第22話 女の子

 俺はアオの右隣に立つ。


「兎神!?」


「いい加減にしろよ先輩、アオは最大限の譲歩をしてるんだぜ。おとなしく従っとけよ」


 俺が睨むと、テニス部員たちは一斉に一歩引いた。


「……早川! 兎神はまずいって! 2組の大平おおだいらがコイツに返り討ちにあって、今じゃ喧嘩恐怖症になってるんだぞ!」


「くっそぉ……!」


 ツレの女子たちが呆れたように鞄を持ち出した。


「後輩にビビるとかだっせ。行こう、みんな」


 他校女子はゲーセンを去っていく。

 それを見送った早川は、


「…………あー! わかったよ! 言う通りにする! つーか俺たちに、女子に暴力振る度胸なんてねーよ! 脅しだ脅し。俺たち喧嘩クソ弱です!」


 えへへ、と情けない笑いと共に男子たちは両手を挙げた。


「じゃあ、さっそく明日の朝の挨拶運動は3年生にお任せします。先輩から皆さんに連絡しておいてくださいね」


「はいはい、了解!」


 こうして、風紀委員の問題は綺麗にまるっと一件落着となった。



 ---



「怖かったぁ~!」


 電車で並んで座る俺たち。左隣に綺鳴、右隣にアオが座っている。

 隠れていただけの綺鳴が一番疲労していた。


「ごめんね綺鳴ちゃん、付き合わせちゃって。今度なにか埋め合わせするよ」


「ううん、大丈夫だよ! アオちゃんのためならこれぐらい!」


「別にお前は来ても来なくても変わらなかったけどな」


「ううっ……」


「あ……いや、でもお前のおかげでアイツがカラオケに居たやつって思い出せて、あの行動につながったわけだから、上手く問題が片付いたのはお前のおかげでもある」


 と必死にフォローするが、綺鳴は「どーせ私なんて役立たずですよー」といじけてしまった。プイッと首を横に振る様はなんと可愛らしいことか。


「……これで明日の朝はゆっくりできるよ」


 そう言ってアオは自分の肩をトントンと叩いた。


 電車から降りて、帰路につく。


「では私はこれで! お疲れさまでした!」


「おう、またな綺鳴」


「今日は手伝ってくれてありがとね~」


 十字路で綺鳴と別れ、アオと二人で帰り道を歩く。


「……」

「……」


 なんとなく話すことが思いつかなくて、無言の間が生まれてしまった。

 だけど別に気まずいという感じではない。

 不思議だな。コイツとは別に、1時間無言で同じ空間に居ても気まずさを感じない気がする。これが幼馴染というものなのだろうか。


 河川敷に足を踏み入れた頃、アオから、


「ねぇ、兎神くん」


「なんだ?」


「おんぶ、してくれない?」


 昔のアオならいざ知らず、今のアオがおんぶをねだるなんて多少の驚き。


「まだふらつくんだ。ダメ、かな」


 地面に膝をつける。


「ほらよ」


「……ありがと」


 アオは俺の背中に乗る。また、密着しないよう配慮した乗り方だ。


「兎神くんはさ、いっつも私がピンチになると助けてくれるね」

「そうか? 別にそんなことないだろ」

「あるよ。習い事が多くて苦しんでた時も、言いにくい私の代わりにお母さんに習い事を減らすよう言ってくれたし、熱を出した時も仕事で居ないお母さんの代わりに看病してくれたよね。それ以外にも、私が苦しい時はいつも兎神くんが助けてくれた」

「……覚えてねぇな」

「……嘘ばっかり」


 アオは「だからさ」と言葉を紡ぐ。


「兎神くんが不登校になった時は、今まで助けてもらった分……私が助けてあげたかった」


 俺が不登校になった時、アオは毎日家まで来て顔を出してくれた。授業の内容をまとめたノートを毎日差し入れしてくれた。

 まぁ、あの時の俺は全部無視していたわけだが。


「でも、かるなちゃまに……その役目は取られちゃったね。悔しかったなぁ」

「俺にかるなちゃまを……Vチューバーっていう存在を教えてくれたのはお前だろ。だから、お前が俺を助けたってことでもいいんじゃないか?」

「……そうかな」

「少なくとも俺はそう思ってるぞ。お前もかるなちゃまと同じで、恩人だ」

「恩人、ね……でもね兎神くん、私は……君の幼馴染になりたいわけでも、友達になりたいわけでも、恩人になりたいわけでもないんだよ」

「? じゃあ何になりたいんだよ?」

「ふふっ、教えてあっげない」


 笑いながらそう言って、アオは全身を預けてくる。

 言ってしまえば後ろからハグするような形で、全体重を俺に預けた。


「っ!?」


 昔、アオを背負った時と……感触が全然違う。

 背中に、胸の膨らみを感じる。その胸に着けられた、下着の硬さまで感じる。

 体を挟み込む、太もものやわらかい感触。

 首筋に触れるアオの艶やかな髪の毛。

 昔と違う、甘い香りが……女子の香りが鼻腔をくすぐる。


 耳に、アオの吐息が当たる。


 この感触から逃げようと体を捻っても、アオが逃がすまいと体を密着させてくる。



「……どうしたの、耳、真っ赤だよ?」



 ……へ?

 あれ?

 き、気のせいか? 今のアオの声……どこかハクアたんに似ていたな。

 そのせいか、一瞬ハクアたんをおんぶしているような錯覚に陥った。


 なんだ、これ。

 変な感覚だ。

 背中に感じる、。耳に届く、いつもと違うアオの声。

 胸が高鳴る。頭が熱い。下半身に、力がこもってしまう。

 俺がアオに、アオの体に……いやあり得ない。だってアオは幼馴染で、弟のような存在で――



「……もしかして、ようやく気付いた?」



 わざとだろうか、いつもより大人っぽい、色気のある声で、アオは囁いてくる。

 やっぱりその声はハクアたんに似ていて、俺の脳を、心を揺らしてくる。



「ねぇ、昴くん……」



 俺が、アオをなんとか異性として認識しないように、色々と言い訳を考えているのに、

 アオは、その言い訳を全て塗りつぶす言葉を、口にする。




「……私ね……女の子になったんだよ」




 夕焼けの道を、ただただ真っすぐ歩いていく。

 それから家に着くまで、俺たちは一切話すことはなかった。

 その無言の時間は永遠に感じるほど……気まずかった。

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