第41話 『彼』の過去

「父が行方不明になったのは僕が5歳の時だった」


 アッシュは静かに話し始めた。


「祖父であるアーネスト国王から父が消えた経緯をすべて聞き、その日から僕は必死であらゆる知識を詰め込んだ。気づいたら、3年が経っていた」


 彼と同じく5歳で母を失っているリアは、当時の幼いアッシュの気持ちを想うと胸が苦しくなった。

 その想いが痛いほどよく分かったからだ。


「8歳になった僕は、エルレスト王国で生活を始めた。ちょうど、リアと出会った頃だね」


 リアはハッと気がついた。 


「そういえば、お父様は『エルダー』だって……」


 その頃からエルレスト王国で生活を始めたということは身を寄せていたのは『エルダー園芸店』だということだ。


 リアの疑問を予測していたかのようにアッシュは頷き、「ごめんね」と申し訳なさそうに眉を下げ、口を真横に引き結んだ。


「エルダー家はアーネスト王国の公爵家で『隠密』を担っているんだ。だから、今のアーネスト侯爵家のことは、ずっとエルダー家が見ていた。事前に父を救えなかったことで処罰を受けると申し出たのだけれど、僕に協力することで相殺させたんだ」


 ここまでの話を聞いたリアは、愕然としていた。自分の父がまさかアッシュの父親の、しかも王族を陥れていたなど。そして、当たり前のように平然とその地位に成り代わり、人を騙し偽ってきたなど。


「ごめんなさい、アッシュ……。お父様のこと、本当に……ごめんなさい……」


 知ってしまった事実があまりにも恐ろしすぎて、リアの身体が震える。ただアッシュから大切な父親を奪ってしまったのが自分の父親であることに謝ることしか、今のリアにはできなかった。


「なんで、リアが謝るの? リアは何も悪くない」


 アッシュは震えるリアの肩を優しく抱きしめた。


「僕はリアに救われたんだ」

「え……?」


 アッシュの一言に驚いて顔を上げたリアの瞳と、ヘーゼルの瞳が瞬きすれば触れてしまいそうなほど近くに見えた。


 二人はその近さに驚き、慌てて少し距離をとる。


「僕と初めて出会ったあの頃、リアはお母様を亡くしたばかりだったよね」


 顔をうっすらと赤くしたアッシュがリアに優しく語りかける。同じくらい頬を染めたリアがゆっくりと頷いた。


「僕が父を失った歳と同じで、どうにかして慰めてあげたかったんだけど、どう慰めていいのか、全然分からなかった。それは――僕自身、心の傷がまだ癒えていなかったからなんだ」

「え……」

「それを癒やしてくれたのが、リアだったんだよ」


 リアは未だに疑問が解けず、首を傾げた。無自覚なリアに、アッシュは思わず笑みをこぼした。


「父の使命は自分が引き継がなければと、寂しいという気持ちを押し殺したまま、死にものぐるいで、必要な知識を詰め込んでいたんだ。だから、あの頃の僕は心が決壊する寸前だった」


 心配そうにアッシュの顔を覗き込んできたリアを安心させるようにアッシュは口角を上げた。


「素直に涙を流し、お母様の墓前に花を供えていたよね。庭園から摘んだリシアンサスの花を」

「覚えて、いたの……?」

「もちろんだよ」



 ―――



『青いリシアンサスの花言葉はね『あなたを想う』なの。それとね、この白いリシアンサスは『永遠の愛』。だから、これできっと……お母さまは、もうさみしくないわ』


 幼いリアが幼いアッシュに笑いかける。泣くのを我慢し、無理に作った笑顔は、アッシュの心の中を浄化するのに充分だった。


 幼いアッシュの頬が濡れる。初めての感覚に止めどなくあふれ出る涙を流した本人でさえも、驚く。

 それをきっかけに、堰を切ったように泣き始めた年上の男の子に驚いたリアの涙は、いつの間にか、どこかへいってしまった。


 幼いリアは幼いアッシュの背中を優しく擦った。


『これあげるから、元気だしてね』


 差し出されたのは、紫色のリシアンサス。


『これにも、『花言葉』があるの……?』

『うん! お母さまとわたしの瞳と同じ色のリシアンサスの花言葉は――『希望』よ!』



 ―――



「僕は――そこで初めて花には『花言葉』があると知ったんだ。花によっては色で違う意味があるっていうことも、ね」


 アッシュはリアに向けて片目を瞑る。リアの胸が不意打ちにドキリと高鳴った。


「それからは、違う意味で必死さ。僕よりも小さいリアに負けないように花言葉を覚えたよ。一応、僕は『エルダー園芸店』の一人息子ってことになっているからね」


 肩をすくめてみせたアッシュに、「ふふ」とリアが口元に手をあて、笑った。


「花言葉を知ってから、リアの心が何となく分かるようになった。僕はリアの心の言葉に救われた」


 心が分かるようになった、といわれ、リアは目を瞬かせた。自分の心が読まれていたなど――恥ずかしすぎる。

 リアはとっさに両手で顔を覆った。


「それからしばらくして、アーネスト王国に戻らなければならなくなって、エルダー園芸店を離れることになった。それで――リアにヒマワリを渡して『約束』したんだよ」


 忘れられていたけどね、と付け加えられた言葉にリアは苦い顔をする。それに関して、リアは心から反省しているのだ。


「16歳になって、またエルレスト王国に戻り、王立学園に入学して、寮に入った。いろいろ調査が必要だったからね。あ、この前、立ち話していた教師はアーネスト王国の人間だから」


 なるほど、それでアッシュに“様”をつけて呼んでいたのだ、とリアは納得した。


「学園卒業後も証拠を見つけたり、裏付けを取ったり……僕にとっては本当にキツイだったよ」

「え……修行って……あの?」

になるための修行、ね。あの時は、一旦アーネスト王国に戻って、『家業』を継ぐ準備をしていたんだ」


 リアは大きく息を吸った。アッシュはアーネスト王国の王子なのだ。継ぐのは『王家』なのではないか、と。だとすると、平民である今の自分では婚約者にはなれないのではないか、と不安がよぎる。


 アッシュは一人で内心焦っているリアにジトリとした視線を向けて「あ、そうそう」と付け加えた。


「あと僕は王家を継ぐ気はないよ。実はね、僕には兄がいるんだ。それに――何より、今の生活を気に入っているからね。王家は兄に任せて、アーネスト侯爵家を僕が継ぐってことで話はまとまってる」


 ここまでずっと心を読まれているような感覚に、リアの背筋がゾクリとした。

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