18 奪った罪

『エンゲージメントは依然として安息値をキープ。対象機[アンブロシア]まもなく深度2000を通過、神経接続を再認識。受信された脳内環境に問題見受けられません』


 無機質に流れる機会音声。

 皮仕立ての良い椅子に腰かけるロッツ博士の顔色は浮かないものだった。


『エンゲージメントに微弱なノイズを検知。脳波測定開始。通常時と比較し約40%の高負荷を検知しております』


「…………」


『潜航速度低下。現在の深度計測。対象機[アンブロシア]、深度2400にて停止。耐用値は総許容量の32%を示しています』


 ロッツ博士は机を拳で強く叩く。度の高いレンズの眼鏡の奥にある瞳にまで怒りを滲ませたような歪んだ表情を顔に張り付けている。呼吸が粗く、しきりに独り言を漏らしてから通信装置のマイクを手元に引き寄せる。


「何をしているアンブロシア。こんな簡易的なテストでまさか音を上げているわけではあるまいな!」

 モニターに映るアンブロシアの姿。彼は辺りをきょろきょろと見まわし、鬱屈したような面持ちで口を開く。


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「そっちこそ。どういうつもりですか」

『メンテナンスのための簡単なテストだと言っただろう!これはお前のボイジャーとしての耐用値を測定し、精神レベルを図るためのものだ!』

「…だからって、こんなに酷いことを」


 アンブロシアが見る景色。

 最初にその空間に降り立った時、そこはとても現実味に溢れる場所だった。森の中にのっぺりとした工場のような建物があり、遠目からでも人の活動が視認できるくらいの賑わいがあった。

 そこから少し離れた場所には居住用の民家のような建物があり、そこにも人の姿が見えた。周辺が一つの町のように一定の機能を想起させ、そこに存在する人々の在り方は現実でのものとなんら変わりないように見えた。


 それからそう待たぬうちに変化が起きた。なんの脈絡もなく工場は大爆発を引き起こし、爆風に乗って建物や森や人が焼き焦げる匂いが吹き荒れる。爆発は何度も続けざまに起こり、爆轟の中には人間の悲鳴のようなものも混じっている。工場は火の手に包まれて、遠目からでも人間が燃えている様子が見て取れる。

 思わず怯んだアンブロシアの周囲にも火の手は迫った。奇妙な動きをする炎が意思を持つように森に伝播し、あっという間に民家の辺りまでの一帯を火の海へと変えてしまった。



『現実世界とも夢想世界とも異なる仮の世界でのシミュレーションだ。悪魔の僕が展開するような固有冠域はこの程度の生易しい世界ではない。お前がボイジャーとして風除けの役割を担うに足るかがこういった精神汚染に対する耐用値に掛かっているのだ。しっかりと戦闘機としての自覚をもって臨め!」


「人が死ぬのなんて見たくないんですけど」

『なんだその弱腰は!そんな姿勢でボイジャーが務まるとでも思っているのか!?』

「いや。…どうでしょうね。少なくともこんなの見せられても気分が悪くなるだけだ」

『どうしたというんだアンブロシア。初期段階のシミュレーションでこそ、これより深度が3倍近い地点までの潜航が可能だったお前が、このような生易しい世界で精神汚染を来している。これでは実戦の折には何の役にも立たない木偶人形のようなものだ』

「こんな意味ない地獄絵図見たって実戦の役に立つとは思えませんがね……記憶を失う前の僕がどれだけのマゾだったかは知りませんが、今の僕にとっては気分を害するだけで何か身になるテストだとは感じられません」


 きっぱりと言い切ったアンブロシアに対し、ロッツ博士は絶望感に似た感想を覚えた。


『はぁ。………もういい。それ以上の深度潜航には精神衛生上のリスクがありそうだ。

 だが、これよりおよそ三十分に渡りその深度での耐用値測定を行う。本来の耐用値であればなんら影響を受けない世界だが、今のお前の矯正には腹立たしいことに事足りるらしい。しばらくそこで頭を冷やすことだ。三十分後、退去を認める』


「は?」


 ロッツ博士からの通信はそこで断たれた。アンブロシアの周囲には既に火の手が一重にも二重にも取り囲んでいる。とりあえず、火の手から逃れようと彼は身を器用にこなして炎の抜け道を見出して体を滑りこませた。

 それからはしつこく迫りくる火の手との鬼ごっこだった。森を先回りするように赤い火の光が森の奥手にチラつき、彼は包囲されるのを防ぐために奔り抜ける。身体強化の術を持ち合わせていないため、元々の持久力に頼った全力疾走だが、英淑との短期の猛特訓の甲斐もあってか体は意思に沿って動かすことができている。

 岩苔や渓流を経てもなお、火の手は彼の後を追う。距離を離すほどに速度を増して追随してくる火の手は渓流を飛び越えるようにして対岸に文字通り飛び火した。辺りには生木が燃えることで凄まじい煙が立ち上っているが、それを吸う前にアンブロシアは移動を続けた。


「ふざけやがって……」


 十分程度の間、かなり真面目に逃げ続けていると流石の彼も自分の持久力の限界を覚え始めた。複雑な地形を駆け抜けるだけの精密な動作ができなくなり、背後に迫る熱を感じながらできるだけ平面的な雑木林を抜けようと試みる。

 だが、そんな彼を小馬鹿にするように正面の遠くの景色に爆発が垣間見えた。それからは雑木林を猛進するように炎の波が彼に向けて迫り、急停止した彼もろとも周囲を炎の渦に呑み込んだ。

 肌を焼き焦がす凄まじい熱が伝わる。髪や肌が燃え剥がれ、強度の柔い部分から溶けてボロボロになっていくのが良く分かった。


「ぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁあぁぁぁああぁぁぁぁぁぁあああああああ」


 絶叫する彼は炎の渦の中でのたうちまわった。目が焼け落ちたのか、もう周囲の光景も見えない。


『固有冠域展開:楽園双眼鏡アバロン・ツイン・ホール

 残る意識の中で強く願ったのは自己を肯定するための最強の世界。

 詠唱を要せずして構築を可能とした固有冠域の効果により、周辺空間に著しい変化が生じる。


 空に浮かぶ二つの巨大な球が空間の背景を塗り替える。昼間の景色だった世界が黒く染まり、煌めく影の球体によって目を潰されるような眩い光に包まれる。影の球に吸い込まれるようにして周辺の炎は瞬時に消え失せた。黒焦げになったアンブロシアの残骸が地面に力なく崩れ落ちる。

 ほどなくしてアンブロシアの肉体が再生した。対立する固有冠域が存在しない状況下では、最強を証明するための自己の冠域に肯定される形で肉体は最も力を発揮できる形状へと自動的に修復されるのだ。再生に要する時間は決して長くはなく、十秒前後の僅かな時間で燃えカスとなっていた体が傷一つない五体満足へと修復された。


 意識が明瞭すると同時に彼は展開した固有冠域を閉じた。立ち上った二つの球体は消滅し、ちぐはぐとなっていた白黒の背景が徐々に先ほどのような森の中へと変化していく。しかし、辺りは火の海に包まれたこともあり、新緑とはかけ離れた焦土へと変貌してしまっていた。


「……………」


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「あのぅ、ロッツ博士。よろしいでしょうか?」

「なんだ?」


 未だにイラつきを見せるロッツ博士。壮年の彼の眉間には不愉快を刻んだ皺が寄っている。

「検知システムに不明な波長が検出されています。また、シミュレーション空間での火の手を逃れるためにアンブロシア号が自己の固有冠域を展開しました。すぐに冠域を閉じたことで負担こそ多くはありませんが、一度炎に飲まれているためにやはりこちらも波長が著しく乱れています」

「アンブロシアの固有冠域に関するデータだけ仔細まで記録し検証しろ。未だに固有冠域に関しては不明な点が多いからな、火の手を逃れるために冠域を展開するところまでは予想通りだし、不明な波長というのもおそらくは固有冠域に絡んだものだろう。気にする必要はない」


「はい。…いえ」


「なんだ、その返事は?」

「いえ…その。不明な波長と言いましたが、それはアンブロシアの挙動に起因するものではありません」

「何が言いたい?」

「で、ですから。シミュレーション上の仮想夢想世界に何者かが侵入したということです」

「ありえん。確かに本来の設備とは異なる環境化だからある程度は佐呑のパスに依存した環境構築を行ったが、もしセキュリティを通り越して侵入したとなれば…」

 部下の研究員が顔を青ざめさせている。

「TD2Pが管理している佐呑のパスが流出しているということに………て、天童大佐へ報告致しますか?」

「……………」


 ロッツ博士は顎をしきりに手で撫でながら、少しの間思考を巡らせていた。


「いや。波長を見たところ侵入したのは明らかな小物。テストの一環としてアンブロシアに直接処理させる。獏の起動許可のためにキンコルにだけ話を通し、同時に島全体に対する獏の影響範囲を拡大させるように進言しろ」


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「なんだ。君」


 草木が燃え落ちた焦土に立つアンブロシア。そこから少し離れた火の手が回っていない緑の大地に彼は何者かの姿を捉えた。

 視覚に先立つ直感的な信号だった。その何者は不可視でありながらも剥き出しの殺意のようなものを自然と発しているような感さえある。

 

 見ればそれはまだ少年の姿であるアンブロシアよりもさらに幼い少年だった。体格は痩躯のアンブロシアよりさらに一回り程小柄だった。小学校高学年くらいと思われる十歳あたりの子供に思われた。

 小さな手には姿に似合わないナイフがチラつく。両の掌にきつく握りしめられたナイフは刃渡り十センチ程度の鋭利なものだった。その気になればいくらでも人間を殺すことができる凶器を以て、少年はアンブロシアを睨みつけていた。


「………る」


 少年が動き出す。よく見れば彼の着ている服も靴もボロボロだった。少年はボロボロのスニーカーで焦土を勢いよく蹴り、アンブロシアとの距離を大きく詰める。


「これもテストってか。こんな子供を使うなんて……どっちが悪魔なんだか」

 少年がナイフを右手のナイフを逆手に構えて振り抜く。切っ先はアンブロシアの目先数寸の辺りを通り過ぎ、少年は空振りによって体勢を崩した。だが、すばやくもう片方の手にあったナイフで刺突を繰り出し、彼の腹めがけて刃を振るった。


「殺してやる‼」

「なんなんだよ、もう!」


 少年からの殺意に呼応するようにアンブロシアも闘気を露わにする。繰り出された刺突を身を捩りながら躱し、そのままの威力で少年に向けて思い切り蹴りを放つ。蹴りを脇のあたりに受けた少年は怯みながら転倒し、はずみで手から零れ落ちたナイフを急いで拾おうと腕を伸ばした。

 その時、その少年の腕を激痛が襲う。アンブロシアは自身のイメージによって一本の木刀を瞬間生成させてそれを大上段から少年の手にめがけて思い切り振り下ろしたのだ。体格からして大いに上回るアンブロシアの本気の一撃をもってすれば少年の手を骨から砕くのは容易いことだった。

「ぎゃあ!」

 腕を砕いたアンブロシアは続け様に木刀を力強く薙ぐ。弧を描きながら木刀の軌跡は少年の側頭部を捉え、木刀が中折れする程の強い力での斬り払いが少年に命中した。そこからも彼は容赦なく、再生成した木刀で少年の体を幾度も叩きつける。夢想世界では武器そのものにイメージによるバフを掛けることが可能であるため、その気になれば木刀の硬度を底上げすることも出来るが、アンブロシアは敢えてそれをしなかった。代わりに彼はまるで木刀を使い捨ての玩具のように無作法に振り抜き、木刀が折れてしまう程の滅茶苦茶な攻撃を続けている。

 何本も木刀が折れようとも攻撃を続けた彼は最後に特大の大振りを少年の顔面に叩き込み、それによって少年の体をホームランを演出するボールのように遠くへ吹き飛ばして見せた。その反動でも木刀は折れてしまったが、彼は折れた木刀をそこらへんに放り投げて腰に手を当てて立ち尽くした。


 攻撃を浴びせられた少年は全身に打撲と骨折を受け、貌は傷と血でぐちゃぐちゃになっていた。それでも少年は小さな手で地面を掴み、震えながらも立ち上がろうとする。


「殺し…る‼……ぜったいに…してやる‼‼」

「なんで僕が君なんかに殺されなきゃいけないんだ」


 少年の手にナイフが出現する。ボロボロの体で再び走りだし、刃をアンブロシアに向けて振り捌く。

 彼もまた木刀を瞬時に生成してそれに併せる。殺意を持った凶刃を木刀で受け止め、それを器用に捻ることでナイフを取り上げた。


「なんだか、白さんの後だとマジでスローで見えるな。……それに、文句を言わない練習台の良さもなんとなくわかる気がしてきた」

「殺してやる‼」

 ナイフがアンブロシアの喉元に迫る。瞬きの間に生成されたナイフは少年の手の動きに合わせてその先の空間に出現し、かなりの速度でその刺突が繰り出される。だが、アンブロシアそのまま少年の体を組み伏せて頭を地面に押さえつけ、それから思い切り顔面を殴りつけた。少年の腕がビクンと跳ねて刃を取り零し伸びた腕が力なく垂れさがる。

 動きが微弱になった少年の頭をアンブロシアは踏み抜いた。ありったけの不満をぶつけるように、自身より力のない存在にその辟易とした気持ちをぶつけた。


「………許さない」

「変なシミュレーションだなぁ。仮想的な戦いで恨み言を持ち込まれても困るんだよ」

「許さない…許さない。お前の罪を絶対に許さないッ‼」

 

 血を噴き出すように叫ぶ少年。アンブロシアはそんな彼の喉の皮に剣の切先を突き立てる。それは自身のイメージの中で強く形造ることができる唯一の武器。英淑が常に腰に佩いている片手剣だ。


「僕がお前に何をしたっていうのさ。そんで僕に何の罪があるって?」

「奪った罪だ‼」

「…………?」


「父さんの命を奪った罪‼

 父さんを夢を奪った罪‼‼

 父さんを俺から奪った罪‼‼‼

 父さんのものだった"夢の骨"を奪った罪だ‼‼‼‼」

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