第2章 緋鯉たちのゴールドラッシュ

11 招待

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 湖畔に響く剣戟の音。

 木刀と竹刀での対峙ではあるが、その持ち主の腕前の差も影響しているのか一撃一撃の武器同士のぶつかり合いに生じるには実に大袈裟なような鈍くて重い音が衝撃波のように水面を揺らしている。


「そこで下がるな!目を背けずにしっかりと敵の動きを見るんだ」

「くっ…」


 唐土の鼻先に風が吹くような攻撃が掠れる。竹刀の先が意思ある生き物のように対峙する英淑の手元で踊った。次は上か下かなどと考えているうちに彼の脇腹に強い痛みが奔り、宙に引っ張られるようにして彼の体は浮き上がった。


 彼から申し出た現実世界での武器の取り扱いの訓練だが、軽快に承知してくれた英淑による特訓には妥協がなかった。彼女自身もおそらく人に教える経験が少なかったのだろうが、とにかく我流の剣術を惜しみなく唐土に叩き込みまくる。セノフォンテ・コルデロが通販で購入している木刀も既に七本折られており、その割に英淑の持った竹刀は新品同様に綺麗な状態を保っていた。


 あまりにも唐土が簡単に倒れてしまうので、見かねてた英淑は稽古の舞台を彼らが棲む小屋が面する湖畔の、水面に隆起する荒々しい岩場の上へと移した。これならば悪い足場で緊張感も出るし、吹き飛ばしたとしても落下地点が湖ならば問題なかろうという半ば暴論染みた行為だが、それでも唐土は懸命に英淑のスパルタ稽古に食らいついていた。


「うわっぷ」

 大きく水飛沫を立てて唐土が水面に叩きつけられる。驚くべきことに彼女は宙に浮いた唐土に対して容赦なく大上段から追撃を繰り出し、そのまま湖に叩き落してみせたのだ。まさか既に湖に投げ出されて落ちるのが確定しているのに追撃が来るとは思っていなかった彼は驚きながらも撃墜し、ぶくぶくと泡を立てながら数秒経ってやっと水面に顔を出した。


「マジで容赦ないですね!」

「……んん。なんだろうな。おそらく筋は悪くないと思うんだが、如何せん君はバランス感覚が宜しくない」

「この実力差でバランスとか関係ありますかね」

 彼は近くの岩を掴んでよじ登った。何度も湖落とされているから既に服はびっしょりと濡れているが、もう気にならなくなっていた。

「バランス感覚。平衡感覚。精神的な安定感。これは全てに先立つ武術の基本だと思ってくれ。敵の動きを目で追えるだけではやたら虫を追いかけるのが得意な子供とそう変わらない。その虫の位置を頭の中で立体的な座標として認識し、自分との距離、相対的な動きの速度、ある程度の事態の予測ができて初めて手を動かすことができる。それでもその虫を捕らえることができるか、できないか。実力なんてものは所詮その程度のあやふやなものさ」

 澄ましたように言う彼女だが、唐土でも認識できるくらいには微かにどや顔が浮かんでいる。


「もう一本お願いします」

「ああ。いくらでも付き合おう。私もあまり文句を言わない練習台が欲しかっ……なんでもない」

「……………」


 飛び掛かった唐土に途端に浴びせられる五連撃。フリーズしかけた意識の中で英淑が竹刀を振りかぶる様子が見える。意を決して彼は木刀を彼女の腹に向けて差し向けるが、それは彼女の片手で容易に止められてしまった。

 彼女は片手剣使いだ。強い連撃には両手を用いるが、そうでない場合の方が多い。片方の手で彼の動きを止め、満を持してもう片方の手に握った竹刀を振り下ろす。もうダメか、と唐土が半ば諦める中、それでも彼はなんとか木刀で受けようよ腕を上げる。

 次の瞬間、木刀が粉砕して彼の体は湖に飛び込む。宙にパラパラと木屑が舞う中でボコボコと逸るような気泡が浮かび上がり、飛び出した唐土が絶叫した。


「殺す気ですかッ‼‼」

「………悪い」


 もし彼女が得物を持った状態であれば、この数日の間で唐土は百回は殺されていただろう。


――――――――――――――――――――――――


「誰が木刀仕入れてきてると思ってんだよ馬鹿垂れどもが…」

 

 食卓に並んだ豪勢な肉料理。料理名の記憶などは残っていない唐土だが、一見しただけでそれらが絶品であるということがわかった。三人暮らしの調理を担っているコルデロは極めて不服そうに所作に粗さが目立っているが、英淑と唐土がうまいうまいと言いながら食事を始めると少し鼻を高くしていた。


佐呑島さどんとうですか?」

 食事も終盤に差し掛けた頃、コルデロの口から出てきた耳慣れない島の名前が思わず唐土の口をついた。


「そう。もう二週間も前になるけど、君と一緒に戦った男の方のボイジャーがいただろう?まぁ能力見て分かっただろうけどあの二人は結構優秀な部類のボイジャーでね、特にあのキンコル号は軍や研究塔の制約をあまり受けずに独自に活動できる特権が与えられているんだ。そんで彼がこの頃手掛けていたプロジェクトが完成しつつあるってことで、その舞台である佐呑島に見学をかねて周遊旅行でもどうかっていうお誘いが届いたんだわ」

「そんな話聞いてないぞ?」

 英淑が言うも、コルデロはきっぱりと言い返す。

「アンタが唐土君をしばきあげてる間に通信が入ったんだよ。そこそこ本部連中とつるんでるあの人にメンテナンス技師がボイジャーがボコられてるの眺めてるとも言えずに苦労したんだ」

「………………」



「言われてみれば、佐呑のプロジェクトが動いている中でよくも信号鬼戦に名前が載っているとは思ったが、そうか、もう完成するのか。あれが」

「あれって何です?」

「奴が独自に企画運用を行っている新規の監獄の建築のことだ。日本にはTD2Pの支部や保養所、通信部やら倉庫がかなりの数あるが、拿捕した悪魔の僕を収監する監獄は首都に一つだけだ。それも設備的にはアメリカや中国やオーストラリアに劣るためあまりに凶悪な奴らは別の国に引き渡すケースが多かったが、そんな中でキンコルが独断で佐呑に新たな監獄を作るという企画を動かした時にはかなり賛否の声が上がって随分とTD2Pが騒々しかった記憶がある」


「まぁボイジャーなんてのは大抵その腹の裡になんかすげぇ野望でも抱えてるもんだろうけど、それでいて佐呑に監獄に先立ってTD2Pの支部を建設したってニュースにはAD2Pにいた時から驚かされたもんだよ。向こうの連中はボイジャーにあんまり興味ないけど、ボイジャーが権力を持つのは嫌がるからね」

「確かに戦績こそ華々しいが、食えない性根だというのは同感だ。周遊の誘いとはいえ、他意があると捉えてもいいのかもしれないな」


 そこで唐土は口を開く。

「でも、せっかくこの田舎から羽を伸ばせるチャンスじゃないですか?」

「んん。一応佐呑には世界遺産に登録された金山や銀山がある立派な観光地だからな。私は行ったことないがそれなりの気分転換は期待できるかもしれない……だが、天童大佐が何というやら」

「誰ですか?」

「そうか、知っておいた方がいいな。天童大佐は軍の人間で我々の実質的な上司で管理官のような御方だ。腹で何を思っているのかわからないと言えばあの人もそうだが、一応は我々の指揮命令感がある人間だと覚えておくと良いだろう」

「へぇ…軍の指揮系統とかよくわかんないですけど、わかりました。覚えておきます」


「キンコル曰く、天童大佐からは許可が下りてるってさ」

「そうなのか?」

「どうにも佐呑のプロジェクトには天童大佐含めてもっと上の人間が一枚噛んでるらしい。いや、これは俺の妄想だけどね。とにかく天童大佐だって今は佐呑にいるって話だ。もしかすると観光地巡りとかしてるかもよ」

「まさか」


 それから英淑は暫くPCと睨み合いながら項垂れていた。


「どうしました?」

「いや、わかってはいたんだが。…うーん。明日には荷造りを終えるとして、出発はそのまま夜になるか…」

「え?」

「遠いんだ。いや、近いんだが、手段が乏しい。佐呑汽船というカーフェリーに乗っていくことになるんだが、時間がなぁ」

 

 英淑はPCを閉じて唐土に向き直る。


「君、車酔いや船酔いはしないよな?」

「…………………」





「ジイさん。もしかして佐呑に行くつもりかい?」


「当たり前じゃろうが、ここで奴を屠らずにどうすると言うのだ戯け」


 空間深度5000。

 悪魔の僕、アブー・アル・アッバースの固有冠域。

 空に歪んだ壁掛け時計のような物体が無数に点在し、地面には草木一つ生えない赤い荒野が延々と広がっている世界。その世界の主である老齢のアブーは白く蓄えた髭の奥で歯をギリギリと軋ませている。


「と言っても現実世界でアンタみたいなヨボヨボの爺さんがTD2Pに挑んだって無理ある勝負でしょうよ」

 アフロの青年が言う。


「佐呑の監獄が完成してしまえば、間違いなくキンコルは本格的にを始めるぞ。直接赴いて佐呑の地で眠り、奇襲をかければあの無頼漢とはいえ戦算などいくらでもあるわい!」


「一言目から奇襲かよ。だっせぇけど、まぁそうなるのかねぇ。でも、今の佐呑であんたみたいな不審者がうろついてたらTD2Pじゃなくても不審に思うだろうに。こういうのはどうだい?あっしが佐呑島の夢想世界の座標のパスを手に入れる。そしたら一気に突入して、キンコル諸共TD2Pの支部も機能停止まで追い込むってのはさ」

 風の存在しない空間で、アフロが不敵に揺れる。

「それも奇襲だろうが」

「スタイルより確実性を優先するのがデキるオトナの考え方なんだわ」


 そこでアブー・アル・アッバースが興味深そうに顎の髭をいじりながらアフロの青年に尋ねた。

「ほぉう。貴様も何かと食わせものだが、佐呑を放っておけぬという点では同じ穴の貉というわけか」

「いちいち台詞回しがダサいんだよ爺さんは」

 

 夢想世界に扉が出現する。特徴に乏しいビジネスライクなシンプルなドアかと思えば、それはみるみるうちに形状を変化させ、数秒後には城郭の威圧感を演出するような黒々とした堅牢な門へと様相を変えた。アフロの青年はパンクロックな衣装をしゃらしゃらと音を立てさせながら歩き、出現した巨大な門の前に立つ。


「こっちの都合もいろいろあるんですわ。佐呑に監獄なんぞ出来たら困るし、あの土地にはちょっとしたお宝も眠ってるんでねぇ」


「宝だと?よもや砂金採りにでも興じるわけではあるまいな」

「…爺さん。アンタが耄碌きちまったと確信したときには、その価値の見当たらないヨボヨボの身の皮だってお友達のオークションに出してやるさ。あっしのビジネスには相互理解はいらねぇが、リスペクトがなくちゃあなァ」

「フン。貴様のようなご都合主義者に付き合ってられるものか」

「ま、それもそうさね。とりま、あっしはお友達とビジネスの話をば。言い逃げするようで悪いが、ちょっとこの冠域は加齢臭するから早急に消臭効果をモトム」


 門が僅かに開く。人を不機嫌に迎えるような不協和音が門の軋みに伴った。



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「わかったよ、父さん。アレは僕が始末する」


 子供が脚を抱えて座っている。

 耳障りな蟲の羽音ばかりが部屋に響き渡る。

 部屋の中央で布団に隠れる父親からの返事はあったのか、なかったのか。


 父親を覗き込むように見据える子供は頬に止まった虫を手に取り、口に運ぶ。

 しゃりしゃりと羽と肢体が口の中で混ざる。


「父さんの夢は僕が叶えるから」

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