第6話04(2)

「八百万さん?」


「あぁ、八百万神楽<やおよろずかぐら>」


「八百万神楽、ね。すごく珍しい名前ね」


「まあ、名前通りっていうか、不思議な人だよ」


「へえ、そんな名前で、昔いじめられたりしなかったのかしら?」


「やめろ、そういう目で人を見るな。名前だけでいじめられたら、そいつは親を一生恨むだろうが!」


「それが、あるのがこの、世の中なのよ。凡俗が」


 こいつ、口悪すぎじゃないか?


「私のように、堂々としていればそんな目に合うわけないけれど。寡黙の女神何でしょう?」


 知っていたのか、自分に付けられている恥ずかしい二つ名に。


 閑話休題。


 僕や、朝比奈、雨霧が通っている、私立霧ヶ丘高校から、電車とバスを経由して一時間くらいの行った先、都会の真ん中も真ん中にある大きなビルに、その人は居る。


 最上階に。


 その下のビルディングには多くの企業が開かれている。それなのに、なぜか、その最上階には、そのビルの中でも頂点に位置するのが、その女だ。


 テナントも張り出していなければ、何もないのだ。そう、このビルディングの最上階には何もないのだ。


 いつから、この女が拠点として構えているかは定かじゃない。僕が知り合った時には我が物顔で、そのビルディングの中に入っていた。


「それにしても、かなり脚が疲れたわ。乳酸でパンパンよ」


「僕のせいではない」


「黙りなさい、次はどこを切られたい?」


「やめて下さい、僕の誇りだけは切らないで」


「電車や、バスで移動するなんて、こうなってから久しく乗っていないのよ? 疲れるのを考慮して、椅子くらいにはなりなさいよ」


「断る。なんで、僕がお前の椅子にならなきゃいけないんだ」


 声を発せば、暴言しか出てこないのか、こいつは。


「それなら、犬になりなさい。ほら、椅子と犬ってどこか似てるでしょ?」


「似てねぇよ! 文字数が同じなだけだ」


「い、も同じよ」


 どうでもいいことに食いついてきたな。


「実際、喋らなければ、お前もクレオパトラのように霧ヶ丘高校美女ランキングで殿堂入りを果たしそうなのに」


「あぁ、彼女は私の弟子よ」


「お前は今幾つだよ⁉」


「さっきから気になっていたのだけれど、あなた、そんなキャラなの? 教室では影も形もないほどなのに、私、今日あなたを初めて見た気がしたわ」


 いや、初めて会った人に、お前はペティナイフで切りつけるのかよ。


 しかも、三年間同じクラスなのに。


 あんまりだ。


「しかし、お前と話していると、妙な緊張感があるんだよな」


「それはそうでしょう、だって、私、可愛いから」


「……」


 またしても、さらりと自分が可愛いって、おくびれもせず、言った。言いやがった。


「一応鞄の中身、見せてもらえるか?」


「なぜ?」


「なんだか、物騒な物が他にもありそうだから」


「ないわよ、後三つくらいしか」


「三つもあるんだっ⁉」


「私が完全武装になったら、世界が滅ぶわ」


「お前は人間兵器かよ!」


 人間凶器。


 人間兵器。


 しまいには、サイコパス。終わってやがる、この女。


「ああ、そういえば」


 もうすぐ、そのビルディングに辿り着く前に僕は朝比奈に向き直り、手を差し出しながら、口を開く。


「その鞄ごと、僕が預かる」


「は?」


「僕が預かるから、早く」


「え? ちょっと、待って」


 あり得ない要求をされたような顔をしている、あなた、本気で言っているのと言わんばかりの顔付きで。


「そもそも、このビルに入るのに、厳重な荷物検査がるんだ。そこに素性の知らない女が武器を持ってきたら、それこそ、大騒ぎになる」


 あの人は、僕だけじゃない。そう──雨霧の恩人でもある。


 その人に、せめて、迷惑はかけたくないと思うのは当然だろう?


「それに、僕の恩人にそんな危険人物を合わせるわけにはいかない」


「ここで、それを言うのね」


 朝比奈は僕を睨み付けながら言う。


「私を嵌めたのね」


 え? 僕、普通のことを言ったつもりなんだが、そんなに言われるようなことか?


 朝比奈は、そこで暫く葛藤している様子で、目を瞑り、何かを思案している様子だった。だが、やがて、朝比奈は、一言、「わかったわ」と、了承してくれた。


「はい、どうぞ」


 僕は、朝比奈の手から渡された鞄を受け取った。一応念のため、中身を確認すると、そこには、先程僕を切りつけたペティナイフに、包丁、ジャックナイフ、スタンガンが入っていた。


 こいつは、常に何と戦っているんだろうか。


 女子高生の鞄から、まさか、こんな、大量の武器が、しかも剝き出しで入っているだなんて、この世界の誰も思いもしないだろう。


 銃刀法違反で捕まる危険性を考慮したりしないのだろうか……。


「それと、別に勘違いしないでよね。私は、あなたを信用しているわけじゃないんだから」


 鞄を渡した後に、朝比奈は、これでもかってくらいのテンプレのツンデレを見せてくる。


「信用してないって……」


「もしも、あなたが、ペティナイフで切りつけられたことを根に持って、仕返しをしようと企んでいるのなら、それは大きな間違いよ」


「あ、あぁ?」


 いや、待てよ? 大きな間違いってことはなくないか? むしろ、報復されて当たり前な気がする……。


「いい? もしも私に不測の事態が起こった場合、私の勇敢な仲間たちが即座に押し寄せてあなたを殺すわ」


「お前は、どこの長鼻海賊団だよ」


「まさか、あなたは私の仲間達の数を上回ると言うの⁉」


「僕はそんな大層な海賊王ではない」


 こいつはとんでもない、嘘つきだ。


 友達が一人も居ないくせに。


 漫画の読みすぎだ。そういえば、こいつ、今日はワンピースを読んでいたな。


「妹さん、中学生らしいわね」


「……」


 なぜか、僕の家族の情報が知れ渡っている。


 妹を人質にするなんて、なんて恐ろしい奴なんだ。


 朝比奈は、僕が見せた力の一端を見せても全く信頼されていなかった。


 まあ、こればっかりは仕方のないことだ。


 僕はあくまで、案内人で、これから先は朝比奈の問題なのだから。


 もしも、僕の出番があるのだとすれば、それは、あまりよろしくない事態なのだから。


 それから、僕と朝比奈は目的地のビルディングに入る。中に入ると、そこは、如何にも大企業なことを思わせる、大きなエントランスになっている。そこにはもちろん、受付嬢のお姉さんやら、警備員が巡回している。


 そこで、ふと思った。


 それは、僕にとって最早見慣れた光景ではあるが、この場所を初めて訪れる朝比奈はどう思うんだろう、と。


 初めての場所で困惑して、ましてや恐怖を抱いてしまえば、彼女はまた、発症する、してしまうのだ。これまで、他人と相関せず同じ日々を繰り返し、それに安堵していたはずだ。朝比奈の視線が険しい様子で、辺りを威嚇するかのように警戒するのは、仕方のないことなのかもしれない。


 もし、誰かに触れられでもしたら、大惨事になるのだから。


 朝比奈が入り口付近から動こうとしない理由も、納得がいく。


「ほら、安心しろ。僕が隣にいる」


 今もその場で踏みとどまっている朝比奈の手を握り、僕は彼女を安心させようとした。いきなりの行為に驚き、一瞬だけ、朝比奈の体は実体を消した。体はあるのに、中身がない。それでも、その手の正体が僕だとわかると、体は、中身を取り戻し、やがて僕の手と朝比奈の手は触れ合うことができた。


「驚かせないでよ、一言声をかけて頂戴。そしたら、あなたを警察に突き出すから」


「それなら、僕は絶対にお前に声なんかかけずに手を揉みしだく」


 僕の言葉に、朝比奈はまるで、そう、ゴミを見るかのような顔つきで僕を憐れんでいた。


「それから……」


「あん?」


 朝比奈が何かを言いだそうとしている、なんだ、こいつもお礼とか言えるんだな。よかったよ、少しはまともな思考回路があるようで。


「わからないの? お礼は?」


「……は?」


 お礼だと? 何に対してだ?


「私の美しい御手手に触れられたのだから、お礼の言葉くらいあるでしょうに」


「わかるわけあるか!」


「一応、あなたの再生能力が人間のそれを、遥かに超えていると知って、あなたを切りつけたのよ?」


 絶対に嘘だ。そんな、僕みたいな存在がこの世界に二人だって居やしないのに、それを予想するなんて、ありえない。


「嘘を付くな」


「あら、私の予想ってかなり高確率で当たるのよ? 現に、当たっているじゃない」


「違う、それは結果オーライと言うんだ!」


「それなら、思いっきり切っちゃえばよかったわ」


「怖っ!」


「あなたのそれって、不死身なの?」


「どうだろうな、僕もよくわかっていないんだ」


「ふぅん?」


 朝比奈は興味があるんだか、ないんだかどっちつかずの返事をする。


 朝比奈の質問の返事だが、正直に言うと、僕はほぼ、不死身だ。例え、頭を握り潰されようと、体を真っ二つに切断されても、死なない。不死身なのである。


 それを、僕は、身をもって経験済みだ。


「傷の治りが早いって羨ましいって言われたら、傷付くのかしら?」


「……今は、普通だ」


 事実を知ったときの僕なら、今の言葉で、死ねないけど、死にたくなっただろうな。


「もう、この体質には慣れたよ、だから、今はこれが僕の普通だ」


「そう」


 肩を竦めながら、やや呆れ気味に言う朝比奈。


「それなら、今度、私の実験に付き合ってもらおうかしら」


「待て、それは一体どんな実験なんだ?」


「変に勘繰らないでよ。気持ちが悪い。少し、あれをこうして、こうするのよ」


「あれとこれについて、詳しく教えろ」


「それをちょめちょめして、それもちょもちょもしたいわね」


「その、チョモランマについて詳しく教えろと言っているんだ!」


 閑話休題。

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