◆花贄と蛇神◆

ナユタ

第1話 蛇

 昔々に若気の至りで悪さして、お節介な旅の坊主に取っ捕まってこの地に楔を打たれて幾星霜。


 楔もとうに朽ち果てたし別に反省なんかしてへんけど、暴れるのも飽きてきたところやったからダラダラ居座ってるうちにだいぶ丸くなった身としては、人間の方がよっぽどやと思うことはままあるけど……。


「いやいや、無理やろ。急に贄とか言われても可哀相やんか。子供やで?」


 正直、ほっといたら十年はざらにうちに近寄ろうとせえへん麓の人間が、わざわざ列なして来た時から嫌な予感はしてた。差し出された贄とやらを見て、やっぱりなと思うたおれは悪ないはずや。


 いくらつい最近水害と山崩れがあったからて、全部姿も見えへん我の仕業や思うて勝手に恐れた挙げ句、巨岩の隣に建てられた祠の前に年端もいかん娘置いてくとか鬼畜の所業やろ。しかもご丁寧に目隠しと縄で自由まで奪って。


 こっちからしてみたら天災より人災の方が防げる割に怖いと思うねんけど。


 第一好みでもない人間の子供一人もらったくらいで肩入れしたら、えこひいきも甚だしいやろ。そもそもこの祠におんのが女神おんながみやったらその女児どうすんねん。色々と考え浅いやろ人間共。


 痩せぎすで見映えの悪い子供は泣くでもなく我慢強ぉ座ってたけど、そのうちフラフラ揺れだして地面に倒れた。勝手に連れてこられて勝手に縄張りで死なれても目覚めが悪い。


 そう思うていざ岩の上から身を伸ばしたはいいものの、目が覚めた時に目の前におんのが巨大な白蛇いうのも可哀想な気がして。不本意やったけどさっき逃げ帰った人間共の姿を思い出しながら、久方ぶりに人化することにした。


 まさか昔人間のふりして捕食しとった杵柄を、人間の子供のために使う日が来るとは思わんかったけどな。


 ――……で。


「かみさま、わたしをたべてください。それでどうか、むらのわざわいをとおざけてくださいませ」


 目隠しと縄をほどいてしばらく。起き抜け早々に自分の立場を言い含められとったらしい子供は、我の顔を見るなり四つ指をついてそう言うた。


 艶のない黒髪と同じく珍しくもない黒目。痩せぎすの小さい身体には、幾つか折檻で受けたような傷もあった。あいつらはどの口でこの子供を供物と言うたんや。いや……案外口減らしのついでに願っとこうとでも思たんやろな。


「あんな、ちびっ子。それで“はい、そーですか”言うと思うか?」


「でもひろわれてから、ずっとむらのやくにたてっていわれてたんよ?」


 教え込まれとった台詞は冒頭の食べてくれ云々で使い果たしたのか、あっさりと見た目通りの子供らしい話し方に戻った娘は、肩につくかつかへんかくらいの艶のない髪を弄ってそう言う。


 話の内容からするによそから口減らしで集落に捨てられたか、親が先に死んだか。どっちにしても胸糞の悪い話ではある。


「悪い大人に搾取されっぱなしやなお前。子供相手にえげつないことしよる」


「ようわからんけど……でもかみさまがわたしのこといらへんねやったら、わたしはどうしたらええやろか?」


「好きにしぃなて言いたいとこやけど、その“好きに”が分からんねんもんな」


「うん」


「ほな、どうせすぐ集落帰っても殺されるだけやろし、何をしたいか選べるようなるまでここにおったらええんとちゃう? ちょうど我も暇してたとこや。話し相手にでもなってくれ」


「ええよ!」


 何でそんなこと言うてもうたんかとは思たけど、目の前ではしゃぐ子供を見てたら何やもうそういうことでもええかと思うて。ついでに飽きたら食べられる備蓄として置いとこうくらいの気持ちで、贄と我の奇妙な同居が始まった。


***


 ――……そうして一年。


「なぁなぁ、かみさま。わたし、そろそろたべられそう?」


「まだまだ無理やな。小骨が多そうで喉に刺さってまうわ」


「あかんかー……もっといっぱいたべて、おいしそうなるからまっててな?」


***


 ――……何やかや三年。


「どうしよ神様、たくさん食べたら背が伸びてしもた。まだ丸呑みできる?」


「おお、いらん心配やなー。今のお前二人縦に並べても丸呑み出来るわ」


「ほんま? ほんなら今度は頑張って美味しそうなお肉つけるわな!」


***


 ――……どっこい五年。


「結構美味しそうになってきたんと違うやろか? な、私から良い匂いする?」


「んー……そやなぁ。ボチボチやわ。まだまだ小骨の方が多そうや」


「あはは! 神様、こんな辺鄙なとこで美食家気取りは格好悪いで?」


***


 ――……やれやれ八年。


「なぁ神様、そろそろどうやろ」


「またそれか。今は別に腹も減ってないし備蓄に回す言うてるやろ」


「ちゃうわ! わ、私も性的に美味しそうになったと思うから、その……番にどうやろて言うてんの。こんなん女子から言わせんといてよ恥ずかしい」


「恥ずかしい……なー。それが毎日人に抱きついて寝る小娘の言うことかいな。もっと恥じらいの何たるかを身につけたら考えたるわ」


「ほんまやね? 約束やよ?」


***


 ――……節目の十年。


 今日まで生きてたことを祝って欲しい言うあいつにせがまれて、我がほんの数日祠を離れて雷が落ちた山に沸いた酒を汲みに行っとる間に、あいつはまんまと攫われとった。


 あいつは自分で自慢するだけあって年々美味そうになっとったから、人間共があの匂いを嗅ぎ付けたとして不思議はあらへんかった。


 どこで見られとったんかは分からん。けどあいつを供物に差し出された日から、麓の集落のことは気にかけといた。結局はえこひいきや。


 いつかあいつが帰りとうなって山を下りても大丈夫なように。人間として帰る場所を残しといたろうと、らしくもない甘い考えを持った。それが、その答えが、あいつのために建てたった小屋を燃やした残骸やとしたら――。


「あーあーあーあー……けったくそ悪いなぁ」


 蛇は獲物を盗られるのは大っ嫌いやねん。そんくらいのことも忘れよったか。脳裏に浮かぶんは花のほころぶみたいな笑みと、冗談めかして自分で言うたことに照れよる姿。


 今はもうあいつの全部が全部可愛い見える。嗚呼、ほんまに憎らしい。これが痘痕あばた笑窪えくぼか思うほど大事に大事に護ってきた珠玉を、ようも汚い手で盗みよったもんやわ。


「こっちが大人しゅうしといたったら平和ボケしよってからに」


 この十年ですっかり板についとった人化が解ける。


 全身が白い鱗に覆われていく。


 あいつと違う、腕も脚も持たへん姿に戻っていくのが、何でか今夜は無性に腹立たしい。祠と巨岩を抱き潰せる身体に戻ってゾロリと伸び上がった視線の先には、暢気なもんで、集落の中心にある庄屋の屋敷に目一杯篝火が焚かれるのが見えた。

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