第44話


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ダークブラウンのサラリとした髪が風に揺れ、宝石のような青い瞳の美しい男が、ただの物を見るように自分を見ている。


必死に彼と自分の間にあるガラスを叩くけれど、もしかして自分は見えていないのだろうかと不安に駆られその人の名前を呼ぶ。



『君の存在価値は無くなった。もうここから出て行きなさい』



冷たい声でそう告げられ、朱音は泣きながら離れていくその背中に声をぶつける。


あのロンドンで出会った美しい王子様がずっと好きだった。


でも今はあなたのことが。



自分の顔を冷たいものが伝わっているのに気がつき朱音は目を覚ました。


涙を拭うおうと手を上げると、左手には真新しい包帯が巻かれている。


顔を動かせば見慣れた風景で、朱音はまだこの洋館の自室にいることに安堵した。


起き上がろうとしたらベッドの下に黒い物がいることに気がつき、その犬は顔を上げるとゆったりと部屋を歩いてドアも開けずにスルッと壁を通り抜けた。


もしかしてまだ夢の中なのだろうか。


朱音は再度枕に頭を乗せ意識が重くなるのを感じながらドアを叩く音がしても、朱音はぼんやりとしていた。



「僕です。入ってもいいでしょうか」



「あ、はい!」



思わず弾かれたように声を出すとドアが開き、シャツ姿の冬真の隣にはいつも通りの黒スーツを着たアレクがトレイにグラスに入れた飲み物を乗せ入ってきた。


朱音が上半身を起こし、冬真は窓際にあった椅子をベッドの側に持ってきて座る。



「スポーツドリンクです。ずっと水分を取ってないですから飲んで下さい」



朱音が頷きグラスをアレクから受け取るが包帯があるのでしっかりグラスを持てずもたつくと、冬真は朱音の背中に手を当てて身体を支えアレクがグラスを支えて朱音の口元に持って行き朱音がゆっくりと口にすれば、自分が思ったより喉が渇いていて一気に飲み干してしまった。


ほっとしたような表情の朱音は浮かべ、アレクはグラスをトレイに戻し部屋を出ようとした。



「アレク、ありがとう」



朱音がベッドから声をかけると、アレクは表情を変えること無く会釈をしてドアを閉めた。



部屋に冬真と二人きりになり、すぐ側に冬真がいるのに朱音は冬真の方に顔を向けられない。


冬真はそんな朱音の横顔を見ながら、しばらくして口を開いた。



「手の痛みはどうですか?」



恐る恐る朱音は冬真を見て、でもすぐに自分の手元に視線を向ける。



「思ったより痛くないです」



「病院で治療は行いましたが、ラブラドライトの細かい破片が刺さってしまっているかもしれません。


痛みはなくなると思いますが、傷が残ってしまう可能性があるそうです」



包帯の巻かれた左手を少し動かし朱音は、



「構いません。後悔はしていないので」



そう言い切って冬真の方を向きそうなのを我慢する。


既に時間は夕方で部屋の中に日の光があまり入らなくなっているこの部屋だが、オイルヒーターがついているので温かい。


何か言いたそうなのを我慢している朱音の横顔を冬真は気づきながらもゆっくりと話し始めた。



「・・・・・・あの魔術師が話したことは嘘ではありません」



思わずぐっと奥歯を朱音は噛みしめる。


出来れば嘘だと言って欲しかった。


おそらく自分で見た夢が現実になっていく事を朱音は感じていた。



「僕が独自に動いている案件があり、あの魔術師の本来の目的、所属しているメンバーなどをあぶり出すため様子を伺っていました。


彼女の父親に接触していることも把握していましたし、朱音さんがここに初めて来たときおそらくトミーが探している降霊術の依り代になれる素質があることに気づき、あなたをここに呼んだのです」



『君の存在価値は無くなった』



夢の中だったのに、冬真が自分に言った言葉の意味を伝えられているのだとわかる。



「彼らが言うように僕はとても魔術師らしいと思っています。


ですから朱音さん」



朱音はこちらを向くように言われているのをわかりながら、下を向いて必死にそれにあらがう。



「僕はきっとまた、貴女に同じ事をしてしまうでしょう」



カウントダウンが始まっている。朱音はその怖さに必死に耐えていた。



「だからここに住むことはもうやめたほうが良い」



思わず朱音は唇を噛みしめる。


突き放さないで、お願いだからここにいさせてと訴えたいのに声を出せない。



「・・・・・・以前住んでいたアパートと同じ家賃の部屋を、知り合いのオーナーに用意してもらいました。


朱音さんの会社からも近いですし、セキュリティもしっかりとしたマンションです。


僕が勝手にお願いしていることです、引っ越し費用など全て持ちますので安心して下さい」



ずっと冬真の声は何の動揺も無く、穏やかで、それが朱音には一切拒否することは出来ないのだと理解させる。


でもどうしても言いたかった。



「・・・・・・冬真さんは、私を守りたいんですね?」



朱音はやっと隣にいる冬真を見た。最後の望みにすがるかのように。


冬真はそんな朱音の瞳を受け止めて、



「いえ、違います。


言ったでしょう?朱音さんは人を信じすぎると。


貴女が自分を守るためにそう思いたいのなら構いません。


でもそうでは無いのです。僕は、貴女が思うような人間じゃ無い」



静かに、冷静に、朱音に言い聞かせるように冬真が言い切って、朱音の表情が歪み俯く。


そんな朱音を見て、泣き出すだろうと冬真は思い目を伏せた。


しばらく朱音は俯いていたが、



「わかりました」



そういうと顔を上げて冬真を見た朱音は、涙を溜めてすらいなかった。



「引っ越しは、明日でも大丈夫ですか?」



「えぇ」



「なら明日引っ越しさせて下さい。よろしくお願いします」



「・・・・・・では手配を進めておきます。


晩ご飯はこちらに持ってこさせましょう」



「いえ、いらないです」



冬真は立ち上がり椅子を元の場所に戻すと首を振る。



「駄目です。かなり手から出血しましたしきちんと食事を取って下さい。


アレクが食事の際は付き添いますから」



そう言うと朱音の返事を待つこと無く部屋を出て行き、朱音はそのドアをしばらく見つめた後、上半身を横たえた。




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