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 変ですよね。俺みたいなのでも名残惜しい気持ちあるんだなって、びっくりしてるんです。俺は一人でここまで来ました。基本ずっとどこかうっすら一人だった。どうして皆、そんな自然に特定の個人を好きになって、二人の世界に没頭して、よし一緒に暮らそうか子ども作ろうかってなれるんですかね。大人になったら自然と分かると思ってたけど、全然分からないですよ。いまだに。だからなんで、皆と同じように生きられないんだろうって、何度も思った事ありますよ。それでも多分、いやきっと、全部恵まれてたとは思うけど、


 そこまで打って、レイジははたと冷静になる。句読点の横で、縦線が音もなく明滅し続ける。一秒後にレイジは、デリートの位置へ指を乗せていた。感情的で身勝手な文章が視界に入っているのが、あまりにも不愉快だった。そのまま押し続ける。画面を全て消している間が、いやに長く感じた。

 全てが真っ白くなった上から、そうですかね。と記入する。目の前の男に見せると、彼は屈託なく笑った。

「それだけ~?」

 何秒もの時間をかけて、それだけだ。レイジは力の抜けた様子で、苦虫を噛み潰す。実に久しぶりに、自分が喋れなくてよかったと思った。もし声が出たら、口から全て流れてしまっていただろう。あんなものは、他人に見せるべきではないのだ。



 十二月二十四日。世界は今日終わる。

 最初の十二月二十四日は、やけに静かすぎる日だった。真冬だと言うのに秋の終わり程度の気温で、雪も雨も降らず、風もほとんど吹いていない。一日の終わりに時計が巻き戻る。太陽が全く同じ時刻で登ってきて、昨日と全く同じ日没を迎える。


 十二月二十四日が終わらない。何日経ったか誰にも分からない。ある日は、絶滅したはずのイルカの群れが空を泳いで行った。ある日は、雨ではなく林檎が降ってきた。ある日は、太陽が地球の中で照っていた。ある日は、巨大な植物の芽が第九の音色と共にたくさん生えてきた。物理的におかしいのだが、誰も理由を説明してくれない。


 十二月二十四日が、いつまで経っても終わらない。テレビをつけても砂嵐ばかりで、電話はどこにも繋がらない。人々は肉体を失ったことに気づかずさ迷い、あるいは大切な者達と集っていた。一部の者達を除いて。


 今日の十二月二十四日は、朝から違っていた。存在する全ての魂に、念話で直接アナウンスがあったのだ。今日、世界が終わる。送り主はもちろん、惑星管理局だ。この第一宇宙では、そういう決まりになっている。始まる時と終わる時、世界にお知らせを届けるのだ。正直に名乗ったところで、どれくらい信じる者がいたかは知らないが。レイジの経験側からみても、宣言が少し遅かったように思う。やはり厄介事があったのだろうか。



 違う事を考えても、気分が切り替わらない。さきほど打った文章の感情が、レイジの心にまだ燻っていた。少しは共有したいが、普遍的なものに変える必要がある。彼はレイジと違う人間だし、彼の産まれた地球はレイジと同じ星ではない。レイジは、白紙になった画面の上から打ち直す。


 世界が終わるのが寂しいな、人生上手く生きられなかったな、という話を書こうとしました。そうしたら、なかなか綺麗にまとまらなくて。


 似非コンビニ店員は、大きく同意した。

「マジで世界、終わっちゃうんですかね。僕も、人生これでよかったのかな、もっと色々やっときゃよかったなって、そんな事ばっか考えてましたよ。だから、人が来てくれて助かりました。こうして話せるし」

 レイジはスマホの画面上に指を滑らせる。あんたみたいな人間も、暗い考えがぐるぐるしたりするんですか。

「はい失礼ー。名誉毀損ー」

 すみません。

「いや、全然いいですけど。あ、そうだ。これ適当につまんで」

 これとは、レジカウンターに広げてある菓子を指しているようだ。少し会釈をして、レイジは片手を伸ばす。


 綺麗に背開きにされたポテトチップスの袋。見た目からして恐らくは海苔塩だ。中には丸いチョコレートも数粒転がっている。レイジは少し迷って、チョコレートを一粒頂いた。

「僕もコーヒー飲んじゃおうかな!」

 世紀末不良店員モドキはレジから抜け出し、勝手に商品を拝借した。カフェオレは、その一本が最後だ。男二人で、ささやかな乾杯をする。温かい飲み物を飲むと気分が和らぐ。こんなご時世、誰かと一緒ならなおさらだ。レジカウンターに寄りかかって、熱いコーヒーを啜る。



「よかったら、このまま一緒にどうですか」

 世界が平和だったなら、彼はこんな提案をしないだろう。恐らく、一人きりで死ぬのが嫌なのだ。すでに魂の状態なので二度も死にはしないが、そういう話を彼は知らない。それに、放置されれば流されてしまうのは確実だ。大海原へ投げ出されたプラスチック片のように、誰かの糧になる事もできず、いつか粉々になってしまうのだ。

 だが。その一言で、ふと、レイジは思いを馳せる。以前にも、誰かに同じ提案をされた。


 今が何回目の地球か分からない。それほど繰り返しても、結局同じだった。流れ着いた先で、あと少しで終わる世界の吹き溜まりで、何度も見た。世界の終わりが来る度に、レイジは全てを思い出す。自分がかつて、人である事を捨てたのだと。何かのために。誰かのために。なのに、いつかの昔逃げ出した。人でない者の生活と仕事は、思いの外大変だった。人の中で人に紛れている時は、少し生き返った気持ちがした。本当に生きていた頃は、あれだけ息苦しかったにも関わらず。

 だが、二度と戻れない。崩壊に巻き込まれて、内部情報がめちゃくちゃになり、また全てを忘れて。辿り着いた先で、また立ち上がって。今、レイジという名前だけを握り締めている。レイジはひっそりと、数回の深呼吸をした。そして、スマホの画面を指でなぞる。


 ありがたいけど、今回はもう遠慮しておきます。さすがにそろそろ、行かないと。

 宛のない放浪にも限界が来ていた。区切りのいいところで終わらせておきたい。この世界が終わるまで留まれば、今度こそおしまいな気がする。

「そっ……かー。じゃあしょうがないな。一人で逝くか」

 彼は向けられた画面を見るなり、面を仰ぎ、力なく頭の後ろで両手を組んだ。動作はともかく、心底がっかりしていると思われる。伝えるべきか迷った末に、レイジは文章を打ち込む。一行。改行のみを多めに打ち込んで、また一行。

 でもあなた、もう死んでるんですよ。

「えっ」

 一番下までスクロールする。

 既に死んでます。

 レイジはスマホを見せた後、ゆっくりと指を差す。彼の頭上の小さな星を。弱々しく煌めく魂を。彼は人差し指の示す辺りを見るが、そこには何もない。自分で自分の頭上は視認できない。普通の人間の視点からでは。

「でも僕、普通に物とか触れますよ。息もしてる。体もあったかい。さっき食べ物だって」

 食べた、と言おうとしたのだろう。彼は反論の途中で言葉を失った。今まではなかった物体が、いつの間にか出現していたからだ。視線はレイジの頭上に釘付けになっている。半開きの口がゆるやかに、意味を伴わない音を出す。レイジはゆっくりと、人差し指を己の頭上に向ける。

 淡い緑色に光る輪が一本。レイジの頭の上を、ゆっくり回っていた。よく見ると、気味の悪い文字で構成されている。レイジ自身も読めない言葉だ。

「天使なのか?」

 レイジは首を横に振る。これは制御輪と言い、魂の周囲に展開する特殊な機構だ。人間の想像物である天使の輪とは違う。この辺りの事情を、ただの人間に詳しく説明する必要はない。しかし一応、言葉を返す必要があるだろう。真の姿を見せても相変わらずで、スマホに文字を打ち込まなければならない。

 そうではないですが、下の世界ではそう呼ばれる事が多い。

「何の仕事するんです?」

 遭難した地球人を救助する仕事。

「迷える魂とかじゃないんかい」

 それを聞いて、薄く開かれた口から、小さな息が漏れる。レイジはようやく、純粋な意味で笑った。仕事をしようとしている自分が、少し可笑しく思えたのだ。

 レイジは、缶コーヒーの残りを一気に飲み干した。すっかり冷めていたが、悪くない。缶を静かにカウンターへ置く。そして、制御輪の辺りに片手を翳した。とても、とても久しぶりの、要請を送ってみる。


 要請:意識領域拡張

 《 ──。──── 》


 一瞬、僅かなノイズが走った。制御輪は静かに回転しているだけで、何の応答もない。きちんと頭と平行で、挙動におかしなところはないが。やはり、無理が祟っている。今の自分には不可能だと、レイジは判断した。


 最後にあなたと喋れてよかった。

 スマホにそう打ち込む。

「こちらこそ。世界の終わりに天使? を見れるなんて、ラッキーだったよ」

 今は助けられない。ちょっと整備が必要だし、道具が出せないから。でも、いつか絶対助けに行きます。

 一連の文章を、彼に見せる。そうしなければ、と何故かレイジは思った。それが自分の、重要な使命なのだと。これは、ただの仕事とは違う。レイジにとって彼は、普通の魂とは違う。初めて出会った瞬間から、彼をよく知っていると自覚した。この四次元構造体のどこか遠くにしまわれた情報が、今も静かに訴えかけてきている。

「みんなで待ってます。いいクリスマスを!」

 いいクリスマスを。最後にその画面を見せて、レイジは外へ向かう。扉を閉める前に振り返ると、男が軽く会釈した。片手を上げると、彼も上げ返してくれる。軽快な入店音に見送られ、レイジはバイクの元へと歩く。



 今回の別れは、いいものだったと思う。辺りにうっすらと霧が出ている。見上げれば、空は白い。朝焼けというよりは、塗料をぶちまけたような雰囲気で、のっぺりとした平面だ。古い戦闘機が編隊を組んで、高い空を飛んでいる。デジタル式目覚まし時計の音が、どこかの家から聞こえる。ホットケーキの焼ける甘い匂い。風に揺れる新緑の囁き。


 嫌な肌寒さを感じて、レイジは首元のマフラーを整える。しかし、戻ってはいけないのだ。レイジはもう、来た方を振り返らない。二度は死なないと決めた。脱出すると決めた。己のいるべき場所へ、帰らなければならない。もう一度、彼らを救いに戻るために。

 扱い慣れたバイクに跨がり、誰も知らない旅へ出発する。目的地は分かっている。世界の果てだ。崩壊しかけているから、辿り着くこと自体は簡単だろう。



 途方もない時間の中に、ぽっかりと浮かんでいる懐かしい名前。たったひとつの灯が消えない限り、レイジは『レイジ』として有れる。次第に霧が濃くなって、前が見えなくなっても、ひたすら真っ直ぐ進み続けた。深い霧の中、緑色をした光が瞬いている。数秒後には、完全に消失した。


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