蝶と鳥のワルツ

華ノ月

やがて蝶は大空へ舞う 1

~プロローグ~


 「揚羽ちゃんって、いつも楽しそうだね」

 幼い頃からよく言われていた言葉を寺川 揚羽(てらかわ あげは)はホットミルクを飲みながら思い返していた。揚羽は幼い頃から人が大好きで人見知りが無い子だった。初めて会った子でも躊躇せずに声を掛けていた。いつも屈託なく笑っていて、一人の時は本を読むのが好きな子供だった。絵本の中に出てくるお姫様が大好きで髪を長く伸ばしていた。揚羽はストレートの長い髪をとても気に入っていて手入れもきちんとするくらいだった。家族仲もとても良くて父も母もちゃんと子供を見る親で一人っ子でも寂しいと感じたことは無かった。元々人見知りしない性格と良い家庭の環境でよく笑う素直な子供だった。そんな環境で育ち、高校生になった。高校でも、人見知りをしない性格が良いのか、誰にでも平等に接する揚羽は男女ともに友達も沢山できた。優しい世界で育った揚羽はいろんな人に好かれていた。でも、世間はそんな揚羽のことを気に入らない人たちもいる。


 そして、少しずつ黒い影が忍び寄っていることに揚羽は気付いていなかった・・・・・・。



第一章 いじめの始まり

 

 キーンコーンカーンコーン・・・・・・。

 

 チャイムが鳴って、揚羽はサックスをケースに片づけた。他の子たちも片付けを始めた。音楽部に所属している揚羽たちは一か月後には開催される発表会に向けて皆で練習をしていた。しかし、下校のチャイムが鳴り響き、皆で部室を出た。それぞれ楽器を持って部室を出て外を見ると、すっかり夕暮れだった。皆でワイワイとおしゃべりしながら廊下を歩き、下駄箱で靴を履き替えていたら他の部活の子たちに会った。そんな時、揚羽が声を上げた。

「あー!部室に楽譜忘れてきちゃった!今から取りに行ってくるから先に帰ってもらっていいかな?」

 揚羽はそう言って部室に戻っていった。その様子を皆は微笑ましく見ていた。

「揚羽ちゃんって、いつもニコニコしていて楽しそうだよね」

「そうだよねー。こっちまでつられて笑っちゃうよね」

「男子から見たら、ああいう子ってタイプの子が多いんじゃない?どうなの?」

 揚羽と一緒にいた子たちに突然話を振られたサッカー部の男子たちは困ったような顔をしていた。その内の一人の男子が口を開いた。

「確かに寺川さんって愛嬌良くてかわいいところあるよね。美人というよりはかわいいって感じかな?どんな子でも笑顔で話してるよね。ほら、うちの学校って特別養護教室を開いているときあるじゃん。寺川さん、そこで先生のお手伝いとしてそういう子たちと交流しているみたいだよ。そういう子たちとも笑顔で話せるって凄いよな。山中もそう思わない?」

 そう言って、山中と呼ばれた男子は「まあ、確かにな・・・・・・」と言いながらサッカーの練習で疲れたのか、眠そうな顔をしながら答えていた。この高校では昔からサッカー部と音楽部には繋がりがあって、音楽部が演奏会とかする時に楽器やアンプといった機材を運ぶのがサッカー部の役割だった。その繋がりがあってか、サッカー部と音楽部は仲が良かった。特にサッカー部の中でも山中は背が高くて顔立ちもいい方というので女子に人気があった。しかし、山中本人はそういったことに全く興味がなくいつも無愛想で掴みどころがなかった。でも、一部の女子から「そんなところが素敵!」と囁かれていた。いつだったかも、サッカー部に機材を運んでもらったときに、山中が揚羽が持っていこうとした機材を代わりに持っていったら、それを見た女子が一部嫉妬のようなまなざしを揚羽に向けていた。皆で「そんなことあったね」とか会話をしていた。そんな会話がなされているとも知らない揚羽は部室に着くと安堵の息を吐いた。

「良かったー。ちゃんと楽譜あったー」

 揚羽は安堵して楽譜を鞄にしまっていると、部室のドアが開いた。揚羽が「先生かな?」と思って振り返ると、そこにいたのは三人の女子生徒だった。その内の一人が声を出した。声を出したのは長い髪にパーマを掛けた藤木だった。

「寺川さん、ちょうどいいところにいたわ。私、喉が渇いているの。飲み物、買ってきてくれる?」

 藤木がそう言うと、藤木と一緒にいた子たちも「私のもねー」と言ってきたので、揚羽は困った顔をしながら、

「友達を待たせているのでごめんなさーい!!」

と、言ってその場を離れた。そのまま、駆け足で学校を後にした。

 家に着くと、美味しいご飯の匂いがしていた。揚羽はキッチンに行くと、母親が夕飯の支度をしていた。

「ただいまー。この匂いって、もしかしてチキンのトマト煮込み?」

「おかえり。そうよー、よく分かったわね」

「だって、これ好きだもん」

「もう言っているうちにお父さんも帰ってくるから帰ってきたら夕飯にしましょうね。さ、着替えてらっしゃい」

「はーい!!」

 揚羽は、返事をすると部屋に戻り着替えを始めた。着替え終わり、キッチンに行くとタイミングよく父親が帰って来た。そして、いつも通りの和やかな夕飯が始まった。

「揚羽、今度の発表会もまたお母さんと一緒に見に行くからな」

「今度も来れるの?やったー!!頑張って練習するね!」

 そこで、揚羽はふと今日の帰り際のことを思い出した。なんで、あんなことを言ってきたのか、見当がつかなかったのだが、気にすることでもないかと思い、深くは考えなかった。和やかな夕飯が終わり、揚羽はお風呂を澄ませると部屋でヘアケアに勤しんでいた。長い髪は先の方が痛みやすくなるので、お風呂から出たら、まず洗い流さないトリートメントで髪に栄養を行き渡らせる。その時に一番傷みやすい毛先は念入りにトリートメントをしみこませる。それから、ドライヤーで乾かして、最後に綺麗に髪を整えて完了だ。朝は起きてからヘアオイルを付けて栄養を髪に与えるようにしている。それくらい、髪には気を使っていた。きっかけは好きなお姫様が出てくるお話が映画化されて見に行った時のお姫様役の人の髪の毛が長くサラサラですごく綺麗だったからだ。そして、そんな綺麗な髪の毛に憧れて自分も髪を伸ばしつつ綺麗を保っていられるようにヘアケアを怠らない様にしていた。ケアが終わると、その髪を一つにまとめてゴムで止めた。寝ているときに髪が絡まらないようにするためだ。それからは、発表会で吹く曲をヘッドホンで聞きながらサックスに指だけ触れながら練習していた。そこへ、スマホが鳴り響いた。電話を掛けてきた相手は一番仲の良い愛理からだった。

「やっほー、揚羽。今大丈夫?」

「愛理ちゃん!うん、大丈夫だよ!」

 愛理は揚羽の幼馴染だ。母子家庭で育っているので家は大変みたいだが、愛理は持ち前の勝気でいつも誰にも負けないように人一倍努力していた。今日も、愛理とたわいのないおしゃべりをしていた。高校が別々になってしまったので、こうやってたまに電話でおしゃべりをする感じだった。

 

 その頃、藤木は夜の街を彷徨い歩いていた。自販機を見つけて飲み物を買い、いつもの公園に寄って夜風に当たりながら飲んでいた。親がまた喧嘩を始めたので、巻き込まれないために家を出てきたのだ。藤木の家は家族仲が良くなくて親はしょっちゅう喧嘩していた。幼い頃は家の隅の方でガタガタと震えながら親の喧嘩が終わるのをじっと待っていた。親は藤木に手を上げることは無かったが、興味も示さなくて、居ても居なくてもどっちでもいい子供だった。でも、高校生になって話が変わってきた。その理由を考えるたびに藤木は嫌な気持ちになった。それと同時に揚羽が憎くもなった。家族にも友達にも愛されている揚羽が憎くて恨めしくて仕方なかった。藤木は飲み終わった缶を乱暴に投げ捨て、その場を後にした。

 

 あれから、揚羽に藤木たちが突っかかるようになってきたが、揚羽はうまくその場を逃げていた。そんなある日、揚羽が部室で一人で練習に没頭していたら帰りが遅くなってしまった。時間を見ると下校の時間が過ぎていた。慌ててサックスをケースに片付けて帰る準備をして、校舎を出ようとしたところで藤木たちに声を掛けられた。いつものように振り切って帰ろうとしたら、藤木といつもいる河地に手首をつかまれて持っていたサックスを本村に取られてしまった。そして、本村はそのままそのサックスを藤木に渡した。藤木はサックスを受け取ると、顔に嫌な笑みを浮かべながら言葉を吐いた。

「私、喉乾いているから自販機で飲み物買ってきてよ。じゃないと、このサックスがどうなってもしらないよ?」

 藤木たちはくすくすと笑いながらケースからサックスを取り出して投げるようなしぐさを見せた。揚羽はその様子を見て、本当に壊されると思い、しぶしぶ飲み物を買いに行った。飲み物を渡すととりあえずサックスは返してくれた。

「ありがとー、またよろしくね」

 藤木たちはそういうとその場を去っていった。揚羽はため息をつきながら帰路についた。帰る途中、通学途中にあるコンビニの前を通っているとコンビニから山中が出てきた。

「あれ?寺川、今帰り?」

「山中君・・・・・・」

 そこで、揚羽ははっとして笑顔で答えた。

「うん、今帰りなんだ。遅くまで練習していたら下校のチャイムが鳴ったのを気付かなくて慌てて学校を出てきたんだ」

 揚羽の不自然な態度に山中は不審に感じたのか、言葉を掛けた。

「・・・・・・何かあった?」

「ううん!何もないよ。あっ、急いで帰らないと夕飯時間になっちゃうから、またね!」

 揚羽はそう言うとその場をそそくさと立ち去った。そこへ、コンビニから山中の友達が出てきた。

「悪いな、待たせて・・・・・・って、なんかあった?」

「いや、さっき寺川に会ったんだけど・・・・・・」

「寺川さん?寺川さんと何かあったの?」

「・・・・・・いや、何もないんだけど」

 友達は何が何だかわからない顔をしたが、山中も大丈夫だろうと思い、それ以上気にしないことにした。

 家に着くと、揚羽の様子がちょっと暗い感じがしたので、心配して母親が声を掛けた。

「学校で何かあったの?」

「・・・・・・部活で使っているサックス、もし壊したら弁償しなきゃだよね?」

「サックス、壊れたの?」

「あっ!!ううん、壊れてないよ。もし壊したらの話!」

「それは壊したら壊した本人が責任もって弁償しなくちゃダメでしょう。どんなものでも、借りているものを駄目にしてしまったらちゃんと弁償するのが筋じゃないかしら」

「そうだよね・・・・・・」

 

 その頃、藤木たちは公園でたむろしながらおしゃべりしていた。

「今日は笑ったねー。あの寺川の慌ててる顔は面白かったわ」

「次もあの手でまた飲み物買いに行かせようよ」

 河地と本村が楽しそうに会話している横で藤木は冴えない表情だった。

「藤木、どうしたの?なんか不機嫌だけど・・・・・・」

「んー・・・・・・、もっと寺川が困るようなことないかなーって考えてて・・・・・・」

 藤木たちが揚羽がなにかもっと困るようなことが無いかと考えているところだった。

「・・・・・・あなたが藤木さん?」

 突然、背後から声がして藤木たちは体を強張らせた。振り向くと一人の女がいた。歳は自分たちと同じくらいだろうか。女は藤木たちの顔を一周見ると、ゆっくりと言い始めた。

「寺川さんをどうしたら困らせられるかの話よね?なら、いいアドバイスがあるんだけど・・・・・・」

 女は不気味な笑顔で笑いながら、藤木と河地と本村にある提案をした。

「今度逆らってきたら、――――――ってしてみるといいわ。ボロボロに泣くと思うわよ?」

 女の提案に藤木たちは驚いたが、藤木は女の提案に「面白そうじゃん」と言って、その提案に賛成した。河地と本村は「それは、やり過ぎじゃない?」と言ったが、藤木の圧力に怯んでこれ以上は言えなかった。そこへ、山中が公園の横を通っていった。山中は藤木たちと女が居るのに気付いたが、特に声を掛けるわけでもなく、その場を後にした。

 

 それからも、藤木たちは揚羽に悪さをしようとしたがうまくかわされていた。揚羽はなるべく単独で行動をせずに誰かといるようにしていた。そうやって、藤木たちがかかわれないように避けていた頃だった。部活が終わり友達と帰ろうとしたとき、顧問の先生に頼まれて楽譜のコピーの手伝いをすることになった。コピーが終わるころにはすっかり遅くなりっていた。急いで帰ろうとして下駄箱で靴を履き替えていると、声がした。

「寺川さん、見つけたー。最近無視して遊んでくれないから寂しかったよー。あ、私、この前と同じコーラを買ってきてくれる?」

「・・・・・・悪いけど、あなたみたいな人を脅す人におごるお金は無いから」

 揚羽の言葉に藤木たちは唖然としたが、怒りが込み上げてきたのか揚羽のサックスを取り上げた。

「やめて!」

 揚羽はとっさに声を上げたが、サックスを盗られてしまった。藤木はケースからサックスを取り出すと嫌な笑みを浮かべながら言った。

「これがどうなってもいいのかな~?」

 揚羽は、拳を握りしめて必死で言葉を吐き出した。

「サックスを壊したら、先生にちゃんと事情を説明します。弁賞になったら壊した人の責任だから、弁償するのは藤木さんです!」

揚羽の言葉に藤木は切れたのか、河地と本村に命令した。

「寺川を捕まえろ!」

 藤木の言葉で河地と本村は揚羽を押さえ付けた。そして、藤木は自分の鞄から鋏を取り出した。そして・・・・・・


ジャキン・・・・・・!!


揚羽の髪を鋏で切った。その後も何度も鋏を入れて揚羽が大切にしている髪を何度も切った。

「やめて!やめて!」

 揚羽の言葉を藤木は無視して何度も揚羽の髪に鋏を入れた。そして、ようやっと藤木の手が止まったのは、乱雑なショートになった時だった・・・・・・。揚羽は混乱状態で頭に手をやり自分の髪を確認したが大好きな長い髪が無いのが分かると、震え出した。

 そして・・・・・・。


「いやぁ――――――――――――!!」



そう大声で叫ぶとその場で意識を失った・・・・・・。


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