第四章 本論

 翌朝、すなわち九月十六日の早朝。ホテルロビーにあるレストランで、瑞穂と榊原はバイキング形式の朝食を食べていた。

「ふぁあ……」

「眠そうだね」

「一晩かけて明日の宿題を完成させていましたから」

「宿題をもってきていたのかね」

「数学です。やらないわけにもいかないので……」

「素直に家でやっていた方が早かったんじゃないかね?」

「それとこれとは話は別です」

 そう言うと、瑞穂は手元の野菜サラダにかぶりついた。ちなみに榊原は和食、瑞穂は洋食中心である。

「今日の予定はどうなっているんですか?」

「昨日も言ったように八時半にここを出発。国立博物館前で黒羽教授たちと合流し、そのまま明日香村東方にある原田山の遺跡を視察。大体これが正午前後に終わる。その後博物館に戻って依頼の再検証を行い、午後六時頃に帰路に就く予定だ。途中で奈良県警の網田警部に挨拶に寄るが、それは了承しておいてくれ」

「はぁ。で、松浦さんに関する情報は入ってきましたか?」

「まだだ。向こうも調べてくれているとは思うが……」

 そう言った瞬間、榊原の携帯電話が鳴った。

「失礼」

 榊原はそう言うと電話に出る。

「私だ」

『土田です。朝早くにすみません。例の件についての報告です』

 電話口に出たのは、昨日調査を頼んでおいた国民中央新聞という新聞社に勤務する土田康平(つちだこうへい)という記者であった。榊原が警視庁に在籍していた際に、国民中央新聞が榊原のいた捜査班専属とした三人の遊軍記者の一人で、榊原とはその頃からの馴染みである。トップレベルの捜査力を持つ榊原たちに対応すべく配置されたこの三人の記者もそれぞれかなり癖のある人間であり、土田はその三人の中では比較的常識的な人間ではあったが、それでも丁寧な物腰の中でいつの間にか特ダネを掴んでいく不気味さがあった。

 現在は政治部に配属され、政界の情報などを掴む際に榊原と協力する事が多い。ちなみに、残る二人の遊軍記者は土田以上に癖の強すぎる性格ゆえ榊原も苦手としており、榊原から連絡を取る事は滅多になかった。

「早いな。さすがは政治部のエースだ」

『このお礼はいずれしてもらいますよ。そうですね……次の依頼の時に無償で調査をしてもらえれば結構です』

「善処しておこう。で?」

 榊原が先を促すと、土田も真剣な声になった。

『結論から言えば、松浦茉奈は実家にはいませんね。高円寺の実家に行ってきましたけど、家は空き家になっていました』

「両親は?」

『父親は幼い頃に離婚。残った母親も二年ほど前に病死しています。ただ、管理している不動産屋に連絡して中を見せてもらったんですが、そこにいくつか資料がありました』

 榊原の表情が真剣になった。

「見たいな」

『そう言うと思って、文化部の後輩に朝一でそっちに持って行ってもらいました。秋本章一(あきもとしょういち)という記者です。お昼頃にはそっちに着くと思います。東城大学文学部の出身で、僕よりもこういう歴史的な話は詳しいので、うまく活用してやってください』

「それは助かるが……あんたが何の見返りもなしにそんなサービスをするはずもないよな。目的は何だ?」

『もちろん、何かネタの臭いを感じたがゆえですよ。何かあったら秋本の独占スクープという事でよろしくお願いします。それじゃあ。また何かあったら連絡します』

 電話が切れる。榊原は苦々しい表情で携帯を見ていたが、興味深げにこちらを見ている瑞穂に簡単に電話の内容を説明した。

「結局、松浦さんはいなかったんですね」

「そのようだ。こうなると行方を知るのは絶望的だな」

「そして、例の遺骨の手掛かりを知る人間がいないって事にもなりますね」

 瑞穂が残念そうに言う。

「残るはその実家にあったっていう資料だな。昼頃には届くそうだが……」

「じゃあ、明日香村から帰って来る頃ですね」

「その資料を見て、すべての結論を出す事にしようか。さて、そろそろ準備するとしよう」

 それから三十分後、ホテルをチェックアウトした二人は昨日同様に奈良国立博物館へ向かっていた。日曜日である事もあってか、朝から多くの人が奈良公園を歩いている。

「やっぱり観光客が多いですねぇ」

「そうは言うがね、実は奈良県というのは全国的に見て宿泊施設の数が少ない県らしい。確か、ワースト二位だったか」

「えぇ……それで観光地っていえるんですか?」

「まぁ、さすがにまずいと思ってはいるようだが、その辺は奈良県民の気質なのかもしれないな」

 そんなどうでもいい話をしているうちに、二人は博物館の裏手にある職員用の駐車場に到着する。そこで待ち合わせのはずだったのだが、そこにいたのは乗用車の前に立つ福原推子一人だけだった。

「あれ、お一人ですか?」

「教授から探偵さんを送迎するように頼まれました。車が運転できるのが私と教授だけなので、教授には金沢君と一緒に先行してもらっています」

「曽部君は?」

「彼はバイクの免許がありますから、自宅から直接向かっています。そんなわけで、どうぞ」

 福原は緊張した様子で後部座席のドアを開けた。二人は言われるままに乗り込み、それを確認すると福原は運転席に乗り込んで車を発進させた。

「原田山までは車で大体三十~四十分くらいです。それまでくつろいでいてください」

「明日香村の東方、だったね」

「そうです。それと、発見者の小学生二人にも話が聞ける事になっています。もちろん、探偵さんが望めば、ですけど」

「それはありがたいな。ぜひとも聞かせてもらおう」

 思わぬ申し出に、榊原は即座に頷いた。福原は小さく頷くと、続けてこう言った。

「あの……松浦先輩の所在を調べられているんですよね?」

「心当たりが?」

「いえ、残念ながら。ただ、もしわかったら私にも教えてもらえないでしょうか?」

 福原の頼みに、榊原と瑞穂は顔を見合わせた。

「それは構わないが、なぜ?」

「私……松浦先輩に返さなきゃいけないものがあるんです」

 そう言うと、福原は車のバックミラーにぶら下げられたものをちらりと見やった。それはキーホルダーのように紐が通された小さな勾玉だった。

「それは?」

「昔、松浦先輩から借りた物です。私……一年くらい前に修士論文でかなり苦戦していて、その時にお守り代わりに借りた物なんです。自分の幸運のお守りだって。博士課程に進学した時に返すつもりだったんですけど、その時には先輩はいなくなっていて……」

 瑞穂は黙ってその話を聞いていた。が、榊原は容赦なく彼女に質問する。

「その勾玉は何か遺跡の出土物なのかね?」

「別にどうという事はないただのお土産品です。でも、私にとっては大切なものですね。先輩とは、失踪する前にこうして私の車であの遺跡まで一緒にフィールドワークに行ったのが最後です。先輩も免許は持っていなかったので、私が送迎役をしていたんですよ」

「そうだったのか……」

 そんな会話をしながら車で四十分ほど。ほぼ福原が言った時間通り、車は山の中の田園地帯へと到着した。のどかな田舎といった風貌ではあるが、その一角に小さな工場のようなものも建っていて何とも言えない雰囲気を醸し出している。

「あの工場は?」

「あぁ、何年か前に倒産した産廃の処理工場です。でも、稼働していた時から反対運動があって、閉鎖して以降は土地の汚染なんかもあって放置されたままですね。近頃自治体の中でも取り壊しの提案がなされているんですけど、放置されたままの産廃の処理なんかもあってなかなか……」

「こんな田舎にも、そういう話はあるんですねぇ」

 瑞穂が感慨深げに言う。と、やがてしばらく進んだところに小さな学校と思しき建物が見えた。

「車はあの小学校に止めさせてもらいます。準備してください」

 その言葉通り、福原は車を問題の発見者たちが通う小学校の駐車場へと入り、そこで停車した。

「教授たちはもう遺跡に向かっていると思います。まずは実際に遺跡を見てください」

「わかった」

 車を降りると、独特の自然の香りが漂っていた。

「うーん、空気がおいしいですねぇ」

 瑞穂がそう言いながら伸びをする。

「こちらです。小学校の裏にある小道から入ります」

 福原の案内で、榊原は小学校の裏手に移動する。日曜日である事もあってか校舎に人の姿はない。その校舎裏にある裏山……原田山の一角に、小さな小道の入口があった。

「確か、発見した小学生は裏山にある秘密基地に行く途中で遺跡を偶然見つけたという事だったね」

「そうです。小学校に近いこちら側は調査の範囲外だったもので」

「なるほどね」

 そのまま三人は小道に入っていく。しばらく森の中を歩いていくと、やがて少し開けたところに出た。そして、その開けた場所の一角に、真新しいプレハブ小屋のようなものが建てられているのが見えた。

「あれです。風雨の浸食を防ぐために、暫定的に遺跡全体をプレハブ小屋で覆ってあるんです」

 そう言いながら福原は小屋の前に近づき、そのドアを開けた。小屋の中は地面が露出しており、その中央に大きな穴が開いていて、穴の中には棺と思しきものが見える。それが『原田山13号遺跡』であった。先行していた黒羽、金沢、曽部の三人は、その穴の中の棺の辺りで何か議論をしている様子だった。

「教授、お連れしました」

「おお、ご苦労だったね」

 そう言うと、黒羽は議論を中断して立て掛けられた梯子で穴の上に戻って来る。

「よく来てくださった。ぜひともゆっくり見て行ってくだされ」

「随分シンプルな作りの遺跡ですね」

「土砂もすべて撤去して、副葬品の類はすべて研究室に持ち帰ってしまいましたからな。とはいえ、色々な事がわかります。まぁ、こちらへ」

 黒羽はそう言うと、小屋の隅に置かれた事務机に榊原を案内した。その上には、この遺跡の見取り図が広げられていた。

「これは、随分立派なものですね」

「金沢君が書いてくれたんですよ。彼はこういうのが得意でしてね」

 穴の中に目をやると、金沢が照れたように頭を下げる。改めて図を見ると、そこには発見当時の副葬品や遺骨の配置なども詳細に記されていた。

「遺骨は棺の中に仰向けに横たわっていました。さすがに土砂崩れの影響で少々破損はしていましたが、先日見てもらったようにほとんど完全な形で残っていました。同じ棺の中に遺骨の主が着ていたと思しき服の布と例の腕飾り。他はすべて棺の外に置かれていました」

「しかし、こうしてみるとこの穴は結構深いですね。発見者の小学生は足を踏み外してこの穴に落ちたと聞いていますが、大丈夫だったんですか?」

「下が土砂で柔らかかったのと、本人の体重が軽かったのが幸いして、大した怪我もなかったようです。それに深いと言っても、二メートルほどしかありませんから。これが発見当時の写真です」

 黒羽が差し出した写真を榊原は興味深げに見る。そこにはこの遺跡が発見された直後、今はすっかりきれいになっているこの穴の中がまだ土砂だらけだった時の光景が写っていた。まだ整備されていなかった事もあって、パッと見た感じは山中にぽっかりと空いた穴にしか見えない。

「せっかくですので、穴の中に入っても?」

「構いません。ただ、あまりその辺を触らないように」

 黒羽の許可が出たので、榊原は梯子を伝ってゆっくりと穴の中に降りて行った。同じ小屋の中にいるにもかかわらず、穴の底……すなわち遺跡の中に入った瞬間、言いようのない圧迫感のようなものを感じる。何というか、空気がそこだけ違うような感じだ。

「やっぱり、本物の遺跡は違いますね」

 そう言いながら、榊原は棺に近づいた。いわゆる石棺であるが、予想以上に大きい。人一人どころか二人でも簡単には入れてしまいそうな大きさである。

 榊原は先程の見取り図を思い出しながら遺骨の位置を確認する。頭を北に向け、石棺のやや上側に横たわっていたようだ。

「何かわかりますか?」

 上から声がかけられるが、榊原は苦笑して首を振った。

「さすがにここだけでは何とも。石棺しかありませんしね」

「そうですか……。いや、昨日の遺骨からの推理を披露された探偵さんならあるいはと思ったのですが」

「買いかぶりすぎです。私は確たる根拠がない限り結論を出したりはしませんよ」

 そう言いながら、榊原は穴の底で作業していた金沢と曽部に一礼して梯子で穴の上に戻った。

「ところで、福原さんが言うには第一発見者の小学生二人と話をさせてもらえるという事ですが」

「あぁ、ここに来るところにあった小学校に待機してもらっています。休みのところをわざわざ来てもらっていますので、ぜひ聞いてやってください」

「では、お言葉に甘えて」

「福原君、度々すまないが、案内を頼む」

 福原は小さく頷くと、榊原と瑞穂の傍に近づいた。

「では、行きましょう」

 その言葉に、榊原と瑞穂は小屋を後にしたのだった。


 再び山を下り、先程の小学校の裏に出ると、福原はそのまま校舎の教職員用出口に向かって歩いて行った。

「勝手に入っても?」

「学校の方に許可はもらっています。実は私、三年くらい前にここへ教育実習に来たことがあるんです。その時以来、ここの先生方とはお付き合いさせて頂いていて、今回もその縁で無理に頼みました」

 三人は校舎内に入ると、そのまま教室の並ぶ廊下へ向かった。

「あの子たちには教室で待ってもらっています。二人とも緊張していますので、なるべくやさしくお願いします」

「その子たちとも親しいようだね」

「……実は、発見者の二人は私が教育実習をしていた時の教え子なんです。遺跡を見つけたという連絡も、最初は私が受けました。だから、他人事じゃなくて」

「なるほど、ね」

 やがて、目的の教室の前に到着した。福原が中に入ると、そこには小学生の男の子と女の子が一人ずつ不安そうな表情で待機していた。

「野辺裕樹君と平木瑠奈ちゃんです。後はお任せします」

「ありがとう」

 榊原はそう言うと、二人に近づこうとした。が、その前に二人が顔を引きつらせて後ずさる。

「あー、もう、先生。黙っていきなり近づいたんじゃ怖がられるだけですよ。ここは私に任せてください」

 そう言うと、今度は瑞穂が微笑みながら前に出た。

「こんにちは。お名前、聞かせてくれるかな?」

 瑞穂という思わぬ人物の登場に、小学生二人は顔を見合わせる。

「平木瑠奈です」

「野辺裕樹……」

「うん、瑠奈ちゃんに裕樹君ね。私は深町瑞穂。東京で、そこにいる名探偵さんの助手をしてるの」

 そう言われて、榊原はばつの悪そうな表情をする。それに対し、反応を見せたのは瑠奈だった。

「名探偵って、明智小五郎とか?」

「へぇ、凄いね。そういう本を読んでるんだ」

「少年探偵団とか……図書館でよく読んでるの。ねぇ、お姉ちゃん。探偵の助手って本当?」

「本当だよ。探偵七つ道具とかはないけどね」

「すごぉい」

 瑠奈は本当にうらやましそうに言う。どうやら、瑠奈の方は心を開けたようだ。一方、そういう話題に疎いのか、裕樹の方は相変わらず話に乗ってこない。とはいえ、一方でも話を聞いてくれただけ大成功である。

「それでね、そこの探偵さんが瑠奈ちゃんたちに聞きたい事があるんだって。いいかな?」

「うん、わかった」

 その返事を聞いて、瑞穂は榊原にバトンタッチする。

「じゃ、先生。後は頼みます」

「君は凄いよ」

 榊原はそう言うと、改めて前に出た。

「改めて、探偵の榊原です。今日は君たちに協力してもらいたい事があるんだが、いいかな?」

「うん」

 その返事にホッとしながら、榊原は質問を開始する。

「実は、君たちが一ヶ月前に見つけた裏山の遺跡について聞きたいんだがね。発見した当時の状況を教えてくれるかな?」

「えっとね、私たち、裏山にある秘密基地に行こうとしていたの」

 『秘密基地』という言葉に、控えていた福原が付け足す。

「山の中腹にこの子たちが作った秘密基地です。裏山は普段から、この子たちの遊び場になっているんです」

 榊原は了解したと小さく頷く。その間にも、瑠奈は話を続けた。

「それでね、その途中でいつもはないはずの大きな穴が開いているのを見つけたの。私は怖くて近づけなかったんだけど、裕樹君が穴に近づいちゃって……」

「で、そのまま足を滑らせて落ちた、と」

 榊原の言葉に、裕樹はうつむいたまま小さく頷く。

「私、びっくりしちゃって、慌てて学校の先生に裕樹君が落ちたって知らせに行ったんです。その後、先生があちこちに連絡したりして、そしたらいっぱい人がやってきて……凄かったです」

「そうだったのか。じゃあ、何か変わった事はなかったかね?」

「変わった事?」

「何でもいいんだ。遺跡を見て不思議に思った事とか、何か変だなぁと思った事とか」

「うーん、わからない」

 瑠奈は困惑した様子でそう答えた。

「裕樹君はどうかな? 話によると、君はあの穴に落ちて、遺跡の中を見ているはずなんだが」

「し、知らない」

 裕樹はどこか顔を青ざめさせながらそう言って否定した。榊原はそんな裕樹を冷静に見つめると、小さく微笑んだ。

「……そうかい。わかった、今日はわざわざありがとう」

 榊原はそう言うと、あっさり引っ込んでしまった。あまりの呆気なさに、隣で見ていた福原が目を白黒させる。

「あの、もういいんですか?」

「これ以上聞いても無駄だろう。とりあえず、今のところはこれで充分だ」

 榊原は大きく背伸びをする。

「すまないが、しばらくその辺を一人で散策したい。構わないかね?」

「え、えぇ。一時間以内には戻ってきてください」

「わかった。じゃあ、後は任せる。その子たちも帰ってもらって結構だ」

 そう言うと、そのまま榊原は部屋を出て行ってしまった。呆気にとられている福原の横で、瑞穂は意味深な表情を浮かべていた。


 それから数十分後、解放された裕樹と瑠奈は田んぼ道を並んで歩いていた。

「何だったのかなぁ、今日のは? あれで探偵さんの役に立てたのかなぁ」

 瑠奈は首をひねりながらそんな事を言っていた。彼女としても、あの程度で本当に何かの役に立ったのかわからないのだ。

「ねぇ、裕樹君。どう思う?」

「え、何?」

「もう、さっきからどうしたの? ボーっとしてるっていうか……」

「な、何でもないよ」

「本当に? なんか、この間からずっとそうだよね」

「そうかな? よくわからないや」

 そう言っているうちに、二人は分かれ道に差し掛かる。

「じゃあ、私はこっちだから。バイバイ」

「うん……」

 瑠奈と別れ、裕樹はトボトボと家の方へ歩いていく。聞こえてくる虫の声も、どこか寂しさを感じさせるものになりつつあった。

「どうしよう……あんな事言えないよ……」

 そう呟いているうちに、裕樹は無事に家の前に到着した。が、裕樹はそのまま家に入らず、何を思ったのか家の前を通り過ぎて隣にある竹林の中に入っていった。そのまま竹林の奥へ進み、ある大きな竹のある場所に到着すると、近くに置いてあった小型のスコップを手に取って、その根元を掘り始めた。

 それからしばらくその作業を続けていたが、数分もするとその場所から何かは金属の箱のようなものが見えてくる。その箱を手に取って困ったような顔をしていた時だった。

「それが君の隠し事、という事か」

 不意に後ろから呼びかけられ、裕樹は飛び上るほど驚いて振り返った。その拍子に手に持っていた金属の箱が地面に落ちる。

 薄暗い竹林の中、そこには先程の探偵が立っていたのだった。

「ど、どうして……」

「心外だね。尾行は探偵の必須能力の一つだよ」

 そう言いながら、榊原は裕樹に近づいてくる。裕樹は思わず後ずさった。

「そんなに怖がらなくてもいい。取って食おうというわけじゃないんだ。ただ、君が何を隠しているか気になってね。あえて泳がす事にしたんだ」

「隠してるって……」

「君は私が『何か変わった事がないか』と聞いたときに、必要以上に強く否定した。強い否定というものは、何かを隠している事が多いのでね。君に何か隠すような事があったと考えた。で、こうして尾行したわけだ」

 そう言うと、榊原は地面に落ちた箱を見やった。

「どうやら、それが君の隠し事という事らしい。できれば、説明してほしいんだけどね」

 そう言われて、裕樹はうなだれるようにしてその場に崩れ落ちた。

「あの日……あの穴に落ちて助けを待っているときに、僕、あの穴の中できれいな石を見つけたんだ。それで、きれいな石だなぁと思って、思わずポケットに隠しちゃって……」

「遺跡から勝手に物を持ち出した、と。なるほど、それは隠し事にしたくなるわけだな」

 榊原は納得したように言う。

「でも、どうしてそんな事を? この扱いから見て、君がほしかったというわけでもなさそうだね」

「それは……瑠奈ちゃんにあげようかと思って……」

 裕樹は顔を赤くしながら言う。それで榊原も事情を察した。

「わかった。これ以上は聞かない。でも、だったらどうしてこんなところに隠したりしたんだ?」

「あれが貴重な遺跡だって大騒ぎになって、渡せなくなっちゃって……」

「そうか」

 榊原は榊原小さく頷くと、裕樹に告げた。

「どうだろう、一つこれを私に預けてくれないかね? 私なら、あの遺跡を調べている研究者の人に返す事もできる」

「え?」

 思わぬ話に、裕樹は戸惑ったような視線を向けた。

「怒らないの?」

「残念ながら、私は怒れる立場にはいないものでね。ただ、返す時に事情は説明するが、それは構わないね?」

「う、うん。わかった。返すよ」

「じゃあ、交渉成立だ」

 そう言うと、榊原はその箱を手に取ると、ポケットから別のものを取り出した。

「生憎、こんなものくらいしかないが、代わりにもらってくれ。脅かしてすまなかったね」

 そう言って何かを渡すと、榊原はそのまま裕樹に背を向けて竹林から去っていった。裕樹は呆気にとられたように榊原の背中を見送っていたが、しばらくして手に渡されたものを確認する。

「何……これ?」

 そこにあったのは、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の文庫本だった。

「まさか……探偵のくせに勉強しろって事かな? それとも、これがあれを勝手に持ち出した罰とか?」

 わけがわからないまま、裕樹はただ茫然とその文庫本を眺めるしかなかったのだった。


「先生! どうでした?」

 榊原が田んぼ道を歩いていると、向こうから瑞穂が走ってきた。

「あぁ、思ったよりあっさり片付いた」

「やっぱり、あの子何かを隠していたんですね」

「君も気付いたか」

「そりゃ、ね。あまりにも反応があからさまでしたし」

 何だかんだ言いながら、瑞穂もやはり只者ではない。

「で、収穫は?」

 榊原は黙ってさっきの金属の箱を取り出した。

「何ですか、これ?」

「さぁね。まだ中を確認はしていないが」

「ちなみに、まさかただ取り上げてきたわけじゃないですよね」

 瑞穂の念押しに、榊原は心外そうな顔をした。

「そんなわけないじゃないか。ちゃんと代わりの物を渡しておいた」

「一応聞きますけど、何を渡したんですか?」

「芥川龍之介の『蜘蛛の糸』だ」

「何でそんなものを……」

「本当なら松本清張の『点と線』でも渡したかったのだが、さすがに小学生にそれはないと思って『蜘蛛の糸』で我慢した」

「いや、小学生に『蜘蛛の糸』というのもどうかと思いますよ。というか、よくそんな本がありましたね」

「来るときに旅先で読もうと思って『点と線』と一緒に本屋で買ったものだ」

「あー、もう! 先生に任せた私が馬鹿でした!」

 そんな事を言う瑞穂を尻目に、榊原は金属の箱を見つめる。

「さて、じゃあ、早速中身を見るとするか」

「あ、私も」

 あっさり気持ちを切り替えて、二人は金属の箱のふたを開けて中を見る。その瞬間、二人の表情が一気に真剣なものになった。

「先生、これって……」

 そこにあったのは小さな石だった。直径は五ミリメートルもないだろう。だが、その一部が金属の光沢に包まれていて、確かに見方を変えれば珍しい石に見えなくもない。一見すると何が何だかわからないものだが、榊原は何か確信を持ったように頷いた。

「やはりか」

 榊原はそう言うと、自信に満ちた表情ではっきり宣言する。

「これでようやくつながったな」


 それから一時間後、二人は福原の車で奈良市へと舞い戻っていた。一緒に博物館に戻ろうと誘う福原の申し出を丁重に断って、二人は奈良駅に向かう事にした。

「一時間後に戻る。そこですべてを説明できると思うから、昨日の資料保管庫に全員で集まるように、黒羽教授に言っておいてくれ」

「はぁ」

 怪訝そうな顔をする福原を残して、二人はそのまま奈良駅に向かった。朝に連絡のあった、国民中央新聞の秋本記者が到着しているはずだ。

「いよいよ大詰めですね」

「あぁ。最後の秋本記者からの情報で、この依頼に対する結論が出せる。どうやら、予定通り今日中に片が付きそうだ」

 やがて、JR奈良駅の前に到着する。しばらく周囲を見渡していたが、今は保存されている旧奈良駅舎の前にそれらしいスーツを着た若い男性がいるのを榊原は見つけた。と、同時に向こうも榊原に気付いたようで、こちらに駆け寄ってくる。

「どうも、榊原恵一さんですね」

「あなたが国民中央新聞の秋本さん?」

「そうです。土田さんがよろしくと言っていました」

 そう言うと、秋本は気さくそうに笑う。

「早速だが時間がない。要件に入ってもいいか?」

「もちろんです。ええっと、松浦茉奈の残した資料に関してでしたよね」

 そう言うと、秋本は持っていたビジネス鞄から何冊かの本を取り出した。

「松浦茉奈の自宅に遭った資料のうち、僕の判断で関係がありそうだと思ったものです」

 榊原はそれを受け取ると、サッと目を通しながら秋本にも質問していく。

「君から見て、今回の件、どう思う?」

「僕が意見を言っていいんですか? 黒羽教授と違って、ただのアマチュアですけど」

「歴史的な話なら、私より君の方が専門だ。それに、アマチュアの視線からわかる事も多いだろう」

 そう言われて、秋本は苦笑しながらも律儀に答えた。

「そうですね。ちょっと妙だとは思っています」

「というと?」

「僕自身、改めて原田山の遺物について調べてみたんですが、原田山から見つかった1号から12号までの遺物は、そのすべてが近隣の他の遺跡でも似たものが見つかっているものばかりです。例えば、最初に見つかった鏡からして、近郊の遺跡で大量に見つかった鏡と同一のものという事でしたね」

 榊原は素直に頷く。秋本は勢いを得て続けた。

「調べてみた限り、他の遺物も似たり寄ったりなんです。まぁ、だからこそ松浦茉奈はその遺跡の独自性を証明できず、学会では笑いものになってしまったわけですけど」

「論文では、近隣の遺跡と似たようなものが見つかっているからこそ、それらの遺跡と共通するような別の遺跡が眠っている可能性があるとされていたが」

 榊原の問いに、秋本は首を振った。

「確かに一つならその可能性もあるかもしれませんけど、こう連続するとちょっと不思議な気はしますね。まぁ、僕の考えすぎかもしれませんけど」

「そうか……他には?」

「うーん、これは完全に素人目線ですが、やっぱり13号遺跡の副葬品の数が未盗掘にしては少なすぎるようにも思えますね。まぁ、僕は実物を見ていませんし、小規模な遺跡という事もあるのでしょうが……」

 秋本は自信なさげに言った。それに対し、瑞穂が発言する。

「あ、でも、その副葬品が周囲に散乱していて、1号から12号の遺物になったのかも」

「だとしても少なすぎると思うんですよねぇ。それに、副葬品らしからぬ遺物もありますし」

「副葬品らしからぬ遺物、というと?」

 榊原がその話題に食いつく。

「7号遺物の剣ですよ。あの遺跡の主が女性でしかも司祭的な役割の人物なら、戦いの象徴である剣なんか普通は納めないはずなんです。だから、他の遺物が副葬品と考えるのはちょっとしっくり来なくって」

 確かに、昨日見たデータでは、7号遺物は錆びた剣だった。

「なんだろう、その資料といい、何というか妙にしっくりこないんです。どこかちぐはぐというか……」

「ちぐはぐ、ねぇ」

 榊原はそう言いながらも資料に目を通し続ける。

「どうですか?」

「見た感じ、発掘に至るまでの彼女の日記のようだな。やはりというか、1号遺物発見までの間、彼女は相当に苦労をしているらしい」

「まぁ、根拠があのうさん臭い文献ですからねぇ」

 瑞穂が同情気味に答える。と、秋本がその言葉に口を挟んだ。

「藤原春平の『大和国覚書』ですか」

「知っているのか」

「知っているも何も、その話を一時期文化部にいた土田先輩にしたのは僕ですから。でも、まさか本当に遺跡が出るなんて予想外でしたよ」

「そんなに意外な話なのか?」

「藤原春平の文献と言えば、考古学を学ぶ人間の間では嘘八百が並んでいる事で有名なんです。むしろ、どうして松浦茉奈がその文献を選んだのかが不思議です。まぁ、結果的に見事に定説は覆りましたけどね。藤原春平も、たまには正直な事を書いたという事ですか」

「つまり、藤原春平の本が事実だったという事だけでも、充分に大発見というわけか……」

 榊原は意味深にそう言った。

「あの、結局その『大和国覚書』は松浦さんの家にはあったんですか?」

「残念ながらどこにもありませんでした。あったら持ってきていますし、何なら僕が最初にそれを読んでいます」

 秋本は残念そうに首を振った。

「……わかった。わざわざすまなかったな」

「いえ、こっちも取材費が出ていますので、問題ないです」

「取材費?」

「これから今回の依頼の報告をするんですよね。よろしければ、同行させてもらえませんか? これが今回の件に関する土田先輩からの交換条件です」

「……やれやれ、やはり腐っても沖田班元遊軍記者グループの面子だな。ただ働きをしなくて済む代わりに、大きなネタを一つ提供してやることになりそうだ」

 そう言う榊原に対し、瑞穂は緊張した表情を向けた。

「先生、それじゃあ……」

「あぁ」

 榊原は断言する。

「今回の一件、そのすべてが見えたようだ」

 そう宣言すると、榊原は身をひるがえし、博物館の方へ引き返し始めた。

「行こうか。決着をつけに」

 その言葉に、瑞穂と秋本は小さく頷くと、その後に続いたのだった。

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