ハード・ガール

安路 海途

1(――十年後)

 ――吉野よしのゆきなのことを、今でも時々思い出す。

 彼女のことは忘れようとしたって、なかなか忘れられるものじゃないからだ。いっしょにいた時間はそう長くはなかったけれど、それはかなり強烈なものだった。素人のへなちょこパンチと比べたときの、ヘビー級ボクサーのそれくらいに。

 中学校時代、あたしと吉野は出会った。それは特に運命的というのでも、ドラマチックというわけでもない。その辺に転がってる石ころと同じくらいに、ありふれたものでしか。

 けれど、それでも――

 あたしとしては、彼女との思い出を理屈っぽく省みたり、その後の影響を冷静に鑑みたりするつもりはない。よくある、つまらない精神分析みたいには。もちろん、それは間違いなく大きなものだったけれど――そうするのが、正しいことだとは思えないからだ。

 あたしたちは――あたしと吉野は、を共有した。それがどれだけ短く、人生の長さと比べると一瞬のようなことだったとしても。

 実のところ、あたしはあの頃からほとんど変わっていないような気がする。その変わらなさかげんについて考えてみると、自分でもあらためて驚くくらいだった。おいおい、これはちょっと成長しなさすぎというものじゃなかろうか、と。

 とはいえ、それはあたしの本質というものが、あの頃に確立したせいなのかもしれない。あたしの主義、思想、根幹――。かのチャールズ・ダーウィンも宣ったとおり、結局のところ生き物はそう簡単に変化したり進化したりはしない。

 クジラには使いもしない後肢うしろあしが残っているし、キリンの首は骨の数が七つだし、人間には役にも立たない尾骨がくっついている――要するに、そういうことだ。

 もしかしたら、それは彼女にとっても同じなのかもしれない。

 ふと、あたしはそんなことを考える。十年たった今でも、彼女はあの時とそれほど変わっていないんじゃないだろか、と。

 あなたはもし一番の友達から、〝いっしょに死んで欲しい〟と言われたら、どうするだろうか。とても真剣な顔で、とてもきれいな目で、そんなことを言われたら。

 説得する? 慰める? 罵倒する? 心配する? 説教する? それとも――いっしょに死んでしまう?

 あたしは今でも、あの時本当はどう答えるべきだったかわかっていない。十年たった今でも、わかっていないのだ。

 もちろん、あと十年たったところで答えがわかるとはかぎらない。そもそも、答えなんてものがあるのかどうかさえ。世の中にありふれた多くの問題が、そうであるのと同じで。

 それでもあたしは、吉野ゆきなのことを今でも時々思い出す。あの時間と、あの答えと、それからあのあと起こったすべての出来事について。

 夜明けの灰色になった世界の、風が強い日には特に――

 あたしたちは、あの場所を生きのびてきた。

 たぶん、事実としてはそれだけのことなのだと思う。

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