第34話 届かない



「こんにちは、伊織 紗枝さん」



「……っ!」


 俺の声によほど驚いたのか、伊織さんはビクッと身体を震わせ、恐る恐るこちらに視線を向ける。


「どうしてお前がここにいる……とか言いたいと思うけど、俺が先に質問。ねぇ、伊織さん。どうして君は、こんな所にいるの?」


 ここは人気のない演劇部の部室で、今はもう3限の授業が始まっている時間だ。何の目的もなく、こんな場所に来るのはおかしい。


「……貴方には関係ない」


 それだけ言って、そのまま立ち去ろうとする伊織さん。けれどここで見逃すほど、俺も甘くはない。


「待て待て。まだ質問の答えを聞いてない。どうして君は、こんな所にいるのさ」


「だから、貴方には関係ない」


「強情だな。でもいいの? 帰って。気になるんじゃないの? ハムスター……中佐が、ここにいるのかどうか」


「……!」


 伊織さんは目に見えて動揺する。俺は笑う。


「この部室には、もうハムスターはいない筈だ。なのに雪音や村上くんが、朝からいろんな場所でハムスターの話をしていた。『演劇部にハムスターがいる。凄く可愛い。今朝も触らせてもらった』そんな噂、普通の人にとってはどうでもいいことだけど、ハムスターを連れ去った犯人は違う。犯人だけは、連れ去った筈のハムスターがまだ部室にいるなんて噂を聴いたら、確認したくなるよね?」


 それでも、こんなに早く餌に食いつくとは思ってなかった。今日の放課後か……或いは、もっと遅い時間に来る可能性もあった。そもそも、この子が演劇部の部長である三島さんと仲違いをしていなければ、素直に部活の時間に訪ねたかも知れない。


 『久しぶりに様子を見に来たの』とか、適当なことを言われたら、それ以上は追求できない。……結局、この女は自分で墓穴を掘っているだけだ。


「……貴方が何を言っているのか、私にはよく分からないわ。変な言いがかりをつけるのは辞めて。迷惑よ」


「だから待てって。……それに実は俺、今朝この演劇部に来ててね。偶然、君が部室から出て行く姿を見たんだよ」


「嘘ね。私はそんなに早く、登校なんてしてないわ。クラスの子に聞けば分かることよ。第一、どうして私がハムスターを……中佐を殺さないといけないの?」


「詩織の指を噛んだから、だろ?」


「────」


 伊織さんの顔色が変わる。俺は淡々と言葉を続ける。


「詩織が最近、この部室に遊びに来たと部長の三島さんから聞いた。というか最近は君たちを放っておいて、よくこの部室に来てたらしいね? あいつ。そしてそこで詩織は、ハムスターに噛まれた」


「……だから私が、ハムスターを殺したと?」


「君も葛藤はしたんだろうけどね。実際、どうなの? 生きてるなら早く戻してあげて欲しいんだけど。……本当に殺したの?」


「……しつこいな。私はそんなことやってない」


「白々しいな。詩織に言いつけてやろうか? 伊織さんは平気で動物を殺せる外道だって」


「……うるさい。本当に……うるさいよ、お前」


 伊織さんが歯を噛み締める。がりっとした音が、俺のところまで聴こえてくる。伊織さんがこちらを睨む。爛々と輝く、泣きそうで、壊れたような潤んだ瞳。


 伊織さんは、叫んだ。


「ああ、うるさい。うるさいうるさいうるさい……!!! ハムスターを殺したのは、お前だ! ……そうだ! お前だ! 黒板にそう書いてあったじゃないか! 私の所為にするのは辞めろ!!」


「……あーあ」


 思ったよりもずっと簡単に、挑発に乗ってくれた。ここまで馬鹿で……というより、ここまで追い詰められた人間は、まともにものを考えられないのだろう。


「ねぇ、伊織さん。どうして、黒板のこと知ってるの?」


「…………どういう意味よ?」


「そのままの意味だよ。『未白千里がハムスターを殺した』。あの落書きは、誰かに見られる前に雪音が消してくれたんだよ。なのにどうして君が、そのことを知ってるの? そんなに早く登校してないって、さっき自分で言ってなかったっけ?」


「……! い、意味が分からない。……違う、そうよ! それは偶々、クラスの子たちが話してるのを聴いただけ!」


「君、雪音と同じクラスなんだろ? 雪音が楽しそうにハムスターの話をしている中で、ハムスターを殺したなんて噂をしている人間が本当にいたの?」


「それは……」


 言い淀む伊織さん。目が泳いでいて見苦しい。


「伊織さん。君は、詩織の取り巻き……親衛隊だっけ? まあとにかく、君たちは内輪揉めをしていた。方向性の違いとかなんとか詳しい理由は知らないけど、君たちは揉めていた」


 俺はゆっくりと伊織さんの方に近づく。


「そんな時、君は偶々黒板に書かれた落書きを見て、利用できると思った。君は影に隠れて落書きを続け、邪魔な人間を排除していった。けれど気づけば、周りから人がいなくなっていた。無茶なやり方をしたせいで、君は周りから拒絶されるようになった」


 孤独に慣れていない人間が突然1人になると、まるで世界から取り残されたような気持ちになる。正常な判断ができなくなる。


「君は焦った。何もかもを捨てて詩織のそばにいることを選んだのに、当の詩織本人からも距離を置かれるようになったから。君は考えて、考えて、考えて。そして、自分を標的にすることを選んだ。被害者になることで、君は詩織に憐れんでもらおうと考えた」


 詩織は別に強者を求めていない。愛される為には、強くある必要なんてない。


「でもそれもあまり、上手くいかなかった。それで……それで君は焦って、俺と詩織が付き合っているなんてことを黒板に書いた。真偽を詩織に問い詰めることで、無理やり詩織と関わろうと考えた。無論それも、上手くはいかない。そして君はまた焦って……ふと、思い出した。詩織の指の怪我。詩織を傷つけたハムスターを殺せば、また構って貰えるんじゃないかと考えた。……人間、切羽詰まるとろくなことを考えない」


「…………」


「なんだよ、黙り込んで。違うんなら、否定してくれて構わないよ? 今あるのは状況証拠だけだから、君が惚けるなら俺にできることは何もない。……まあもっとも、一連の出来事を詩織に伝えたり、取り巻きたちに噂を流すことくらいはできるけど」


「やめて」


「……うん? なんて?」


「……やめて、お願い」


 伊織さんは、潤んだ瞳でこちらを見上げる。


「分からないな。君は俺に、何を辞めて欲しいの?」


「詩織様に嫌われたくないの。これ以上、1人になりたくない!」


「だから、何を辞めろと?」


「私は……私はもう、誰かに嫌われるのは嫌なの! 何でも……何だってするから! 私を許して!」


「アホか。嫌に決まってるだろ? どうして俺が、頭の下げ方も知らない馬鹿の言い分を聞いてやらなきゃならない? そっちは散々、変な噂を流した癖に」


 こちらに伸ばした伊織さんの手を、払い除ける。この女、本当に何も考えてないのか?


「……辞めて。辞めてよ。どうして分かってくれないの? 違う……違う違う違う!! やめて! やめて! 詩織……詩織様に言うのは辞めて!! 何でもするから、あの人にだけは……嫌われたくないの!! お願い!!」


 涙を流して、俺の脚に縋りつく伊織さん。……何なんだ、この女は。ものを考えているようで、何も考えていない。偉ぶる癖に、少し突かれたくらいですぐに壊れる。どうしてどいつもこいつも、もう少しものを考えないのだろう?



 ……張り合いがない。



「伊織さん。君が罪を認めるなら、俺は──」



「紗枝! どうして……どうしてなんだよ……!」


 そこで部室の扉が開いて、やって来たのは村上くん。彼は俺の足元で震えている伊織さんを無理やり立たせ、真っ直ぐに彼女を見つめる。


「答えろよ、紗枝! どうして! どうしてお前は、人を傷つけるような真似をした? どうして、自分を蔑ろにするようなことをした? どうして……どうして俺を、頼ってくれなかったんだ! 答えろよ!!!」


「…………」


 村上くんの叫びに、けれど伊織さんは何も答えない。……ようやく来たか。村上くんがここに来ることは、無論、想定済みだ。


 彼が今朝、俺を疑わなかった理由。考えなしに声をかけて、無理にでも犯人を見つけようとしていた理由。……きっと彼は、初めから伊織さんを疑っていた。幼馴染で初恋で、親衛隊でも側にいたんた。彼女のことを誰より近くで見ていた彼が、異変に気づかない訳がない。


 村上くんは、伊織さんが間違ったことをしていると気づいた。それでも彼は伊織さんを信じたくて、別の犯人を探し回った。……本当に純粋な奴だ。結局、その努力は報われなかったが。


「……離して。村上くんには関係ない」


 そこまで想われているのに、伊織さんの態度は他人行儀。村上くんは益々、顔を赤くする。


「なんだよ、それ……。関係ないことねぇよ! なんでだよ! なんでこんな真似をした? なんで? 詩織さんなんだよ! なんで俺じゃ駄目なんだよ!! こんなことして、誰が喜ぶと思ってんだよ!!!」


「……だから、関係ない。……言っとくけど、村上くんの気持ちには気づいてた」


「……!」


「村上くん、昔から分かりやすいもん。でも私には、詩織様しかいないの。貴方と付き合うなんてことは、絶対にない」


「……っ!」


 明確な拒絶。村上くんの手が震える。


「…………なんでだよ。なんで俺じゃ、駄目なんだよ」


「貴方が駄目なんじゃない。私は詩織様がいいの。……それだけ」


「……意味わかんねぇ」


 村上くんの声が震えている。伊織さんはそんな村上くんを一瞥して、そのまま立ち去ろうとする。……が、ここで見逃すことはできない。


「待てよ。まだ話は終わってない。……ハムスター、本当に君が殺したのか? 君も、部長さんと一緒にあの子を見つけたんだろ? 可愛がってたんだろ? 詩織の為だからって、そこまでしていいのかよ?」


「…………私は、殺してない」


 伊織さんは消えいるような声で呟いて、そのまま部室から出て行ってしまう。……一応、今の会話は録音してある。彼女がしらを切っても、逃げることはできない。というか、何をしてでも逃がさない。


「……なあ、千里」


 伊織さんが立ち去った後。村上くんは涙を堪えるように天井を見上げて、口を開く。


「なに?」


 と、俺は普段通りの態度で言葉を返す。


「紗枝のこと、俺に任せて貰えないか?」


「それはできない。動機はどうれ、あの子にはちゃんと俺が責任を取らせる」


「でも──」


「あいつは悪くないとか、そんなことを言うなら俺はお前を軽蔑するよ。いくら好きだからって、許していいことと駄目なことの線引きくらいはちゃんとしろ」


「……すまん」


 村上くんは腕で目元を覆い、しばらくそのまま動かなかった。結局、今回もまた気持ちのいい結末にはならなかった。



 ◇



「はぁ……はぁ……」


 伊織 紗枝は乱れた息を必死になって整える。彼女が千里たちと話した後。逃げるように廊下を走って、人気のない空き教室にやって来た。今さら教室に戻っても、授業なんて受けられない。……そもそも自分にはもう、頑張る理由がない。


「…………」


 先ほどの千里の視線を思い出す。……手が震える。詩織が千里を特別視する理由。その一端が分かったような気がして、伊織は歯を噛み締める。


「どうして、あいつばっかり……」


 そこでスマホに着信音。メッセージが届いた。


「……え?」


 画面に表示された内容を見て、伊織の顔が青くなる。メッセージの相手は、今1番会いたくない人物。……華宮 詩織。彼女から届いた端的で遊びのない文章。それを見て、伊織は思わずスマホを落としてしまう。



『放課後、君と2人で話がしたい』



 それは伊織にとって、死刑宣告と同じ意味を持つ言葉だった。


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