手の中のボタン(4)

 翌朝、ロビーで待っていると、時間通りに姫野は現れた。


 ふたりは姫野の愛車でN県警警察本部へと向かい、朝の捜査会議に出席した。

 朝の捜査会議では、刑事部捜査一課による県警が担当している事件の捜査報告などがおこなわれ、その中で姫野も担当している水死体発見事件の報告をおこなった。


 姫野の報告では、捜査に進展なしということになっており、久我が昨日姫野に話した残留思念については触れられることはなかった。


 捜査会議を終えた久我は、会議室に置かれているホワイトボードをみつめていた。

 ホワイトボードには、水死体発見事件の被害者の情報がまとめられている。

 氏名不明。年齢20代から30代。性別、女。

 そこには、わかっている数少ない情報が書かれていた。


「久我さん、この街の暴力団に関するファイルを組織犯罪対策部から借りてきました」

 姫野が持ってきたのは、分厚い3冊のファイルだった。


 ファイルの中には暴力団組織に所属している人間たちの情報と顔写真が収められていた。

 この中から、久我が昨日見た男の人相と同じ人物を探し出す必要がある。


「ところで、蜘蛛の刺青があるやつはわかったかい」

「組対の人に聞いてみましたけれど、それだけじゃわからないって言われました」

「そうか……」

 久我は小さくため息をつくと、姫野が持ってきたファイルを開いた。


 ファイルに収められていた全員の顔写真を確認し終えたのは、正午すぎのことだった。

 残念なことに、久我が残留思念でみた人物はファイル内に収められてはいなかった。


「仕方ないな」

 久我は呟くようにいうと、カバンの中からポラロイドカメラを取り出した。

 何をはじめるつもりだろうか。姫野は不思議そうな顔で久我の様子をみている。


 会議室には、久我と姫野しかいなかった。

 他の捜査員たちは、外回りに出てしまっている。


 それは、何とも奇妙な光景だった。

 久我はポラロイドカメラのレンズの部分を額に持ってくると、目を閉じて何度かシャッターを切った。

 姫野は、久我の頭がおかしくなってしまったのではないかと思った。

 それほどに久我の行動は奇妙奇天烈きてれつだったのだ。

 ポラロイドカメラから吐き出された写真用紙を机の上へと並べていく。

 しばらくして、写真がはっきりと見えてきた時、姫野は驚きを隠せなかった。

 そこに現れたのは、蜘蛛の刺青だった。


「この刺青をしている人間を捜せばいい。犯人のひとりだ」

 久我はそういって、姫野に写真を手渡すと、荷物をまとめて会議室から出ていった。


 犯人を捜すのは久我の仕事ではなかった。それは刑事の仕事だ。

 姫野は仕事のできる刑事のはずだ。

 だから、最後まで仕事を見届ける必要はないだろう。


 そう判断した久我は、庶務課に寄ってタクシーを呼んでもらうと、N県警本部をあとにした。

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