第11話 宿星、集う






 第四章 宿星、集う





「今日は遅かったね、修羅」


 静羅が2時限目も終わってから慌てて教室に顔を出すと、クラスメートにして隣の席の斉藤結城が嫌味と皮肉が混ざった科白を投げた。


 ちなみに修羅とは静羅のあだ名である。


 ある事情から彼はそういった呼び名を頂戴し、以後、本名は名乗らずこれで通していた。


 家族以外には。


 ここでも自己紹介のときにそれはクギを刺しておいたので、この反応は当たり前なのだが。


「うるせーよ、斉藤。余計なお世話だ」


 ぶすっとしつつ隣の席に落ち着いた静羅を覗き込みつつ結城が笑う。


「今朝も甲斐は無駄かもしれないけど、修羅を起こしに行ったんだよ? 憶えてない?」


「知らねー」


 あっさりした返事である。


 ここまで見事に無視されたら結城としても笑うしかない。


 甲斐というのは結城のひとつ年上の従兄弟で、この学園の生徒会長でもある。


 静羅と1番に知り合ったのが、実は甲斐であった。


 そのときから静羅を気に入って、色々と世話をしているのだが、今のところ、それはすべて空振りしている。


「修羅。いったいいつになったら教科書を持ってくるわけ? 修羅だけだよ。教科書も持たずに学校にくるのって」


 相変わらず適度に軽い静羅のカバンを見て、結城がげんなりと呟いた。


「必要ねえよ」


 またまたあっさりした返事だった。


 その意味はもう結城もよく知っている。


 静羅は貰った教科書をすべてその日の内に暗記したらしいのだ。


 そのせいでどんな教科であれ、どのページの何行目から読むように言われても、スラスラと読み上げる。


 おまけに一言一句間違っていないという徹底ぶり。


 さすがに初めてこれを目の当たりにしたときは、唖然として静羅を凝視してしまったが。


 見せる一面のすべてが非常識なくらいにハイレベル。


 これだけの逸材はこの伝統ある翔南高校でも初めてだった。


 なんで大検を受けずに必要のない高校に通っているのだろう? というのは結城だけでなく静羅を知っている者すべての感想だった。


 静羅ならもっと専門的な勉強のために留学するとか、そういうことが普通に思えるので。


「そういえば今日、転校生がくるんだって。なんかまだきてないけど」


「? 転校生がこの時間になってもきてない? そいつ、何年だよ、斉藤?」


「バカだね。このクラスに決まってるよ。だから、きてないっていってるんだけど?」


 聞き終わった瞬間、静羅がタラリと冷や汗を掻いた。


 この時期、この学年に季節外れの転校生?


 おまけにこの時間まで登校してない?


 果てしなく嫌な予感がした。


「転校生って男? それとも女?」


「へえ。珍しいね。修羅がそういうことに興味を持つなんて。噂だと男らしいけど」


 恐れていた返答に思わず固まる。


 が、続いた科白に唖然として振り向いた。


「信じられないことにふたりだって」


「はい?」


「だから、同じ学年の同じクラスに、しかも同じ日にふたりの転校生がくるんだって。甲斐も驚いてたよ。さっきも顔を出しにきてたし」


 あれ?


 ふたり?


 違うのか?


 頭の中で疑問符が飛んでいたが、結城が言った言葉で疑問は解けた。


「なんかね。甲斐のクラスにも転校生がくるんだって。珍しいよね。同じ日に3人も転校生がくるなんて」


 ボキッと音がして結城が「え?」と静羅の手元を除き込んだ。


 次の授業の準備でもしていたのか、ペンを握っていたのだが、それがふたつに折れていた。


 思わず青ざめる。


 あの女の子でも通るような外見の静羅が、一体どうやってペンを折ったのだろう?


 筋肉なんてどこにもついていないように見えるのに。


「……やられた……」


「修羅?」


 訊ねる声を上げたけれど静羅は反応しなかった。


 ムスッとしたまま頬杖をついて窓の外など見ている。


 なんだか拗ねているようだ。


 首を傾げた瞬間、ガラッと扉が開く音がした。


 つられて視線を動かす。


 そこに担任に連れられて、ふたりの男子生徒が立っていた。


 ひとりは色素の薄い体質なのか、茶色がかった黒髪をしていて、もうひとりはやんちゃ坊主がそのまま大きくなったような印象を持っていた。


「みな注目っ」


 担任の声に全員が視線を向けるが、静羅は我関せずを貫いて無視した。


 実は拗ねていたのだが。


「今日からこのクラスの一員になる転校生を紹介する。それぞれ自己紹介を」


 なにか言いかけてやめたのを結城はしっかり見ていた。


 それを茶色がかった髪を持った少年が視線で制したように見えたのだが。


 威厳というか、人間的な格というか、とにかくそういうところで位負けしているようだ。


 気持ちがいいくらいにキレイな姿勢で彼が頭を軽く下げる。


「高樹和哉です。よろしく」


 彼がそう名乗った瞬間、すべての視線がそっぽを向いた静羅に集中した。


 それでもなお振り向くもんかと外を見ている静羅に和哉は苦笑い。


「静羅。無視してももう現実だぜ? オレから名乗らせたいのか、おまえ?」


「勝手に名乗れよ。俺の意見なんて無視して転校してきてなに言ってんだか。そもそも今日だって俺が登校するまで、わざと姿を見せなかったんだろ? 過保護すぎるぜ、和哉」


「学校から連絡があったんだ。この事態を招いたのはおまえの落ち度だぜ?」


 思わずムッとして振り向いた静羅は、そこに勝ち誇ったような和哉の顔を見てげんなりした。


「とりあえず弟の件は引き受けますから」


 担任を振り向いて和哉がそう言ったとき、どよめきが教室を駆け抜けた。


 どの瞳も「兄弟!?」と叫んでいる。


「頼みます。さすがにこう連日では不用心ですので」


「学校では普通に接してください。席は弟の隣で構いませんか?」


「はい。言われた通り席は用意してありますから」


「失礼」


 一言だけ断って和哉がさっさと歩き出す。


 もうひとりの転校生はやれやれとこめかみを掻く。


「えっと俺も行っていいですか、先生? 和哉が先に行ったんで」


「それも条件だったな。どうぞ。自己紹介は自己責任ということで構わないな?」


「俺は和哉の言う通りに動きますから。じゃ」


 短く言い置いて彼もやってくる。


 とんでもない現場に間近で対面することになった結城は、マジマジと3人を見比べた。


 静羅の前で立ち止まった和哉が、面白そうに弟の顔を覗き込んだ。


「なあに拗ねてんだ、おまえ?」


「和哉が悪い。まだ1ヶ月だぜ? もうちょっと様子を見てくれてもいいじゃねえか」


「ここに通うことを許したときに言ったはずだぜ? 学校側からなんらかの報告を受けたときは、もうおまえのワガママは認めないって。

 連れ戻されないだけ有り難いと思えよ。母さんも父さんもすぐにでもおまえを連れ戻すって譲らなかったんだぜ? それを説得するのにオレがどれだけ苦労したか」


「苦労? バカ言ってんじゃねえや。どうせ和哉が自分でつけたんだろうが。こっちにきて俺を見張るからって条件を」


 兄がどれだけ両親から信頼されているか知っている。


 だから、和哉が一言「任せてほしい」と言えば、両親は諸手をあげて歓迎したはずだ。


 それでも連れ戻す道を選ばなかったのは、静羅が完全にへそを曲げるのがわかっていたからに過ぎない。


 そうなると厄介なので監視役として、和哉がこちらにやってきたのだろう。


 わかるだけに不機嫌になってしまう静羅だった。


「オマケまで連れてきやがって」


「言い種だな、静羅」


 苦笑いをしながら静羅の前で立ち止まったのは、もうひとりの転校生だった。


「この腰巾着が。なにも転校するときまで付き合う必要はねえだろうが。非常識な奴らだぜ」


「あれ? 忍がきてることまで知ってるのか、おまえ?」


「2年にきた転校生ってあいつだろ? おまえがいたらわかるって。それぐらい」


 ふたりでワンセットの付録とまで言われ、彼は更に苦笑を深くする。


「和哉がなあ。見てるこっちが慌てるくらい焦ってたから、なにか手伝えるかなと思ってきたんだ。そう迷惑がるなよ」


「冗談じゃねえ。迷惑通り越して公害だぜ、てめえらは」


「おい。そこまで言わなくても」


 文句を言いかけたが静羅はまた窓の外に目を向けてしまった。


 やれやれと言いたげに傍らの和哉に視線を向ける。


「どうする? 拗ねてるぜ、静羅君は」


「気持ち悪ぃなっ。君づけなんてすんなっ」


 避ける暇も与えない攻撃を後頭部に食らい、ムッとして振り向いたが、そのときには静羅はまた外を見ていた。


「相変わらず可愛くない奴だな、おまえは」


「そのくらいにしておけよ。後でオレから言っておくから。それよりそろそろ座らないと先生たちが授業ができなくて困るぜ」


「だな」


 そそくさと腰掛けるふたりを結城は驚いた顔のまま凝視していた。





 静羅の兄が同学年の同じクラスに転校してきたという事実は、次の休み時間には学校中に知れ渡っていた。


 それもどうやら普通の転校生ではないらしいとの噂までオマケでついてくる始末。


 話しかけたいのだが、その勇気のない面々は、結城が動くのを期待を込めて待っていた。


「あの。きみもしかして」


 和哉の顔を見てから、ずっと首を捻っていた結城が、戸惑いながらそんな声を出す。


 振り向いて和哉は瞳を細くした。


「なにか?」


「和哉さん……かな? 確か甲斐のアルバムに子供の頃の写真が」


「ああ。上杉のお嬢さんの子供の結城君、か」


 納得の声を出す和哉に結城の方は、ギョッとしたように静羅を見返した。


 彼があの「高樹和哉」だとすれば、その弟の静羅こそが噂の人物だったということになる。


 気付いた事実に絶句してしまう。


「悪いけどその話は公にはしたくない。上杉さんにもそれは頼むつもりだし。これ以上事態を深刻にしたくないんだ。悪いけど」


「……どうして……彼がここに?」


 どこかの王子並の護衛を受けて生活していても当然とも言える相手の、あまりに非現実的な事態を知って、結城にはそれしか言えなかった。


 無防備なんて言葉では済まない。


 無謀すら通り越している。


 誘拐されたりしたらどうするつもりだったのか。


 理解不能だ。


「立ち入りすぎだぜ、斉藤。それだけの度胸がてめえにあるのかよ?」


 低い声で静羅にそう皮肉られ、結城は口を噤んだ。


「静羅。そう脅すなよ。そうならないためにオレたちがきたんだし」


「自分から事態を悪化させた人間がよく言うぜ」


 兄に諭されても静羅は嫌味な路線を崩さなかった。


 この現実を1番否定したいのは、他ならぬ静羅なのだから。


「それで和哉たちはどこに住むんだよ? 寮の特別室はもうないぜ?」


「ああ。それなら今日中になんとかするつもりだぜ?」


「……先週からなんか周囲がうるさいと思ってたんだ。あれは和哉の指図だったのか」


 静羅の部屋の周辺が騒がしかったのは事実である。


 なにやら改装をしていたらしいということは聞いていた。


 まさかそれを指示したのが和哉だとは思わなかったが。


「東夜と忍先輩はオレの隣。その方がおまえのことも安心だしな」


 言われて笑ってみせたのは、和哉の転校にわざわざ付き合ったもうひとりの転校生だった。


 まだ名乗っていないが天野東夜という。


 別に雇われているわけでもないし、そういう義務もないのだが、酔狂にもここまでくっついてきたのだ。


 静羅に腰巾着と言われる心当たりが全くないわけじゃない。


 だから、苦笑いで済ませてしまうのだった。


 普通の人間から見れば非常識な立場にいる静羅たちだが、それでも東夜と彼の従兄弟の忍の言動は不可解極まりない。


 彼らに対する静羅の感想は「胡散臭い奴ら」の一言で済む。


 その辺の感想は和哉とは180度違った。


 まあ彼らが優先するのは和哉なので、それは仕方がないのかもしれないが。


「あーあ。過保護な兄貴にも困りものだぜ」


「あの……年子の兄弟、とか?」


 勇気のある女子のひとりがそう訊ねたが、当然の如く静羅には無視された。


 仕方がないので和哉が微笑みつつ答える。


 これがふたりの兄弟関係だった。


「いや。全くの同い年。見えないだろうけど双生児なんだ、オレたち」


 見えないどころか、なにからなにまで違いすぎる。


 身長や体格だけでなく顔付きからなにから、まるで赤の他人みたいに違う。


 唖然として黙り込む周囲に和哉は肩を竦めてみせた。


 ここでふたりのことを詳しく知っているのは、上杉甲斐と斉藤結城のふたりだけ。


 それだけでも静羅には救いかもしれないと、チラリと考えた。


 それも伝わったのか、静羅には睨まれたが。


「和哉。学校を出てくるとき、引き止められなかったのか?」


「おまえな。オレより先にさっさと学校を捨てた奴に言えた義理じゃないだろうが。当然止められたよ。振り切ったけど」


「ま。無理もないよな。和哉は東城大付属の期待の星だったわけだし」


 静羅がサラリとそう言ったとき、ひそひそとざわめきが広がっていった。


 東城大付属とは湘南と肩を並べる名門校である。


 幼稚舎から大学院まで一貫した教育で知られているが、入学するためには必ず家柄の有無が問われるため、湘南よりも入学が規制されてしまう。


 つまり東城大付属に通っているということは、名家の生まれ、もしくは財産家の御曹司であることを意味する。


 確かに近寄りがたい雰囲気はあるものの、どちらかといえば砕けた話し方をするふたりが、実は名家の御曹司だったと知ってざわめきが生まれたのだ。


 静羅の実力的には出身校が東城大付属でも全く不思議はないのだが。


「なんでみんな過保護なんだよ?」


 頭を抱えてしまった静羅に東夜と和哉は顔を見合わせて笑った。





「和哉君が? 本当に?」


 驚いた顔で問い返したのは湘南の生徒会長、上杉甲斐だった。


 受け止めて結城が首肯する。


 人気のないところまで甲斐を引っ張ってきて報告を始めたのだ。


「信じられる? あの修羅がそうだったんだって」


「まさか……噂の『高樹の御曹司』?」


 その呼び名を使われるのは跡取りの和哉ではなく、名前も公表されていない次男である。


 父親同士が親しい関係にある甲斐ですら、和哉としか逢ったことはなく、従って弟の名も知らなかった。


『高樹の次男は全世界の財産』


 そこまで言われるほど特別な少年だ。


 全世界の者が静羅を欲しがっている。


 そのため厳しいセキュリティの元で保護されているはずだった。


 それがノコノコ関西の学校に入学してくるなど、一体だれが想像するだろう?


「ねえ、甲斐。ぼくの情報が正しかったら、確か『高樹財閥の御曹司』って世界中に存在するありとあらゆる薬を無効にする特殊な体質を持っていて、どんなウイルスにも影響されないんだよね? あの修羅が?」


 そこまで言われるためには静羅は一度、そういった環境の下に置かれた時期がなければならない。


 ……そう。


 赤ん坊の頃、静羅は生態実験を受けていたのだ。


 生まれたばかりの赤ん坊だった静羅に、科学者たちはありとあらゆる薬を投与し、世界中に存在するウイルスに感染させたと言われている。


 だが、静羅はそれらをすべて無効化させるのだという。


 それがハッキリした当時、静羅の処遇を巡って世界中の人間が暗躍したらしい。


 それを阻止したのが世界的な大財閥、高樹家の当主、和之だった。


 以後、静羅は高樹家のバックアップで全力で保護されてきた。


 和之たちが長男の和哉より静羅を可愛がっているのは公然の秘密だった。


 静羅は常に狙われている。


 その身も、生命も。


 だから、今までその名前すら公表されなかった。


 その静羅が何故ここに?


「身体検査の謎……今頃、理解できた」


「うん。修羅が噂の御曹司だったら普通に身体検査なんてしないよね。ううん。できないんだよ、きっと」


 静羅の肉体そのものが神秘なのだ。


 迂闊な真似はできない。


 素性を知れば今まで疑問に思っていたこと、すべてに答えが出る。


「とりあえず父さんに確かめてみるから、結城は迂闊にそういった話題を出さないようにすること。いいな?」


「うん。それ和哉さんにもクギを刺された」


「ここに通っていることが公になったら、とんでもないことになりかねないからな。無理もない」


 最悪スパイ映画とかサスペンスドラマとか、そういった世界が突如出現してもなんら不思議はない。


 生徒に危険を近付けないためにも、静羅の素性は徹底的に伏せるべきだった。


 これは結城には言っていないが、一部の間では静羅が養子だと知られている。


 名前は知らなくても、その程度の情報は入ってくるのだ。


 彼はあまりに本家の人間に溺愛されているので、分家筋の人間からは毛嫌いされ、敬遠されているという。


 彼が養子で親戚から煙たがられていることと、突然こんなところに入学してきたことに繋がりはあるのだろうか?


 余程のことでもないかぎり、世界の共有資産とまで言われている静羅が、こういう真似をすることを周囲は認めないだろうし。


 これから一波瀾ありそうで甲斐は重いため息を吐き出した。





 静羅のことが心配で和哉が転校してきた日、静羅は久々に電話で母親と話した。


 そこで仕入れた情報は、やはりというか推測通りだった。


 確かに静羅は高校に進学する際に学校側からなんらかの報告があったら、もうワガママは聞かないと言われていた。


 が、実際にその事態が起きたとき、和哉が両親に言ったらしいのだ。


 静羅の世話は和哉がするから、そんなに心配しなくていい、と。


 そうして和哉の転校が決まったのである。


 実際、学校側もあまりに不用心な静羅に困り果てていたので、常に護衛をしていたという兄である和哉の転校は、諸手をあげて歓迎された。


 転校するに当たって和哉がつけた数々の条件も、手放しで受け入れたほどである。


 どれだけ静羅の身が案じられていたか知れようというものだ。


 5月祭も間近な五月晴れの日、静羅は和哉と再会したのだった。


「おまえ。一体なにを食ったんだ?」


 寮の静羅の部屋まで点検にやってきた和哉は、ダイニングテーブルの上に投げ出された茶碗を見てげんなりした。


 食べたものをそのままにしておいたこともそうだが、なにを食べたのか想像がつかなかったのだ。


 なにしろお茶碗がキレイに真っ白に染まっていたのだから。


 お粥を作ったにしても変である。


 東夜や忍まで引き連れてやってきた和哉に呆れられ、静羅は素直に答えた。


「あっためたご飯に牛乳掛けたんだ」


「「「はあ?」」」


 呆気に取られる3人に静羅がテーブルに腰掛けて笑いながら事情を説明する。


「なんかなあ、俺この手の才能なかったらしいんだよな。なにを作っても不味いんだ。ラーメン作んだろ? 麺が鍋の底にこびりついていてスープがないんだ。スゲー壮絶な味だぜ、あれは。吐きそうになったから」


「……静羅」


 頭を抱えてしまう和哉に東夜が気の毒そうな顔をしている。


「おじや作ろうとしたらラーメンと同じ状態になるんだ。なんでか知らないけど。なにを作っても不味いから、それなら作らない方がいいやと思って外食とか、コンビニの弁当で済ませてたんだけどな。昨夜はそれも忘れちまって、それで牛乳掛けご飯になったわけ」


「掃除……どうしてたんだ、おまえ?」


 見たくない。


 本気で見たくないのだが、キッチンの流し台には、これまでに食べたらしい食器が無造作に放置されていた。


 洋服も洗濯していないのか、あちこちにTシャツやジーンズが置いてある。


 部屋が広いのでまだ我慢できるレベルだが、これは酷い。


 通いの家政婦でもつけておくんだった。


「掃除なあ。それは父さんにするなって言われたからしてない」


「え?」


 東夜が不思議そうに呟けば、和哉が納得の声をあげた。


「そういえばそんなこともあったな。確かおまえが9歳のときだったっけ。なにかやっていて部屋を汚して、バレたら怒られるってんで、慌てて片付けようとして部屋を壊滅状態にしたんだよな。そのときに部屋の惨状を見た父さんから、二度と部屋の掃除は自分でするなって厳命されたんだっけ」


 それでこの程度で済んでいたのかと納得した。


 静羅が掃除しようとなんてしていたら、きっとこの部屋は見る影もなかったに違いない。


 それにしてもそんな頃の指示を、今になっても守っているなんて、静羅はやっぱり可愛い。


 そういえば静羅は未だに食べるときに「いただきます」終わったら「ごちそうさまでした」と両手を合わせる可愛い一面があった。


 それも母さんの躾の結果である。


 両親の言い付けはすべて守らなければならないと、静羅はそう思っていて、それを実行しているのだ。


 そういうところは可愛いなと和哉も思うのだが。


「壊滅状態ってどこをどうしたらそうなんだよ」


 呆れ顔の東夜に和哉が笑いながら説明を渡す。


「おまえは知らないだろうけどな。静羅にはその手の才能はないんだ。小学部の5年のときだったかな? 飯盒炊飯でさ、静羅の班が作った飯なんて食えたもんじゃなかったんだぞ。しかもそれを平然と平らげるし。オレはそれくらいなら食べないほうがいいと思って、その夜はおかずだけで我慢したけど」


 和哉は静羅の護衛なので、どんなときも静羅の傍にいる。


 その証拠に小学1年から中学3年まで、ふたりは同じクラスだった。


 これは作為の結果である。


 高校では離ればなれになったが、今日、同じクラスになったので、くされ縁はまだまだ続くのである。


「ところで静羅さん。もうすぐ5月祭って実際にはなにをするんですか?」


「なにって……なんか模擬店が沢山出るって聞いてるな。翔南は関西の学校だろ? そのせいかお祭り騒ぎが大好きで、こういう催し物がよくあるんだってさ。5月祭は3日続くって聞いてる。生徒だけが楽しむ最初の2日間と、父兄も参加できる3日目と。この頃は勉強にならないらしいぜ」


「で。おまえのクラスはなにをやるんだよ、静羅?」


「メイド喫茶」


「は?」


「だから、メイド喫茶だって言ったんだよ、東夜」


「どんな高校だよ」


「俺は参加しないけど女子にメイドやらせて、男子は厨房やるらしいぜ? 女子の数が足りないとかで最初は俺にまでメイドやれとか斉藤の奴がうるさかったけど」


「「静羅がメイド」」


 思わず妄想してしまう和哉と東夜である。


 さぞ可愛いだろう。


 フリフリレースのメイド服に身を包んだ静羅は。


 但し……口を開かなければ、だが。



「メイドやるくらいならホストでもやってる方がまだマシだっての」


「ホストって、おまえ、どこで覚えてくるんだよ、そういう言葉」


「テレビでやってた。俺、あんまりテレビとか見なかったけど、見たら意外な常識教えてくれるぜ?」


「静羅さんにはメイドもホストも無理だと思いますけど」


「忍。なにもそんなホントのこといわなくても」


「だって人を楽しませるなんて、静羅さんには無理でしょう? お世辞も言えないでしょうし」


「そりゃそうだけど」


 四苦八苦している東夜を尻目に、静羅はやれやれと肩を竦めた。


「とりあえず今日は仕方ないにしても明日は掃除だな。洗い物もしないといけないし、どこかでお手伝いでも雇うか」


「学校の寮でそこまでしていいのかよ、和哉」


「許可はもぎ取るさ、東夜」


 あっさりと答える和哉である。


 静羅のためなら多少の厄介事は片付ける覚悟の和哉だった。





「5月祭も終わってとうとう夏休みだな」


 部屋でゆっくりノビをして静羅は身体を休ませる。


 和哉がきてからというもの遅刻をしなくなった静羅に学校側は大変嬉しがっていた。


 和哉は実家にいた頃と変わりなく、朝の5時には静羅を起こしにきていた。


 通いの家政婦は昼間、だれもいない時間帯に掃除だけをやってくれる。


 さすがに違反だとわかっていてキッチンを使う仕事は任せられないので。


 仕方なく静羅の食事は和哉が作っていた。


 最初は本を片手にやっていたのだが、何事も極めなければ気がすまない和哉である。


 あっという間に料理を覚えて東夜や忍にご馳走するまでになっていた。


 手伝いを申し出てくれたのが忍である。


 東夜も申し出てくれたが何度か手伝ってもらった後で、和哉は苦笑してこう言った。


「東夜も静羅のお仲間だったのか。手伝いはもういいぜ。余計な手間が増える」


「酷いな」


 苦笑する東夜に和哉が言い返した。


「悪いと思うなら買い出しくらいやってくれ」


「それくらいなら」


 と、東夜が引き受けて4人の食事は、主に東夜が食料品や日用品の買い出し。


 和哉と忍が料理関係をするという形で毎日なんとかしていた。


 やはり起きてから2時間近く人形状態の静羅を、普通に食堂で食事させるわけにはいかない。


 静羅が和哉がくるまで外食やコンビニ弁当で済ませていた理由がそれである。


 東夜や忍は仲がいいとはいっても、一緒に住んでいたわけではないので、初めて静羅の人形ぶりを見せられたときには、どんな反応も返せなかったが。


 とにかく言われる通りに動き、言われる通りのことをこなす。


 人形が独りでに動いていると言っても間違っていないのだ。


 これを見た東夜と忍が静羅の身元にもっと疑念を抱いたのは事実である。


 人間だと思うには彼には不都合な点が多すぎた。


 そして朝食や夕食を共にするようになってから疑問に思ったことがもうひとつ。


 和哉は静羅の着替えにはタッチしない。


 静羅が人形状態のときですら、着替えさせようとはしない。


 ただ何度も静羅の耳許で着替えるように言い聞かし、静羅がそれを自分でも繰り返すと、ホッとしたように部屋にひとり残すのだ。


 不思議な一面だが静羅は言われたことを自分でも繰り返すと、それを完璧にやってくれるのである。


 例え本人に意識がなくても。


 それに不思議なことは、それだけではなかった。


 和哉から静羅が起きるまでと夜9時以降は静羅の部屋には行かないでくれと頼まれた。


 それはなにも東夜や忍を遠ざけるための言い訳ではなく、実際に和哉も9時を過ぎると絶対に静羅の下には行かなかった。


 これは部屋が隣り合っているから確かである。


 静羅は何度か夜に抜け出していたようだが、静羅を5時に起こさなければならず、従って自分は最低でも4時には起きている和哉は早寝早起きが習慣なため、そのことには気付いていないようだったが。


 和哉が寝静まるのを待って静羅は何度か抜け出していた。


 そのときの格好はやはりあのときみたような、モデル顔負けの決まった姿だった。


 おそらく変装の意味もあるのだろう。


 普段とは正反対にしてしまえば気付かれにくいから。


 それを窓から見送る東夜に忍はこんなことを言っていた。


「迦陵。あまり静羅さんに深入りしすぎるのは感心しませんね」


「……祗柳」


「わたしたちとは生きる世界の違う人です。何れは別れなければならないのですから、深入りすると傷付くのはあなたです。やめた方がいいと、わたしは思いますよ、迦陵」


「わかってる」


 答えながらもひとり鬱憤を晴らすために街に飛び出す静羅を、その度毎に窓から見送る東夜……迦陵だった。


 静羅が街に飛び出すには一定のパターンがある。


 昼に高樹の家が絡んで揉めた夜である。


 厄介者だと指摘される現実に直面したとき、静羅は必ず街へと飛び出した。


 おそらくストレス発散のためだろう。


 だから、気掛かりそうに見送ってしまう迦陵なのである。


 和哉の方は変化なしだ。


 この2年以上、和哉には覚醒の兆候は見られない。


 そのことにすこしホッとしている迦陵だった。





「もうすぐ満月か。前の満月は適当にやり過ごしたけど、今回はそれまでに屋敷に戻るしかねえな」


 満月。


 そのことを思うと静羅は苦々しい気分になる。


 周りとの接点を断ってしまう満月。


 このときばかりは和哉とも逢わない。


 こちらにきてからの満月は適当にやり過ごしたが、その度に学校を休むので疑問は持たれている。


 和哉も誤魔化すのに苦労しているみたいだ。


 和哉には詳しい話をしていないが、どうやら知っているみたいだった。


 もしかしたら父さんから聞いたのかもしれない。


 言えないことを済まないと思いながらも、これだけは気付かれたくないのだと静羅は思う。

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