2:奇跡のトリガー

 魔獣の出現を告げる警報が聞こえた時、私はアイスを食べていた。


 周囲は騒然。アイスクリームショップも大騒ぎ。別に、初めてのことじゃないのだから、そう慌てることもないのにと、アイスをペロペロと食べ進む。


 ドン。突き飛ばされ、アイスが地面に落ちる。ああ、最後の晩餐が──


「アリスっ!」


 兄ちゃんの声が聞こえる。思ったより早い。魔獣の出現を、事前に予測していたのかもしれない。それぐらいできなければ、世界防衛機構は名乗れないだろうけど。


 兄ちゃんはいつもの黒スーツ。ただでも青白い顔が、すっかり青ざめている。


 私はバリバリとコーンを囓りながら、ドレスの胸元をぐいっと大きく開く。鎖骨の間に取り付けられた接続端子は嫌いだ。可愛くないもの。


「何してる?」

「するんでしょ?」

「まだ早いよ」

「遠いの? 走ってどれぐらい?」

「五分、ぐらいかな?」

「じゃあ、あんたでも大丈夫でしょう」


 私が両手を差し出すと、兄ちゃんは私の脇の下に手を入れ、持ち上げる。


「違う」

「え?」

「お姫様みたいに抱っこして」

「どういうこと?」

「わからない? こう、横にして……」

「ちょ、暴れないで」


 一悶着を経て、私は首尾良く兄ちゃんの腕に収まり、腕を兄ちゃんの首に回す。


「アリス、これは一体……」

「いいから、このまま走る!」


 私に命じられるまま、兄ちゃんは走り出す。……うーん、思ったほど、快適じゃないわね、コレ。


※※※


 揺れに揺れて、少し気持ち悪くなって来た頃、魔獣が見える場所に辿り着いた。避難はまだ半ばといった感じだけれど、手遅れだった人は、運が悪かったとしか言い様がない。


 兄ちゃんはすっかり息が上がっている。情けない。これでも世界を救うエージェントの一人だというのだから、世の中はわからないものだ。


「大丈夫?」

「……問題、ない」

「じゃあ、さっさとやっちゃいましょ」

「このまま?」

「うん。銃を出してくれたら、接続は私がやるから」


 兄ちゃんは黙ったまま、遠くを見詰めている。何が見えるのかと視線を追ったら、何のことはない、ビルの谷間に魔獣の頭が覗いてるだけだった。うーん、大きい。


「あれ、本当に倒せるの?」

「魔獣撃退銃ならね」

「そのダサい名前、どうにかならない?」

「わかりやすいだろ?」

「それなら、幼気けなげな女の子の命を吸って魔獣を殺す非人道的兵器君に改名して欲しいわ」


 兄ちゃんの表情が露骨に歪む。まぁ、現実って残酷よね。


「アリス、君は──」

「はいはい、余計な話はなし! 他に方法がある? ないんでしょ? 今更、どうしようもないってのに、これ以上、何を言えっていうの?」


 言い過ぎだっただろうか。聞きたい言葉は分かっている。でも、それを言ったら、傷つくのは……まったく、困った兄ちゃんだ。


「そりゃ、怖いわよ。死ぬなんて、初めてのことなんだから」

「ごめん」

「……最悪。一番聞きたくなかった台詞だから、それ」

「……ごめん」


 謝られたって、どうしようもない。聞きたいのは、全てを覆す奇跡だけだ。でも、そんなものが起きるはずもないし、本当に起きたらキレると思う。マジで。


「私は満足よ。役者不足だけど、男の人の腕の中で死ぬなんて、素敵じゃない?」

「……光栄です、お姫様」

「あら! あんたにしては、気の利いたことが言えたじゃない!」


 兄ちゃんは魔獣に向けて銃を構える。そこから伸びた端子を、私は掴んで、掴もうとして、やっと掴んで、胸の端子に接続する。ビリッとして、変な声が出てしまう。手汗が酷い。


 命を全て吸い上げ、魔獣にぶつける。吸い上げるのは命じゃなくて、可能性だったかな? 私の人生に広がる、可能性。圧倒的な理不尽を消し去るものは、無限の可能性しかない。


「私が生き残る可能性ってのも、あったのかな?」


 兄ちゃんは答えなかった。前言撤回。やっぱり、どこまでも気の利かない男だ。


「ありがとう」


 そういって、兄ちゃんはトリガーを引いたのだと思う。私の最後の関心は、その瞬間まで、どれだけ猶予があるか。60点。まず、兄ちゃんの最後の言葉に採点はできた。及第点。


 ……まだ時間があった。私は「大好き」と、呪いの言葉を放つ。私は、そこまでだった。

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