第七話「甘くて苦い、貴女への想い-チョコレート-」

【一章】ビターチョコレート

 二月に入れば本格的な寒さが続き、学校から帰って来たらもう外に出たく無くなってしまう。杏は帰宅してすぐに自室へ向かうのもいつもの事。暖房を付けて部屋着に着替えるとベッドに座る。

 

(三田……葵さん)

 

 数日前、杏は葵と出会った。あの時杏は、付き合っていた彼氏にフラれてしまって、悲しくて動けなかった。だけどそんな杏を葵は助けてくれた。「凛」と声を掛けられたのは今まで何度もあったし、双子として生まれて来た人生の中で驚く事ではない。だけど、声の主を確認して、その人物の格好良さに杏は驚いていた。そこには見ず知らずの男の人がいて、凛の友達なのだろうと判断が出来た。凛の事を知っていて自分の事を知らない可能性は十分にあったし、だったら利用してやろうと思って少しだけ一緒に居て貰った。

 

『風に当たってここからの景色を見ていると、立ち止まっているのが勿体ないって思えて来る』

 

 葵の言葉に杏は視線を上げると、優しく微笑まれていた。でもこれは自分ではなく凛へ向ける表情かおなんだと思った。そんな葵に杏は惹かれてしまった。

 その翌日、葵は家に来ていた。突然の事に驚いたのだが、女子制服を着ていた事にも驚いた。凛と一緒に話していて、女の人なんだと解って、後日凛に葵の事を聞いたら彼女だと説明されてしまった。

 

(それでも、好きでいてもいいですか……?)

 

 人を好きになるのに理由はない。たとえ自分の兄と付き合っていても、想いを寄せるだけは自由であってもいい筈だ。誰かに危害を加えない限りは、自分の想いは自分だけのものだ。

 杏は今まで沢山の男と付き合って来て、フラれた回数を数えるのも片手で数えられない位になって来たかもしれない。それでも女を好きになる事はなかった。杏は面食いな所があるし、だからこそ葵を見て一目惚れしてしまった。初めて会った夜と翌日の短時間しか話していないのに、目を合わせるだけで緊張してしまって、話していて失神する程の相手は初めてだ。

 杏と凛は学校が別なので、葵と会うには凛が家に呼ぶか個人的に約束をしないと会えない。だけど、杏は葵の連絡先を知らないので、次に会えるのはいつになるのかさえも判らない。それまでずっとこの想いを抱えていなければならないのだろうか。否、会った所で緊張してまともに話せる気はしないのだが。


(こんなにドキドキするの……初めて……)


 杏はベッドに寝転がり、天井を見つめる。葵の事を考えるだけで頭がいっぱいで、胸が熱くなって、苦しくなって。最初から叶わない恋をしてしまった事に涙が零れそうになる。


(それでも、好き……)


 涙を堪え、頬を紅潮させながら、葵の姿を思い浮かべる。二度しか会っていないのに鮮明に思い出せるその姿。格好良いと思って、照れてしまって一旦考えるのをやめた。

 杏はベッドで横を向き、スマホを開いた。なんとなくカレンダーを開いて明日の日付を確認する。今日は二月十三日だ。明日は十四日。この日が何の日かは誰でも判る位のビックイベント。

 かと言って明日会える訳でもないので、何も用意していないし、そもそも会った所で受け取って貰える可能性を考えたくない。だってきっと葵が受取る相手は決まっているのだ。


(苦しい、な……)


 一方的に想うだけの恋がこんなにも苦しいなんて。こんな感覚は久しぶりだ。杏は割とすぐに好きな人と付き合う事が出来ていたし、片思いより両想いの方が回数は多かった。もし凛より先に葵と出会っていたら、なんて過去を変えられる訳でもないのに思ってしまう。


(なんか、息苦しくなってきた……)


 気が滅入ると身体的に不調になるのだろうか。息を大きく吸ってみても、やはり息苦しい。否、違う、これは、この息苦しさは精神的なものではない。

 慌てて起き上がり、早足で自室から出ると、焦げ臭さが充満していて、慌ててキッチンへ向かう。まだ夕食の時間には早い。それに母は料理が上手いのだ。だから消去法で原因は判る。


「……何やってんの?」

「あ、杏ー! ど、どうしよう……!」

「はぁ……取り敢えず火を消して」


 キッチンに居たのは案の定凛だった。まるで殺人現場の様に荒れている。キッチンに置かれている具材と調理器具、飛び散った液体が茶色や黒な辺りで何を作っているのかは大体把握した。慌てながらコンロの火を消した凛を確認した後、杏は飛び散った暗黒物体を片す。その様子を凛は不思議そうに見つめていた。


「……チョコ、作ってるんでしょ?」

「え! う、うん……」

「にーに料理できないから、あたしが手伝ってあげる」

「え……いいの!?」

「ただし交換条件があるの」


 悪戯に、だけど照れたように笑う杏をじっと見つめる。杏は何を求めるのだろうか。緊張しながら凛は杏の言葉を待った。

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