第二話『ハレ、時々、ケ』その1

 七期山のふもとに位置する私立宮戸高等学校は、今年で創立百周年を迎える県内屈指の進学校である。

 戦前から続くその教育方針は、校訓である『弱肉強食・虎視眈々・事後承諾』の三語を支えに、今日まで歴史を紡いできた。かつては一介の寺子屋にすぎなかった学舎も、今は一部の施設を除き、全面改装されている。


 始業式を終えたばかりの二年A組は、新学期一発目のHRにもかかわらず、転校生の登場で色めき立っていた。しかしクラス一同がその人物を見る目は、悲しいかな、歓迎とはほど遠い。


 宮戸高校は服装自由をうたう校風だが、あまりに相容れぬ存在は敬遠される。担任にうながされるまま教壇に立った少年は、なぜかTシャツの上に赤ジャージを着込んでおり、ひどく目つきの悪い、いかにも不良然とした面構つらがまえをしていた。



「――、大槻勢十郎です、どうぞよろしく」



 勢十郎が低い声で挨拶をすると、数人の生徒がおびえたように身をすくませた。まるで草食動物の群れの中に入り込んだ、肉食動物の扱いである。


 脅すつもりはなかったが、勢十郎も誤解を受けるのには慣れている。……慣れすぎたせいで、後のフォローを怠ってしまい、いつも友達ができないという末路を辿るのだが。


 しかしその彼をして、いくらなんでも失礼だと思わせるほどの強者つわものが、このクラスには存在した。

 窓際の席の女子生徒が、わざとらしい苦笑をもらしていたのである。


「あー、大槻君。キミの席、彼女の隣だから」


 担任の無情な一言に、「はい、そんな気はしてました」と、勢十郎は卑屈に笑う。彼が観念して席まで歩いていくと、問題の女子は待ちかねたように笑顔を咲かせた。


「くっくっく、失礼。私は松川切絵だ。よろしく大槻君」

「ああ、よろしくな」


 勢十郎は席につき、あらためて彼女の顔を見た。


 ミディアムカットにした茶髪からは、細く長いうなじが覗いている。品の良い顔立ちも、抜群のプロポーションも、まるで勢十郎の好みにあつらえたようだ。

 松川切絵、美少女である。


 ところがそんな彼の下心を、切絵はたやすく粉砕していた。


「君、昨日うちの境内けいだいで捕まった人だろう?」

「……今、?」

「ああ。君が警察に捕まった七期大社しちごたいしゃは私の家だよ。ちなみに、通報したのも私」

「お前な……。俺はあの後、イカれた駐在に二時間も尋問されたんだぞ?」

「私に見つかったのは不幸中の幸いだ。父が発見していたら、もっととんでもない事になっていたぞ? 犯人をさらし首にすると言っていたからな」

「金払うから、黙っててくれ。頼むぞ」


 勢十郎は本気だった。


 HRが終わると、教室は騒がしさに包まれた。ほのかに甘い風が吹き込む窓の向こうには、グラウンドと、それを取り囲む田園風景が広がっている。


 七条市は開発を繰り返す駅前周辺と、文明の侵入を拒む七期山によって二分された街である。宮戸高校はそのちょうど中間地点に位置しており、正面には経済発展中の都市部を据え置き、そして後ろには魔境・七期山を背負っているという特殊な土地事情をもつ。

 そして山の中に住む勢十郎は、今日から片道一時間半の通学をいられていた。


「すでに色々と疲れたんだが……」


 はやくも机に突っ伏してしまう彼の背中に、切絵の陽気な声が投げられた。


「優秀な人間というものは、なにかと頼りにされるものさ。そして私は飛び抜けて優秀な人間であり、君という転入生の教育を命ぜられた。多少の根回しは行ったがね」

「最後の一言で馬脚ばきゃくを現したな。切川松絵」

「やれやれ。人の名前をわざと間違えるような不心得ふこころえ者は、教育してやらねばならないな」

「冗談だからな、勘弁してくれ」


 勢十郎が適当に受け答えをしていると、彼女は声のトーンを低くした。


「ああそうだろうとも。だから私も冗談で父に報告するのさ。注連縄しめなわを切って禁足地きんそくちに入った、ふてぶてしい曲者くせものの事とか、ねえ?」

「いや、それは生死に関わるからマジで勘弁しろ」


 馬鹿な掛け合いもそこそこに、勢十郎は周りに注意を払う。するとクラスメイト達は、「ご愁傷しゅうしょう様」とでも言いたげな表情で、勢十郎と切絵の様子をうかがっていた。

 宮戸高校では、三年間一貫して同じクラスで教育するシステムが採用されている。いくら勢十郎が難関で知られるこの高校の転入試験をパスできたといっても、すでに完成したコミュニティーにおいては、所詮しょせん異邦人に過ぎないのだろう。


「いや、単に君の顔が怖くて、話しかけにくいのさ」


 切絵がずばり核心を突いてきた。


「失礼なこと言うんじゃねえ。結構気にしてんだぞ」

「まず目つきがよろしくない。それでは人殺しだよ。あと顔面のパーツは綺麗なのに、への字に曲げた口もいただけないね。達磨のモノマネか、何かかな?」

「顔の事はほっとけ。つーか、初日に原チャで登校したのがマズかったのか」


 勢十郎が親類から聞いていた通り、大花楼の納屋には八兵衛愛用のスーパーカブが安置されていた。エンジンその他もろもろの整備状況は、きわめて良好であったが、燃料が残り少なかったので帰りに給油する事だけは勢十郎も留意している。


「せっかく転入試験まで受けたのに、初日でこの扱いかよ」

「他人の風評なんて気にする事はないさ。己を知るのは己一人で充分、とは思わないかい?」

「世捨て人ならな。何かの本で読んだけど、主観的な自己分析は現実の自分と乖離かいりしてるんだと。だから自分を正当に評価できるのは、ほとんどの場合、他人なんだよ」

「うーむ、なかなか的を射た意見だね。君、頭良いじゃないか」

「ほっとけ」


 確実に馬鹿にされている。


 そうこうしているうちに、一限の担当教諭が教室に入ってきたので、勢十郎も話を切り上げて、持参したノートパソコンを取り出した。

 新学期初日の授業は一限だけだ。『現代情報処理学』などと、小難しい科目名が付いているが、ようはパソコンの基本操作を習得するだけのお遊びである。


 進学校として名を馳せる宮戸高校だが、少子化の影響で経営難に陥った感は否めない。木造校舎を全面改装した時点で、その資金力はすでに枯渇こかつしていたのだろう。

 その結果、授業に必要なパソコン本体を生徒に持参させる、という本末転倒な事態を招いたわけである。


 さすがの勢十郎も、経営陣の無能ぶりには呆れてしまった。


「どうぞ遊んで下さい、って感じだな」

「ところがどっこい、君の行動はすべて私が監視する」


 目測Dカップの胸を張り、切絵は声高に宣言した。さらに机と机をドッキングさせた彼女は、我が物顔で勢十郎のノートパソコンを取り上げてしまう。

 残念ながら、授業は二人一組で行うようだった。


「さて、とりあえずハード内の動画と画像を拝見しようか。もし、いかがわしい物を発見してしまったらどうしよう?」

「そんなヘマはしねえよ」

「ふぅん、始末は終わっているわけだ? ならば私は、ゴミ箱から削除済みのファイルを洗っていけば良いわけだね?」

「やめてよ!」


 勢十郎が懇願こんがんすると、切絵は「もちろん冗談さ」と、毒々しく微笑んだ。


 先日購入したばかりのノートパソコンは、大枚を叩いただけあって控えめな排熱音を上げている。最新OSの立ち上がりを待つ間、勢十郎は胸元のあたりに、奇妙な冷たさを感じ取っていた。


「……ったく、


 冷気の『原因』はわかっている。

 勢十郎はうんざり顔で、シャツの下に隠していた、


◇     ◇     ◇

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