第参章 第捌節:ゴスロリはかわいい!

「まったく……何をしてたんだよ」

「えぇっと、それは……」



 怪訝な眼差しでじろりと睨む一颯に、みことは言葉を濁す。

 馬鹿正直に答えようものなら、確実に説教は避けられない。

 かと言って下手な嘘はすぐ彼にバレてしまうだろう。

 特になにもしていない――これも説得力にいまいち欠ける。



「えっと、その……い、一颯さんの匂いを堪能してました!」



 不気味なぐらい両者の間に静寂が流れた。


 しばしの沈黙の後で「い、今のは違います!」と、みことはすぐに弁解した。



「い、今のはちょっとした冗談って言うか……あ、でも一颯さん全然臭くないですよ? むしろ落ち着く匂いがするって感じで――」

「あぁ、もういいから。お前も一旦落ち着け、みこと」



「あう……」と、俯いたみことの顔はとても赤い。


 なんであんなこと言ったんだろ……、咄嗟の思い付きだったとは言え、言い訳にするにはあまりにも稚拙だった内容に、みことは羞恥心に苛まれた。



「とりあえず、もうそれだけの元気があるなら大丈夫そうだな」

「……一颯さん、今日は調査の方に行かないんですか?」

「学校をズル休みしたお前を連れて出歩けってか? 大人しく留守番してるんだったら、それでもいいんだが」

「それは駄目ですよ! 行くんだったら私も一緒に行きます!」



 一颯が親友を探す――これについては別段、みことも異論はない。

 元々彼は今回の【現代の神隠し事件】について調査中である。

 その過程において発見されたとしてもおかしくなかったし、そうなればみこととしても文句の付け所は一切ない。親友も見つかって、自分も怪異という危険に関与せずに済むのだから万々歳と言えよう。


 だが、みことはそうなることを許せない。

 これは意地でもプライドでもない、単純に彼女のワガママにすぎない。

 しかし最近はもう一つ、みことの中で新たな理由が生じた。

 偶発によるものだが、当初の目的と同等ぐらいみことには大切な理由である。



「一颯さんは一人で行動したら絶対に駄目ですからね!」

「そう言うと思ったよ。だったら今日の調査は猶更なしだ。学校が終わる時間になったら家に帰れ」

「それは、わかってます。だけど調査はこれからも一緒にやりますからね?」



 きっと、一颯という存在と出会わなければ今頃一人で捜索していただろう。

 彼との出会いをきっかけに、みことは決して表沙汰にならない社会の闇を知った。

 のうのうと人々が生きている中で、常に闇と対峙し命を賭している人達がいる。

 自分も将来【衛府人えふびと】になりたい、などという願望も目標も、細川みことには更々ない。

 出会ったのが彼だからこそ、どうにか力になりたい。

 明確な理由を述べよ、ともしもこう問われれば、みことは上手に回答できる自信がない。

 そもそも人助けをするのに明確な理由など、果たして必要なのだろうか――少なくともみことは、この考えに否定的だ。損得勘定なしにするのが人助けであって、そこに報酬を求めてしまえば、それは事業だ。細川みことは一介の女子高生であって、お金儲けがしたいや恩を売りたいと言った考えを持たない。



「私は、一颯さんだから力になりたいんです。実際、一颯さんの調査に貢献したじゃないですか」

「まぁ、それは確かにそうだが……」

「だからこれからも、美香子が見つかるまで助手としてよろしくお願いしますね?」



「はいはい……」と、呆れた様子で一颯は肩をすくめた。


 ただし彼の顔は、心なしか優しげである。みことはそう思った。


 ぴんぽーん――不意に鳴ったインターホンに一颯がはて、と小首をひねる。



「誰か、お客さんでしょうか」

「……みこと、お前は一応どこかに隠れておけ」



 真剣な面持ちをした一颯に、みことは「はい……」と素直に従った。


 リビングの一角に身を潜める傍らで、玄関の方へ向かう一颯の背中を視線で追う。

 もう一度インターホンが鳴ったとほぼ同時に、玄関が解放される。


「あっ……」と、みことは息をもらした。


 黒のスーツに赤のアンダーシャツがちらりと、みことの視界に映った。


 もしかしてまた来たの……!? みことの胸中に一抹の不安が渦巻くが「わざわざ悪いな」と、一颯の穏やかな言動にホッと安堵の息が彼女の口からもれる。


 どうやら来訪者は杵島舞姫きしままきではなかったらしい。

 自然と身構えてしまうぐらい、彼女について一種の苦手意識を抱いたと自覚して、みことは自嘲気味に小さく笑った。


 来訪者が帰ってすぐに「誰だったんですか?」と、みことは尋ねた。


「あぁ、ウチの組織の一人だよ。お前にってさ」と、そう言った一颯の手には大きめの段ボール箱があった。



「私に、ですか?」



 みことは不可思議そうな顔をして小首をはて、とひねった。



「あの、私全然【衛府人えふびと】の人達と面識がないんですけど……え? なんですか急に、怖いんですけど」

「昨日の詫びだってさ――お前、服ズタボロにされただろ?」



「そう言えば……って」と、みことは今更ながら己をはたと見やった。


 昨日の私服ではなく、またも一颯のジャージを拝借している。

 それは別に構わない。あのボロボロになった私服はもう使えないし、捨てるつもりでみこともいた。強いて言うなればお気に入りを手放す羽目になったので、舞姫への恨みはある。

 それを差し置いても、今この時。みことがもっとも危惧したのは別にあった。



「な、なんで私一颯さんのジャージ着てるんですか!? いや、そうじゃなくて……だ、誰が着替えさせたんですか!?」



 ここには一颯一人しかいない。

 となると必然的に容疑者は彼に絞られる。

 まさか……! みことの脳裏に嫌な予感がよぎった。



「い、一颯さんのエッチ!」

「あ~そう言うと思った。先に言っておくが俺じゃあない。お前を着替えさせたのは女性だし、なんならこの段ボールにある衣装を手掛けた奴だ」

「え? そ、そうなんですか?」

「昨日、次郎さん……あのひぐまみたいな人を憶えているだろ? その人が手配してくれたんだよ。それで、ウチが誇る裁縫が趣味を通り越して本業でも十二分にやっていける奴が、お前を着替えさせたのと同時に採寸したって訳だ」



「そ、それなら安心しました……」と、みことは心底安堵した。



「とりあえず開けてみろよ。ウチの裁縫のエースが作った代物だ。物はいいはずだぞ」

「は、はい!」



 内心ワクワクとしながら、みことは早速段ボールを開封した。


 しばしの間をあけて「え……?」と、素っ頓狂な声をもらすみこと。


 その隣では一颯が「やっぱりか……」と、何故か納得した様子を示した。


 中に入っていたのは、赤と黒を強調したゴスロリ衣装ドレスだった。


「こ、これを着ろってことですか?」と、恐る恐る尋ねるみこと。


 そんな彼女への回答は、沈黙からなる首肯だった。

 ゴスロリ――正確にはゴシックロリータ。知識だけだったらあるみことでも、実際に着用した経験は皆無であるし、それ以前に自分にはきっと似合わないだろう。そう判断して見る側として遠巻きに楽しんでいた。

 そのゴスロリドレスが今は、みことの手中にある。



「――、さっき言ってた奴なんだがな、腕は確かにいいんだよ。だけどちょっと趣味嗜好が変わってるっていうか、歪んでると言うか。かわいいと判定した奴には必ずと言っていいほど、ゴスロリ衣装を着せたがるんだよ」

「な、なんですかそれ! わ、私こんなフリフリのドレス着て町中なんか歩けないですよ!」

「因みに、コンセプトは魔女と貴婦人らしいぞ。俺にはよくわからないけどな」

「そんな情報はどうでもいいんですってばぁ!」



 みことの最優先事項は、如何にしてこの羞恥心をどうするべきか。

 ずっと一颯のジャージを借りる、これも一つの手段だろう。

 ズボンの方が相変わらずぶかぶかと着心地はあまりよろしくないが、家に帰るまでの間我慢すればいい。ジャージであれば目立つこともないだろう。

 ただし、家に着いた時の言い訳をどうするか。

 家族はみことの友人関係を知っているし、彼女自身もよく話している。

 従って、友達のお兄ちゃんから借りた、という嘘は不可能だ。



「い、一颯さん! 私が最初に来てた服ってどこにありますか!?」

「あれならもう、処分したぞ――あっ、先に言っておくけど俺じゃないからな?」



「で、ですよねぇ……」と、がっくりと項垂れる。


 改めてみことは、件のドレスに恐る恐る視線をやった。



「や、やっぱりこれ……着なきゃ駄目ですよね」

「そうだなぁ。あいつ、お前を見た時かなり気に入ってたし、絶対に似合うからって自腹切って高級な素材とか使ったって話らしいからな。まぁ来た方が作った側としても嬉しいだろ」

「うぅ……私、絶対に似合わないよぉ……」

「大丈夫じゃないか? あいつの衣装、ウチの女性スタッフからもかなり評判高いし」



「他人事だと思って……」と、みことは恨めし気に一颯を睨んだ。


 一颯も「他人事だからな」と、あっけらかんと返す。


 いずれにせよ、みことに残った選択肢はもう一つしかない。


 着るしかない……、盛大な溜息と共にドレスに袖を通そうとしたみことだったが、はたと一颯の方を見やった。


「どうかしたのか?」と、一颯は小首をはて、とひねる。



「あの、着替えるんで向こう行ってもらってもいいですか?」

「ん? あぁ、はいはい」

「……先に言っておきますけど――」

「覗くな、だろ。お前なんかに言われるまでもなくわかってるよ」



 一颯がそそくさと自室に移動したのを確認して、みことはドレスへとさっと着替えた。


「――、うわっ……これ、すごくない?」と、驚愕と感嘆が入り混じった声をもらす。


 似合うわけがない、そう今までずっと思っていたが、違和感なく思いの他しっくりとする新たな自分に、みことは頬をほんのりと赤らめる。魔女の貴婦人、この二つをコンセプトにしたというドレスは露出度はほぼ皆無で、付属品である薔薇のブローチの付いた黒い帽子が栗毛によく似合う。


 全身鏡の前で色々とポージングする度に「ふへへ」と、みことの口からは情けない笑い声がもれた。



「い、いやぁ。私ってば結構似合ってるじゃない。な、なかなかいいかも……着心地もすっごくいいし」

「――、なんだかんだ言って気に入ってるな」

「ひょわぁぁぁぁぁっ! い、一颯さん!? いきなり後ろから声を掛けないでくださいよ!」

「そりゃ悪かったな。でもいつまで経っても呼ばれないし、気になって出てみたら鏡の前であれこれポーズを取ってたからな。お楽しみのところを邪魔しちゃ悪いと思って、黙ってたんだよ」

「そ、そう言う時は遠慮しないで声かけてくださいよぉもう!」



 ぷりぷりと怒るみことに「悪かったよ」と、そう言葉では言うが当人の顔に反省の色はまったくない。寧ろ逆に彼女の反応を楽しんでいた。


 猛犬の如く唸りながらも、みことは帽子を深くかぶった。

 鏡を見ずとも自分の顔が紅潮していると嫌でもわかる。それをみことは、一颯に見られるのがすごく恥ずかしくて隠した。



「さて、とりあえず着替えはこれで終わったな。後はマスクでもしておけば、よっぽどのことじゃない限りお前が細川みことだってバレることはないだろう――どうする?」

「……一颯さんって、意地悪な性格だったんですね」



 ニヤニヤとする一颯に、みことは頬をムッと膨らました。

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