第二章 概論

「着いたぁ!」

 二〇〇七年九月十五日土曜日。JR奈良駅東口にある旧駅舎の前で、一人の少女がそう言いながら大きく伸びをしていた。あまりの大声に、周囲の人々が何事かと彼女を見やるが、本人は一切気にする様子はないようだった。

 年齢は高校生くらいだろうか。休日だというのになぜかセーラー服を着ており、その手には旅行用のキャリーバッグが引かれている。

 そんな少女の後ろに、苦々しい表情で彼女を見ているスーツの男がいた。年齢は四十歳前後だろうか。よれよれのスーツにネクタイ、手には黒のアタッシュケース。パッと見た感じはくたびれたサラリーマン以外の何者でもなく、休日の奈良駅前にはやや不釣り合いな格好である。

「瑞穂ちゃん、小学生じゃないんだから、そういう恥かしい行動はやめてくれないかね? 付き添う私の身にもなってくれ」

「いやぁ、修学旅行で京都に来たことはありますけど、奈良は初めてなもので」

 瑞穂と呼ばれた少女がそう言って答える。スーツの男は深いため息をついた。

「言っておくが、今日は観光できたわけじゃなくて、あくまで仕事だ。観光地巡りなんかできないからそのつもりで」

「わかっていますって、先生。私も最初からそのつもりですから」

「なお悪いな。高校生のセリフとは思えん」

「まぁまぁ。でも、本当にどんな仕事なんですかね。わざわざ東京から探偵の先生を呼ぶなんて……」

 瑞穂はそう言って首をかしげた。

 改めて紹介しておくと、瑞穂の言葉に難しそうな顔をしているスーツの男は榊原恵一さかきばらけいいちという。東京の品川で私立探偵事務所を経営している探偵であるが、かつては警視庁捜査一課最強の捜査班のブレーンだったという経歴を持ち、私立探偵の身でありながら日本の犯罪史に名を残す数々の大事件を解決してきた腕利きである。実際、警察から事件解決のアドバイスを依頼される事も少なくないが、なぜか事務所は常に閑古鳥が鳴いていて、お世辞にも儲かっているとは言い難い。もっとも、本人はまったく気にしていない様子ではある。

 少女の方は深町瑞穂ふかまちみずほ。東京都立立山高校一年で、同校のミステリー研究会会長。今年の六月に立山高校で不可能犯罪が起こった時に榊原に関係し、その推理力に感服して自称弟子として榊原の事務所に入り浸るようになってしまった。榊原としてもやや諦めている節があり、最近はちゃんと弟子として扱っている事が多い。

 そんな二人が、はるばる奈良までやって来たのは、もちろん本人が言っているように観光目的ではない。大体、元来この榊原という男は事件の事以外は恐ろしくマイペースで、旅行など滅多に行こうとしない。今回も、仕事の依頼でわざわざ奈良までやって来たのだった。

「私にもわからないが、軽く話を聞く限り、どうも今回は殺人事件解決の依頼ではないらしい」

「へぇ、珍しいですね。先生もそういう依頼を受けるんですか」

「……あのね、普通、殺人事件の依頼を受ける探偵の方が珍しいぞ。私の場合は少々立場が特殊だから受けているが、本来はこういう地道な依頼をこなすのが探偵の仕事だ」

「そうなんですか」

「そういうものだ。というか、大体なぜ君はついてきたんだ。いくら学校が休みだからって、東京の高校生が探偵にくっついて奈良までやって来るなんて前代未聞だぞ」

「まぁ、いいじゃないですか。私だってこれが仕事だってわかっているからこそ、こうしてちゃんと制服を着ているわけですし。ところで、確か依頼主はどこかの大学の教授でしたよね」

 急に話を切り替えられて、榊原は少し苦い表情をしながらも渋々頷く。

「そうだ。この奈良市にある北大和大学文学部教授の黒羽要五郎くろはようごろう氏だ。私だって普段ならこんな内容もわからない依頼を受けたりはしないが、奈良県警の網田警部の紹介と言われては、断るわけにもいかない」

「網田?」

「本名を網田堂一あみだどういちといってな。刑事時代の知り合いだ。美術品強盗殺人グループを追っていた時に、一緒に捜査した事がある。以来、毎年年賀状のやり取りをするくらいの付き合いはある」

「えっと……奈良県警の刑事の名前が『あみだ』って、ネタか何かですか?」

「言ってやるな。あと、一応言っておくが、『阿弥陀仏』信仰は、平安時代後期の浄土教や、鎌倉時代以降に発展した浄土系の仏教で発展したものだ。飛鳥時代や奈良時代の奈良仏教の時点では存在そのものが知られていなかったから、奈良にその手の仏像はあまりないぞ」

「知っています。だから、それを踏まえて出来過ぎだって言っているんです。こう見えて私、日本史は得意ですから」

 そんな話をしながら、二人は駅から奈良市内の方へゆっくりと歩いて行った。

「それで、どこへ行くんですか?」

「とりあえず、奈良の国立博物館で待ち合わせる事になっている。そこで今回の依頼の詳細を聞く事になる」

「奈良の国立博物館って、だったら、近鉄奈良駅から降りた方が近かったんじゃ……」

 ちなみに二人とも京都駅まで新幹線で来た後で奈良線に乗り換えてここに来ているので、同じく京都駅が始発の近鉄線に乗っても問題はなかったはずである。瑞穂はその事を言っていた。

「まぁ、せっかく奈良に来たんだから、こうして歩くのもいいじゃないか。あと、紹介した成り行きで、当の網田警部も立ち会うそうだ」

「えーっと、その刑事さん、忙しくないんですか?」

「そんな事まで私がわかるわけがないだろう」

「そんな堂々と言われても……」

 そうしてしばらく歩くと、やがて目の前に大きな芝生の公園が見えてくる。近くには興福寺と思しき建物も見えた。

「ここが奈良公園ですねぇ。あっ、鹿がいますよ!」

「そりゃいるだろう。ここの名物だからな」

「うーん、こうして見てみると結構かわいいなぁ。シカせんべいあげたいなぁ」

「好きにしたらいいが、私は待たないぞ」

「わかっていますよ。我慢します」

 そう言いながらも、瑞穂の視線はちらちらと鹿の方へと向いている。

「ここの鹿って何匹ぐらいいるんですかね?」

「前に聞いた話だと、一二〇〇頭前後だそうだ。街のど真ん中でのんびりしているが、ああ見えても野生の鹿らしい。あと一応言っておくが、天然記念物だから意図的に攻撃するなりしたら逮捕されるから、そのつもりで」

「しませんよ! ていうか、鹿に攻撃って、どんな状況なんですか!」

「例えば、何かの拍子に怒らせて追いかけられたときとか」

「いやいや、普通そうなったら逃げますよ。というより、怒った鹿に突撃とか、それもう自殺志願以外の何物でもないですよね」

「まぁ、そんな雑談はともかく……あれが問題の博物館らしいな」

 榊原の視線を追いかけると、その先に立派な外見の建物が立っているのが見えた。奈良国立博物館。多数の寺社や遺跡を抱える奈良県が誇る大型博物館で、国宝や重要文化財の所有数も群を抜いている。例年行われる正倉院展は、今でもかなりの好評らしい。

 その入口に、二人の人影が立っているのがここからでも確認できた。

「どうやら、わざわざお待ちのようだ」

 榊原は足を速め、瑞穂も慌ててそれに続いた。向こうも、それに気づいた様子である。

「やぁ、どうも。初めまして。榊原先生ですな?」

 二人のうちの一人、初老の男性が気さくに声をかけてくる。もう一人の方……榊原と同年代と思しきスーツ姿の男は、無表情に頭を下げただけだった。

「初めまして。私立探偵の榊原です。こっちはその……」

「先生の弟子の深町瑞穂です。よろしくお願いします」

 何か言われる前に瑞穂はぺこりと挨拶する。幸い、相手は特に気にする様子もないようだった。

「ほう、お弟子さんとはさすがですな。あぁ、申し遅れました。私、先日ご連絡をさせて頂きました、北大和大学文学部日本史学科の黒羽要五郎と申します。以後、お見知りおきを」

 そう言いながら、黒羽は榊原に名刺を渡してくる。一方、後ろに控えている無表情な男は、黙ってそれを見ているだけだった。

「網田さん、あなたも相変わらずですね」

 先に声をかけたのは榊原だった。それを聞いて、瑞穂はその無表情な男が、奈良県警の網田堂一警部だと知った。

「……網田です。よろしく」

 網田は瑞穂に一言そう言っただけで、再び口を閉ざしてしまった。どうやら、刑事のくせにと言うか刑事だからと言うか、かなり無口な人物らしい。今まで出会った警察関係者とは違うタイプに、瑞穂も少々戸惑い気味だった。

「さて、立ち話もなんですし、こちらへどうぞ」

 一通り自己紹介が済んだところで、黒羽の先導で四人は博物館の裏手へと回った。その道中、瑞穂が榊原に小声で質問する。

「網田警部、あんなに無口で刑事が務まるんですか?」

「わからんが、以前一緒に捜査した時はちゃんと犯人を捕まえていたから無能ではないはずだ。県警では『仏の網田』とかなんとか呼ばれていた。あぁ見えて、一応捜査一課……殺人担当らしい」

「えぇ……。聞き込みとか大丈夫なんですか?」

「そういうのは全部部下に丸投げしているらしい。どちらかと言えば、集めた情報を分析する事に長けている人種だ。まぁ、私もあまり肌は合わなかったな」

「よくわかります」

 そんな話をしているうちに、四人は博物館の裏手にある『関係者以外立入禁止』と書かれたドアの前に到着していた。が、黒羽は臆することなくそのドアを開けて中に入り、背後の三人にも手招きした。誘われるままに、榊原たちもその中に入る。

 中は博物館の展示室ではなく、研究員専用の通路のような場所で、『史料室』と書かれたいくつもの部屋が並んでいた。黒羽はしばらく廊下を進むと、そのうちの一室に遠慮なく入っていく。中にはたくさんの書物や様々な出土品が無造作に置かれていて、いかにも考古学の研究室といった感じであった。

「どうぞ、そこのソファにおかけください。この部屋は博物館の御好意で借りているものでしてな。最近では大学よりもこっちにいる事が多いのですよ」

 黒羽はそう言うと陽気に笑った。榊原たちは素直にソファに腰かける。しばらくすると、黒羽は人数分のコーヒーをもってきてテーブルに置くと、反対側のソファに自身も腰かけた。

「まずは、改めてお礼をさせて頂こう。よく遠路はるばるよくおいでくださった」

「それは構いませんが……本来ならあんな曖昧な話は受けないのが私の方針です。ですが、今回は網田警部の紹介があったので、とりあえず話を聞きに来たというわけです。その点、予めご了承ください」

「失礼は承知の上です。この依頼は先生にしか頼めないと思っています」

「それは随分信用されたものですね。ところで、網田警部とはどうしてお知り合いに?」

「なぁに、うちの大学に奈良県警の検視に協力している法医学者がいましてな。彼と私は友人でして、今回の依頼にふさわしい人間がいないかを彼に相談したら、網田さんを紹介されたのですよ。それで、網田さんの話から、あなたに頼むのが一番という事になりましてな。こうして来て頂いたというわけです」

「なるほど……では、早速ですが、その依頼とやらをお聞かせ願えますか?」

 榊原は本題に入った。黒羽の目もさすがに真剣なものになる。

「……榊原先生は、『原田山13号遺跡』という遺跡の事をご存知ですかな?」

「詳しくは知りませんが……確か、一ヶ月ほど前に明日香村の近くで見つかった遺跡だと、ニュースで騒いでいたのを覚えています。小学生が偶然見つけたとかで、珍しい事もあると思っていました」

「その遺跡です。実は、その調査を私の研究室で行っているのですが、その件で榊原先生には協力をして頂きたいのです」

 榊原は眉をひそめた。

「協力と言われましても……何分、私はそういう事には門外漢ですからね。歴史に対する知識も多少は持ち合わせていますが、所詮は一般人としての範囲です。専門家であるあなた方にかなうものではありません」

「わかっています。実のところ、この話は考古学というよりも、先生の方が適任かもしれない話なのです」

 その言葉に、榊原も少し興味を持ったようだった。

「お聞かせ頂きましょうか」

「もちろんです。さて、問題の原田山13号遺跡ですが、端的に言えばこの遺跡は古代の墳墓……すなわち墓だったと考えられています」

「という事は、古墳ですか?」

「現時点では古墳なのか、あるいは弥生時代に造られた墳丘墓なのかを議論している段階です。ただ、墳墓のタイプとしてはいわゆる竪穴式石室……墳丘上部から棺を安置する穴を掘って、その後で天井石をかぶせて土をかぶせるタイプです。それで、調査の結果その遺跡からはいくつかの出土品が発見されました。埋葬品の類はもちろん、最大の発見はそこからいわゆる石棺が見つかったという事です。そして、その棺からはこの墓の主と思しき人間の遺骨が見つかりました」

「遺骨、ですか。つまり、その墓は未盗掘だったと」

「そういう事です。先日の大嵐で地盤が緩み、それによって石室の天井が崩落した事で発見に至ったのですよ。それはともかく、我々はさっそくその遺骨を調べました。そして、放射性炭素測定を行った結果、この遺骨が少なくとも一五〇〇年から二〇〇〇年ほど前のものだという事がわかったのですが、何より問題だったのは、この遺骨の主がどうやら女性のようだという事なのです」

「ほう」

 榊原は思わずそんな声を出していた。一方、瑞穂は首を傾げっぱなしだ。

「あの、先生、それだとどうして問題になるんですか?」

「日本史は得意じゃなかったのかね?」

「限度がありますよ。で?」

「……この時代、この規模の墳墓の主となると普通は男性が多い。女性が墓の主というのは、かなり珍しい事なんだ」

「皇室関係者、あるいはそれに近い身分の高い女性である可能性があります。しかし、問題はそこじゃない。放射性炭素測定の結果とこの墓の主が女性であるという事実。それが歴史をひっくり返すかもしれない、ある大発見につながりかねないのです」

「大発見?」

「この遺跡が、あの邪馬台国の女王・卑弥呼の墓である可能性です」

 思わぬ話に、瑞穂は思わず唖然とした表情をした。

「え、卑弥呼って、あの?」

「さすがに君も歴史で習っているだろう」

「もちろんですよ! 歴史で最初に習う人物です」

「そもそも、卑弥呼や邪馬台国についての話が出てくるのは、中国の『魏志倭人伝』と言う歴史書の中だけでしてな。その内容、特に邪馬台国の位置をめぐっては昔から歴史学会で論争が続いていました。有名なのが九州説と近畿説ですが、どちらも決め手に欠けて未だに決着がついていません。この論争に決着をつけるには、それこそ決定的な証拠が必要です。それこそ、問題の卑弥呼の墓のような、です」

「じゃ、じゃあ……」

「えぇ、この遺跡の調査次第では、日本の歴史上最大の謎と言われる邪馬台国論争に蹴りがつくかもしれないのですよ」

 いきなりのスケールの大きな話に、瑞穂は正直ついていけなかった。だが、榊原はそんな状態でもまだ冷静である。

「その手の話は今までいくらでも出てきていたはずです。そしてそのすべてが外れだった。今回もそこまで過度に期待するのは考え物では?」

「もちろんです。これについてはまだ私の戯言だと思っておいてください。ですが、そうでなくともこの遺跡にはもう一つ注目すべき点がありましてな。詳しい事はまだ調査中ですが、どうもこの遺跡、あの『空白の四世紀』のものである可能性があるのですよ」

 またしてもわけのわからない事を言われて、瑞穂はさらに首を傾げる。

「ええっと、何ですか? 空白の四世紀って」

「どう説明すべきか……」

 そう前置きすると、これには榊原が解説した。

「基本的に歴史と言うものは過去の文献や史料、史跡などから研究がなされる事が多い。逆に言えば、そうしたものがなければ歴史がどうなっていたのかわからなくなってしまうという事だ。古墳時代、渡来人によって漢字が伝わった事によって、日本でも国内状況を記した文献が出現するようになったが、それ以前はそもそも文字がなかったために、日本国内の状況を記す日本の文献というものが存在しない。ゆえに、日本の歴史学においては、古墳時代以前の研究に関しては隣国ですでに文字のあった朝鮮や中国の歴史書などからそこに書かれている日本の様子を推察する事しかできない。もっとも、そうした国にとって当時の日本は辺境の地だから、文献の量も限られているがな」

「はぁ」

 膨大な情報量が出てきて、瑞穂はそう言って頷くしかない。

「さて、そうした文献の中でも有名なのが、さっきも出てきた『魏志倭人伝』という邪馬台国や卑弥呼について記された文献だ。三国志で有名な魏という国の歴史書で、邪馬台国が魏の皇帝に朝見したという内容が書かれている」

「魏の皇帝って、曹操とか曹丕とかですか? どこかのゲームによく出ていますけど」

「いや、曹丕の次の曹叡の代だ。時代は五丈原の戦いで諸葛孔明が死去し、司馬懿仲達が国内の実権を握り始めた頃か。もっとも、当の司馬懿はこの当時朝鮮の方に出兵していたはずだが。まぁ、それはともかく、この『魏志倭人伝』には続きがあってね。魏の後に三国を統一した晋の歴史書『晋書』によると、卑弥呼の死後、邪馬台国には男の王が成立したが国がまとまらず、結局同じく女性の壱与という人物が女王になって中国に使者を送ったというところまで書かれている。ところが、ここから先が問題だ」

「何かあったんですか?」

「実は、三国統一を果たした晋だが、この後内戦状態に陥ってね。結局そのまま中国は再度戦国時代状態に突入し、歴史書を書いている暇がなくなってしまった。結果、その後一五〇年間……正確には西暦二六六年から西暦四一三年にわたって、日本という国の存在が歴史書に一切登場せず、国内状況が全く分からない『歴史上の空白期間』ともいうべき期間が生じてしまった。これが『空白の四世紀』だ。わかっているのは、この期間に邪馬台国が滅び、そしていつの間にか天皇家……いわゆる大和朝廷が誕生してしまっているという事だけだ。つまり、邪馬台国がいつ滅び、大和朝廷がどのような経緯で誕生したのかが全くわかっていないという事になる」

「それは……一番大切なところが抜けてるって事じゃないですか!」

 今の説明で納得したのか、瑞穂が思わず声を上げる。

「そうだ。だからこの期間に関しては……特に邪馬台国と大和朝廷の関係に関しては今でも諸説入り乱れている。具体的には、邪馬台国が大和朝廷の前身であるという説や、大和朝廷が邪馬台国を滅ぼしたという説、などなど色々だ。ただ、全く史料がないわけでも無くてね。例えば現在朝鮮半島にある好太王碑文という石碑には、この空白の四世紀の末期に日本が朝鮮に攻め込んだという記録が残されている。そこから察するに、どうも戦争に明け暮れていたのは間違いないようだ」

「はぁ、って事は、もしこの遺跡が『空白の四世紀』のものだったら、歴史上の大発見になるかもしれないって事ですか」

「そういう事だ」

 榊原の解説は終わった。見ると、黒羽が感心した表情をしている。

「素晴らしいですな。先生は歴史についても詳しいようで」

「いえ、さっきも言いましたように、単に素人の趣味です。それよりも、早く依頼内容に入ってもらえませんか?」

「あぁ、すみませんな」

 そう言って頭を下げると、黒羽は話を元に戻した。

「実は、その発見された遺骨の鑑定を、先程言いました私の友人の法医学者に依頼をしたのですよ。津嘉山伏春つがやまふしはるという大和大学医学部の人間でしてな。遺骨の放射測定を行ったのも彼です。ですが、その鑑定結果に少し気になる点がありましてな」

「と言いますと?」

「津嘉山の話ですと、あの遺骨には首を絞められた形跡があるというのです」

 その言葉に、榊原の表情が厳しくなった。

「それはつまり……その遺跡の主は、誰かに殺された可能性がある、という事ですか?」

「その通りです。今から一五〇〇年以上前に、ですがな」

 榊原は小さく唸った。

「はるか古代の殺人事件、ですか」

「もし、この遺体が誰かに殺されたのだとすれば、その殺害の状況を知る事で当時の人々の行動や思考が……謎とされる空白の四世紀、もしくは邪馬台国時代の人々の新たな事実が判明するかもしれません。この遺体の死の真相を解き明かす事は、歴史学的にも非常に有意義な事なのです。しかし、残念ながら私はそうした犯罪捜査は専門外でしてな。一応津嘉山経由で県警に協力してもらえないかと頼んだのですが、案の定突っぱねられまして。ここまで言えば、私が何を言いたいのか、わかると思いますが」

「まさか……」

 ほとんど呆れるような表情の榊原に、黒羽ははっきり言った。

「御想像の通りです。この原田山13号遺跡から見つかった古代の遺骨。この遺骨の殺害事件の真相を明らかにしてもらいたい。犯罪捜査分野においては第一人者と言われている先生なら、それができるはずです」

 さすがの依頼に、榊原も呆気にとられた表情をしている。瑞穂も、榊原がこんなに間の抜けた表情をしているところなど初めて見た。

「……本気ですか?」

「私は大真面目ですとも」

「無茶苦茶ですね。今から一五〇〇年以上も前に起こった殺人事件の真相を、古びた遺骨だけから明らかにしろなんて馬鹿げています。加害者や被害者の身元、そもそもその事件にどんな人間が関与していたのかさえ一切不明。当時の生活様式さえわからない。こんな状況で殺人事件の犯人を暴けなんて、たとえホームズでも不可能です。大体、こういう殺人事件の捜査は、通常動機の側面から行っていく事が多い。どんな人間がいたのかもわからないのに、そんな事を推理しろと言われても……」

 だが、黒羽は首を振りながら榊原の言葉を遮った。

「いやいや、私もさすがに『犯人が誰かを明らかにしてほしい』とまでは言いません。それができない事は百も承知です。私が求めるのは、この人物がどのような状況で殺害されたのか、いわば、殺害当時の状況を再現する事にあります」

「殺害状況の再現、ですか?」

「左様。具体的には、彼女がどのように殺害されたのか、また、そこから推定される犯人の身体的特徴や行動、殺害計画がどのようなものなのか。遺体の状況から物理的、心理的にそれを推測してもらいたい。そのくらいは可能ではないですかな?」

 まさに前代未聞の依頼だった。いくら犯人や動機を明らかにするわけではないとはいえ、はるか古代に起こった殺人事件の状況を再現しろと言うのである。こんな依頼は、さすがの榊原も初めてだった。

「参りましたね。まさかこんな依頼とは……」

「どうでしょうかな?」

「……さすがにこれは即答できません。とにかく、その遺骨とやらの状態を確認してみない事には……」

 榊原は慎重にそう答えを返す。とはいえ、ここで即座に断らないところが、ある意味榊原らしいのだが。

「もちろんです。実は、そのために隣の部屋ですでに準備ができているのですよ。すぐにでも確認できます」

「これは、用意周到ですね」

 ここまで来ると榊原ももはや苦笑する他ないようだった。

「まぁ、とりあえず、その遺骨とやらを拝見しましょうか」


 遺骨は黒羽教授の使用している部屋の隣の部屋にあった。どうやら保管庫か何かのようで、大量の段ボールが置かれた棚が部屋にびっしりと並んでいる。そんな部屋の中央だけは開けたスペースになっていて、そこに資料確認用の大きなテーブルが備え付けられていた。

 そして、そのテーブルの上には白いシーツがかぶせられた何かが置かれており、その周囲に数名の人間がすでにスタンバイしていた。黒羽と同い年くらいの男性が一人と、若い大学生と思しき人間が三人である。

「紹介しましょう。こちらが、今回この遺骨の鑑定を行った北大和大学医学部法医学教室の津嘉山伏春。他の三人は北大和大学文学部日本史学科の私の研究室に所属している大学院生です」

 その挨拶に、津嘉山は小さく頭を下げ、他の三人はそれぞれ挨拶した。

「黒羽研究室博士課程二年の金沢鎌人かなざわかねとです」

「同じく博士課程一年の曽部徳弘そべとくひろです」

「博士課程一年の福原推子ふくはらすいこです」

 男子二人、女子一人の構図である。

「私立探偵の榊原です。早速ですが、その遺骨というのは?」

「これだ」

 津嘉山は短くそう言うと、何の前触れもなく机の上のシーツをめくった。

「うわ……」

 瑞穂が思わずそんな声を漏らす。そこには、ほぼ一人分の薄汚れた遺骨が静かに横たわっていた。いくら一五〇〇年以上前の遺骨とはいえ、人骨は人骨だ。インパクトはかなりある。

「ほぼ丸ごと残っていたんですね」

「あぁ。落盤で大分破損はしているがな」

「ニュースによれば、問題の遺跡は集中豪雨による地面への水の浸透が原因で遺跡の天井が落盤を起こし、それで地面に穴が開いた事で発見されたんですよね」

「そうだ。地面から二メートルほど下のところにあった。見つかったはいいが、おかげで遺骨の収集にはかなり手間取った。土砂で滅茶苦茶だったものでな」

 榊原は、机の上の遺骨をジッと見つめる。

「まず、津嘉山さんの見解をお聞かせ願いましょう」

「性別は女性。骨盤の形状からこれは明らかだ。年齢は二十歳前後だと推定される」

「若い女性ですね」

「あぁ。身長は一五〇センチメートル前後、体重は四〇~五〇キロといったところか。放射性炭素年代測定法によれば、死亡したのは今からおよそ一五〇〇年前から二〇〇〇年前。現在、サンプルをさらに詳しく精査しているが、一六〇〇年前から一八〇〇年前の辺りまで縮める事ができるかもしれない」

「いずれにせよ、邪馬台国や空白の四世紀周辺の時代のものとみて間違いないという事ですか」

「そうなるな」

 と、そこで瑞穂がおずおずと手を挙げた。

「あのー、少しいいですか? さっきから何度か出てきている『放射性炭素年代測定法』って何ですか?」

 その問いに、榊原と津嘉山は顔を見合わせる。

「まぁ、確かに一般人には馴染みのない言葉かもしれないな。よし、では学生諸君、彼女に『放射性炭素年代測定法』について説明してみたまえ」

 津嘉山にそう言われて三人は戸惑ったような顔をしたが、代表でリーダー格の金沢が前に出た。

「ええっと、『放射性炭素測定法』は、こうした遺物に含まれている炭素14という物質を利用して遺物の年代を測定するという手法です。動物植物に限らず、生物は生きている間絶えず一定量の炭素を吸収していて、その量は死ぬまで一定です。ですが、生物が死亡すると体内の中にあるこの炭素14という物質は徐々に減り始めます。ただ、その減少スパンが非常に長くて、おおよその目安として五七三〇年ごとに二分の一になる反比例のグラフを描くんです。死んでから五七三〇年後に死亡直後の半分、そこからさらに五七三〇年後に死亡直後の四分の一、さらに五七三〇年経過すると死亡直後の八分の一、という風にね。これを利用して、遺物に含まれている炭素14の量から大まかではありますがその遺物がいつできたのかを推察できるわけです」

「それじゃあ、それを使えば犯罪捜査とかで白骨死体の死亡推定時刻特定にも利用できるという事ですか?」

 瑞穂のこの問いに対し金沢は首を振った。

「犯罪捜査の場合、対象となる白骨死体はせいぜい数十年スパンですから、死亡時期が近すぎて炭素14がそこまで減っておらず、逆に測定が難しいんです。なので、一年単位での情報が求められる犯罪捜査には不向きです。現在の精度でも最低五〇年の誤差が出てしまいますから。炭素14を使ったこの測定方法は、遺跡の遺物など一〇〇〇年スパンで年代測定をする際によく使用される手法ですよ」

「ちなみに、犯罪捜査では他のやり方で白骨死体の死亡推定時刻を特定する。その手の科学捜査を法人類学というのだがね。ま、その辺の解説は追々するとして……問題はこの遺骨だな」

 榊原はそう言って再び遺骨を見やった。

「黒羽教授に聞いた話だと、死因が絞殺である可能性が高いという事だが」

「この辺の首の骨を見てくれ」

 そう言うと、津嘉山は首の辺りを指示した。

「一部骨が砕けているが、どうもこれは土砂崩れによるものではないようだ。土砂崩れではこんな砕け方は普通しない。土砂で叩き潰されたというより、圧迫されてつぶれた、いわゆる圧迫骨折の形に近いだろう。特に喉仏近くにある第二脛骨の破損がひどくてな。これは絞殺死体によく見られる損傷だ」

「それで絞殺の疑いですか……。他に怪しい点は?」

「頭蓋骨も損傷はひどいが、後頭部にひび割れがある。これも土砂崩れによるものとは思えない。発見時、この遺骨は仰向けに寝ていたから、床に接している後頭部に傷が及ぶはずがないからな。どう考えても、外部から強烈な何かがぶつかった形跡だ」

「頭を殴られた、と?」

「殴られたのかどうかはわからん。が、それに近い何かがあったのは確かだ。ただし、こっちは致命傷とまではいっていないようだがな」

「状況証拠は限りなく黒か……」

 榊原はそう呟くとしばし考え込んだ。瑞穂が心配そうにそれを見ていると、後ろの方で学生たちがひそひそと不安そうに話しているのが聞こえてくる。

「本当に大丈夫なのか? あんなわけのわからん人間に任せて」

「さぁ……犯罪捜査のプロらしいですけど、専門外ですし……」

 どうも、学生たちは榊原についてあまりいい印象を持っていないようだった。もっとも、いきなり門外漢の人間に出て来られてはそう思うのも仕方がない事なのかもしれないが。

「どうでしょう? 依頼を受けてくださいませんか?」

 と、黒羽がそう尋ねた。榊原はそれでもしばらく黙ってその遺骨を睨みつけていたが、不意に小さくため息をつくと、こう言った。

「負けましたよ。わかりました、やれるだけやってみます。ただ、私もこういう依頼は初めてなので、どこまでできるかわかりません。それでよろしければ、の話ですが」

「おぉ、ありがとうございます!」

 黒羽は嬉しそうに頭を下げた。そんな黒羽に榊原は一応釘を刺す。

「もちろん、正式な依頼ですので依頼料は支払って頂きますが」

「当然でしょうな。おいくらでしょうか?」

「それは、依頼を完遂してから考えましょう。正直、どうなるか私自身も未知数なものでしてね。失敗した場合はここに来るまでの交通費だけ頂ければ充分です」

「わかりました。それと、ぜひとも彼らにも見学させてやってはくれませんか? 彼らにとってもいい経験でしょうし」

 黒羽はそう言いながら、学生三人組を示す。

「別に構いません。私としても、彼らの知識に頼りたいところはありますのでね」

「感謝します。改めて、よろしくお願いします」

 そう言って満足そうにほほ笑む黒羽に対し、当の学生三人組はどこか迷惑そうな表情をしていたのだった。

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