第20話 赤い狂星(8)

 一緒に付き合っていた少女が手鏡を差し出す。


 なんだろうと受け取って鏡を覗き込んでみた。


 そこに映る静羅の額には見たこともない紋章の痣が浮かび上がっていた。


「なんだ。これ」


「俺たち阿修羅族の王家の紋章だ。直系王族だけが持つと言われている王族の証だ」


「阿修羅族?」


「俺の額にもある。ほら」


 言って相手が額に触れさせた手を離した。


 そこには静羅と全く同じ紋章の痣が浮かび上がっていた。


 静羅よりすこし小さくて薄いが。


「同じ痣?」


 唖然とする。


 これはどういうことだ?


 阿修羅族?


 それってなんだ?


 これは現実なのか?


「信じられない気持ちはわかる。でも、これでわかっただろう? あなたは俺の兄者なんだ。ずっと行方不明だった」


「ちょっと待ってくれ。いきなりそんなこと言われても」


 戸惑いが勝って静羅にはそんなことしか言えなかった。


「大体俺がおまえの兄って、それはぁかしいだろうが。どう見たっておまえの方が年上じゃないかっ」


「それはたぶん兄者が地上で封印されていたせいだ」


「封印?」


 呟くと相手が頷いた。


「兄者は本当なら成人していてもおかしくないんだ。それほどの時代が流れているから。でも、兄者はこの地上でなんらかの封印を受けていた。それが解けたのが約15年前。だから、兄者の外見はその程度なんだ。今まで人間として生きていたから」


「人間として生きていたって……だったらなんだよ? 俺もおまえも傍にいる奴らも、みんな人間じゃないのか?」


 ムッとして静羅が言い返すと、まだ名乗っていない青年が頷いた。


 肯定されるとは思わなくて絶句する。


「俺の名は紫瑠。天界の阿修羅族の第二王子。後ろにいる女の子が阿修羅族のの巫女姫の柘那。柘那は俺の幼なじみで乳兄弟でもあるんだ。そして最後のひとりが俺と柘那の幼なじみで護衛としてついてきた一族の武将、志岐。みんな天界の阿修羅族の出身なんだ」


「神さま?」


 呆然と呟くと笑いながら頷かれた。


 思わず後ずさりそうになる。


 天界?


 阿修羅族?


 王子?


 巫女姫?


 武将?


 言われた言葉が頭の中で整理できない。


 だが、否定するには静羅の額に浮かんだ痣が問題なのだが。


 そんな痣は産まれてから一度もなかったのだ。


 今紫瑠によって呼び覚まされるまで。


 どうやって否定すればいい?


 自分は人間だと。


「俺は……だれなんだ?」


「兄者は阿修羅族の第一王子。世継ぎの君だ。父上の後を継ぐ存在なんだ。一般的には阿修羅の御子と呼ばれている。兄者には辛い事実だろうが、兄者が産まれた直後に聖戦が起きた」


「聖戦?」


「天がふたつに別れて戦が起きたんだ」


「……戦争」


 まるで自分が原因みたいに言われてイヤな気分だった。


「天帝軍と鬼神軍とに別れて。父上は天帝、帝釈天と戦った。兄者を護るために」


「なんで俺が……っていうか。阿修羅の御子が戦争の理由になったんだ?」


「それは兄者が天界に戻ってから説明したい。迂闊に口にできる内容じゃないんだ」


「……」


 天界に戻ってから?


 つまり彼らは静羅を……というか、阿修羅の御子を天界に連れ戻すためにやってきた?


 そんなことをいきなり言われても、静羅には否定も肯定もできないのだが。


 まだ自分がその阿修羅の御子だという自覚もないのに。


「ただその聖戦は父上と帝釈天との相討ちにて終結している。天界は今統治者を欠いているんだ。兄者は闘神の帝王たる身。天界に戻って神々を統べてもらえわなければならない」


「そんな大仰なことを言われても」


 天界の神々を統べる?


 静羅が?


 なんだか実感の沸かない言葉だ。


 ただの人間の静羅が神々の頂点に立つなんて。


 でも、おかしなこともある。


「阿修羅族は天帝と戦ったんだろう? 言わば反逆者だ。その王子が神々を統べるってなんか納得いかないけど」


「反逆者は帝釈天の方ですわ」


 大人しそうな少女にそう言われ、静羅が驚いた顔になる。


 するともうひとりの少年も憤懣やる方ないといった顔で言い返してきた。


「天帝と戦ったからと言って我等の方が反逆者だなどという感想は持たないでください。我々は正しかった。天の理に従っていた。反逆者は天の定めに逆らった帝釈天の方なのですから」


「……」


 どうやら彼らにとっては天帝が正しいのではなく、阿修羅族が正しいのだと言いたいらしい。


 だからといってそれを鵜呑みにはできないが。


 戦を起こすとき、自分が間違っているとの認識を持つ者というのは少ないだろうから。


 するとそんな考えを見抜いたのか紫瑠が口を開いた。


「兄者。俺たちは自己正当化をして自分たちは正しいと言っているわけじゃない。現実に間違っていたのは帝釈天なんだ」


「どうしてそう言い切れるんだ?」


「それは兄者が天界に戻って自分の宿星を知ったときに理解できると思う」


「宿星?」


「兄者の運命の星だ。兄者の運命を宿命付けた星」


 やはり考え方や感覚が違うらしい。


 そんなもので物事の白黒がつけられるというのは、人間には考えられないことだ。


「大体もしも今帝釈天が天界に戻ったら、兄者がいないならともかく、こうして発見された今もし帝釈天が戻ったら処罰されるだろう」


「天帝が処罰される? そんなバカな」


「帝釈天は罪人なんだ。そう訴える者がいてもおかしくはない。勿論転生したと仮定したら、転生した帝釈天にはなんの罪もないんだろうが」


「神でも転生できるのか?」


「普通神は永い時を生きるから転生はできない。でも、例外はあるんだ。当事者が一族の王で、しかも子をなさずに死んだとき。そのとき転生が可能になる。だから、天族の者は今も帝釈天を探しているんだろう」


「どうして子供ができないと転生が可能になるんだ?」


「神々の世代交代は子をなすことによって行われる。だから、夫婦の間には必ず男女の子供が生まれる。父親の後を継ぐ子と母親の後を継ぐ子。例外は戦のときや母親が違うとき。このときは慣例から外れるんだ」


「……ふうん」


 ややこしい。


 もうちょっと人間にでも理解できるように言ってくれないだろうか。


 どうして子供が生まれると世代交代が確立するのかもよくわからないし。


「それとこれは今はあんまり関係ないけど迦樓羅族も規定から外れる」


「なんで?」


「迦樓羅の王族は代々全員が両性具有者なんだ」


 このとき静羅が僅かに顔色を変えた。


 そのことに気付いたのは柘那だけだったが。


 静羅の外見で疑いを抱いていた。


 それが事実だと柘那にとっては悲しい事実なのだ。


 だから、態度に出せなかった。


(紫瑠さまをお慕いすることも、もうできなくなるかもしれない。そんなのは嫌っ。敬愛するべき王に醜い嫉妬などを向ける自分が嫌)


 口には出せない想い。


 柘那は紫瑠が好きだった。


 幾ら阿修羅族の長老の子とはいえ、柘那と王子である紫瑠とでは身分が違いすぎる。


 だから、今まで態度に出したことはない。


 でも……。


(……紫瑠さま)


「両性具有として生まれるからか、迦樓羅の王族は子供がふたりとは決まっていない。また子供がどちらの性別を選ぶのも自由だから、そういう意味では縛られていない。但し今の迦樓羅王は一人っ子だから、他に兄弟はいないはずだが」


「ややこしいんだな」


「まあ阿修羅族だって他人事ではないんだが」


「どうして?」


「ごく稀にだが阿修羅族にも両性具有者が生まれるんだ」


「……え?」


 スッと青ざめた紫瑠が首を傾げる。


「破格の力を持って生まれた者が、ごく稀に両性具有者として生まれる。ごく稀にだから俺も詳しくはないんだが」


 ごく稀に両性具有者が生まれる家系?


 それって静羅がそうだということか?


 額に浮かんだ痣。


 ごく稀に生まれる両性具有の王族。


 すべて静羅を指している。


 信じたくはないが。


「あ。痣が」


 柘那が急に声を出し静羅も手鏡を覗いてみた。


 さっきまでくっきりと浮かんでいた痣が、薄くなって消えていくところだった。


「ずっと出てるわけじゃないんだ?」


「紋章の痣は呼び出したときしか現れないんだ。言ってみれば一族の王族であることの証だからな。生命を狙われやすい闘神の王族は、みな紋章の痣を封じて生きている」


 生命を狙われやすい?


 それって静羅が今まで生命を狙われ続けたことと関係あるのか?


 問うべきか問わざるべきか。


「その阿修羅の王子だけどさ。生命を狙ってる奴っているのか?」


「え。それはまあ天族なら狙う可能性も無ではないだろうが。今は大方伝説となっているからな。それでも狙うとは思えないが。兄者? なにかあったのか?」


「ちょっと待て。伝説ってどういうことだ? 阿修羅の王子が生まれたのって一体何時のことなんだ?」


 伝説なんて言葉は少しの年月では出てこない。


 静羅は阿修羅の王子が生まれたのは、そんなに昔ではないと判断していた。


 だから、冷静に聞けたのだ。


 だが、今の言葉の意味するところは……。


「そうだな。数値にしにくいが地上で言うなら万単位の昔かな。それか1億か2億は軽く経っているかもしれない」


 クラリと目が回った。


 この王子は静羅がそんな歳だと言いたいのだ。


 とんでもない話だった。


「じゃあその阿修羅の王子の弟だっていうおまえっ」


「え?」


「それに近い時代から生きていて、その姿なんだろう? 俺が兄貴だっていうなら外見合わないじゃないかっ」


「それはさっき説明しただろう? 兄者が地上で封印されていたから成長していないのだと。兄者はたぶん身近にいる人間を手本として、人間に擬態していたんだと思う」


 ギクリとした。


 確かに静羅の場合、人間に化けるために手本とするべき人間はすぐ傍にいた。


 双生児の兄として生きていた和哉が。


 それに小さい頃、静羅はなんでも和哉の真似をやりたがった。


 あれも人間に擬態するためだった?

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