42 クリルタイ

 クリルタイ。


 かつて北アジアの遊牧民族の間で行われた民族同士の評議会に由来するこの言葉。対悪魔の僕機関であるTD2Pにおいては、この言葉を上位個体排斥に伴い編成される"大討伐"の最高意思決定機関の役割を持つ会議にその名が冠せられている。

 大討伐における第一回目のクリルタイには特に大きな重要性が備わっている。大討伐は一度の遠征であっても、相手が上位個体の悪魔の僕であるというだけで非常に膨大な資源と時間と労力が投じられることとなる。巨大災害を凌ぐような理外の力を持った悪魔の僕に対抗するための兵力の士気を保つことでさえ容易でないというのに、これまでに編成された大討伐の戦績は凄惨たる結末を迎えていることによる不安感は、どれほど屈強な精神力を持つ戦士にとってでも死の恐怖を感じさせるには十分な要素であったのだ。

 これまでの大討伐では、ボイジャー:プリマヴェッラ号という超次元的な実力と人望を兼ねそろえた逸材の活躍があってようやく辛勝を掴みとってきた。しかし、ユーラシア大陸を恐怖のどん底に突き落としたカテゴリー5の"大陸軍"を打倒してみせた彼女であっても、その後に頭角を見せ始めた同じくカテゴリー5の"反英雄"の手によって殉職を迎えてしまった。

 つまり、TD2Pとしては唯一の大討伐成功要因であるプリマヴェッラ号を失っている状況で、かつ、そのプリマヴェッラを討ち亡ぼした仇の反英雄が敵陣営に存在するという事態が生じている。どれだけ粒揃いの優秀な兵士を集めたとて、この事実に対してのほんの一縷の希望すら抱けないようであれば、この士気を欠いた大討伐軍の実力は見かけより遥かに危殆化したものとなることは間違いなかった。


 今宵、TD2P日本支部に集った世界指折りの強豪たち。

 

 環太平洋の悪魔の僕の討伐組織であるTD2P。


 ヨーロッパにて、十年前の大陸軍と渡り合い大陸移動を防いだ聖騎士集団を原点としてその後の悪魔の僕の抑止力としてのブランドを確立した戦闘集団、"新生テンプル騎士団"。


 国内外を問わず、信仰対象である"叢雨禍神"の圧倒的な存在感による絶大な影響力と信仰力を持つ新興宗教界の超新星にして、富士山麓の青木ヶ原樹海を総本山とする"叢雨の会"。


 本来であれば、貌を併せることも言葉を交わすこともないような曲者揃いのクリルタイ。

 世界に切望される大討伐の"必勝"の実現においては、彼らの関係性は実に信頼性に足らぬ綱渡りであるということは、今更言うまででもないことであった。



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望まれた王国ニーズランド

 これまで佐呑近郊の夢想世界で拿捕したクラウン関与の別解犯罪者及び、先日ヴィークと邂逅した元軍人の白英淑から同様の単語が出たこともあり、これがクラウン一派を指し示す対外的な名称であるということは確定して良いでしょう。

 ニーズランドには判明しているだけでもクラウンを始めとして7体の上位個体の悪魔の僕の在籍が判明しており、それ以外にもこれまでクラウンが構築してた反社会的なネットワークを通じ、カテゴリー3以下の多数の悪魔の僕が所属しているものと見られています。

 しかし、ニーズランドの特性上、関係性の判明やコミュニティの在り方には不確定な部分も多く存在し、現実的にどれほどの数の戦力を保有してるのかを把握するだけの透明性が存在しないのが現状です」


 今回の大討伐におけるクリルタイ議長に任命されたTD2P本部戦略塔軍部所属のキングストン・エドワーズ大尉が言う。歴代のクリルタイ議長としては最年少の45歳で大役を任されるだけあり、柔らかな口調に反した堂々たる風格が備わっていた。

 曲者揃いのクリルタイを取りまとめるだけの大任を付与されていながらも、自分こそが大討伐の戦意の模範とならんという気概が立ち振る舞いからも滲み出ているようだった。


「そして、これもまたヴィークの内定調査によって判明した点になりますが、ニーズランドの全容に関して共有すべき特色が存在します。この場に集われた方々の中には既に把握していらっしゃる方もおられるとは思いますが、ニーズランドが根を張る夢想世界の領域に関しての話になります。

 以前からTD2P捜査部にて補足していた観測上の"黒点"。異様な深度数値の構成が算出されたエリアの先にある空間こそが当該のニーズランドの座標とみて間違いないでしょう。

 その座標とはズバリ、日本を東西に縦断する中央地溝帯に紐付けられた超広域の夢想空間です」


 そこで新生テンプル騎士団大幹部にして、数週間前の全世界同時会見で世界中の脚光を浴びたアレッシオ・カッターネオがそれに反応する。


「我々の保有する夢想世界の深度圧測定器を用いても日本の一部地域に極端な数値を示す黒点は観測されました。しかし、それが超広域であると言われればそうではない。むしろ、取るに足らない公園程度の大きさの空間にのみ現れた特異的なイレギュラー環境であり、地上で冠域を展開する叢雨禍神の影響されたものだと判断しました」


「問題はそこなんです。これまで、ありとあらゆる別解犯罪の扇動や幇助を行ってきたとされる世紀の大犯罪者の存在の追跡には手を焼かされてきました。我々は夢想世界に出現するカテゴリー3相当の空間深度は座標観測可能であり、それらが発生する度に軍や調査隊の派遣によって対処を試みてきました。…しかし、待てど暮らせど探せど、クラウン本人の冠域や彼の配下に下った以降の悪魔の僕たちの痕跡も見つけることは出来ずにいました。

 多くの大物を配下に従えるだけのカリスマを持つクラウンと言えど、本人が冠域を発動せずとも周囲のカテゴリー4や5の連中が誰も冠域を発動させずに忍んでいるとは考えにくい事態でした。

 しかし、我々はTD2Pは大きな思い違いをしていたに過ぎなかったのです。やはり相手は別解犯罪のプロ。足元を掴ませないだけの工夫はしているようで、どうにも夢想世界の空間そのものに内在する不確定要素の裏を突いた工作を行っていたのです」


 そこで叢雨の会の大幹部であり、このクリルタイへの出席が認められた大司卿・鐘笑が笑みを漏らした。

「おやおや。まさかその程度のレベルのお話から始まるとは思いませんでした」

 

「どういうことだ?」

 アレッシオ・カッターネオが貌を顰める。


「夢想冠域の大きさは現実とは比例しない。その程度の認識ではあの広大な裏世界の定理の理解を示すにはあまりに稚拙でございます。冠域を用いずとも、空間に冠域能力は影響し得る。ましてあのクラウンのこと、センサーを掻い潜る程度の箱を用意する程度のことは造作もないでしょう」


「鍾笑氏の言う通り、我々はクラウンという存在に対し平面的な理解しか成し得てないのが現状でした。

 奴の能力として、超時空移動を可能とする扉の顕現と開閉の観測こそあれ、その扉の向こうを物理的に探すに留まっていたのです。

 不本意ながらクラウンの持つ夢想世界についての理解は我々より一歩上を行っていると言えるでしょう。奴は自身の能力を用いることで、ある一点の夢想世界を”表層”と”深層”に分けました。一見して識別できない深層空間に自身の冠域を含めた、上位個体たちの冠域を別個で構築することで、ある意味でステルス性能を有した隔離環境を構築していたのです」


 そう言うと、キングストンは肩を落とす。


「奴は大胆にも、現実世界の叢雨禍神の縄張りとも言える富士山にリンクした夢想空間の一点に仕掛けを設けました。座標で言えば富士山頂のピンポイントに深層世界へと続く扉を仕掛け、その扉の先にニーズランドを生み出したのです。

 一見、叢雨禍神との縄張り争いを誘発しうる挑戦的な行為にも思えますが、これは叢雨の会の影響力を十二分に理解している我々の盲点を付くには比肩所のない優良物件だったのです。

 事実、我々はセンサー上で富士山起点の夢想世界に黒点が現れたとしても、叢雨の会の存在が念頭にあるために踏み込んだ調査を行うことがなかった」


 そこで少し離れた卓上で巨体を横臥させている件の叢雨の会における唯一神、澐仙は真顔で言葉を発する。


「同盟に伴って腹中を探ろうと踏み込んだら、驚くべきことにクラウンの仕掛け扉を見つけたと。いくらなんでも情報管理が甘すぎませんか。腐っても大討伐を見据える相手としては準備不足感を否めませんね」

 

「仰るとおりではあるのですが扉を発見できずにいたことは、これはこれでニーズランド側の油断を誘ったのも事実です。ニーズランドへの扉は局所的な結界要素を多分に含んでおり、ボイジャーの潜航能力でさえ扉を突破してニーズランド内部に侵入することは高いリスクを背負うことになると考えられました。ですが、TD2P側にも非公表ながら特別耐用値に優れた特殊能力者も抱えておりまして、今回では先日、ボイジャー実験の測定値を元に新たに編成された"準ボイジャー"部隊の隊長であるガブナー雨宮によって扉の先への侵入が叶いました。

 元々捜査部に所属してただけのことはあり、ガブナー雨宮の仕入れてきた情報は細部にこそ欠けたものはあれ、ニーズランドの概要や大半の構図を把握するには十分なものでした。


 端的に言えば、ニーズランドは内部を七つの圏域に分けた固有冠域の集合体でした。通常、上位個体レベルの固有冠域が夢想世界の低間隔に乱立すれば、リンクした現実世界に歪みが生じ、空間の侵食やねじれに伴う空間破壊現象が発生します。しかし、奴らは深層夢想世界の、それもある特殊な地域にリンクする空間に冠域を構築したことにより現実世界への影響を極限までカットしていたのです」


 その特殊な地域という言葉に意識を共振させるように二人の男が同時に同様の単語を漏らした。


「「フォッサマグナか」」


 一つの声の主、新生テンプル騎士団の第3代団長のスオトリーペが先程から堅持していた腕組の姿勢のまま、表情ばかりを強張らせていた。


 同時に言葉を漏らしたのは、このクリルタイ唯一の参加権を与えられていたボイジャー:クロノシア号だった。

 彼はTD2Pアメリカ支部に所属する世界最強のボイジャーとの呼び声高い機体であり、プリマヴェッラ亡き後の新たな偶像として主にアメリカ全土で発生した悪魔の僕や別解犯罪者の討伐で存在感を示してきていた。多くのボイジャーや支部がアジアに重点的に割かれていることに対し、アメリカ政府が寛容なのはこのクロノシア号の半永久的なアメリカ常駐という看板があってこそのものだった。

 そんなクロノシアが大討伐を期に日本開催のクリルタイに現地参加するということに関しての批判意見や反対立場の声は大きいものだった。しかし、クロノシア自身は大討伐の実施には肯定派として主張してきた過去もあり、彼が自国民に対して個別に宣誓したクラウンの完全討伐の誓いは、それが成功を修めた際のアメリカ社会への別解犯罪激減の恩恵を考慮されて批判意見を一蹴する形となった。



 フォッサマグナとは日本の代表的な地溝帯の一つである。

 本州の中央部を東西に縦断する帯域であり、特殊な構造発達史を持つ火山帯。太古の日本の陸地はアジアに近接しており、数百万年前までは只の海であったこの地帯に地殻が移動したことに伴って海の堆積物が隆起し今日の日本列島の姿の原型が形成されたとも言われている。

 現在の理論ではこのフォッサマグナは北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界に相当するものと見なされている。より端的に言うのであれば、この一帯は所謂"地質学的な溝"と表せるものだった。


「クラウン側に地質学的な観点に伴う意図が存在しているのかは定かではありませんが、ガブナー雨宮が持ち込んだ補測器によれば、俯瞰的に見た際の冠域の分布がこのフォッサマグナとリンクするのです」


 それに対し、スオトリーペが疑問を投げかける。

「先程申されていた日本を東西に縦断する中央地溝帯に紐付けられた超広域の夢想空間という言葉ですが、具体的な規模は如何ほどのものでしょうか?」


「それが問題なのです。夢想世界の座標は現実世界にリンクしていますが、今更言うまでもなく実際の空間体積は夢想世界の方がはるかに大きい。展開された冠域の内部が夢想世界のフォッサマグナに対応する空間全域に敷き詰められているとすれば、単純な話その総合的な大きさは日本列島を二つ並べてまだ御釣りがくるレベルです。とはいえ、上位個体が継続して展開することが前提となっているほどの強大な支配空間が、その莫大な体積と同期しているとの断言はできません。いかに上位個体と言えど、展開できる冠域の大きさと出力には限度があるという見方をするのが適正だとも言えます」


「なるほど」

 スオトリーペはなおも腕を組み、厳格に頷いた。



 そこで新たに声を上げたのは、この大討伐の発起人と言えるTD2Pの鬼才。東郷有正中将だった。


「ここからは私が引き継ごう、議長」

「閣下……。承知いたしました」


 中将は絵にかいた笑みのような薄ら笑いを浮かべながら、辺りを見回した。


「さて、敵の途方もない規模感が理解できたところでおさらいしようか。クラウンをトップとするニーズランドは、その実情を環境とシステムの異なる七つの冠域という名のテーマパークに仕切られている。冠域間の移動手段や関連性、指揮系統は現状不明な点が多く、その支配者たちがどのような趣向を凝らした出迎えを準備しているかは定かではありません。

 一方、我々の策は正直言って、叢雨禍神の協力を得るところまで漕ぎつける以外は特になしです。……あれほどの数の上位個体を相手にする以上、事態には常にイレギュラーが付きまとい、ありとあらゆる資本が湯水のように使い干されていくことでしょう。

 しかし、やると決まっている以上、我々は勝ちに行くだけ。なぁに、時間を浪費して愚策を練るつもりはありません。

 敵の姿がおぼろげにも見えてきた今こそ、我々は組織や立場の垣根を越えて、一丸となった実用的な戦略を生み出していくことにいたしましょう」



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 それからクリルタイは四日に渡って延長されたという。

 長引けば長引くほど、世間からの注目は高まり、期待度も膨らんでいく。


 悪魔の僕である澐仙を頼ることによる論争も今一度再燃し、逆に澐仙を崇めている叢雨の会の信者たちは己の崇拝対象の不在に精神を病ませて暴徒と化すものさえも現れるなど、世間では様々な混乱や問題が露呈するようになっていった。


 大討伐が誓うは必勝。

 

 しかし、これから始まる大いなる戦いの中でそれを実現するには、それはあまりに実現性に欠いた大きな難題となることだろう。

 


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