、何かしらの原因がある。

 結菜が「霊視」する光景は少なからず、それがいかなる事物か特定する手掛かりになる。

 そうして今回の場合だと、怪異の原因が飛上のし方に結び付いている公算は高い……。


 かく言う指摘は正しいが、一方で腑に落ちない話も含まれている。

 事前に怪異の実在を、説明したところで信用するかが怪しい相手に「必ず伝えた方がいい」というのは、奇妙な話に思われた。むしろ常識に囚われがちな人物は、事態を呑み込めないままで危険に巻き込まれる場合もあるから、関わり合いを持たせない方がいいはずだ。


 その点に思い至らなかったはずはないから、颯馬はそれとわかっていて、あえて飛上に虚偽の忠言を施したことになる。発言内容全体としては、事実の割合が大きいぶん、嘘の部分がわかりにくく、常人には鵜呑うのみにする他になかったはずだ。

 結菜には、何を思って颯馬がああいうことを言ったのか、まだ意図が把握できていない。



「……あの日、結さんが描いたスケッチを見て、そのあと飛上さんの話を聞いているうちに」


 颯馬は、キッチンで調理台の上にまな板を置き、包丁を扱っている。

 トントントン……というリズミカルな音と共に、野菜を細かく切っていた。


「あの『彷徨さまよえるタペストリー』の件は、どういう結末を迎えるのが一番好ましいかについて、色々なことを考えずにいられなくなったんだ」


「それで考えた結果、ああいう嘘をくことにしたの?」


「心霊写真を撮ろうとしたときにわかったことだけど、飛上さんが出くわした怪奇現象は少なくとも『悪い霊』じゃなかったよね。人を害する霊じゃないなら、果たして除霊する必要はあるのだろうか」


 結菜の問い掛けに対し、颯馬が続けた返事は直線的な回答ではなかった。

 言葉の意図を、咄嗟とっさには判じかねる。ただ結菜の疑問を否定もしていない。


「悪い霊」でなければ、必ずしも除霊の必要がないのではないか――

 という見解については、いささか断定的な結論を下すのが難しい。

 おそらく無害と思われる怪異なら、過日接触した「鈴風橋のお化け」の先例がある(もちろん名取香弥の霊ではなく、あの場所に古くから存在していた霊のことだ)。

 あの怪異は善良で、むしろ鈴風橋の通行人を事故から守ろうとしていた。関りを持った人物に利益をもたらす種類の存在だったわけだ。

 世の中には案外、ああして除霊されずに放置されたまま、場に定着したり何かに取りいたりしている怪異もある。怪談や都市伝説として語り継がれる事象には、そうした存在も多い。


 だが一方では「良い霊」のすべてが現世に留まることを望んでいるとは限らず、また人に害をさないからと言って迷惑な存在ではないと常に断定し切れるわけでもない。


「……でも飛上さんの場合だと、あの怪奇現象が解決しない限り、恋人である佐渡さんとの将来にも関わるはずでしょう。だったらやっぱり、どうにかするしかないんじゃないかしら……」


 結菜は、タブレットの画面で漫画のネームを描き続けながら言った。

 そう、少なくとも「彷徨えるタペストリー」は、飛上にとって悩みの種になっている。

 ただ不気味なだけの存在ではなく、除霊しないわけにはいかない怪異なのだ。



 結菜は自分なりの見解を示してみたものの、颯馬はそれを受け流して続ける。

 その発言は再び、相手の主張に反応したそれではなく、どうにも迂遠うえんだった。


「今回の『彷徨えるタペストリー』をはじめとする怪異を、僕は当初単に『手放そうとしても、必ず手元に戻ってくる』タイプの都市伝説だと思っていた。つまり、持ち主に捨てられた人形の現代怪異とか、主にそうした呪物にまつわるものの仲間だね。――しかし今はひょっとしたら、もっと古典的な怪異、あるいは妖怪のたぐいに近いんじゃないかと考えるようになった」


 まな板の上で野菜を切る音が途切れる。

 結菜は、いったんネームを描く手を止めて、顔を上げた。

 キッチンを見ると、颯馬は鍋の中に水道水を注いでいる。

 それをコンロの上に運び、熱しはじめた。


「結さんは『 機尋はたひろ』っていう妖怪のことがわかるかい?」


「ハタヒロ? 聞いたことあるような、ないような……」


 颯馬が手際よく調理する姿を眺めながら、結菜は記憶を探った。

 ぼんやりと聞き覚えがある気はするが、失念してしまったようだ。

 結菜もホラー漫画を描くに際し、オカルト知識もそれなりに身に付けてはいるが、わりと傾向にはかたよりがある。現代怪異に比べれば、古典的な妖怪は然程さほど得意な分野ではない。


「機尋はね、布が蛇に化けた妖怪だと言われているんだ」


 結菜が思い出せずにいると、颯馬は淡々と説明した。


「大昔には、機織り仕事に従事する女性が少なくなかった。一方ではそういう女性を放置して、家を出たまま帰らない夫もいた。すると女性は機織りしながら、行方知れずの夫を恨み続ける。女性の怨念おんねんはいつしか織った機に伝わり、蛇のような化け物に変わるというのさ。その化け物のことを、機尋と呼ぶんだ。そうして機尋は、女の執着に従い、夫を追って方々を彷徨うらしい」


「……颯くんは『彷徨えるタペストリー』が、機尋に似た怪異だと考えているの?」


 結菜は会話の流れから、颯馬の仮説を読み取り、確認するようにたずねた。

 先回りして言い当てられたからか、マンションで隣人の青年は薄く微笑んだ。


「同じ布でも、手芸品と織物の違いがあるのは、当然わかっているよ。それに元の場所へ戻ってくるのと対象を追跡するのとじゃ、怪異の方向性として正反対だ。……とはいえ手作りされた品が、いずれも勝手に彷徨ってしまうという部分も含め、本質には共通点があるかなと思う」


 颯馬は、ちいさな器の中で、調味料を混ぜ合わせながら続けた。犀利さいりそうな瞳は、手元を見ているようで、ここにはないものを眺めているようでもある。



「――それは僕が七年前、結さんに助けられたときの怪異とも類似している気がするのさ」



 その一言で結菜はようやく、颯馬がなぜ機尋の話を持ち出したのかを悟った。

 そうだ。七年前に颯馬が遭遇した怪異も、たしかに「彷徨えるタペストリー」と似通った点があった。

 あのときにも二人は、怪奇現象の真相を突き止めようとして……それで、今ほど気安い距離感ではなかったものの、様々なやり取りを交わしたように思う。


 ――ああそうか、七年前……! 


 結菜は一瞬、息が詰まりそうになって、思わず手で胸元を押さえた。

 先日の面談で、颯馬の言動に潜んでいた違和感も、含意を把握できた気がする。

 皆で「霊視」のスケッチを検めたあと、いきなり佐渡まどかに関する質問を続けたのは、怪異の本質を見抜いていたからに違いない。だから飛上への助言では、巧みに虚偽を交えて、佐渡に怪異の事実を打ち明けるよう勧めた。

 あまつさえ各種キルト作品や端切れを、恋人同士で処分してはどうかと提案してみせた……。



「世の中には、時代と場所によって、別物なのに似た怪異がよくあるけれど」


 結菜は、タブレットをローテーブルの上へ置き、メガネを外しながら言った。


「言われてみれば私と颯くんも、昔『彷徨えるタペストリー』と同じ系統の怪奇現象に接触したことがあったんだね。もう古い出来事だし、パッチワークキルトとはまるで無関係な怪異だったから、今まですっかり忘れて気付いていなかったよ」


「まあ正直、僕だって似たようなものさ。でも一度思い当たると、途端に七年前の出来事が思い出されて、頭の中から離れなくなった。何しろ僕にとっては、忘れられない怪異だからね」


 颯馬は、器の中身を混ぜるスプーンを止めた。

 キッチンからリビングへ目を向け、ソファに座る結菜を見詰める。

 二人の視線が真っ直ぐに重なり、互いをたしかに視認し合った。


 颯馬の犀利そうな瞳からは、磁力を帯びたような視線が放射されている。

 それが湿しめった熱を含んで注がれるのを感じ、結菜は内心少したじろいだ。



 颯馬は、たぶん故意に抑制された声音で、さらに言葉を続ける。


「あれは僕が、初めて出くわした怪異だったし――結さんと今こうしている関係も、あのときから何もかもはじまったんだから――……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る