伊口千晶 ~ 3 ~

09 It trifles with an enemy

 二〇〇五年七月二十日 水曜日 七本槍ななほんやり市 私立瀬能せのう学園 高等部


伊口いぐち君、伊口君」

 一学期の終業式を終えると、千晶はそのままEDITIONエディションへ向かうため、自転車にまたがった。ところで声をかけられた。しゃら、とカバンについた小さなアクセサリーが揺れる音と共にかかった涼し気な声の主は同じクラスの倉橋瑞葉くらはしみずはだ。

「あぁ、倉橋さん。何?」

 特に仲が良い訳ではなかったはずだが、クラスの女子の中ではかなり可愛い方に入る倉橋瑞葉に声をかけられる理由などあっただろうか、と千晶は考えをめぐらせる。

 背の高い千晶に対し千晶の肩ほども身長が無い瑞葉は背の高さでは莉徒りずと良い勝負だ。しかし勝ち気で活発的な莉徒とは対照的で、優しそうでたおやかなイメージを受ける。

「ライブ、やるんだってね」

「あぁ……」

 誰に聞いたのか、瑞葉は千晶がライブをすることを知っているようだった。

「莉徒ちゃんに聴いたんだ」

「あぁ、莉徒と知り合いなんだ」

「うん、伊口君さ、なんかバンド変わったって聴いて、そしたら莉徒ちゃんと組んでるって聴いたから、ちょっと驚いちゃった」

 くぃ、と眼鏡を上げて瑞葉は言う。その可愛らしい笑顔に引き込まれつつも、千晶の考えたことと言えば。

(……何の用だ?)

「伊口君が前のバンドの時にいた時にね、私違うバンドを見に行ったんだけど、伊口君のバンドも中々いいなーって思ってて。次は莉徒ちゃんとでしょ、なんか凄い楽しみでつい声かけちゃった。ごめんね」

 少し顔が紅潮しているように見えるのは興奮しているからなのだろうか。大人しそうな倉橋瑞葉がそんなに熱く語るほどにバンドやライブが好きなようには見えない。

「や、別に謝ることじゃ……」

「ふふ、だって顔に『メイワク』って書いてあるよ」

(え!)

 千晶は咄嗟に両手で顔を抑えた。

「や、そんなことない!メーワクだなんて思ってない!」

 慌てて千晶は言う。ただ、少々周囲の視線が気になっただけだ(と思う)。私見かもしれないが、倉橋瑞葉はクラスの中の可愛い方の中でも割と上位にいるような気がする。狙っている男などごまんといるはずだ。付き合っている男がいなければ、の話だろうが。いや付き合っている男がいようがいまいが、狙っている男の数はそれとは関係ないな、と、今の話の流れには全く関係のないことを千晶は考えた。

「本当?」

「思ってないって」

 言いながら千晶は自転車を降りて押し始めた。

「じゃあライブ行っても平気かな」

「あぁ、それはもうこっちからお願いしたいくらいだよ」

 二人で歩きながら校門の方へと向かう。

(周りの視線が痛いのは気のせいであって欲しい……)

 別段千晶は瑞葉のことが好きだったとか、そういった気持ちがあった訳ではないが、こうして改めて見てみると、確かに可愛い。

 可愛いものは可愛い。

 とても可愛い。

 もの凄く可愛い。

「やったっ。じゃあ絶対行くから、練習頑張ってね!」

 いや、可愛いという認識は以前から持ってはいたが、自分とは完全に無縁なものだと思っていた。

「あ、あぁ」

 ぼんやりと答える千晶の腕をぽん、と叩いて倉橋瑞葉は小走りに去って行く。

(やー、ありゃカワイイよ……。ヤバイよ……)

 ホワホワとそんなことを考えつつ、振り向きながら手を振る瑞葉に手を振り返す。

「ほほぅ……恋じゃな?」

 すぐ後ろから聞き馴れた声がする。

「わぁ!」

「見てたわよぉ……。倉橋瑞葉とはまたお目が高いわねー」

「そ、そんなんじゃないよ。あーびっくりした」

 ドコドコと鳴っている心臓を押さえる。莉徒の声に驚かされたせいだけではないかもしれない。

「ていうか知り合いなんだね」

「ま、数少ない私の理解者の一人、かな」

 ふと表情を緩めて莉徒は言う。莉徒の悪評の噂は、たくからさわりだけは聞いていたが、どうやら莉徒だけが悪い訳ではないことも理解した。それに今Koolクール Lipsリップスに於いて莉徒はなくてはならない存在だし、千晶自身莉徒のことは一目置いている。

「そうなんだ。でも別に虐められてるとかじゃないでしょ」

「まぁそりゃね。じゃなきゃ学校なんか来ないし。それに面白そうな案件にも出会えそうだしねぇ」

 莉徒が学校をサボらずに来ているのは良いことなのだろうが、その為のネタにされてもたまらない。千晶はともかく倉橋瑞葉に気の毒だ。

「い、いやだから、別にそういうんじゃないってば」

「後ろから見てたらそうは見えなかったけどねぇ……。おほほほ」

 そりゃあ並んで歩いている姿を後ろから見ればどうにか勘違いして見えることもあるだろう。

「どう見えたっての」

「付き合ってんのかと思ったくらい」

 にひひ、と笑って莉徒は言う。女の子というものは他人の色恋沙汰が好きなのが常なのだろうが、たった今可愛いと思った女子とそんな風に思われるのは何だか妙な気分だ。

「そりゃあんだけ可愛い子が彼女だったら嬉しいけどさぁ」

「今の千晶ちゃんの彼女はベースですか」

「それじゃヘンタイだよ……」

 それだけは、どんなにモテなくても、彼女がいなくても、負け惜しみでも、言ってはいけないような気がする。

「へー、じゃあちゃんと女の子には興味あんだ」

「あ、当たり前だろ!ちゃんと莉徒だってカワイイと思ってる!」

 付き合えるかどうかは別問題だが、とは口には出さない。いや、こんなに気の強い女では恐らく無理だ。

「そりゃどうも。で?我らがアイドル倉橋瑞葉はどーすんのよ」

「どーするって、何?」

 莉徒の言うことが理解できずに千晶は首を捻る。

「ホレちゃったでしょ?」

 言われた瞬間に心臓が高鳴る。すぐに瑞葉の顔が浮かんだ。

(え……)

 今までは気にもしていなかったが、何だか急激に瑞葉との間が縮まったような気もする。

「そういうもん?」

「私に訊かれてもなぁ……」

「そうか……。こ、これはつまり、ス、スキっていうヤツか……」

 存在は知ってはいたものの、今日今この時まで全く意識もしていなかった。

 しかし、だ。

(これはつまり、アレか、いわゆる、ひとつの、一目惚れとかそういう類のやつか……)

 判らないけれど、倉橋瑞葉の顔を思い浮かべると、何だか胸のあたりが何とも言えない感じになるのだ。

 そうだ、あれだ、噂に聞くキュン、とするというやつだ。まさか冴えない、という言葉に手足が生えただけのような自分に、そんなことが起こるなどとは夢にも思わなかった。

「うわぁ、素直……。メアドくらい教えよっか?」

「……いや、いい」

 一瞬の逡巡の後、千晶は有難い莉徒の申し出を断った。

「え、何で」

「え、だってそういうのって自分で訊くもん、だよね?」

 瑞葉にとってはもしかしたらメールアドレスくらい、どうということはないのかもしれない。千晶自身も倉橋瑞葉と個人的に連絡が取れようものなら……。

(何を話せばいいんだ?)

 答えが全く浮かばない。莉徒のように同じバンドに所属していれば、いや、同じバンドではなくとも、バンドをしていればいや、最低限バンド音楽が好きならば、そうした話題は千晶にもある。だが、ただ友達や知り合いのバンドのライブを見に行く程度であれば、千晶の話題はきっと濃すぎてしまう。それはつまり、自分の好きなことだけを自分主導で喋るだけの、いわゆる、つまらない男だということになりはしないだろうか。

「まぁそれもそっか。んじゃ私も余計な世話は焼かないようにするわ。ま、頑張んなさいな」

 ばん、と千晶の背中を叩き莉徒が大変嬉しそうな顔をする。

「具体的にはどう頑張る?」

「さぁ……」

 莉徒が首をかしげ、千晶もそれに習う。

 それにしても、だ。

(ちょっと待てよ)

 何故周囲の視線が痛いままなのか、というと。

柚机ゆずき莉徒は柚机莉徒でたいへん人気がある……)

 どうやら莉徒に悪い噂が立っているのは主に女子の間で、それもバンド関係で、ということらしい。バンドにあまり関わっていない男子生徒の間ではそれほど悪い噂は浸透もせず、柚机莉徒は一部の男子生徒に人気が高いらしいのだ。

「よし、さっさと行く。俺は先に行くから、遅れるなよ!」

 倉橋瑞葉に次いで柚机莉徒かよ、ナニモンだあのクソメガネ。

 くらい思われているかもしれない。友達でもない人間にどう思われようが知ったことではないが、学校生活が居心地の悪いものになってはたまらない。

「えー!何でよ!乗っけてってよ!」

「ばか言いなさい!柚机莉徒とタンデムなんてできるかー!」

「別にいいじゃないのよ!言いたいヤツには言わしときゃいいのよ!」

 そう言って莉徒は千晶の自転車の荷台に飛び乗った。

(マジか……)

 莉徒の言うことにも一理あるとは思うが、そう簡単に割り切れるものではない。

(やっぱりとんでもない女だ、莉徒って……)



 二〇〇五年七月二四日 日曜日

 七本槍南商店街 楽器店兼練習スタジオ EDITION


「例えるならば、だ」

 練習開始十分前のスタジオのロビーにて、いつもの調子で拓が言う。

「ギタリストってのは野球で言えば四番打者な訳だ。四番じゃなくてもいい。清原きよはらとか小久保こくぼとかローズとか慎之助しんのすけだったりしてもいい訳だ」

「ホームランバッターだ!」

「そう!」

 拓の言葉にシズが口を挟む。野球のことは知らない訳ではないが、プロ野球のこととなるとさっぱり判らない。

「近頃じゃ電子楽器なんぞがしゃしゃり出てきてる訳だけど、ロックバンドにおいては常にギターってのはホームランバッターじゃなきゃいかん、とおれは思う訳」

 となると、ベースはやはりキャッチャーになるのかな、と千晶は自分がマスクをかぶり、どっしりと構えている姿を思い浮かべる。

(似合わないなー)

「ちなみにおれの勝手なイメージだけど、ボーカルは一番打者でベースは投手、ドラムは捕手に、なる訳だ」

「フロントはオフェンスでリズムがディフェンスになるってこと?」

「まぁそういう分類もできるけど、守備においてバッテリーというのは攻めができるんだな。投手と捕手のコミュニケーションで敵打者を翻弄するんだ」

「なるほど……。良く三点まではピッチャーのせいじゃないって言うよね」

 野球好きの父親がよく言っていたが、言ってしまってから後ろ向きな発言だったな、と千晶は少し反省した。

「そう。その理屈で言えば三点までは捕手、他の守備、監督のせいになる訳じゃん。するってぇと、投手ってのはそこまでは全力投球なんだよ。判る?」

(え、また俺?)

 自分のことでまた何か言い出すのか、と千晶は不安になる。ここ最近ではできる限り今までの自分の型にはまり込まないようにしてきたつもりだった。まだ足りないのだろうか。いや、充分にやり切ったという実感は千晶にはない。だから、なのだろうか。

「はぁ……」

 なんだか気の抜けた返事を返してしまう。

「ま、今日はそこじゃないんだけど。何でさ、バンドブームの時の日本の音楽がジェイロックとかいう軽々しい言葉で呼ばれてるかってことなんだ」

「また難しいことを……」

 莉徒が口を挟む。Jロックという言葉は確かにあるが、それが軽々しいかどうかは個人の受け止めかたに依るのではないのだろうか。ビートロックという言葉もあるが、それとJロックは千晶の中では大同小異だ。しかし拓の話は回りくどいこともあるが、それはそれで中々楽しいものだ。

「で、何でよ」

「リフだよ。Jロックって呼ばれてる音楽はリフをリフとして使ってないんだ。本来ロックなんて音楽はリフの繰り返しで成り立つものなのに、そういうリフを単にフレーズとかアクセントでしか使ってなかったりする訳」

「あぁ、それで-P.S.Y-サイとかスパンキンなんかは違って聞こえるんだ」

 リフレクションをリフレクションとしてしっかり使って曲を構成しているから。

「そ。割とLAメタルとかハードロックに近いところにあると思うし、彼らの根底は本場寄りってことだよね。んで、曲を創るに当たってさ、そういうところで大事なんだけど、そういうのって自分が育ってきた環境とかで変わってくんだよね」

「カンキョウ?」

 千晶は作曲という点ではほぼ他のメンバーに任せきりで、きちんと作曲をしたことがないが、今まで訊いてきた音楽によって、自身の音楽、同じロックとは言っても、人それぞれ違う傾向に傾くことは頷ける話だ。

「そ、おれなんかはガキの頃から親父にストーンズだのエアロだのを聞かされて育ってきた訳よ。だからおれが曲を作ろうとなると、リフがグルグル回ってるような曲になっちゃうんだ。そういう方が座りがイイってだけなんだけど」

「あーでも私もそうかも。洋楽で言えばガンズとかモトリーばっかり聴いてたし」

「それはここにいる全員がそうだから頷けるんだよ」

 確かに拓の言う通りだ。千晶も洋楽ならばロックンロールやハードロック、LAメタルばかりを聴いていたし、日本のロックにしてもG'sジーズ系、スパンキンの所謂Jロックではない音楽を聴いていた。

「割とシズと莉徒が弾いたりフでハマッちゃうのはそういうのが原因なのかな」

「そうだね。シズも莉徒もメロよりリフ先行でしょ。だから俺達リズムも座りがいいって訳」

「つまりは、そういう曲やってると気持ちいいし、楽しいってことよね」

 G's系の中でもThe Guardian'sガーディアンズ KnightナイトはJロックと呼ばれるようなジャンルに近い曲も多く、ロンクンロールやロカビリーのフレーバーは殆ど持っていない。だが、The Guardian's Knightが好きなシズでも、考えてくるリフレクションは繰り返しの物が多い。それはつまり、拓の言う通り、どんな音楽を聞いてきたかにも依るところは大きいのだろう。

「楽しいなー!」

「そ。そこで、莉徒がこないだ言ってたことも生きてくるでしょ」

「楽しく、ね」

 その莉徒のお陰で千晶も大分救われた気持ちになった。

「そういうこと。結局おれらはJust a Rock'n Rollerジャスト ア ロックンローラーって訳」

「ただのロックンローラーって訳ね」

「色々ぐるぐる考えてゴネゴネ言ってるよか先にヤッちまえ!って方がオレも好きだなぁ」

 確かにそれはシズの言う通りだ。自分がグルグルと同じコトを考え続けてしまうのは判っていて、それは良くないと判るからこそ。自分の技量だとか対バンの相手だとか、そういうことを気にするよりもまず、ステージに立てる喜びだとか、ステージに立って演奏できる喜びを感じたい。ライブを純粋に楽しみたい。

「ほら、千晶ちゃんもさー、お目当ての子が見にくるんだからさー。うっひっひっ」

 目を細めて莉徒が言う。よりにもよって莉徒の友達で、莉徒に目撃されている。誤魔化そうにも何も手立てが浮かばない。

「何!むにゅむにゅぼよーんか!」

 ギラリ、と目を剥いてシズが詰め寄ってくる。

「ば、ばか、何言ってんだよ……」

「ざぁんねん。スタイルは私といい勝負よ」

「……」

 莉徒の頭の位置、少し下がりバスト、ウエスト、ヒップを傍から見ていても判るほどに眺めて、

「つまらん……」

 莉徒の下段回し蹴りがシズの内腿に入った。

(自分で残念、って言ったくせに……)



(くそっ、速ぇな)

 Koolクール Lipsリップスの曲の中でも一番速い曲を演奏しながら千晶は顔を歪めた。今日は全体的にリズムが速い。

「ちあーき!」

 例によって非常に柄の悪い莉徒のしかめっ面から激が飛ぶ。

(自分だって気付くだろうが!)

 言いながら千晶は振り返り、ピックが置いてある位置を確認する。アンプの上だ。あと四小節で開放弦のロングトーンになる。

(二、二、三、四、五、六、七、八!)

 さっ、とピックに手を伸ばし、トーンバランスを絞る。フィンガーとピックではピッキングの音が違いすぎて、音のバランスが崩れてしまう。

(うし!)

 この曲はツーフィンガーピッキングではストローク的に限界がある。いつもの速さならば充分に指で弾けるが、今日の拓のドラミングでは追いつけない。

(くそ、高音が跳ねすぎてる)

 トーンバランスの絞りが甘い。練習とはいえ曲を止める訳には行かない。フィンガーピッキングに比べると、ピックでのピッキングは音が硬くなる。この曲に合ってはいるが、硬すぎるとギターの音にかぶってしまうこともあるし、高音域が上がりすぎていると音が悪い方向に歪んでしまうこともある。千晶は小節の合間の僅かなドラムのフィル・インが入るところでアンプ内臓のグラフィックイコライザーをカットした。

(よしよし、これなら……)

 弦を止めているブリッジのギリギリのところで弾くと、ベースの音は更に硬くなる。その分、音の延び、サスティンは悪くなってしまうが、グラフィックイコライザーをカットして少し音が重くなったので、丁度良い。何とかそのまま一曲を終えて、千晶は拓に視線を飛ばす。少しばかり恨みがましい視線だったかもしれない。

「ごめん、速かったわ」

「どうしよっか、ハナからピックで弾きます?本番だとちょっと走りますよね」

 千晶は言って、アンプのイコライザを調整する。走る、というのは通常のペースよりも早くなってしまうことを言う。

「うーん、きっかけにも依るかな。この前の曲ってAUTOMATIONオートメーションだよね……」

「ちょい早ですし、そっちもピックにします?」

「でも音が揃わなくね?」

「アンプのグライコとベースのトーンバランスで何とかなるけど。なんならコンパクトのグライコ使ってもいいし」

 アンプのグラフィックイコライザーでフィンガーピッキングの基本的な音を構成して、ピック奏法の音はコンパクトタイプのグラフィックイコライザーで音を整える。どちらも曲の前にオンとオフで切り替えればいい。あとはベース本体についているトーンバランスで微調整をすれば、どちらのピッキングでもいける。これは千晶の個人的なこだわりであって、セッティングはそのままでフィンガーピッキングとピックでのピッキングを使い分けるベーシストも多い。

「ちょい待ち。千晶ちゃんはどっちで弾きたいのよ」

「俺はこの曲だけに限って言えばピックかな。ただ全曲どっちかにした方がいいかなって思ってたからさ。指なら指だけか、ピックならピックだけか」

「そっか、んーじゃそこは千晶ちゃんに任せるわ」

「拓さんはどっちがいい?」

 いつもなら文句を言ってくる莉徒が珍しくすんなりと引き下がった。

(いや、俺なりの意見をちゃんと先に伝えたからか)

 多分そうだろう。莉徒はしつこいくらいに個々の意見を聞き、それを重視する。最近になって気付いたことだが、きっと莉徒は音楽のことに関してどちらでも良いだとか、何でもいいという返答を極端に嫌っているのだ。

「速くなること考えるとピックの方が安全だよな。他の曲は指でいいでしょ。別に統一するこたないよ。曲によって弾き分ければいいと思うよ、おれは」

「そっすね。シズは?」

「オレもピックのが好きだな。やっぱこの曲はトンガッタ音のがカッコいいよ」

 満場一致か。莉徒の意見は意見というよりも指針なのだろうが、千晶が優先したことにみんなが賛成すればそれで良いのかもしれない。

(先生かよ)

 内心で少しだけ笑って、千晶はもう一度アンプのグラフィックイコライザーのスイッチを入れた。メンバーみんながこのバンドに拘りを持ち始めているのが判る。ひょんなことからシズと二人で始めたバンドだったが、まさかこれほど楽しいバンドになるとは、あの時は考えもしなかった。

 何を考えているか判らないバカそうなギタリストも、小生意気なギターボーカルも最初に会ったときは不安で不安で仕方がなかった。それでも顔を突き合わせて音を出してみれば、どちらも真剣にバンドをやりたいだけだったのだとすぐに判った。

 そんな二人に対しての、千晶自身にも焦りはあった。それでも今はそんな千晶を信頼しようとしてくれている。

「そだね。んじゃこの曲はピックで行くよ。セッティングは詰めとく」

「おっけー。じゃもう一回通してやろっか」

「おけー」

 ライブが近付いてきている。セットリストも固まりつつある。

(あとは……俺の心構えと練習のみ、かな)

 厳しいながらも頼もしく、楽しい仲間に寄せられた期待にこたえるためにも。

(やんなくちゃな!)


 It trifles with an enemy END

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