第三話『ハゲタカの夜』その5


 敷きっぱなしの布団の上で、竜の鍔が裏返っている。


「手を貸そうか?」


 そう言ったのは、襖の前に立つ切絵だった。


「……すみません」


 法力僧に頼るなど、普段の黒鉄ならありない事だったが、もはやどうでも良いこだわりだった。竜の鍔が畳に叩きつけられたあの瞬間、色々なものが彼女の中で壊れた気がした。


 ……あの少年は、二度と大花楼へは戻ってこないだろう。もうこの屋敷に、『主』はいないのだ。


 黒鉄の横顔を、鍔を拾い上げた切絵が見上げている。


、か。難儀だね。けど、彼を責めるのはお門違いだよ。普通の人間は常識を頼りに生きている。君らの事が理解できなくて、当然なんだ」


 そう言われては、黒鉄も黙るしかない。


 冷え切った鍔の中では、竜が三日月を呑もうと躍起になっている。切絵には、けして縮まる事のない竜と月との距離感が、人間とモノガミの、大槻勢十郎と黒鉄のそれとダブって見えた。


「彼、知らないんだろう? 霊気を失ったモノガミが、そのまま放置されるとどうなるのか」

「ええ」


 文机に置かれた竜の鍔に、黒鉄は触りたくても触れない。

 血の通わない、鼓動もないこの鉄の塊が、今は彼女の心臓で、魂の寝床だった。


 切絵の袈裟から伸びる健康的な二の腕が、黒鉄はたまらなく羨ましかった。彼女はこれからあの両腕で、次々に捕まえていくのだろう。モノガミである自分にはない、可能性と希望のすべてを、だ。


 少女の形をしたモノガミの視線に気付き、切絵は困り顔になる。


「君が何を考えているのか、想像はつく。大槻君を憎む気持ちもね。でもね、彼という人間は、さっきのあれが全てじゃない。……モノガミの君には分からないだろうけど、人間って、色々複雑なんだ」


 女同士の会話にしては可愛げに欠ける意見を残して、松川切絵は去っていく。


 黒鉄は実体化した指先で、八兵衛の遺品であるオイルランプに火を灯した。

 色ガラスをめ込んだランプが、薄暗い部屋の中を七色に染め上げる。ランプに使われたアールデコ調の直線的なデザインは、光の形まではっきりと色を切り分けていた。


 かつて、大花楼の主であった大槻八兵衛も、この灯火を眺めていたのだろうか? 

 これほどに寂しい、光を。



――――、ニンゲンッテ、イロイロフクザツナンダ。



 一人取り残された部屋の中で、黒鉄は誰にも聞こえないように本音を吐いた。



「知ってる。……」



 その手に、勢十郎からもらったお守りを握りしめながら。


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