第二話③ 3日目③


「ッ……だった?」


 コトワリが念押しのように聞いてくる。視線は真っすぐに、おれを射抜いている。聞き間違いなど絶対にしない、という意気込みが見えた。


「何それ、どういう意味だい?」

「い、言った通り、だよ」

「そう。レイヤは私のことが好きだった……ふむふむ、なるほどね」


 噛み締めるかのように繰り返したコトワリは、スッとおれから身を離した。


「じゃあ、今は嫌いってことなのかな?」

「そ、そんな訳ないだろッ!」


 おれは思わず声を上げていた。そういうつもりで言ったんじゃない。


「えっ? 今でも好きなのかい?」

「いや、違……わなくて。あー、その。好きだったっていうのは、なんだろうな。えっと、その。あ、アレだッ!」


 続けて問われた内容に対して、おれはすぐに上手く返事ができなかった。

 好きだったことは、間違いない。コトワリを嫌いだと思う気持ちも、全くないのが事実だ。じゃなきゃ彼女から勧められたゲームを、わざわざ始めたりはしない。


「お前のことが嫌いになったとか、そういうことじゃねえよッ!」

「でも。だった、なんでしょ?」

「あ、あーッ! もうッ!」


 頭を両手でボリボリと掻きながら、おれは俯いた。この感じを、どうやったら彼女に伝えられるのか。過去に読んだ小説や観た映画を思い返して、適切な言葉を探る。思い出せ。物覚えが良いのが、おれの唯一の取柄だろうが。

 頭の中で言葉をまとめ始めると、今度は顔が赤くなってくる。自分の本音を話そうと思うのが、こんなに緊張するもんだとは。


「……コトワリのことは、今でも好きだよ。でもそれは友達として、幼馴染としてってやつだ」

「…………」


 悩みに悩んで、おれは言葉を漏らし始めた。彼女は、何も言わない。


「誰とも付き合ったこともねーおれには、恋愛的な好きなんざ数えられる程もねーけど、よ。少なくとも、おれはお前のことが好きだった。付き合いたいと、思ってたこともある……でも今は、違うんだ」

「違うって、どういうことかな?」


 コトワリは容赦なく、問いかけてくる。一切の妥協を、許してくれなさそうだ。おれの心の中身の全てをひっくり返してやろうとか、そういうつもり?


「今はお前も、彼氏がいるんだろ? おれは別に、横恋慕しようなんて気は、さらさらない」

「私は、さ」


 今度はコトワリから声をかけてきた。


「別にレイヤになら、良いよ」

「ッ!?」

「……って言ったら、どうする?」


 おれの眉が一気に上がる。見開いた目で彼女の見てみれば、目を細め、優し気に微笑んでいた。少なくとも今の彼女からは、冗談を言っているようには見えない。


「本気、なのか?」

「…………」


 彼女は答えない。答えるのは、おれの方だと言わんばかりに、沈黙を守っている。

 繰り返しにはなるが、彼女は今の彼氏であるユースケに不満を持っている訳ではない。先ほどの話ぶりからしても、それは明らかだ。


 では何故、こんなことを言ってきているのか。ユースケから告白されて付き合っているコトワリだが、本当は彼のことが好きじゃないんだろうか。

 そんな折に、おれの中に一つの閃きが走る。彼氏ができた時に、これ見よがしに自慢してきた。付き合い始めてからもゲームだなんだで、度々おれに連絡してきていた。そして今日、彼氏にはバレないからとデートを要求してきたこと。


 諸々の彼女の行為の点が線となり、おれの頭の中に一つの結論を描き出す。


「お前、本当は、おれのことが……好き、だったのか? おれを揺さぶる為に、アイツと?」

「…………」


 まだ、彼女は答えない。肯定も否定もしないままに、ただただおれの方を見てくるばかりだ。

 答えを、くれない。おれはどうして良いか分からなくなり、目線を彼女から逸らした。これ以上見ていたら、引き込まれそうな気がしたからだ。


「ッ! お、お宝だッ!」


 いつの間にか、観覧車は頂上にたどり着いていた。ゴンドラの天井にあったのは、ネバーランドゲームでピーター・パンがクリアすべきチェックポイント、立体映像の宝箱。

 コトワリにばかり意識が行っていて、全く気が付かなかった。立ち上がったおれはそれに触れると、フック船長の悔しがる声と共にクリアのエフェクトが視界内に広がる。鍵の欠片が、3/5になった。


 その時、おれはコトワリに押し倒された。


「レイヤ」

「な、な、なんだ、よ?」

「私だけを見てくれないか」


 やっと口を開いた彼女は、潤んだ瞳でおれを見下ろしていた。その表情は、なんと言い表したら良いか、おれには分からなかった。

 期待と不安と高揚と、少しの後ろめたさ。蒸気している頬に、細められた瞳。まるでキスをねだるかのように、軽く開かれた口。おれの持つ語彙力では、それ以上にある彼女の心の動きを表すことはできない。


「な、何言ってんだよお前ッ!?」

「駄目かい?」

「だ、駄目とか、そういう話じゃなくてだな。一体、何を」

「変だな。経験のない君なら、これくらいで行けると思ったのに……まさか」


 考えるような素振りを見せた後、コトワリは潤んだ瞳のまま、真っすぐにおれを見据えてきた。おれの内側を、覗き込もうとするかのように。


「ねえ、教えて。君の中には誰がいるんだい?」

「は、はあッ!?」


 続く彼女の言葉に、疑問と驚きが同時に来る。心臓が飛び上がり、声も裏返り、身体が一気に強張った。

 何故そんなことを聞くのか、どうしてそのことを聞くのか。


「……そっか、そうなんだね。私以外の、誰かがいるなんて」

「こ、コトワリ?」

「嫌、嫌だよ。そんなの嫌。ねえレイヤ、私にしようよ」

「ッ!」


 追い打ちのような、この一言。もう一度、おれの心臓が垂直飛びを敢行する。息を吞まざるを得なかった。

 彼女の表情が、息遣いが、その言葉が。全てがおれを誘っている。驚きと興奮が身体中を駆け巡り、全く身動きが取れない。


「君のことは、誰よりも知っている。回りくどいことは、もう止めるよ……ここまですれば、流石の君も、分かってくれるよね?」


 それを分かっているかのように、コトワリは徐々に顔を近づけてくる。半開きの口から洩れた、彼女の吐息が鼻に当たる。このままいけば、彼女と繋がる。

 彼女の唇の先が、おれのに触れるかと思った、次の瞬間。


 ――ガタガタガタガタッ!!!


 突如として、ゴンドラが激しく揺れた。


「うおおおおおッ!?」

「きゃああああっ!?」


 地震でもあったのかと思わずにはいられない程の、激しい揺れ。二人して顔を上げてみると、そこには。


「みーつーけーたー」

「ぎゃぁぁぁああああああああああああああああああああああああッ!?!?!?」

「わぁぁぁああああああああああああああああああああああああッ!?!?!?」


 おれ達が乗っているゴンドラの外に、潰れたカエルのように両手両足でもってへばりついている、クジラコの姿だった。おれ達は絶叫した。

 その様子を見ていた彼女の顔は、これ以上ないくらいに不満げなものだった。

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