第13話 赤い狂星



 第五章 赤い狂星





 天界とも地上とも違う空間。


 そこに黒い髪、黒い瞳の少年がいる。


 そこから地上を見下ろして微笑んでいた。


「どうした、翔?」


 そう声を掛けるのは青銀の髪に青い瞳が印象的な青年である。


 人間でいうなら社会人1年生といった外見だろうか。


 中学生くらいの少年とは、ずいぶん年齢差がある。


 黒髪の少年の年齢はどう見ても12、3歳といったところだった。


 似ているところを挙げるとするなら、どちらもがタイプは違えどとてつもない美形だということだろうか。


「ねえ。兄さん」


 振り向いて翔と呼ばれた少年が笑う。


 兄と呼ぶわりにこのふたりは全く似ていなかった。


「もうすぐ天空の星が覚醒(めざ)めるよ」


「見付けたのか。阿修羅の御子を」


「まだ弱々しいものだけどね。覚醒の時は近いよ」


「そりゃよかったじゃねえか。阿修羅の御子のことじゃ、翔もずいぶん気にしてたみたいだからな」


 もうひとついやに元気な声がそう言って、翔が声の聞こえた方を振り向いた。


 そこには声を掛けてきた白銀の髪、銀の瞳の少年(15歳くらいだろうか?)と、紅蓮の髪と真紅の瞳をもつ19歳くらいの青年が立っている。


 こちらもいずれ劣らぬ美形揃い。


 だが、その中でも真紅の瞳の青年の美貌は群を抜いていた。


 だれも比較対象にならない。


 外見はまるで違うが、この4人は兄弟だった。


 青い瞳の青年が長男で真紅の瞳の青年が次男、銀の瞳の少年が三男で翔と呼ばれた少年は末弟だった。


「兄さんが言うとずいぶんお気楽に聞こえるね」


 呆れたような声に銀の瞳の少年が、ムッとした顔になる。


 心配してやってんのにとでも言いたそうな顔だった。


「それでどこにいるかわかったんですか、翔?」


「それはまだ。封印をされてるみたいでぼくの力をもってしても、どこにいるのかはわからないよ。でも、地上にいることは確かだけど。それはあの聖戦直後からわかってたから」


「それは翔が探していないだけのことだ。翔がその気になれば見つけ出せないわけがない」


 青い瞳の青年に指摘され、翔が憂い顔になる。


 力があって行使しないのは罪だ。


 それはわかっている。


 でも、してはいけないこともあるのだ。


 少なくとも阿修羅の御子が天界に戻るまでは、自分たちは手出しをするべきではない。


 自分たちは待った。


 阿修羅の御子と出逢うこのときを。


 今になって我慢しきれずに御破算にするわけにはいかないのだ。


 それがどんなに辛くとも。


「沙羅はどう思っているのかな」


「「「翔」」」


「ぼくのために死んでいった彼女は、子供をおいて逝くしかなかった彼女は、今どう思っているんだろう」


 助けたかった。


 禁忌を犯してでも助けたかった。


 沙羅が死ねば阿修羅王も死ぬ。


 それはわかっていたから。


 阿修羅の御子をひとりをおいて皆死んでしまう。


 そうして阿修羅の御子を待ち構えているのは過酷な運命。


 わかっているから運命の根源を断ち切るために、運命を変えるために沙羅を助けたかった。


 それが許されないのが自分たちの宿命だったけれど。


「どう思っていようと変えられないものもある」


「兄さん」


「俺たちがどれほどの力を持っていようと、やってはいけないこともある。理を乱さないために。これが阿修羅の御子がもって生まれた宿命なんだ。そう思って諦めた方がいい。そこで翔が自分を責めたところで現実が変わるわけじゃない」


 長兄の言葉はいつも理性的だ。


 翔には長兄のようには考えられない。


 すべて自分のせいだと思うから。


 それでも長兄の言葉は正しいのだろう。


 今ここで翔が自分を責めたところで阿修羅の御子がもって生まれた宿命が変わるわけじゃない。


「竜族はどう動くかな。ぼくらはいつ頃関われるかな」


「さあな。それは阿修羅の御子がどう動くかによるんじゃねえの? そこまでは俺らにだって予測できねえよ。俺らだって全能じゃねえんだ」


「確かにそうですね。ぼくらが阿修羅の御子に関われる日がくるとしたら、阿修羅の御子が竜族の城に行ったときだと思います。竜族の魔剣はそこに眠っていますから。遙かなる昔からずっと」


「どちらにせよ、今は覚醒めの時を待つしかない。すべてはそれからだ」


 長兄の揺るぎない声に3人の弟たちは頷いた。


 長兄で名を煌。またの名を東海竜王。


 次男の名を颯。またの名を南海竜王。


 三男の名を焔。またの名を西海竜王。


 末弟の名を翔。またの名を北海竜王。


 合わせて四海竜王。


 天界で最強と言われた伝説の4人の竜王である。






 学校のある街に戻ってきた当日の夜、静羅はそっと寮を抜け出した。


 軽いものが欲しくなったからである。


 いつものストレス発散のためのお出かけではないので、和哉に声を投げてから。


「和哉」


 トントンと扉をノックする。


 早寝早起きが習慣の和哉である。


 もう寝ているかと思ったが起きていたらしく、部屋から顔を出した。


「どうした? 静羅?」


「寮では違反なんだけどさ。ちょっと軽いものも欲しくなったし、ジュース類も欲しいから、近くのコンビニまで買い物に行ってくる。いいだろ?」


「なんで昼間に済ませておかなかったんだ?」


「だって昼に帰ってきただろ? そんな暇どこにあったんだよ」


 膨れてしまう静羅である。


 こちらで雇っている家政婦に服などを片付けてもらった後は、和哉たちが夕食の準備に走り回っていたので、静羅は言い出せなかったのである。


「しょうがないな。オレもついていくから。ちょっと待ってろ」


「え? いいってっ!! 和哉はもう寝る時間だろ? 俺はただ報告だけはしておこうと思って」


「オレがあのとき怒ったからだろ? だったらついていくのはオレの義務だ。ちょっとだけ待っててくれ。すぐに準備するから」


 言って和哉は部屋に引き上げた。


 和哉を巻き込む気のなかった静羅は困惑顔である。


 実際のところ、和哉は想い人を夜に一人歩きさせるのが嫌だっただけなのだが。


 それに静羅はいつもその身を狙われている。


 警戒というものはしていて困ることはない。


 むしろ無警戒なのが怖い。


 なにか事が起こってから対処しようとするので。


 そういう意味でこの対応は必然だった。


 静羅には意外でも。






 和哉は東夜たちには知らせなかったらしく、ふたりは何事もなくコンビニに辿り着けた。


 寮のすぐ近くにコンビニがあるので。


 静羅がおにぎりなどを物色し、今度はジュースのコーナーに移動するのを目の端に捉えて、和哉は書籍のコーナーに移動した。


 2、3冊買って帰るつもりで。


 そのとき近くにあった扉が開いた。


 現れたのは夜叉の王子である。


 ラーシャは父と帝釈天を捜しているので色んな街に現れる。


 ここにもそのために寄っただけだった。


 そこに静羅の気を感じやってきたのである。


 あのとき色んな疑問を置き去りにしたままだったので。


 静羅の傍に行こうとしてふと和哉の背後で立ち止まった。


 和哉は気付かずに本を選んでいる。


 なにが気になるのかわからないまま、夜叉の王子は静羅に近付いた。


「久し振りだな、世羅」


 急に声を掛けられて振り向けば、あの夜出逢った「北斗」と名乗った少年が立っていた。


 確か本名は「ラーヤ・ラーシャ」だったか。


「あんた」


「逢えてよかった。あれから捜していたんだ」


「なんで? 俺を捜す必要なんてどこにもねえだろ」


「あるんだ。俺には。それより本名を教えてくれないか? 今は夜の仮面とやらはつけていないようだが」


「うるせぇな。修羅とでも世羅とでも好きな名で呼べばいいだろうが」


 そう何気なく返したときだった。


 いきなり肩を掴まれて詰問されたのは。


「修羅? それがおまえの名前なのか。いや。あなたの名前なのかっ」


 言葉遣いまで改めて問われて静羅は面食らう。


 それから和哉が気付いていないのを確かめて夜叉の王子を見上げた。


「それがあんたの捜してる人の名前なのか?」


 穏やかな声にすこし落ち着いてラーシャは肩を落とした。


「俺が捜していた相手じゃないが行方不明の中に、その名を持つ御方がいて、もしかしてと思ったんだ」


「物凄く目上の相手なのか? 言葉遣いが」


「俺たちの頂点に立つはずだった方だ。失礼な言葉遣いで問うわけにはいかないだろう。礼儀は払わなければ」


「そっか」


 よくわからないが彼にとっては大事なことらしい。


「それでもう一度聞くが、それがおまえの名前なのか?」


 苛立って問われて静羅は渋々答えた。


 答えるまで粘ることがわかったから。


「残念ながらそれは俺の通り名のひとつで鬼神の阿修羅から取ってるんだ」


「阿修羅王から?」


 ラーシャの言葉に静羅はまた疑問を感じる。


 普通阿修羅と聞いて阿修羅を名乗る一族の王と受け取る者はいないだろう。


 確かにあれは一族の名前らしいから、その王ならそういう呼び方をされるのだろうが、すぐにそう結び付ける者はそれほど多くないはずだ。


 マンガや小説で雑学的に知識を得ているなら別だが。


「地上ではだれでもその名を名乗れるのか? 本名じゃなくても?」


「はい?」


 彼の言うことは時々理解できない。


 阿修羅のことを阿修羅王と言ったり、地上とかわけのわからないことを突然言い出したり。


 何者なんだろう。


「じゃあおまえの本名を教えてくれ。このまま別れるわけにはいかない」


「俺の本名は高樹静羅。でも、これは拾ってくれた今の両親が名付けてくれた名前だから、産みの親から名付けられた名前じゃない。おまえの訊ねているのがそういう意味なら、悪いがそれを知らない俺に教えることはできない」


「拾ってくれた?」


「捨て子なんだ、俺。だから、自分の本名は知らない」


「……捨て子」


 それは己の出自を知らないということだ。

 本人にも自分がだれなのかわからないということだ。


 天界の出身だと明らかになっている静羅。


 それが人間界では捨て子だという。


 それは可能性が増すことを意味しないか?


 阿修羅の御子?


 だが、この外見では予想と違いすぎる。


 この姿では姫君でも通る。


 阿修羅の御子だとしたら腑に落ちない点もあるが。


「ちょっと付き合ってくれ。このまま別れることはできない」


 いきなり二の腕を掴んで引き摺られ、静羅が握っていた缶コーヒーが落ちて高い音を立てた。


 その音に和哉が振り返る。


 さっき見た場所に静羅がいなくて、店内に視線を走らせる。


 すると入り口の辺りで揉めているのが目に入った。


「冗談じゃないっ。人違いだったらっ。大体連れがいるんだぜ、俺にはっ!!」


「後で探すのは付き合う。それで妥協してくれ。このまま別れるわけにはいかないんだ。はっきりさせなければ」


「冗談っ」


 なんとか逆らっていたが一瞬の隙を突かれ、静羅は店外に連れ出された。


 手に持っていた本を戻し和哉が駆け出す。


 しかし店の外にもう静羅たちの姿はなかった。


「静羅っ」


 たったひとつの方向へ和哉が駆け出す。


 静羅の気を感じる方向へ。





「北斗っ。腕を放せよっ」


 近くの空き地に連れ込まれてから、静羅はラーシャの腕を振り切った。


 間近で対峙する。


 その様子を近くから見守る影があった。


「祗柳、どうする? 助けるか?」


「もうすこし様子を見ましょう、迦陵。相手の少年がなんだか気になりますから」


 東夜と忍、いや、迦陵と祗柳のふたりだった。


 ふたりは静羅と和哉が出掛けるのに気付き、ずっと後を追っていたのだ。


 ふたりはずっと和哉を見守っているから、どんなときも目を離さない。


 静羅が見知らぬ少年に引き摺られ、連れ去られるところもしっかり見ていた。


 しかし和哉が絡んでくるのはわかっていたので、今まで見守っていたのである。


 ふたりは夜叉の君の顔は知っている。


 しかし彼がそうだとは気付いていなかった。


 それは闘神の帝王を代行する地位にいる夜叉の王族たる彼と、天族の一武将に過ぎないふたりとの身分と実力の差だった。


 反対から言えばラーシャになら、ふたりの変装は見抜けるのである。


「でも、あいつどこかで見たことあるような……」


「迦陵」


「ごめん。上手く言えないや」


 迦陵はその名でわかるように迦陵頻伽と呼ばれる、幻の歌唄いの一族の王族の血を引いている。


 しかし王族が王位を継ぐための条件は純血。


 他族から王族を迎えたのなら話は変わるが、天族の一武将に過ぎなかった人を母に持つため、迦陵は王位を継げなかった。


 王位を賭けた恋の果てに迦陵は生まれたのである。


 しかし迦陵本人はこの事実を知らない。


 自分の名前の意味すらも。


 知っているのは幼なじみの祗柳だけだった。


 ただ迦陵は歌は好きだった。


 迦陵頻伽の血が騒ぐのか、音楽には通じている。


 天界の楽士の君、乾闥娑王と張り合うほどに。


 乾闥娑王の伴奏でよく宴の折りに歌を披露するのだ。


 迦陵頻伽の血は迦陵の中で、確実に生きていた。


 もし迦陵がどこかの王族と結ばれたら、その子は幻の一族、迦陵頻伽の王位を継げるかもしれない。


 もちろん迦陵は天族の武将としても優れている。


 幼くして四天王のひとりになったこともそうだが、その中でも実力を認められ最強と呼ばれていること。


 すべて彼の実力である。


 今、なんとなくでも夜叉の君の変装に気づいたのも、迦陵の中に流れる迦陵頻伽の王族の血のなせる技だった。


「迦陵頻伽の血が教えるんでしょうか……」


「ん?なにか言ったか、祗柳?」


「なんでもありませんよ。それよりあれ」


 目の前で静羅は膝をついていた。


 どこか信じられないといった顔をしている。


 ふたりのいる位置からは、ふたりの様子はよく見えないのだが。


 静羅の目の前には赤い瞳があった。


 さっきまでは黒かった瞳が、今は真紅に染まっている。


 それと同時に抵抗できないほど強烈な力を感じ、静羅は抑え込まれていた。


「参ったな。こうなるともっとよく習っておくんだった。習った事柄だけでは身体のどの部分に痣が浮き出るかわからないし。取り敢えず額、か」


 最も神聖な場だと言われる額に片手を当てる。


 静羅の髪が逆立ち、咄嗟に静羅は叫んでいた。


「やめろっ。やめてくれ、ラーヤ・ラーシャっ!!」


 その声を聞き止めて助けようと動きかけていた迦陵と祗柳も動きを止める。


「ラーヤ・ラーシャ?」


「夜叉の君? どうして夜叉の君がここに」


 膨れ上がる黄金の気。


 溢れ出す闘気。


 ふたりが圧倒され動けずにいると、それは唐突に破られた。


 ラーシャが振り向いた視線の先には憤怒に瞳をたぎらせた和哉がいた。


「最悪」


 思わず迦陵が愚痴る。


「オレのものに手を出すなよ、この無礼者っ!!」


 にわかに変わった和哉の口調に解放された静羅が両手をつきながら義兄を見ている。


 瞬時に近寄ると和哉は腰を捻って回し蹴りを放った。


 反射的にラーシャが片腕を上げて受け止める。


 しかしその威力は受け止めきれないほどのものだった。


 腕が痺れ後ずさる。


 思わず凝視して彼がさっき妙に気になった人間だと気付いた。


 これは偶然か?


 阿修羅の君かもしれない人間、静羅。


 その静羅を守るように現れた少年。


 そのふたりはラーシャが今までに知った人間の常識を軽く凌駕していた。


「和哉ぁ。その辺にしておいたら?」


「東夜?」


 驚いたように和哉が名を呼ぶ。


 新たに現れたふたりが東天王と南天王だと気付いて、ラーシャは三度ぎょっとした。


 東天王と南天王を従えている?


 何者なんだ、本当に?


「そいつを構うことより静羅を構ってやれよ。かなり疲れてるぞ」


「ほんとにどこにでも現れるな、おまえたちは」


 言い返しながらも毒気を抜かれて、これ以上揉めるつもりにはなれない和哉だった。


 無言で静羅に近付く。


 静羅はまだ肩で息をしていた。


「大丈夫か、静羅?」


「これが大丈夫そうに見えんのかよ、和哉」


 片手を額に当てる。


「熱あるな。待ってろ。部屋に戻ったら手当てするから」


 言って静羅を抱き上げる。


 その間に東夜と忍はラーシャに近づいていた。


「今度も助けてやれるとは限らないんだ。もっと自分の身を大切にするんだな」


「と……」


「そこから先は黙っていてもらおうか。この場を助けたんだ。そのくらいしてもらってもいいだろう?」


「……」


 東の勇将の眼に脅しの光を見て夜叉の王子が黙り込む。


 年齢の開きによる実力の違いは、今はまだ如何ともし難い。


 尤も。


 すんなり負けるつもりもないが。


 竜帝に鍛えられたラーシャの腕は並大抵ではないのだ。


 迦陵がそれに匹敵するほどの実力を身につけているだけで。


「行きましょうか、迦陵。和哉さんも戻るようですよ」


「わかった」


 短く答えて離れた場所で静羅を抱いて立っている和哉に近付いた。


 一瞬だけ和哉の目がラーシャに向けられる。


 それからふっと逸らされた。


 静羅を傷付けた者に払う礼儀などないとばかりに。


 迦陵と祗柳を引き連れて和哉が静羅を連れ去っていくのをラーシャは黙って見送っていた。


「あいつら何者なんだ? 本当に」


 それから天を見上げた。


「問わねばなるまい。天を統べる長老たちに。東天王と南天王の行動の意味を」






 ラーシャに妙な術を掛けられた静羅は、その日熱を出して倒れた。


 翌日には下がっていたのだが、心配性の和哉が許してくれず、学校を休む羽目になった。


 和哉も学校を休むと言ったのだが、これには静羅が誠心誠意を込めて説得し、和哉には学校に行ってもらった。


 まさか静羅が休むからといって、和哉にまで学校を休ませるわけにはいかない。


 それではまた親戚連中にいいだけ責められてしまうだろう。


 これで静羅もなかなか大変なのである。


「寝てる必要もねえか」


 身体はすっかり良くなっていた。


 寝てるのも邪魔くさいので起き上がる。


 昼食はさっき摂った。


 病欠の生徒の昼食はちゃんと出されるのである。


 それを食べないと和哉にバレるので、そこまではきちんと休んでいたのだ。


「それよりここ半年ほど穏やかな生活が続いてるなあ。中学を卒業する辺りから、あれ、ご無沙汰してるし」


 小首を傾げて考える。


 静羅が地元を離れたからだろうか。


 もしかして静羅の行方を掴んでいない?


「確かめるとしたら今が絶好の機会だけど、今までは夜だったからな。果たして昼にひとりだからって仕掛けてくるか?」


 確証はない。


 でも、ラーシャの件もあるし疑問は片付けておくべきだろう。


 仕掛けやすいように人気のないところへ行けばいいか。


 それで仕掛けてきたら様子を見ていたということだ。


「となると早く動かないとな。和哉が戻ってくるまでには部屋にいないとならないし」


 今日は6時間目までだからH/Rも入れて大体16時くらいか。


 役員にでもなっていたら、もうすこし遅かったかもしれないけど、転校してきたこともあって役職にはついてないし。


 部活もやっていないから。


 学生やってて役職を持たないのは小学3年生以来だと、いつだったか和哉が苦笑していた。


 そのことは悪いなとは思っていたのだが。


 和哉が生徒総長をやってきたのは静羅のとばっちりだったので。


 静羅が素直にやっていれば、和哉は悪くても副生徒総長くらいで済んでいたのだろう。


 和哉の実力的に役職を受け持たないということはないだろうから。


「さっさとするか」


 服を着替えて慌てて窓に近付いた。


 さすがに玄関から堂々とは出られない。


 学校を休んでいる身だし。


 見付かったらコトだ。


 このとき、静羅は思いもしなかった。


 このお忍びが自分の運命を変えることになると。


 運命の出逢い。


 そう呼ぶべきときが近付いている。


 静羅が自分の運命と出逢うときが。





「補導されるかと思ったけど、思ったほど注目されないな。俺って童顔のはずなのに」


 自分で認めるのは腹が立つが、そうなのだから仕方がない。


 和哉と並ぶと必ず年下に見られるし。


 街中を歩いていてふと気付く。


 自分は異質なのだと。


「今思えばラーヤ・ラーシャだけなんだ。俺に関連がある行動を見せたのって。人間じゃないと仮定して、だけどな」


 人間離れしている静羅に似ている行動を見せたラーヤ・ラーシャ。


 静羅を行方不明のだれかじゃないかと疑っていた。


 それは行方不明のだれかが静羅と似ている現実を意味する。


 確かめておくべきだったのかもしれない。


 それはだれのことだと。


 静羅とだれが似ているのだと。


 そこにしか静羅の出生に関する手掛かりがないのだとしたら……。


「俺。自分の出生の手掛かりを掴み損ねたのか?」


 和哉には感謝している。


 あの地獄のような苦しみから解放してくれたのだから。


 そのことを恨みはしない。


 でも、そのために確認する機会を逸してしまった。


 そのことを今になって悔やんでいる。


「暗殺者も出てくるんだったら、さっさと出てこいってんだ」


 物騒な科白を吐きながら静羅は街を歩く。


 ひとつの出逢いに向けて。






「柘那(しゃな)。この街で間違いないんだろうな?」


 街中を歩きながら黒い髪、黒い瞳の少年が後ろを歩く少女を振り向いてそう言った。


 服装はどこにでもいる少年の格好だ。


 夏の終わりに相応しい五分袖のTシャツにジーンズ。


 動きにくそうに見えるのは慣れていないのだろうか。


 少女は白いワンピースを着ていた。


 膝丈の物だ。


 これでもなるべく抵抗のない服装を選んだつもりだが、もっと派手に脚を見せる装いが普通らしいので、すっかり困っていた。


「ふむ。柘那が脚を出している装いというのは初めてみるな」


「紫瑠(しりゅう)さま。揶揄わないでください」


 顔を真っ赤に染めて柘那が俯く。


 紫瑠と呼ばれた少年は回りを見渡しながら、さっきの問いをもう一度口にした。


「ところで柘那。本当に方角はこれで合っているのか? 気配も感じられないが」


「合っていますわ。こちらの方から強い気を感じますから。それがすぐに御子のものであると特定はできませんけど」


「そうか。難しいんだな。柘那にも感じ取らせないとは」


「力不足で申し訳ございません」


「柘那のせいじゃない。気にするな。それだけ兄者が特別だということだろう」


 そこまでふたりで喋っていると、もうひとりの少年が口を開いた。


「王子。もうすこし御身にご注意を」


「その呼び名を出すな、志岐(しき)。なんのために変装しているのかわからないだろう」


 志岐と呼ばれた若者は困ったような顔になる。


 3人は似通った年恰好だが、実は志岐が1番年下だった。


 柘那よりすこしだけ年下なのである。


 紫瑠は18、9歳といった外見だが、年齢ではかなり年上だった。


 本人が数えるのをやめているくらいには。


 柘那が16、7。


 志岐は15、6といった外見だ。


 外見は年齢とは合わないが。


「それにしても供に選んだのが、わたしひとりというのは幾らなんでも不用心では」


「志岐には悪いが俺は本来、供の者は柘那ひとりで十分だと思っていたんだ。それが長老がどうしても供をつけろと譲らないから、それならと志岐にしたんだ」


「わたしはオマケですか?」


「実力を認めていないわけではないんだ。そう拗ねるな」


「拗ねてはいません」


 幼なじみらしく言いたいことを言い合うふたりに柘那が苦笑している。


 この3人は幼なじみだった。


 特に柘那と紫瑠は乳兄弟である。


 紫瑠は柘那の母親に育てられたのだ。


 といっても柘那は遅い子供なので柘那が赤ん坊の頃には紫瑠は少年の姿にまで成長していたが。


 路地を曲がったときだった。


 信号の向こう側にひとりの少年、いや、少女だろうか? が、いた。


 言うまでもないかもしれないが静羅である。


 静羅は初対面だと性別を間違えられやすいので。


 その姿を見て柘那がハッと息を呑んだ。


「どうした、柘那?」


「あの方のお姿は」


「あの方?」


「この道の正面で立っている方です。長い黒髪の」


「ずいぶん綺麗な少女だな。あの子がどうかしたのか?」


「肖像画で見た沙羅さまにそっくりです。紫瑠さまはご覧になったことは?」


「沙羅というと兄者の母上か? いや。俺は見ていない。なんだか悔しくて」


 父の寵愛を独り占めしていた竜族の王女、沙羅。


 阿修羅王の正妃。


 母の影が薄いのもそのせいである。


 そのため紫瑠は兄の母親の肖像は見たことがなかった。


 見たら負けるような気がして。


 しかし。


「そんなに似ているのか?」


「はい。瓜二つです。といっても遠目ではっきりしませんが、美貌はあの方の方が勝っているようですが。本当に綺麗な方」


「他人の空似だろうか。兄者が女顔というのはあり得ないだろうし」


「それにあの姿はどう見ても少女では?」


 志岐もそういうので紫瑠も疑わしい気分になる。


 どうしてもあり得ないと思ってしまうのだ。

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