第8話 見習い天使も楽じゃない (2)


 B組の教室の後ろの入り口から、そおっと中を覗き込む。身を隠しながら教室の中を見回すと、柴崎さんと女子数人が窓際の席に腰掛けて楽しそうに談笑しているのが見えた。

 昼休みのB組の教室は、意外と生徒が少なくてガランとしていた。その中で柴崎さんたちのグループ数名だけが、会話の花を咲かせている。これは、ちょっと目立ちすぎる。シチューエーション的には最悪だ。

 柊木とユアは、俺の背中に手を置いて、背後から同じような恰好で中を覗き込んでいた。

 二人にどやされてここまで来たはいいけど、いざ中に入ろうとしたら足がすくむ。なんていうか、ハードル高すぎだ。


「石塚、ほら。行ってきなさい。いるじゃない、柴崎さん」

「柊木、俺、なんて言ったらいいかな」


 思わず隣の柊木に問うた声は、我ながら相当情けないトーンだったと思う。


「ビビってどうするのよ。情けないわね。そんなこと、自分で考えられなくてどうすんのよ。男の子なんでしょ!」


 柊木は一刀両断で俺の問いかけをびしりとぶったぎった。冷えた視線が痛い。いや、言われなくても自分でもそう思うけどさ。


「柊木、そのセリフ、こないだ保健の授業で習ったジェンダーフリーってのを真っ向から否定してねーか?」

「なに話そらそうとしてんの。ごちゃごちゃ言ってないで、とにかく謝って来なよ。柴崎さんみたいなタイプは、そういうマメなところがツボなはずなんだから」

「そーですそーです。ここはふつう、イケメンがびしっとカッコよくキメ台詞で決めちゃうシーンですー」

「ユア、そりゃ逆だ。イケメンが言うから、びしっとカッコよくキメ台詞が決まるんだよ」

「ケンはくだらないこと言ってるヒマ、一秒もないです! さっさとあのおねーさんのとこ行ってきてください」


 俺の胸のあたりに頭を寄せて覗き込んでいるユアまでもがけしかけてくる。


「あそこに割って入って行くのは……、やっぱ俺にはちょっとムリ」

「まったく、ヘタレなことばっか言って。告白はできたくせに、教室では話しかけられないなんて、まったく意味わかんないわよ」


 いや、もっともな指摘だ。でも、そんなこと言ってもさ、やっぱりちょっとムリそうだよ。告白は、なんというか俺の胸の中のあふれる思いを勢いで口にできたけど、あの会話の中にずけずけ割って入る度胸は、俺にはないよ。めちゃめちゃ目立ちまくりじゃねーか。その場からこっそり離脱しようとしたら、ユアにぐいと学ランの襟をつかまれた。


「ケン、大丈夫ですよ。わたしがタイミングを見て、これ使ってあげますから。まったく世話が焼けますよねー」


 ユアはうふふふと、天使らしい純粋無垢な笑顔を浮かべながら、どこから取り出したのか、天使の持ち物とは思えない怪しげなピンク色の香水のような小瓶を振っている。


「これです、これ。『エンジェルマート特製、一滴でメロメロ♡ びっくりするほどよく効く惚れぐすり』の二十ミリリットル瓶ですー。これ効き具合に個人差があるんで使用量が難しいんですよねー。使いすぎるとえらいことになりますしー。個人的にはあのおねーさんじゃなくて、別の人に使った方がいい気がするんですけど、人の望みをかなえるのが天使の仕事ですからねー。ケンの望みどおり使ってあげますー」


 ほお。それは心強い。それがあれば、少なくとも門前払いにはならなさそうだな。


「さっさと覚悟決めて、行ってきなさい!」

「うへー、柊木のオニ、鬼畜、外道ー」

「なに言ってんの。漫画のタイトルじゃないんだから。とにかく、ほら、行った行った!」


 俺は、柊木にほとんど蹴り出されるようにしてB組の教室に足を踏み入れた。


「ケンー、がんばってきてくださいねー」


 うーん、約束はできないけどな。


 ◇


「あ、あの、柴崎さん」


 柴崎さんを取り囲んだ女子の視線が一斉に俺を振り向く。ちょっとやめてほしい。視線のレーザービームで焼け死んでしまいそうだ。がやがやとした雰囲気が一瞬凍った気がした。


「いや、あー、その、さっきは突き飛ばしちゃったみたいで、ろくに謝罪もしないでいなくなっちゃって、……ごめん」

 

 俺は一気に口を開いた。こういうアウェー感あふれるシチュエーションは、とにかく用件だけ伝えてさっさと退散するに限る。

 

「あ、石塚くん、どうしたの? そんなこと私、気にしていないのに。わざわざ謝りに来てくれたんだ」


 柴崎さんは、いっぱいの笑顔で応えてくれた。おおお、やっぱり柴崎さんの笑顔、いいよなあ。こういうのこそエンジェルスマイルっていうんだ。どっかの見習い天使にも負けていない。

 俺と柴崎さんが話し始めたのを見て、柴崎さんを囲んでいた女子たちはそれとなく場所を動かして、何かを察したかのように別の話をし始めた。こういう間合いの取り方は女子独特だ。


「俺、ちょっと急いでたからさ。柴崎さんのことほったらかしで行っちゃって。ホント、ごめん。痛くなかった?」

「そんなのぜんぜん、大丈夫だったよ。それに突き飛ばしたっていうほど勢いよく当たったわけでもなかったじゃない。ところで、昼休みに一緒にいた女子は誰なの?」


 ここまで柴崎さんの顔を見て話していると、俺の内側から暖かいものが湧き上がる。いやあ、誰がなんと言おうと、やっぱり柴崎さんはかわいいよ。


「ああ、あれは柊木。たまたま一緒にいた同じクラスの女子だけど」

「へえ、柊木さんっていうんだ。きれいな子だね。石塚くん、仲いいの?」

「それほどでもなかったんだけどね、最近ちょっと接点増えたっていうか……」


 実は告白したのをこっそり聞かれていた、とはさすがに言えるわけがない。しかし、なんでここで柊木の話題になるのか、女子の考えることは分からん。


「今日一緒にお昼ご飯食べたの? その柊木さんと」


 柴崎さんは何やら目を光らせて、俺の理解の及ばない表情で言った。なんでか知らんが笑顔が消えている。妙にくちびるがなまめかしい。


「え? まあ、成り行きでな」

「ふーん、そうなんだ。石塚くん、ああいう子がタイプなの?」


 んー? えらい食いつきよくねーか? 柊木に。でも、こないだの告白の時よりもちゃんと受け答えしてくれてるような気もするけど、なんだか、探り入れてるみたいな感じだなあ。


「え? 柊木がタイプ? んなこたあ、ないない」


 あくまで俺はハルカ・ファーストだ、と言おうと思ったが、ふと俺を覗き込んでいるであろう柊木とユアの方に何やら気配を感じて、チラッと横目で確かめる。二人は慌てた様子で、連れ立って教室を出て行くところだった。

 なんだ、アイツら。けしかけておいて、俺のことほったらかしかよ。

 柴崎さんは俺の視線を追いかけて入り口を見つめるが、すでにそこには誰の姿もない。かわりにB組の男子が数名、教室に戻ってきた。気が付くとだんだん生徒が増えてきている。そうこうしているうちに予鈴のチャイム音が鳴った。


「あ、予鈴だ。そろそろ俺、戻るよ」

「うん。明日の放課後、委員会だから忘れないでね」


 軽やかに手を振る柴崎さんの側を離れて、俺はB組の教室を後にした。振り返ると柴崎さんはまだ手を振って笑っている。

 しかし、こうして柴崎さんと話せたのは戦果としてとてつもなく大きい。少なくとも柊木や糸田やユアが言ってるみたいに「ばっさりがっさりすっぱり」フラれたという訳ではないことがはっきりした。


 ほれ見ろ。やっぱり俺には栄光の日々が待っていたんだ。それをコケにしやがって、柊木と糸田とユアには後で思い切りクレームを入れておいてやる。あいつらのせいで無駄にブルーになっていたじゃねーか。

 ふふふふ、これは楽しくなってきたぜ。どう考えても俺と柴崎さんは両想い! あとで柊木にも自慢してやろう。あ、もしかしたら、ユアのほれ薬が効いたのか? えらい即効性だな。まあいいや。恋愛で重要なのは結果だ。過程がどうであれ、ラストがハッピーならそれでいいんだ。過程が大事とか言うのはこじらせた童貞かBLマニアだけだ。


「わははは、グレーテスト・スクールデイズ・ハズ・カム! ひやっほおおお!」


 俺はなかばスキップするようにしてF組の教室に戻った。


 でも、柴崎さんとの会話はどこか妙な違和感が残ったことは否めなかった。


 ◇


 午後の授業が始まった。

 しかし、午前中あれだけ喧噪の限りを尽くしたユアの姿が見えない。

 まあユアがいないのは静かでいいのだが、なぜか柊木の机もポツンとあいたままだ。どこ行っちゃったんだ、柊木のヤツ。授業さぼるようなヤツじゃないはずなのになあ。


「なあ、糸田」


 五時間目の授業中、先生が「プリント忘れたから、ちょっとだけ待ってて」と職員室に取りに戻っている隙に糸田に聞いてみた。


「ん、どうしたよ。おまえ、午後になってから締まりのないデレ顔してるかと思ったら、急に深刻な表情になったりして。見るに堪えないぜ。ひとことで言って、キモい」


 あ、さすがにこいつは人の表情読むのにかけては天才だな。デレ顔なのは柴崎さんとの邂逅でかつてない手応えを感じたから、深刻な顔は柊木とユアの姿が見えないから、なんだがな。


「デレ顔は、まあ、俺にもカノジョができる日が着々と近づいて来てるからなんだが。こう、身体中に幸福感みなぎる感じで、たぎる感情がだな、でへへへ。あ、やべ、よだれ出る」

「やめろよ、キモすぎる。柴崎遥香と進展あったのかよ」

「ぐへへへ、教えてほしいか? 聞きたいか? しょうがねーなー。実はな……」

「心の底からどうでもいい。全然聞きたかねーけど、喋りたいなら一人で喋ってていいぞ、虚空に向かって」


 糸田は冷めた顔で圧倒的に拒絶する。他人の恋愛にまるで興味がないのは承知の上なんだけど、せっかくなんだから少しは喋らせろよ。


「おまえがデレてる理由が柴崎遥香の件であることさえ分かれば、他の情報はまったくいらん。それで、深刻な顔の方の理由は?」

「ああ、糸田さ、柊木どこ行ったか知らないか? アイツ午後からいなくなっちゃったじゃん。授業サボるようなヤツでもないからな」


 糸田は唇の端をすっと歪めて、ニヒルな含み笑いで答えた。


「おまえが知らない柊木千紘に関する情報を、俺が知ってるわけねーだろ。相手は一部で『謎の能面カタブツ女子』と言われている柊木千紘だぜ? 体調でも悪くなって保健室でも行ったんじゃねーの」

「いや、昼休みは普通に弁当食ってたんだぜ? なんか、心配になるじゃん。女子の情報を学校一掴んでるお前なら、柊木の居場所ぐらい知ってると思うだろ、ふつう。どこ行ったんだろ?」


 せっかく柴崎さんから好反応を得て、柊木とユアに自慢してやろうと思ったのに。しかし、柊木が授業サボって遊びに行くとは思えない。しかも今朝から俺たちにべったりのユアも一緒にいなくなってる。なんだか、妙な胸騒ぎがする。


「いや、だから知らねーって。おまえ、昼休みいねーなと思ったら、柊木と弁当食ってたのかよ。なんだかんだ言って、やっぱり柊木のこと気に入ってるんじゃねーのか? どうもこないだから妙に柊木とおまえの距離感がやたら近いと思ってたんだよ。俺の目をごまかせるとか思うなよ?」

「いやいや、そりゃ邪推だって。たまたまだよ、たまたま。昼休みに一緒に弁当食ったのもたまたま」


 たまたま俺たち二人だけが見ることのできる見習い天使が、俺たちの前に現れた、それだけだ。でもユアのことは、なんとなく他人に話してはいけない気がする。柊木もクラスメートたちにユアのことを話している様子はない。これは俺たち二人の暗黙の了解だ。そうやって考えると俺たちは秘密を共有する仲になった、とは言えるかもしれない。


 しかし、考えてみたら不思議だなあ。なんで全校生徒六百人の中で俺と柊木にだけユアが見えて、ユアの声が聞こえるんだろう。


「そんなに柊木が気になるのかよ。なんなら聞き出してやろうか? 柊木の住所とか、電話番号とか、趣味とか、交友関係とか」


 押し黙った俺に向かって糸田が余計なツッコミを入れてくる。糸田は姉の雫さんや妹の紡ちゃんを通じて、膨大な女子の情報をいともたやすくキャッチできる。こいつに頼めば柊木のプロフィールぐらいはすぐ手に入るだろう。しかし、俺は速攻で断った。


「余計なお世話だ。必要なら直接聞くよ。必要ないから聞かないだけで」

「なんだ、やっぱりおまえ柊木のこと気に入ってるんじゃねーか。聞こうと思えばいつでも聞けるし、聞けば必ず教えてもらえる、そういう確信がないとそんなセリフは出て来ないぜ」


 あ、また糸田に一本取られてしまった。確かにそのあたりを柊木が隠したりしないだろうとは思う。柴崎さんにはとても聞けないけど、柊木なら聞けそうだ。なんだろうな、この感覚の違い。その違いは、すぐには見つかる気がしない。ただ、糸田の邪推はうざいことこの上ない。


「言ってろよ。俺はどこまでも柴崎さん推しだ。ハルカ・ファーストだぜ」

「へ。せいぜい頑張れよ。おまえ、知らんみたいだけど、柊木、一部に熱狂的なマニアがいるからな。横取りされても知らねーぞ」


 糸田はまるで興味なさそうに俺に背を向けてしまった。


 俺は頬杖をついて、柊木の空席を見つめた。

 アイツら、どこ行ったんだろう。


 俺の沈思黙考は、まさにその行き先を案じていた者の、とびきりかしましくて、しかもクラスの中で俺にしか聞こえない叫び声で破られた。


「ケンー! ちいちゃんが、ちいちゃんが大変なんですー! 早くきてくださいー!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る