25:縫い合わされた記憶

 怪奇現象を仔細に調査する手順は、いつものそれにのっとって進める。

 だから最初は、怪異に関連しそうな事物を写真に収めるところからだ。

 結菜は例によって、使い慣れたデジタルカメラを取り出した。


 怪異の性質を判定するため、心霊写真が撮れるか試したい――

 飛上にそう説明し、一〇〇一号室各所で撮影する許可をう。

 意図が正確に伝わったかは怪しかったものの、それが事件解決の有用な手掛かりにつながるのなら、ということで同意を得られた。


 もちろん被写体とするのは、主に室内にあるキルト作品や端切はぎれ全般だ。

 取り分け「過去に一回以上捨てたが、いつの間にか部屋に戻ってきていた」という品々を中心として、手早く写真に撮っていく。他には一応、飛上がパッチワークキルト制作に使用している作業机、作品の仕上がりをたしかめる際にしばしばキルトを広げるというベッドの上などにも、デジカメのレンズを向けた。

 ただし、それらすべてに対して個別にシャッターを切っていては、デジカメのデータ保存容量がすぐ尽きてしまう。そこである程度被写体はひとまとめにして、効率的に撮影した。

 それでも分量が多いせいで、ひと通り写真に撮り終えるまでは、充分手間が掛かったが……。



「……ふうん、なるほど」


 撮影終了後。

 結菜からデジカメを借り受けると、颯馬は保存された画像データをチェックしていった。

 カメラ背面の液晶画面で、少なくない写真を一枚ずつ、丁寧にあらためてからつぶやく。


「結さんがデジカメで撮った画像には、ひとつとして怪しいものは写り込んでいないようだね。飛上さんから見せてもらった『彷徨えるタペストリー』のものも、至って普通の写真みたいだ」


 ――怪異に関連する被写体を撮影しても、すべて心霊写真にならなかった。


 結菜は、結果を改めて反芻はんすうし、思案してみる。

 当然シャッターを切る際、集中を切らしたりしていた覚えはない。霊能力に不調があったわけでも、デジタルカメラに細工していたわけでもない。

 尚、この部屋に保管されているパッチワーク関連の品々からは、現時点ではどれひとつとして霊気のようなものを視認することもできていなかった。


「これはたぶん、不幸中の幸いというべきです。何らかの手違いがあるのでなければ、飛上さんが接触した怪異は少なくとも、人を呪い殺すような悪霊じゃありません」


「……そ、そうなのかい? しかし悪霊じゃないのなら、いったい何なんだろう」


 颯馬が軽く肩を竦めると、飛上は狐につままれたような面持ちで言った。

 いまだ調査の展開に理解が追い付いておらず、いささか戸惑っているようだった。

 写真を撮った当の結菜も若干拍子抜けしていたから、飛上の反応は当然だろう。


「まあ何にしろ、調査を進める上で危険が大きくないとわかったことは、こちらとしては好都合です。どういう手筋でアプローチするにしろ、死んだり怪我したりする確率が低いことはたしかですから」


 写真撮影の結果を、颯馬は率直に歓迎するように言った。

 結菜に危険が及ぶ懸念がないことを、喜んでいるらしい。



 三人は、再度リビングに集まり、先程までと同じようにソファへ腰掛けた。

 今一度飛上の許可を得て、颯馬が紙箱の中からタペストリーを取り出す。

 それをローテーブルの上に広げると、皆で互いに視線を交わし合った。

 颯馬は、続く調査の段取りを告げ、ここでも飛上に説明する。


「次はこれからタペストリーを、結さんに『霊視』してもらおうと思います」


 怪奇現象に関連する対象を「霊視」した場合、発生の端緒である過去、または原因となる霊の生前の姿などを、視認できることがある。またその際に周囲で居合わせている人間も、霊的知覚の一部を共有可能な場合もある……

 などといった話を、飛上は何度か目をまたたかせながら聞いていた。

 途中で眉間にしわを寄せつつ、たしかめるように二、三の点を質問していたが、おそらく正確な理解にまでは至っていないように思われた。それもまた致し方ないだろう。

 しかし飛上はだからと言って、結菜が「霊視」する試みに異論を唱えようとはしなかった。すでに怪異と対峙することに対し、腹が決まっているらしい。


 尚、今回「霊視」の対象としてタペストリーが選ばれたのは、もちろん飛上が「取り分け何度捨てても手元に戻ってきてしまう」作品だと言っていたからだ。



「じゃあ結さん、今回もひとつお願いするよ」


 飛上に「霊視」のことを伝え終えると、颯馬はソファの隣を見て言った。


「今回の怪異は一応『良い霊』みたいだから、多少身体の負担も軽いと思うけど。万一『鈴風橋のお化け』のときみたいに他の霊が隠れている場合もあるから、無理はしない範囲でね」


 結菜は、こくりとうなずき、居住まいを正してタペストリーへ向き直る。

 両手を胸の前で組み合わせ、いったんまぶたを祈るように伏せた。

 深呼吸で息を整え、意識を研ぎ澄まして、集中力を高めていく。


 ひととき水を打ったような静寂が生まれた。

 霊能力者の様子を見守る他の二人も、身動みじろぎすらせず、じっと息を殺している。

 やがて結菜の瞼の裏では、このときも霊力の幕のようなものが生成されはじめた。

 そのまま、さらに五秒……一〇秒が経過する――……



 と、結菜は次の瞬間、左右の瞳を開いた。


 目の前にぼんやりと、淡い暖色の空間が広がっている。

 それはいましがた身を置いていたはずの、一〇〇一号室の光景ではない。

 しかも結菜は今、自分が身体的な感覚を喪失していることに気が付いた。


 そのまま少し待つと、徐々に周囲で展開された事象に目が慣れてきたようだ。視野に映る空間にいかなる事物が存在しているかを、おおむね見て取れるようになった。


 ――どうやら飛上さんが怪奇現象に遭遇したという話は、本当だったみたい。


 結菜は、今更ながらに疑念が払拭ふっしょくされたように思った。

「霊視」の実行以外では、あまりに存在の知覚に手応えがなかったため、実はここまで少しだけ不審に感じる気持ちがあったのだ。



 ――これはどこかの、古い家屋かしら……? 


 結菜が最初に「霊視」でとらえたのは、不思議なぬくみがただよう部屋の情景だった。

 四方の一箇所が縁側になっている和室で、広さは六畳ほどだろうか。夏場の昼下がりといったおもむきで、明るい日差しが畳の上へ注いでいる。庭の植木や池の様子も、室内から見渡せた。


 そこに何やら、二人の人物が見て取れる。

 一人は中学生ぐらいの男の子で、もう一人は柄物の服を着た高齢女性だ。

 男の子は縁側に腰掛け、陽の光の下で読書している。さらにそのかたわらには、未読のものらしき文庫本が何冊か積まれていた。ページを見詰める目は真剣で、かなり集中しているようだ。

 他方で高齢女性は、和室の陽が当たらない場所に座り、何やら手元で縫い物をしている。すぐ横に裁縫箱を置き、被服のほころびをつくろっているらしい。


 ――この男の子、もしかして飛上さんでは……!? 


 結菜は霊的視覚によって、よくよく中学生ぐらいの少年を観察する。

 若いというよりも、まだあどけない面差しだが、おそらく見立てに間違いはなさそうだった。誠実そうな雰囲気と、メガネの奥でのぞく目には、今と変わらない特徴が確認できる。

 この少年はきっと、一〇代前半だった頃の飛上孝晴だ、と結菜は確信した。



 と、そのとき。

 霊的に知覚している空間の外側から、颯馬の声が聞こえてきた。


「どうだい結さん、何かえてる?」


「――うん、視えてるよ颯くん」


 結菜は「霊視」の状態を維持したまま、呼び掛けに応じる。


「たぶんこのタペストリーにとって、象徴的な過去の出来事だと思うけれど……」



 それから三〇秒ほど経過すると、視野に映る光景が急激に移ろっていく。

 周囲の空間がぐっと広がり、そこにある事物も途端に様変わりしてしまった。


 新たに視認されたのは、どうやら学校の教室らしき場所だった。

 ただし通常の教室ではない。大きな作業机が設えられており、特別教室の一種らしい。室内の一隅には、ミシンやアイロン、トルソーなども置かれている。

 いわゆる被服室だろう。教室前の廊下には、出入り口のドアを挟んで、まばらに行き来する生徒の姿がある。背格好からして皆、高校生ぐらいと思われた。放課後のようだ。


 そうした教室の窓際で、作業机の前に一人で着席している生徒が注意を引いた。


 ――こっちの男の子はたぶん、高校時代の飛上さんだよね……。



 窓際の男子生徒は、学校指定のものらしき制服を着用しているが、面立ちからして間違いなく飛上だった。夏場の六畳間で読書していた姿より、雰囲気が少しだけ大人っぽい。


 飛上少年は、背中を丸めて目線を下げ、手元で何やら作業している。

 左右の手に持っているのは、ちいさな縫い針と色とりどりの端切れだ。

 針に通した糸で、異なる生地と生地を、ひとつに縫い合わせている。


 ――飛上さん、この頃からパッチワークキルトを作りはじめていたんだ。


 結菜は、以前に颯馬の話で「飛上は中高生の頃から、パッチワークキルトに興味を持っていた」などと聞かされたことを思い出した。


 霊的に知覚された光景の中で、飛上少年はひたすら針仕事に集中しているようだった。

 それを視認し、結菜はわずかに胸の奥がうずくような感覚に囚われた。自分も中高生の頃に漫画家を目指して、孤独に原稿と向き合い続けていたことを思い出したせいだ。

 取り組むものは異なれど、そこに似通った青春の匂いを感じて、むせ返る心地がした。



「天城さん……?」


 にわかに飛上の声が聞こえてきた。

 先程の颯馬と同じく、「霊視」の外側から語り掛けているのだ。

 結菜のことを気に掛けているようで、不安そうな口調だった。

「霊視」は身体に負担が掛かる、という話を聞かされていたせいかもしれない。


「大丈夫ですか。今ほんの少しだけ、表情が硬くなったように感じたのですが」


「ああ、はい。大丈夫です。特に何かあったわけじゃありませんから……」


 結菜は、即座にけ合いながら、飛上さんも鋭いな、と密かに少し焦っていた。

 青春時代を懐古し、ほろ苦さに心動かされただけでも、反応を察知されるとは。



 ところで、そうしたやり取りを交わしているうち――

「霊視」している情景の中では、状況に動きがあった。


 学校の被服室の中へ、新たに他の男子生徒が数名踏み入ってきたのだ。

 他の男子数名は、背格好がばらばらで、いずれも面立ちがうかがい知れなかった。ただ口元には、嫌らしい笑みを張り付けている。作業机のそばへ近付いてくると、飛上少年を取り囲んだ。


 そのうち一人が、おもむろに携帯電話を取り出す。スマートフォンではないが、たぶん当時の最新型と思われる機種だった。高校生の飛上に向かって、背面のカメラレンズをかまえる。

 そうして、飛上少年がそれ気付き、顔を上げた直後のこと。

 携帯電話を掲げた男子は、いきなりカメラのチャッターを切った。

 そのままキルト作りしていた飛上の様子を、二枚三枚と撮影する。


 飛上少年は目を見開き、顔を上気させて立ち上がった。

 何事か抗議したようだったが、他の男子生徒たちは聞く素振りさえ見せない。

 ただただ嘲るように笑い、しばらくすると揃って被服室から引き上げていく。

 飛上少年は、それを憮然とした表情で見送ることしかできないようだった。


 ――キルト作りしている様子を、写真で撮られて馬鹿にされたみたいね。


 結菜は「霊視」を続けながら、思わず嘆息したくなった。


 ――他人から理解され難い趣味だと、そういうことも現実に少なくないのはわかる。ましてやそれが一〇年以上も昔のことなら、今より状況は悪かっただろうから……。



 ……その後にまた時間が経過すると、霊的に知覚された光景も再度変化する。


 次いで立ち現れた空間は、いっそう床面積が広い屋内だった。

 もっとも各所には、長机や間仕切りが設置してあり、細い通路で区画分けされている。時間帯は日中らしく、多くの人がそこを回遊していた。大半が女性だ。

 どういう場所かをすぐには把握し損ねたものの、やがて公民館のような施設だと思い至った。

 きっと市民団体の文化活動などで、安く一般に貸し出されているイベントホールのたぐいだろう。


 室内に置かれた長机の上には、様々な手芸品が陳列されている。

 いずれもパッチワークキルト作品だ。見本市のようなもよおしらしかった。

 とすれば、ここはそのイベント会場なのだろう。


 展示場の奥へ視線を向けると、来場者が幾人かで輪を成している場所があった。

 その中心には、会場内でも数少ない男性が一人、柔和な表情を浮かべて佇んでいる。

 男性は、飛上だった。メガネを掛けた顔の造作は、間違いない。ただし、ここでも結菜が現実に知る姿より若く、まだ大学生ぐらいの年齢と思われた。


 飛上は、来場者と明るく談笑し、とても楽しげな様子に視える。


 改めて会場を観察してみると、出入り口に近い通路の脇には「合同展示会」と記された掲示物があった。大学生と思しきイベント関係者は、他にも何人か辺りを歩き回っているようだ。

 さすがに飛上だけのために開催されたイベントではないらしい……

 とはいえ、この場で一番目に付く人物は、明らかに飛上だった。



 ――もしかして、大学時代の課外活動なのかしら。


 結菜は「霊視」で知覚された光景を、自分なりに咀嚼そしゃくしながら考えた。

 手芸サークルのような団体に所属し、学外でイベントを定期開催していたのかもしれない。

 ただ高校時代の体験を経ても、キルト作りを止めずに続けていたことは間違いなさそうだ。

 もちろん現在も、自宅に大量のキルト作品や端切れを所持しているのだから、この時点で挫折しているはずがないのはわかっていたが……。


 ――この頃には飛上さんも、自分の趣味が受け入れられる場所を見付けたのかな。


 結菜はその後も、会場内を仔細に眺めていった。

 すると何箇所かの間仕切りは、表面にキルト作品がピン留めされているのに気付いた。ベッドカバーや敷物などは、貼り出すように展示されている。


 そうして、それらの品々のひとつとして、飛上が作ったタペストリー……

 まさしく今、結菜が「霊視」の対象としている壁掛け装飾も、そこに展示されていた。鮮やかな暖色の幾何学模様と、繊細な縫い目の見事さは、見紛みまがう余地がない。

 しかしそれはひっそりと、展示物の中でも控え目に飾られ、会場の雰囲気に溶け込んでいる。

 その趣きはまるで、タペストリーが自らの役割を弁え、物言わず事物を見守っているかのようだった。


 そこに不思議と興味を引かれ、殊更ことさらに目を奪われるうち、結菜は不意に眩暈めまいを覚えた。急速に意識が遠退きはじめる。頭の中に鈍い痛みが走った。

 どうやら「霊視」の光景が閉じつつあるみたいだ、とそれで悟った。


 ほどなく視野が乱れ、淡くぼやけて、薄暗くせばまり――

 すべてが突然、途絶するようにして、暗闇に包まれた。




 ……次に意識を取り戻したとき。

 結菜はさながら身体を沈めるようにして、ソファに深く腰掛けていた。

 背もたれに上体を預け、頭部は半ば天井を仰ぐような状態だった。

 瞼をゆっくりと持ち上げ、まずは目だけで周囲の様子を窺う。


 すぐ隣では、いつもの「霊視」を終了した直後と同様、颯馬が彼女の顔を覗き込んでいた。

 犀利さいりそうな瞳が注意深く、結菜の容態をあらためている。相変わらずの心配性だなあ……と、苦笑したくなった。


「ねぇ結さん、身体の具合は問題なさそうかい」


「……うん、まあ今回はそれほどでもないかな。大丈夫だよ」


 結菜は、痛みが続く頭を、軽く左右に振った。

 今回も、独特な倦怠感が手足に残っている。

 だがそれでも、ここ最近他の怪異に試した「霊視」に比べれば、かなり身体は楽だった。

 どうやら本当にタペストリーの怪異は、(外形的にはともかく)無害な性質の霊のようだ。

 呼気を一度、大きく吐き出してから、居住まいを正す。


「その、本当に何でもないのですか天城さん?」


 結菜がソファの上で座り直すのを待ってから、飛上は念押しするように言った。

 その問い掛けには、単に結菜の身を案じているだけというよりも、初めて霊能力者が「霊視」する様子を目の当たりにして、当惑しているような印象があった。


 結菜は、はい、おかげさまで……と返事しつつ、笑顔で無事をアピールしてみせる。実際には、まだ気怠けだるく、頭痛も治まり切ってはいないが、余計な気をつかわれるのは面倒だった。



「それより折角『霊視』したんだから、今視たものを忘れないうちに絵に描かないと……」


 事前に用意してきた荷物の中から、結菜はタブレットやタッチペンを取り出す。

 タペストリーを床へ除けてもらい、ローテーブルの上に液晶端末の本体を置いた。

 スリープ状態から立ち上げ、イラスト制作アプリで新規画像のキャンバスを開く。


 飛上は、メガネ越しに目をまたたかせ、ちょっと身動みじろぎしていた。

 結菜の唐突な挙措を見て、当惑しているらしい。「霊視」から目を覚ますとすぐ、タブレットで絵を描きはじめたのだから、無理からぬ反応だろう。結菜にとっては霊能力の行使と同様で、ごく慣れた作業だが、初見だと不可解な行動に見えるのは、致し方ない。

 ゆえに一連の流れについては、ここでも颯馬が手短に事情を解説せねばならなかった。


 ただそうする間にも、結菜は手元のタブレットで、手早く作画を進めていく。

 タッチペンでラフ画をざくざく描き込んでいき、その上に線画や下塗りのレイヤーを重ねて、記憶の中にある「霊視」の光景を、画面上で再現しようと試みた。

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