間章『懐旧』

第34話 これからのこと

 十年前と似た夜だった。

 空が橙色から藍色に変わろうとしている。

 私は十年前に通った高校の校門に立っている。もちろん、入ろうとしなかった。ただそこを見つめて、いろんな思い出を蘇らせそうとする。

 今夜は息が見えるほど寒い。まだ真夏とは信じがたい。

 何らかの白いものが落ちて、私の服にくっついた。最初はぽつぽつだったけど、次第に量が増えていく。

 目の前は白色に染まっていく。

 空を見上げると、私は目を見開いた。


 ーー雪が降っている。


 真夏なのに、雪が空から降り注いでいる。

 十年前と同じような雪片が降って、地面に積もっていく。

 私は手を伸ばして、一つの雪片を掴み取った。

 まさに十年前と同じ流れだった。

 しかし、今回は違う。零士れいじに告白できたんだ。もう寂しくはないんだ。

 私は思わず笑みを浮かべて、きびすを返した。

 高校を後にすると、すごい満足感を覚えた。やっと過去を吹っ切ったような感覚だった。

 そして、私は十年前の思い出を校門の前に置き去りにした。

 

 ーー零士に告白できなかったこと。

 

 ーーぎこちないホームルームのこと。


 そんな思い出はもう抱えなくてもいい。

 今は零士れいじと再会したし、告白できた。だから、私たちはこれから新しい道を一緒に歩む。

 将来、結婚するかな。できたらいいなぁ。

 少し恥ずかしいけど、私は零士れいじと結婚する白昼夢を見たことが何度もある。

 

 ーーああ、懐かしい。


 結婚の白昼夢の思い出だけを持っていこうか。

 私は振り向かず雪道を歩いた。目の前に、薄暗い通学路が広がっていく。

 蝉の鳴き声が耳に入って、まだ夏だと思い出した。

 そういえば、今日の天気を変えたいという願い事でゆめゐ喫茶に行ったら、かなえはどうするんだろう?

 叶えてくれる? それとも断るかな……。

 まあ、一応天気次第だろう。たとえば、「今日をいい天気にしたい」と言ったら、叶えてくれると思う。しかし、「今日は雨の日にしたい」と言ったら、おそらく断られるだろう。

 なぜなら、雨を降らせたらいろいろな問題を起こしてしまうから。外で遊ぶ予定のある人は延期しなければならないし、通勤も面倒くさくなる。

 しかし、たとえば天気が雨の日から晴天に切り替わったら、ほとんど問題ないじゃないか?

 とにかく、考えすぎだろう。

 結構遅くなったので、私は帰路につくことにした。今日は秋葉原ではなく、家に帰りたい。

 かなえのおかげでゆめゐ喫茶で何泊も泊まれた。

 彼女の布団は本当に心地いい。しかし、私は家の様子をうかがいたいし、たまには自分の布団で眠りたい。

 静かな夜に、電車の走行音が響き渡った。そろそろ電車に乗り込む時間。

 私が定期券をポケットから取り出した途端、電車が視界に入った。


♡  ♥  ♡  ♥  ♡


 電車を降りてから、私は家まで歩いた。駅が近くにあるおかげで、徒歩で五分もかからないだろう。

 歩いている間、涼しい夜風が顔に吹き付ける。

 涼風のせいか、頭がいつもより冴えている気がした。それとも、要らない思い出を捨てたせいかな。

 家に着いたころ、ひぐらしの鳴き声が空を響き渡った。

 鍵をドアに挿し込んでから、私は久しぶりに「ただいま」と独り言のように言った。もちろん、返事はなかった。

 最初に目に入ったのはその扇風機。

 OLの仕事をクビになった日、私は扇風機の前に正座したっけ。その日から何日経ったのだろう……。一月も経ったかもしれない。

 私はあの日のように、扇風機の前に正座してみる。すると、欠伸あくびが漏れた。そんなに疲れているのか?

 とにかく、今夜は寒いし、扇風機をつける必要はない。

 机に目をやると、そこに置いたIDカードが目に入った。それを見るだけで何年かの出来事が脳裏をよぎった。

 もう要らないだろうに、結局私はそれを捨てずにいた。


「ああ、もう眠りたい」


 私は床から立ち上がって、自室に向かった。

 室内は埃だらけ。明日ちゃんと掃除しないと……。

 寝間着にも着替えず、私はベッドに寝転んだ。

 もう給料をもらったのに、まだ窮屈すぎるOL服を着ている。

 そろそろ新しい服を買わなければいけない、と考えながら天井を見入った。

 月明かりが窓から差し込んでくる。しかし、カーテンを閉めるどころか、ベッドから起き上がる気もなかった。

 これ以上目を開けられない。

 睡魔に襲われて、私はようやく眠りについた。

 

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