第二章④ 社会人になるとMPの概念が身を持って理解できる

「起きなさいツルギ。拠点ができたわ!」

 スパン、と頭を叩かれた音がして、遅れて痛みがやってきた。

 どうやら午前五時に斬新な目覚まし時計がセットされていたようで、俺は若干イラっとしながら目を覚ました。

 眠い目を擦りながらベッドのわきに目をやると、フリフリのワンピースを着た美少女が立っている。

 二秒ほどで昨日の夜の出来事を思い出し、「おはよう聖。こんな朝早くから起こすな。おやすみ」と言って布団を被りなおした。

「コラー! 寝るな!」

 ふたたびパスコーンと頭を叩かれた。

 俺は眠気と面倒さに負けたので布団を被ったまま、今日日「コラー!」なんて怒り方をする女の子ってどうよ、などとどうでもいいことを考える。

 いや、待って?

 今俺、頭叩かれたよな。

 しかも、二回。

 聖は見た目こそ女の子だが聖剣どうぐだから、俺からの魔力供給がないと動くことすらままならないはずだ。

 なんで今体を動かすことができているんだ?

 俺が恐る恐る布団から顔を出すと、楽しそうに小躍りをしている聖と目が合った。

「……あの、聖さん」

「なによ」

「なんで動けるようになったんですかね」

 そう聞くと、愚問ね、と言った表情で人差し指を突き付けてきた。

「そりゃあここが拠点になったからよ。拠点の中は自由に魔術を使えるし、自由に動き回ることができる。言わなかったっけ?」

 寝ぼけていた頭がだんだんと覚醒してくる。

 そうか、この家があの洞窟と同じような空間になってしまったということか。

「ちなみに拠点の範囲はこの部屋のみだから、あたしはこの部屋の外に出るためにはあんたに運ばれる必要があるわ。あたしを運べることを光栄に思いなさい!」

「……」

 俺は二度寝した。


 高校と大学の一番大きな違いは、授業を好きなように受講できることだろう。高校生のころまでは、一時間目は数学、二時間目は古文などとクラスで時間割が決まっており、どれだけ地理が苦手でも習う必要があった。それに対して大学では、自分の受けたい授業だけを受けることができ、時間割を好きなようにカスタマイズができる。

 

 俺も入学するまでそう思っていた。

 でもどうやら大学という場所は思い描いていたほど自由に勉強ができるわけではないらしかった。

 学部ごとに必修の講義というものがあり、それがどれだけ苦手な科目だったとしても、それを全部こなさないと留年してしまうのだ。ゲームにおけるメインクエストのようなものと思っていい。メインクエストは全部クリアしたうえで、余った枠に自分の興味がある講義を詰め込むような仕組みだ。こちらがサブクエスト。

 で、どうやら俺の学部は時間割の枠のほとんどがメインクエストで埋まってしまうようで、サブクエストを詰め込む隙がほとんどないノベルゲームのような学部だったらしい。

 そのせいで、別に興味もない専門の講義を数多くとらなければならず、毎日朝から夕方まで時間割が埋まっていた。俺の人生の夏休み、どこ行った?

 今日も例に漏れず朝早くから机に向かう羽目になっていた。昨日の新歓で先輩から「初回の授業はガイダンスだけで終わるから楽だよ」って聞いていたから舐めていたんだけど、ガッツリ数学の問題を解かされた。

 一コマ九十分は長いよ。

 一コマが九十分もあるので、二限と三限の間に昼休みがある。まだ学部内に友達がいない俺は当然一緒にご飯を食べるような相手もおらず、ふらふらと学食の方へ歩き始めた。

 初日から友達とつるんでいる一年生、何者?

 

 学食へ向かうために学内のメインストリートを歩いていた俺は、同じく一人でとぼとぼと歩いている見知った顔を見つけた。

「真帆!」

 背中からそう呼びかけると、彼女はびくりと体を震わせてこちらを向き、一瞬で顔がぱっと明るくなった。

「剣くん、やっほ」

「いまから昼ご飯?」

「うん、そのつもりだよ」

 彼女は肯定して、俺の返答を待つかのようにその場に留まった。

「……」

 これはご飯に誘えということだろうか。誘っていいんだろうか。昨日たかだか一緒に死線を潜り抜けただけの関係である俺が、こんなに可愛い女の子を昼ご飯に誘っていいのだろうか。

 ……いや、一緒に死線を潜り抜けたような関係なら昼飯くらい誘っていいんじゃないか? 結構深い仲だろそれ。

 俺は勇気を振り絞って「真帆も一人なんだったら、もしよかったら一緒にお昼でもどう?」と言った。

 真帆は嬉しそうに首を縦に振る。

 俺はほっと一息ついて、二人並んで学食まで歩いた。

「……めちゃくちゃ並んでるな」

 いざたどり着いた学食の前にはすでに長蛇の列が出来上がっていた。新入生のみんなが俺たちと同じように思考停止で学食へ来たのだろう。

「学食は諦めて、どっか外に食べに行く?」

「そうだねー、わたし三限目あるからあんまり遠くまで行けないんだよね。でも、この列に並ぶのはそれもそれで三限に遅刻しそう……」

 しかしお互いに大学初心者だ。他にご飯を食べられるスポットはよく知らなかった。

「あれ、剣くん、あそこの車ってなに?」

「ん?」

 真帆が指差した大型のトラックに近づくと、いい匂いが漂ってきた。

 それはキッチンカーと呼ばれる、その場でご飯を調理、提供してくれる移動型レストランだった。

 陽気な外国人がケバブとか売ってくれるようなやつね。

「へー、ローストビーフ丼のキッチンカーか。そんなに並んでないしここで買ってどこかベンチで食べるのはどう?」

「賛成!」

 元気よく手をあげた真帆も可愛いなあと思いながら、俺たちはキッチンカー待機列の最後尾に並んだ。

「ところでローストビーフってなに?」

「……え?」

 驚いた俺はまじまじと彼女の顔を見た。そういえば義務教育を受けていないとか言っていたし、こういう鹿には縁がないのかもしれない。

「うーん、そうだな……親子丼はわかるか?」

 まずはこの一般常識欠落者がの概念を知っているか確かめようとした瞬間、真穂が顔を赤らめた。

「ちょっ、剣くん? そういうのをあんまり大きな声で言うのは」

「いや親娘丼じゃねえよ!」

 前に並んでいた人に一瞬ちらりとみられて恥ずかしかった。

「親子丼って言うのは、鶏とその卵を混ぜてご飯に乗っける料理のことな。出汁が効いていて美味しい」

「ふうん。だから親子丼なんだね。残酷」

「ちなみに豚肉と鶏卵を混ぜて丼にする他人丼っていう料理もある。これと比べたら、まだ親子一緒に食べてもらえる前者の方が慈悲深いよ」

「種族が同じってだけで絶対親子丼の親子に血縁関係ないからね。義理の親子だからね」

 食べられる直前に初めて鶏卵が鶏肉のことをお父さんと呼んでみんな号泣する映画、ありそう。

「丼って言うのは米にかけるだけのお手軽料理なんだけど、ローストビーフ丼は文字通りローストビーフを米に乗っけた何とも贅沢なメニューのことだな」

「ちなみにのそのローストビーフっていうのは?」

「あの写真見える? あの赤い肉のこと」

 俺は立て看板に貼られているメニュー写真を指差した。ローストビーフは言葉より画像で説明した方がわかりやすい。というか俺も調理工程をよく知らない。

「え、生なの? 赤くない? 食べて平気なもの?」

「駄目なものだったらこの長蛇の列はなに!」

「でもお肉は生で食べたら駄目で、ちゃんと火を通せってゲームで学んだよ?」

 上手に焼けましたー。じゃないんだよ。ゲームには触れているのかよ。

「ビーフだからな。牛肉は豚や鶏と違って寄生虫が表面にしかいないから、中は赤くても平気なんだ。ステーキもレアとかで食べるだろう?」

 俺が適当にそう答えると、真帆は感心したように手を叩いた。

 列が進む。

「ちょっと待って。ローストポーク丼って言うのもあるけどお肉ちょっと赤くない? 嘘ついた? ねえ、嘘ついたでしょ!」


 昼休みの一時間というのは思っている以上に短い。授業を終えてから移動し、食事を入手するまでに十五分近くかかり、食事で二十分程度かかる。教室へ向かう時間も考えると実際の自由時間は十五分しかない計算になる。

 先輩方によると、ゴールデンウィークが明けるころには授業に出席する人数も減っていき、学食の混雑が解消されるらしいのでもう少し長く昼休みが取れるらしいが、俺が消えない側だという保証もない。

 俺と真帆は図書館前のベンチが並んでいるところに並んで食事をとっていた。さっきまで受けた授業の話や自分の学部の話をひとしきりした後に、勇者や魔法使い、吸血種との戦いの話をしようと思っていたら残酷にも講義が始まる時間になった。

 時計をちらりと見ると、真帆も時間に気が付いたようで「残念、三限始まっちゃうね」と言った。彼女が残念と思ってくれていたことが少し嬉しかった。

「まあ、同じ大学に通っているんだし例の件もあることだ、いつでも会えるだろ」

「うん、そうだね。あ、そうそう、サークルとか決めたら教えてよ。もう昨日のテニスサークルに決めた?」

「いや、あそこには入るつもりはないな」

「そ。わたしも。そのあたりもまた話そうね」

 微笑みながら彼女は俺の分のゴミを持って立ち上がった。

「あ、いいよ俺が」

「剣くんは次の授業理工学部棟でしょ。わたしは経営学部棟。キッチンカーは経営棟の方だからわたしがあわせて捨てたほうが効率いいよね」

 効率を引き合いに出されたら理系として引くしかなかった。文系理系関係ある?

「ごめんな、それじゃあお願いします」

「はいはーい。じゃあまたね。ばいばい」

 軽やかに手を振って真帆は立ち去って行った。

 にこやかに手を振り返す。

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