メタバース

 改めて周りを見た。とは言っても、地平線が三百六十度、何処までも続く、だだっ広いだけの空間だった。

「このソフトの良い点は、フリーのオープンソースで、かなりの柔軟性を持っている点だ。私はアバターの操作に、AIの補完機能を付けた。」

 AI、人工知能と言うやつだ。さすがに聞いた事があった。だけど、フリーのオープンソース?柔軟性を持っている?

「このソフトには、複数人で一つのアバターを操作する事を想定した共通モジュールが用意されていてな、私は人ではなく、AIを使って、プレイヤーとAIでアバターを操作するようにプログラミングしたというワケだ。」

「……」

 わかったような、わからないような……共通モジュールって何?

「要はプレイヤーがアバターを操作する際に、AIがそれを手伝ってくれるって事だ。」

「…はぁ。」

 僕はポツンと返事をした。AIが操作を手伝うと言われても、具体的に何をするのかが全くわからなかった。

 すると乙女ちゃんのアバターが少し怒ったような顔で、腕を組み、片足で地面をコツコツと踏み鳴らす動作を始めた。

 どうやら要領を得ない僕に、少々イラついているようだ。

「そ、それで、結局何が出来るの?」

 僕がそう訊くと、乙女ちゃんのアバターはイラついた動作を止め、顔をこちらに突き出して、ニヤついた笑みを浮かべた。

 どうやら僕が要領を得ないのは織り込み済みだったらしい。イラついた動作は、結局のところ、僕がその質問を、なかなか口にしなかったためのようだった。

「!」

 僕はそこでハッとなり、ようやく気が付いた。

 何て事はない。乙女ちゃんは自分の作ったプログラミングを、僕で試そうとしていたのだ。誕生日プレゼントなんて言われて、少しでも何かを期待した自分が恥ずかしくなった。

 アバターでは、そんな現実の気持ちは伝わらないというのが、僕にとっては救いだった。

 そんな僕に乙女ちゃんはニヤついた笑みのままこう言った。

「歌ってみろ。」

 僕はたっぷり時間を使って、短く間抜けな答えを返した。

「へ?」

 そして数秒後、慌てて否定の返事を続けた。

「いやいやいや、乙女ちゃんも知ってるでしょ?僕がひどい音痴なの⁉ムリムリムリ!」

 でも乙女ちゃんは、僕の反応を予想していたらしく、僕が落ち着くまで待って、僕が黙ると、乙女ちゃんのアバターが、僕に向かってそのまま黙っていろとでも言うように、手の平を広げた。

 そして乙女ちゃんのアバターが咳払いするような仕種をすると、何処からともなく、音楽が流れ始めた。僕も知っている曲だった。

「――」

 そして乙女ちゃんが歌い出した。

「……」

 僕は乙女ちゃんの歌を聞いた事があった。下手とまでは言わないまでも、お世辞にも上手いとも言えない。そんな普通の実力のはずだった。でもその時聞いた歌は…

 …正直感動した。心が震えたようだった。

 乙女ちゃんが歌い終わると、僕は思いっきり拍手をした。とは言っても、現実世界での話で、メタバース内の僕のアバターは、ボーッと突っ立っているだけだった。

 乙女ちゃんのアバターは、そんな僕に手を差し出すと、ニッコリと笑いかけた。

「守も歌ってみろ。」

「……」

 僕はしばらく逡巡していた。恐らく僕が歌っても、同様に上手く歌えるんだろうけど、どうしても歌い出すまでの勇気がなくて、それでも先刻さっきの乙女ちゃんのように、自分も上手く歌えている姿を想像すると、歌おうかという気にもなってきて、…するとそんな気持ちを見計らったように、いいタイミングで、先刻の曲がまた流れて来た。僕は意を決して歌い出した。

「――…!」

 僕の歌は、ビックリする程上手かった。歌が進むにつれ、どんどんと、声が勝手に大きくなっていった。気が付くと、これまでの鬱憤を薙ぎ払うかのように、力一杯歌っていた。

「……」

 歌い終わると、僕は脱力していた。

 頬を涙が伝っていくのが、感触でわかった。

 そんな僕に、乙女ちゃんのアバターは、もう一度手を差し出し、僕にニッコリと笑いかけた。

「ハッピーバースデー。」

 その笑顔に、現実の乙女ちゃんの笑顔が重なり、感極まった僕は、自然と、ポツリと、その台詞を口にしていた。

「乙女ちゃん。好きです。」

 乙女ちゃんのアバターが、手を差し出し、ニッコリ笑ったまま、しばらく固まっていた。

 そして、乙女ちゃんのアバターがスンとした無表情になると、こう言った。

「そういう事は、こんな所じゃなく、ちゃんと、言え。」

 アバターの無表情とは裏腹に、その声は、明らかに照れているようだった。僕はゆっくりとゴーグルを外し、乙女ちゃんのゴーグルもゆっくり外すと、頬を赤らめていた乙女ちゃんに、もう一度、先刻の台詞を口にした。

「乙女ちゃん、好きです。」

 そしてこう続けた。

「僕と、付き合って下さい。」

 少し間があって、乙女ちゃんは僕の顔も見ずに、恥ずかしそうに、ぶっきらぼうに、短くこう答えた。

「……おぅ。」

 その日から、僕と乙女ちゃんは付き合い始めた。

 そうそう。メタバース内では気持ち良く歌っていたけど、実際のひどい音痴な僕の歌声は、道場まで聞こえていたらしく、僕はしばらく道場を避けるように行動する事になった。

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