第2話




「この後用事があるので、お先です」


「お疲れ~、今日もイラスト投稿するの?」


「ああ、そのつもり」


「私も20時に投稿するわ。アンタもちゃんと描きなさいよね」


「……分かってるよ。部長も、また明日」


「ほな、おおきに」


 2人を残してコハルは美術室を後にする。


 用事があると言っても、別にたいしたものではない。


 駅前にある大きなこの辺りで一番家電量販店に立ち寄るだけだ。


 駅から家電量販店へ直通の通路を抜け、そこからエスカレーターを使い、4階のパソコン売り場に辿り着く。


 エスカレーターを降りると、目の前には絶賛売り出し中の最新型ノートパソコンが並び、帰宅途中のサラリーマンと思わしき人が眺めていたり、どれを買えばいいのか分からないと嘆く老人が店員に質問をしている。


 そんな人達を横目で流して、人気の少ない右奥の「PCデバイス売り場」へ移動する。


 コハルの目的は、液晶タブレットを眺めること。


 安いものでも万単位になるので、高校生の懐事情であれば頑張って手に入る価格帯ではある。


 しかし、コハルが欲しいのは大きさ24インチ、値段にして30万円を超えるプロ御用達の、しかも最新モデルだった。


 お試しとして置いてあるペンを持って書き心地を確認する。セットになっているこのペンも太さが丁度いい。左側にあるショートカットキーも便利。値段相応——いや、値段以上の性能がこの電子機器の中には詰まっている。


 だが、コハルには手が届かない。


 恨めしさを募らせて値段のシールと睨めっこ。頭の中で所持金の計算を繰り返すがどう足搔いても足りない。


 ……そんなことをバカみたいにいつもやっているのだ。


 思考の外側で身体が勝手にラクガキをしていた。部室で見た今季覇権アニメのメインヒロイン。


 リコが描いたキャラクー。

 

 さすがに自分に対して嫌気が差した。まったく何をやっているのか。リコとコハルは違う。


 そんなことは分かっている。


 でも、これ以上は心が持たない。


 一瞬、躊躇ってからペンを手放すことにした。

 



     *




 家電量販店の自動ドアを潜り抜けると、外はすっかり暗闇に包まれていた。少しばかり寒い空気が身体を横切っていく。


 もうすぐ季節は冬。ポケットに手を突っ込んで雑踏の中へと混ざって行く。


 ここから自宅までは徒歩30分程度。家電量販店と自宅のちょうど中間地点に学校が位置している。その為、部活を終えたらしい同じ服を着た男女とすれ違う。同じ学校に通っているからと言って、知り合いとは限らない。特に反応を示すこもなく、そのまま通り過ぎた。


 だが、人混みの中で仲良く談笑しながらこちらに向かってくる女子2人組を見て、コハルは慌てることになった。


 リコと千駄木だ。


 用事があるからと言って先に抜け出した手前、こんなところで再会するのはいかがなものか。悪いことじゃないが、なんとなく気まずい。


 とっさに歩道の脇あったポストの後ろに隠れる。


 通行人から変な目で見られているが、彼女たちに見つからないことを祈った。


 幸い、2人は会話に夢中になっているせいか、コハルに気付くことなく通り過ぎて行った。


「ふぅ……」


 それにしても、2人が一緒に帰宅しているなんて珍しい。特にリコはコハルの家のすぐ近くに住んでいるので反対方向だ。


「気になるな」


 何が目的なのか、考察すればするほど彼女たちのことが気になってきた。やってはいけないと思いつつ、コハルは2人の後をこっそり付けることにした。


「部長は液タブってどこのやつ使ってるんですか?」


「そりゃあ勿論、アレや、アレ」


「何ですかアレって?」


「知らんがな。機材の名前なんてイチイチ覚えとらんで」


「そんなんで、どうして私よりも絵が上手いんですか。才能って怖いです」


「そりゃあ油絵に関してだけやないか」


「油絵だけじゃないですって。あ、そうだ。デジタルでも油絵っぽいこと出来ますよ。描いたことあります?」


「ほ、ホンマかいな!? そんな機能が!?」


「もー、なんで知らないんですか。部長って現代人ですよね?」


 会話を盗み聞く限り、コハルがいる時よりも仲が良さそうだ。男がいると気を遣うってやつだろうか。


 しばらく歩いて閑静な住宅街に辿り着いた。この近くに千駄木の家があるはずだ。リコはこのまま千駄木の家へ遊びに行くのだろうか。


 陽も落ち切って、辺りはすっかり暗い。これ以上2人の後を追っても、ただのストーカーだ。事の顛末は明日にでも尋ねてみよう。踵を返し、今度こそ帰ろうとしたその時――。


「きゃあああ!!!!」


 この声はリコの悲鳴だった。慌てて振り返り、曲がり角を抜ける。千駄木の声は聞こえなかった。一抹の不安が足取りを重くする。


 予感はもっと悪い意味で的中した。


「な、な、え、なっ、何を…………」


 コハルは魚の様に口をパクパクさせてから、慌てて口を塞いだ。


 ジリジリと鳴る切れかけの街灯に照らされた2人。


 リコはぐったりと虚空を見つめ、千駄木はその傍らに座り込み何かをしている。


 排水溝に滴り落ちる赤い液体。


 ぐちゃぐちゃという不気味な音。


 コハルは街灯の照らす地面へと踏み出した。


 何者かが近づく気配を察した千駄木が、勢いよくこちらを振り返る。


 好奇心は猫を殺すとは言ったものだが、それを言うならコハルは愚かな猫だった。




——千駄木は口元から血を滴り落としながら、リコの右腕を頬張っていたのだ。





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