第二話

 この年に至るまで、藩王国もまた雌伏の時間であった。

 網草英悟と、それを利用した一部急進派の乱心事件により、それを抑え切れなかった藩王赤国あかぐに流花るはなの器量を問う声が各地で噴出。ついに武力蜂起に至る。


 汐津しおづ分良わけよしなど、かつては対尾で共に戦った諸藩が帝国へと旗幟を翻さんとし、また北においても十台藩ら北の雄藩が呼応。こちらはどちらかと言えば中立、独立の気風を見せんとするも、明らかに南との連携を図る動きを見せる。


 対する王国は、赤国流花は黙して玉座より動かず。

 代わり、海外より招聘された『楽師』カミンレイ・ソーリンクルがその手元から離れる。


 彼女は自ら赴き七尾ななお藩、霜月しもつき信冬のぶふゆに北への出兵を要請。

 言うまでもなく、単純な武力では竜さえ屠る最強の戦力である。

 一月も掛からず撃滅してしまう。


 返す刀で、自国の騎馬トルバ隊を出兵させ、南東方面の同盟軍を急襲。

 筆頭家老の暴走で国力は衰退したりといえども、反乱軍の兵力は実に五倍差。

 しかしそれは必死にかき集めた雑軍であり、装備自体も旧態然としており、父祖の具足を引き出した者が大半という有様で、指揮系統も絶対的な主導権を持つ者の欠如により乱れに乱れていた。


 よってカミンレイはあえて初撃は容易に退き、彼らに優勢を錯覚させつつ当初から主戦場と設定していた海沿いの隘路の口を抑えて構えを取る。

 のこのこと長蛇となって這い出て来た同盟軍の出鼻を挫き、停滞させると同時に密かに出動させていた藩王艦隊に艦砲射撃を浴びせさせ、一気に壊滅に追い込んだのだった。


「――ほぼ、戦場の推移は対尾と同じでしょうに。相変わらず、この国の人間は過去の譜面ノゥトゥイから学ぶということが嫌いな様子」

 本拠秦桃しんとうの港に入渠したカミンレイは、むしろ敵方の不甲斐なさに口吻を尖らせた。

「あんな連中に西と海の守りをさせていた今までの状況が、どうかしていた」

「手厳しいですなぁ」

 その隣で苦みばしった笑みを浮かべるのが、海軍の総元締たる日ノ子ひのこ開悦かいえつである。

 武家サムライというよりかは、港湾マフィアの親分といった風情の中年男だった。事実、彼は元は廻船商の子として生まれ、やくざまがいのこともしていて、士分を金で買った男である。

 だが、海外の文化に触れてからは突如変心したかのように猛勉強し、操船技術や砲術のみならず、機関学、船具、測量、艦隊運用、算用能力などをその身ひとつに修めた。

 この大陸の海のことで、まず彼を上回る海軍将官などいまい、とカミンレイは目している。


「それにしては、ずいぶんを手間と時間をかけられた。謀反計画自体はすでに前々からご承知だったでしょうに」

「いっそ膿はすべて出し切ってしまおうと考えましてね。ちまちまと兵を挙げられるよりは」


 実際、小規模な反抗や一揆などが頻発していた。今回のような大規模な武力蜂起より、出兵により国力を浪費させることが目的であろう、散発的な動きの方が迷惑だった。


「……おそらく、糸を引いているのは宰相殿」

「そして我々も似たような謀を帝国に仕掛けている。一朝一夕で勢力図が塗り替わる。まるで戦国時代が如き調略合戦ですな」

 他人事のように呆れて見せる開悦に釘を刺すように、カミンレイは冷たく言い放った。


「今回の逆賊の旧領は接収。時和藩より縁者を城代ないし奉行なりを遣わして直轄支配をすることになるでしょう。貴方の役割は、いや増すこととなる」

「その地固めの間、圧倒的な『アドバンテエジ』を持つ海軍力でもって竜どもの頭を抑えつけるのが私の役目ですな。いっそ碧納のあたりに一発ぶちかますのも良い」


 新政権においては年嵩の男ではあるが、保守保身に回らず攻め気を喪わず、思考も柔軟。年下に偉ぶることもない。あるいは、カミンレイがこの国でもっとも頼りにしているのは、この男なのかもしれない。


「まぁ、七尾の大頭巾殿もおられる。牽制ぐらいは余裕でしょう」

「……」

「何か?」

「霜月信冬は……極力動かすべきではない」

 北方の異邦人は、重い口調で言った。


「……そう言えば、陛下の意向で最終的に今回の出兵が決まったとはいえ、楽師殿は最後まで反対されておられましたな。如何な意で?」

「ただの勘です」


 カミンレイにしても、漠然とした不安しかない。いっそ確たる証でも出てくれば、その首に鈴でもつけることが出来るのだが。


「人外を討つために人外の力を用いる。それは結構なことでしょうが、あまりに依存が過ぎる軍事計画を練ることに、わたくしは賛同できません」

「あの御仁とは二度三度と言葉を交わした場はありますがね、別段陛下や我々に対して二心や害意を抱いているような様子は見えませんでしたが」

 ただ、と思案顔を沈ませる。

「それこそただの勘なんですがね、話してるとどうにも何かが噛み合わねぇってか。我々と彼らの間で大事なところが食い違っている、って気がしないでもない。学なんてねぇもんで、うまく言葉にゃ出来ませんが」

「ご謙遜を」


 顔を上げた開悦は、十分に通用する程度の氷露語で


「よろしい。ではこちらでも権限の及ぶ範囲ですが、彼を探ってみましょう。海から七尾に運ばれる荷については、ある程度こちらで捕捉できる……もっとも、先生はすでに動いておられるでしょうが」

「えぇ、夏山星舟は小物ながら良い置き土産を残してくれた。彼の難癖を名目として、ダローガに七尾藩内の立ち入り調査をさせている最中です……ですが、頼めますか」

「無論です。こいつをくれたお礼をしたい」


 本来の言語に立ち返って顧みた開悦の眼差しの先にそこには黒船がある。

 今回の鎮圧戦において、開悦の旗艦はカミンレイと、彼女が招聘したい技術者たちのの指導と発案のもとに建造されたこの船となっている。


 全長六十目取。幅は十目取。砲門を六口、その他ガトリング砲など重火器を搭載。スクリュー式の蒸気内車で馬力は従来の三倍と目されている国産の新型艦である。


「いや、まことに大層な『倅殿』を頂いた。あ、もちろん国の所有ってのは分かってますが」

「『倅』、ね」


 カミンレイの表情に、初めて笑みらしきものが浮いた。


「何か?」

 それがあまりに意外に過ぎたのか突っ込んでくる開悦に、

「いえ、あくまで概念的なものではありますが、我々の文化圏では、あらゆる事物を男女に分けるという考え方でして。船とは女性的な象徴であり、逆に港は男性とされています」

「ほぉ、男は出稼ぎ、女はその間家を守るって我々の考え方とは別と……あぁいや、もはや時代的に一概にそうとは言えませんな。楽師殿の在り方を想えば」

「よってこの名も、図体を想えば可愛らしいものです」

「ベスニヤ、でしたかな。意味はなんと?」

「歌、ですよ。汽笛の音が美しく、鯨や人魚ルサルカが歌うが如く、と」

「歌……」


 それを聴いた時、ふと開悦の目元が絞られた。いかにも彼らしからぬ、感傷に耽るような様子に、今度は

「奉行殿?」

 とカミンレイが問う番だった。


「あいや、失敬……では、あえて『歌』とこいつを呼んでも?」

「えぇ、それは構いません」


 どこか安堵したかのように、かつぶっきらぼうに開悦は頭を掻いた。


 歌。そこに如何な思い入れがあるにせよ、過去を持つにせよ。

 言葉一つ、訳一つ。それでこの海を知る男を抱き込めるのなら安過ぎるというものだ。

 おそらくは彼こそが、総合的に見てもっとも安定した、最良の人材だった。

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