7.ロリババアと大学

 金曜に出会い、土曜に悩み、日曜はぐったりとテレビを見ながら(あるいは、テレビの裏側に回って戸惑う芙蓉を眺めながら)――せっかくの休日だというのに、無駄に過ごしてしまった。そして、また一週間がはじまる。朝支度を進める最中、ようやく気づく。


(あ、大学……)


 昨日一日ずっと暇だったのになにも考えていなかったとは、本当に無駄に過ごしてしまったと思う。すなわち、大学に行っているあいだ芙蓉をどうするのかという問題だ。


「むにゃ……外出か? どこへ行く?」

「大学だけど……どしよっか」

「ほう! 大学か」

「大学は知ってるんだ」

「しかし、女子の身で大学とは……おぬしの身分がわからんな……」

「身分て」


 あまり話している時間はない。ギリギリまで眠るために目覚ましの設定はいつもギリギリなのだ。


「えっと、じゃあ行くけど。お昼は適当に……って、全然準備してなかった……冷食くらいあるかな。電子レンジの使い方わかる?」

「でんしれんじ?」

「うー、わかるわけないか。ちゃんと教えてないし。今から教える時間はないし……」

「よくわからんが……今の大学には要るのか? でんしれんじの知識……」

「え?」


 一拍入れて、芙蓉がついてくる気満々であることに気づいた。


「そっかぁ~……。周りからは見えないから別にいいのか……いいのかな……」


 部屋に置いていくのも不安だ。悩んでいる時間はない。電車の時間は迫っていた。


「よし、行こう!」


 なにはともあれ、出発する。徒歩十分で駅に辿り着く。


「ん? ここは一昨日も来た駅とやらではないか。大学に行くのではないのか」

「えっとね、ここで電車に乗って二駅なの。もっと近いとこに住みたかったけど条件に合う物件このへんしかなくて」

「ほう。でんしゃ? なるほど、牛車のようなものじゃな?」

「そうそう。牛の代わりに電って生き物が引いてるの」

「なるほどのぉ~!」


 雑にあしらっても心が痛まないほどに焦っていた。もたもたしすぎてあと三分もない。急げばまだ間に合う、が。


(改札……私は定期があるけど、芙蓉ちゃんは……電車って子供料金あったっけ? あー、でも切符なんて買ってたら)


 間に合わない。こうなったら仕方ない。どうせ周りには見えていないのだ。


「ま、待て優子。ぬぉぉ……」


 芙蓉が人混みに流されそうになっている。見えていないのにこの状況はどう認識されているのだろうと思ったが、それどころではない。芙蓉をなんとか引き寄せ、改札を――


「ふぎゃっ!」


 ピンポーン。改札が閉まる。


「閉まるの?!」


 自動改札口は赤外線と生体センサーによって人の通過を感知している。また、幼児の事故防止のため身長120~125cm以下には反応しない仕様だ。芙蓉の場合は耳のぶん(術で隠していたが、センサーにはかかった)でギリギリ引っかかった形になる。


(そっか。透明なんじゃなくて「なんか気づかない」、って感じらしいから……)


 機械は容赦なく反応する、というわけだ。どうしたものかと逡巡していたが、思い切って芙蓉を持ち上げ、改札を通した。幸いにも、駅員をはじめ周囲の人々はこの奇妙な行動に注意を払うことはなかった。突然謎のパントマイムをはじめた女みたいに見えやしなかっただろうかと優子は内心ドキドキしていた。


「あ、やば! 急がないと!」


 必死に階段を駆け上がるも、時すでに遅し。乗るべき電車は目の前で扉を閉め、発車してしまった。


「あ、ああ……」


 呆然とする。が、過ぎてしまったものは仕方ない。あんなにも必死だったのに諦めがついてしまうと気が楽なものである。一限目には遅れてしまうが、それだけだ。


「はぁ~……」


 ベンチに腰を下ろし、時刻表を確認する。やっぱり連れてくるんじゃなかった……と頭を抱えた。が、仕方ない。むしろ芙蓉という非日常イレギュラーの影響を十分に考慮できていなかったせいだ。電車に乗り遅れないためには、それこそ少し早めに起きるだけでよかったのだ。

 気持ちに余裕ができると、芙蓉を無賃乗車させることに罪悪感も湧いてきた。もっとも、見えない乗客のために切符を買うというのも客観的には狂人の所業ではないか。


「ゆ、優子よ。あれがデン車か……?」


 反対車線を出発する電車を指差し、芙蓉は震えていた。鉄の車が何両もムカデのように繋がり、中には何百人もの人々が乗り込む。改めて考えるとすごい光景だな、と優子は思った。


「ぬぅぅ……ここを走っておるのか……」

「あ、ちょ、危ないから黄色い線まで下がって!」

「ところで、車を引くデンとやらはどこにおるんじゃ? あれだけの車を引くならよほどの大型であろうが……」

「電はね、見えないんだよ」

「なぬっ」


 嘘はついていない。からかうのも少し楽しくなってきた。「他人からは見えない」という点に気を取られていたが、優子は芙蓉に関するもう一つの疑問点を詰めることにした。

 スマホを取り出し、ググる。


「何百人も乗り込んで、すごい速度じゃの……。ぬ、優子が急いでおったのはそういうことか。デン車は決まった時間に出発して、決まった場所まで走る仕組みになっておるのじゃな。どうじゃ、合っておろう?」

「芙蓉ちゃん。このなかで知ってる一番新しいのって、どれ?」


 スマホの画面に映して見せたのは、元号の一覧である。一覧はあまりに長く一画面に収まるものではなかったので適当にスクロールしながら見せた。


「その板……ことあるごとに触れておるとは思っておったが……てれびか?」

「これはスマホ。で、わかる? 元号」

「ふむ。どれどれ。うーむ、保元じゃな」

「保元……これか」


 平安時代後期。約八百八十年前である。


「へえ、江戸時代とかじゃないんだ」

「えど……?」

「あ、玉藻の前もこの時代なんだ。ふーん。九尾の狐だっけ? なんか最近、殺生石割れたらしいね。あれ、もしかして、まさか、芙蓉ちゃんが……?」

「!?!??!?!」

「違うか。玉藻の前ってもっとこう、ザ・悪女って感じというか、もっと大人で妖美な感じだろうし。私にしか見えないのも意味わかんないし」

「そ、そうじゃな……」


 となると、芙蓉は平安時代後期に亡くなったということになるのだろうか。それがなぜか、現代になって化けて出てきた。あるいは、平安時代に異様に詳しい子供がロールプレイをしているのか。どちらにせよ意味不明だ。とはいえ、おばけの実在を認めるなら些細な問題に思えた。


「あ、来たよ。あれに乗るからね」

「お、おう」


 電車に乗り込むと、芙蓉は車窓の外を眺めて「お、おおお?! なんじゃこりゃ……は、はや! 馬より速いのではないか?! なんちゅう速さじゃ! ど、どうなっとるんじゃ!」などとしきりに騒いでいた。他人からは見えないようで本当によかったと思う。


 ***


「へえ~、改札にひっかかるんだ? 芙蓉ちゃん」


 一限目には盛大に遅れた。が、さほど単位に困っているわけでもない。大きな問題ではないはずだ……と優子は自分に言い聞かせた。そうして気持ちを落ち着かせ、こっそり講義室に入って彩の隣に座って遅れた理由を軽く話した。


「もしかしてさ。写真にはうつるんじゃない?」

「え? ……あ、そうかも」


 考えもしなかった。むしろなぜ思いつかなかったのか。心霊写真の原理とはそういうことなのかも知れない。授業が終わったら試してみよう、とひとまず講義に集中する。


「のう、優子よ」

「うわあ」


 大人しくしていたと思っていた芙蓉が、急に目の前に現れる。机の上に爪先で屈み、優子の顔を覗き込んでいた。


「この大学に怪異あやかしはおるのか?」

「いや、あの、いま授業中だから。とりあえず机から降りて」


 できるだけ小声で答える。隣の彩は怪訝そうに目を細めていた。


「んー? おらんのか? 噂も?」

「ない、ない。まったくない。小学校とか中学校ならともかく、大学でそういうのって全然ないから」

「優子も見たことないのか?」

「ない。全然。もう二年くらいだけど」

「ないのか……」


 と、芙蓉は優子を飛び越え宙返りして背後へと降り立った。


「自分の目で確かめるとしよう。少しばかり大学とやらを見て回ってくる」

「え、ちょっ!」


 呼び止めようにも、タッタッタと芙蓉は軽快に走り去る。優子は立ち上がることもできず、見送るしかない。

 が、その背後に――芙蓉が廊下を歩くその背後に、優子は不吉な影を見た。まるで芙蓉に憑き纏うかのような、得体の知れない影だ。この世のものではない、「死」を予感させるである。


「あの! すみません! トイレ行きます!」

「え、ちょ、優子?」


 友人あやの戸惑いも振り切って、優子は芙蓉を追いかけた。

 なにか、嫌な予感がする。


「四、です」


 そして、男とも女ともつかない、そんな不気味な声を聞いた。

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