3

「おじゃまします。」

 聞き覚えのない声が玄関からした。

「ただいま。」

 こっちは知ってる声、お父さんだ。玄関に行ってみると知らない人と立っていた。

「この人が、透過症を知っていた友だちのササキ先生だ。」

「初めまして、タケルって言います。」

 ササキさんは、呆然としている。

「初めまして、ササキです。いや、実際に透明になった後の患者さんに会うのは初めてで、ビックリしてしまったよ。」

 そういうことか、服だけが浮いている姿を見れば、話を聞いていたとしても誰だってビックリしてしまうだろう。

「じゃあ、さっそく話をしようか。」

「はい。」

 この時、僕は小学校に入学したばかりの年齢で、今思えばこんな話をされる歳ではなかったと思う。でも、ササキさんの「どんなに子どもでも真実を知って向き合うべきだ。」という言葉から、この話を聞くことになった。

 僕の病気は今のところ治る方法がないらしい。何が原因であるかも分からない奇病には対処したくても出来なくて、見えない存在を認めてはくれない状況であるために、研究されることもほとんどないそうだ。今までササキさんは一人だけ、透過症患者に会ったことがあるらしく、その子が病院に来られなくなった後の様子を教えてもらったようだった。でも、その子は十七歳で失踪したそうだ。

 失踪……本当は失踪ではなく、誰にも見えないから死んでしまったことに気付いてもらえてないのではないかと、そう思ってしまう。

「その子の失踪を聞いて色々と調べたんだ。他の透過症患者を知っている人がいないか、その子がどうなったのかと。」

 ササキさんは言いにくそうにしている。いい話ではないみたいだ。

「何人か知っている人が居たんだけど、みんな十八歳にならずして失踪している。年齢はバラバラなんだけど、なぜか十八歳になった人は居なかったんだ。」

 僕への遠回しな余命宣告だった。十八歳までは生きられない。そう言われたようなものだ。ショックは大きかった。僕だけじゃなくお母さんも一緒に泣いている。お父さんは、きっと最初に聞いていたのだろう。

「でも、僕はずっと研究をしている。君のお父さんと協力すれば治す方法を見つけられると思うんだ。」

 言葉は理解できるし、言っていることもわかる。でも、もう希望なんて持てるはずがなかった。お母さんを出来るだけ悲しませないように、生きれるだけ生きていれればいいとそう思った。

 希望を失ってしまったと言っていい僕は、お母さんの手伝いをしながら、時々外に出て同級生であろう子達を見て心の支えにしていた。僕もあの中に混ざってこんな風に遊ぶんだって想像をすることが楽しみになっている。そんな中、お母さんは今も勉強を教えてくれている。

「治った時に勉強が出来なかったら困るもんね。もっと勉強頑張ろうね。」

「うん。僕頑張るよ!」

 治るなんて思っていない。多分、お母さんも本当は治るとは思っていないかもしれない。でも、治ると信じていないと耐えられないのだろう。優しく「いい子だね。」と頭を撫でながら微笑むお母さんを見て心が痛くなった。


 元教師のお母さんは、勉強を教えるのが上手かった。進むスピードも学校とは違うから、色々なことを教えてくへえ、多分その辺の同級生よりは頭がよかったと思う。でも、学校に通うことは出来ない。徐々にその思いは強くなってしまった。どんなに勉強が出来るようになっても、学校に通えるわけではない。今までは、学校へ通うことを想像していた。でも、現実を見てしまうとどうしようもなく暗い気持ちになってしまう。もう、考えないようにしよう。小学校一年生なのに変に精神的に育ちすぎてしまっていたように思う。そこからは、何も考えずに勉強をして手伝いを続けていた。お父さんも週に一度帰ってくるかどうかの生活になっていて、家は寂しいものだった。僕とお母さんは仲良しのままだったのが救いだったと思う。そんな代わり映えのしない日々はすぐに過ぎていった。

 数年の時が過ぎて、僕は中学二年生の歳になった。小学六年生くらいの頃から、お母さんは体調を崩しやすくなり家事は基本的に僕がやっていた。

「今日は何が食べたい?」

「タケルの作ったものならなんでもいいけど、そろそろ買い物に行かなくちゃいけないんじゃない?」

「今日、父さんが帰ってくる日だから、連絡しとくよ。」

 前までのように父さんは、週に一度しか帰ってこない。お母さんも体調があまりよくないから、帰ってくるタイミングで色々買い物をしてもらっている。どうしても、すぐに必要なものはお母さんが買い物に行ってくれるけど、そんなことはさせたくない。

「ありがとうね。タケル。」

「お母さんは気にしないで、ゆっくり休んでなよ。」

「本当だったら、タケルも学校に通っててそれどころじゃないはずなのにね。」

 お母さんの口癖のようなものになった、その言葉を聞きながら料理を作り始める。正直、最近はそんなことを考えることもないなったし、お母さんが心配だから今の状況に感謝しているくらいだ。

「気にしないでいいんだって。料理を作るのは好きだし、勉強だって出来てるし、満足してるよ。」

 本音だ。もし治るようなことがあれば料理人になってみたいと思う。治ることなんてないのだろうけど。

 ずっと、お父さんは治す方法を調べてくれているみたいだけど、なんの進展もない。僕自身、他の病気にかかることはないけど、透明なのはずっと変わらない。自分で買い物ができないこと以外に困っていることはないけど、治ればお母さんの負担を減らすことが出来るのにな。元はと言えば、お母さんが体調を崩しがちになったのは僕のせいなのだから。

 お母さんが体調を崩し始めた頃、いな、きっかけと言うべきか。僕の心が荒んでいた時だった。歳で言えば、中学一年生になったばかりで、透過症になって何年も経ち、その状況に慣れていた。でも、心は限界を迎えていたのだ。なんで僕ばかりこんなことにならなければいけないのかと、家事も手伝わずに外を歩き回っていた。気をつかってくれるお母さんにも、治す方法が見つからずイライラしているお父さんにも会いたくなった。ただ、現実から目を背け逃げていたかった。そんな僕との接し方が分からなくなっていたお母さんは疲れ切っていたんだと思う。そんな時に僕は、お母さんに言ってはいけない類の言葉をぶつけてしまった。

「タケル、今日も出かけるの?」

 服を脱いでいた僕にお母さんが問いかける。

「うん。遅くなる。」

「危ないから、気をつけてね。雨降るみたいだから早く帰ってきた方がいいよ。」

「気にしないでいいよ。風邪なんてひかないんだから。」

「でも……」

 心配しすぎるお母さんが鬱陶しく思ったのか、僕はイライラしていた。

「うるさいな。僕は治らないんだよ!一生透明なままなんだよ。もう死んでやろうかと思ってるんだ。こんな人生に意味なんてないだろ!」

 怒鳴って外に飛び出た。服を脱いだ僕のことは見えていない。だから、心配していても、目は僕を追えていない。そんな様子にも、もう耐えられなかった。だから、本当に死んでやろうか思って家を出た。どこでなら死ねるだろうかなんて考えながら歩いていたら、雨が降ってきた。雨は僕にも当たる。周りから見れば奇妙な様子だろう。不思議に思われたくもないから、誰も通りそうにない細い道を歩いた。雨に打たれていると冷静になっていく。

「僕は、お母さんになんてことを言ったんだ。」

 自然と言葉がこぼれ落ちた。純粋に心配してくれたお母さんになんてことを言ってしまったんだろう。お母さんはなにも悪くないのに。死んでやるなんて言って出てきてしまった。お母さんは心配しているかもしれない。いや、してるだろう。帰って謝ろう。ごめんなさいって。見られないように気をつけながら家に帰る。もう、暗くなってきているから目立たなくて済んだ。

 帰り着いて玄関を開けると、お母さんの靴がなかった。買い物にでも行ったのだろうか。いや、それにしては遅い時間だ。もしかしたら、探しに出ているのかもしれないけど、買い物に行っているのだとしたらすれ違いになってしまう可能性があるから待つことにした。でも、一時間経ってもお母さんが帰ってくることはなかった。買い物に行ってるわけではないのだろう。買い物に行く場所と言えば近くのスーパーだし、そんなに時間がかかることはない。多分死んでやると言って出ていってしまったボクを探しに行ってるのだろう。

 急いで外に出た。雨が降っていて、更に夜だ。多少大胆に動いてもバレはしないだろう。いや、そんなことを心配している余裕は僕にはない。お母さんはこんな状態になっていることを知っているから、大通りに出ては行かないだろう。きっと、人気のない場所を探しているはずだ。でも、どこにいるかも分からない人を探すのは難しい。お母さんも動いているから、すれ違ってしまう可能性もある。探さないことには見つかるわけもないから、とにかくお母さんと一緒に通ったことがある場所を片っ端から探してみる。それでも、なかなか見つけることは出来なかった。諦めて、家に戻ったりしてないかとも思ったけど、お母さんはそんな人ではない。きっと、見つからなくても探し続けるはずだ。一時間経っても見つからず、体温調節が上手くなっているとはいえ僕の身体雨に打たれも冷えて、身体が重くなっていく。あまり身体の強くないお母さんは、傘をさしているとはいえこの状態でずっと探しているのだとしたら、体調を崩してしまうかもしれない。焦りがうまれてくると、頭が回らなくなっていく。どこにいるかわからず、走り続ける。もしかしたら、お父さんの病院の近くにいるかもしれない。藁にもすがる思いで病院近くに来た。人通りも少し多いこの辺にはあまり来たくなかったけど、お母さんが来ている可能性がある。以前遊んでいた病院近くの公園の近くに来たところで人影を見つけた。その人影の方を見ると、見覚えのある姿に見えて立ち止まる。

「お母さん!」

「タケル?タケル居るの!?」

 お母さんが居た。傘もささずに遊具や周りの雑木林の中を探しているようだった。近付いて抱き締める。

「ごめんなさい。ごめんなさいお母さん。」

 なんでこんなになってまで、探しているんだよ。とか、傘もささないで馬鹿じゃないのとか、色々な言葉が浮かんだけれど、こんなに必死に傘をさすのも忘れて、探してくれている姿を見たら、「ごめんなさい。」しか出てこない。

「よかった。見つかってよかった。本当によかった。」

 雨に打たれていることも忘れて、二人は泣いた。本当ならすぐにでも雨の当たらないところに行くか、家に帰るかしなければいけないのに、抱き合って泣いた。泣かずにはいられなかった。

 泣き止んだ僕とお母さんは、家に帰った。帰り着くまで一言も話はしなかったけれど、お母さんに言わなければいけない言葉はたくさん浮かんでいた。帰ってすぐにお風呂に入った。僕は身体を拭くだけでもよかったのだけど、お母さんはそうもいかない。だから、僕もお風呂に入ることにした。でも、正直出て話すのが怖くてなかなかお風呂から出ることができなかった。リビングに向かうと、お母さんが座って待っていた。服を着ている僕の姿はお母さんにも見えている。お母さんの前に座ると、まっすぐとこっちを見つめている。

「……ごめんなさい。心配をかけて、死んでやるなんて言ってしまって、本当にごめんなさい。」

「お母さんもごめんね。タケルの辛さをわかってあげられなくて。」

 こんな時でもお母さんは、僕のことを気にかけてくれる。こんなに心配をかけて、怒られていいはずなのに。

「お母さんは悪くない。僕が治らないことにイライラしてしまって、気をつかってくれているのにお母さんにあたって、死んでやるなんて言って、一人になって色々考えて、こんなに心配してくれてるのに、僕はなんてことを言ってしまったんだろうって思って……死ぬつもりなんて本当はなかったんだ。でも、辛くてどうしていいかわからなくて、咄嗟に出ちゃっただけなんだ。お母さんを置いてしんだりなんてしないから……本当にごめんなさい。」

「心配……したんだから。タケルがいなくなって、あんなこと言われて何も考えられなくなっちゃって、でも、死んでなくてよかった。帰ってきてくれて本当によかった……」

 また、涙を流すお母さんを抱き締める。「ごめんなさい。」と言いながら強く抱き締めた。

 泣き止んだお母さんは、僕の頭を撫でながら「もう、大丈夫だから。」と言った。そして、「心配かけるから、お父さんには今日のことは内緒ね。」と言って指切りをする。

 その日、二人で一緒のベットで寝た。朝起きるとお母さんが苦しそうにしている。

「お母さん、大丈夫?」

「大丈夫よ。昨日雨に打たれすぎたのが悪かったのかな。ちょっと熱があるみたいなの。」

 雨の中、僕を探したせいで……

「お母さんは、ゆっくりしてて。僕が家事はしとくから。」

 せめてもの、罪滅ぼしだった。原因を作ってしまった僕にできることは、それくらいだったから。

 お母さんが体調を崩したのを聞いたお父さんは帰ってきてくれた。

「無理しすぎだ。ゆっくり休め。」

 そう言って、薬を買ってきてくれていた。あの日のことをお母さんは言わなかったが、それが僕には辛くて必死に家事を頑張った。そして、このことがあってからお母さんはよく体調を崩すようになってしまい、今に至る。そんな状態になってから、お父さんが帰ってくる頻度も増えるかと思ったのに、結局変わらなかった。むしろ、帰ってくることが嫌なようにも見えた。それも仕方ないのかもしれない。家に帰っても見えない息子と、体調が悪く弱ってしまったお母さんが居るのだから、自分は何も出来ていないと思ってしまって帰りにくいのだろうと考えていた。だからこそ、僕がお母さんを支えないといけない。子どもの頃に、お母さんを悲しませないように生きれるだけ生きようと決めていたのに、それを破ろうとしてしまって、苦しめてしまった僕だから、次こそはしっかりとお母さんを支えるんだ。

 治らない僕を、心の面で支えてくれたと言っていいお母さん。お母さんの為にと頑張っていた。もう中学二年生、十四歳だ。十八歳まで生きていた人はいないこの病気だから、もう長く生きることは出来ないだろう。だから、僕が死ぬまではお母さんを支え続けようと思っていたのに、僕の生きる意味は中学三年生になろうかという時期に失われてしまった。



 お母さんが死んだ。

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