しがない中年男の無謀な挑戦

丸子稔

第1話 出版社との激しい攻防

 今から数年前、小説の公募に挑戦してはみるものの、すべて一次審査で落選していた私は、このままではいつまで経っても自分の作品が日の目を見ることはないと考え、思い切って自費出版に踏み切ることにしました。


 それに先立って、まずは自費出版ができる出版社を調べました。

 初めてということもあり、オンラインではなく対面で打ち合わせのできる近所の出版社を探していたのですが、思いのほか数が少なく二、三社くらいしか該当するところが見つかりませんでした。

 私はその中から一つ選んで連絡し、後日会う約束を取り付けました。


 一週間後、指定された喫茶店に行くと、物腰の柔らかそうな老紳士が外で待っていました。


「田中さんですか?」


 私が声を掛けると、その人はニコっと笑いながら「ええ。じゃあ、入りましょうか」と言いながら中に入ったので、私も後に続きました。

 私たちはそれぞれコーヒーとホットミルクを注文すると、挨拶も早々に早速本題に入りました。


「私、自費出版をするのは初めてなんですが、自費出版する人って、結構いるんですか?」


「そうですね。最近、少しずつ増えていますね」


「やはり、私と同じように小説を出版する人が多いんですかね?」


「いえ、そうとは限りません。年配の方だと、自分のこれまで生きて来た半生記みたいなものが多いですし、若い世代だと、今まで撮りためた写真をまとめた写真集が多いですね。むしろ、丸子さんのように小説を自費出版するのは少数派ですよ」


「そうなんですか。しかも私の場合は、自分を主人公とした私小説ですしね」


「先日、電話でお伺いしましたが、タクシー運転手時代のことを書かれているんですよね? どんなことを書かれているか、私としてはとても興味深いです」


「タクシー運転手をやっていると、いろんなタイプの客が乗ってきますからね。その人たちとのやり取りを中心に、自分としては面白おかしく書いたつもりです」


「これがその話が入っているUSBですね。早速後で拝見させてもらいます」


 出版社との最初の打ち合わせは良好のまま終わり、私たちは一週間後に会う約束をして別れました。

 一週間後、指定された前と同じ喫茶店に行くと、田中さんが険しい顔で待っていました。


「小説を拝見させてもらいましたが、ハッキリ言って期待外れでした。そう思った理由はいくつかあるのですが、まず一つ目は客とのやり取りの中で、いくらなんでもこんなセリフは言わないだろうというものがいくつかあるところです。会話にリアリティがないと、ノンフィクションの良さが半減してしまいますからね。二つ目は、せっかく広島を舞台にしているのに、広島を前面に押し出していないところです。そこで私から一つ提案があるのですが、タイトルの『エンジョイタクシー』の前に『広島』を付けて、『広島エンジョイタクシー』にしてみてはどうでしょう? それと同時に、中身も少し広島寄りに変えれば、今よりも面白い作品になると思うのですが」


 田中さんの言葉は途中から頭の中に入らなくなり、最後の方は私自身が彼の言葉を完全に拒絶していました。


「タクシー運転手をしていたのは、かれこれ15年くらい前のことなので、客との会話なんて正確には憶えてませんよ。その中で私なりに面白くしようと、少し脚色を加えただけじゃないですか。あと、広島をもっと前面に押し出した方がいいとおっしゃいましたけど、私はむしろ逆だと思いますね。この小説を広島だけで販売するのならそれでいいかもしれませんが、私は全国販売を考えているので、このまま変える必要はまったくないと思います」


「丸子さん、少しムキになっていませんか? 私の言い方が悪かったのなら謝りますから、もう一度冷静に考えてみてください」


「私はムキになんかなっていませんよ! 冷静に考えた末、そう判断したんです」


 言葉とは裏腹に、私の頭の中は田中さんへの怒りで煮えたぎっていました。


「そうですか。まあ丸子さんがそこまで言うのなら、私はこれ以上何も言いませんが、本当にこのままでいいんですね?」


「ええ。お金を出すのは私なので、自分の思うようにやってみたいんです。でないと、後悔しそうなので」


 こうして私は田中さんの意見を無視して、タクシー運転手時代に経験したことを書いた私小説『エンジョイタクシー』を全国発売することになったのです。

 

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