第28話 「女装は野田がやるべきだ」

「なんだと?」


 丹野は凄んだ。どうやら自覚はないようだ。

 ぼくは深呼吸をしてスマホゲームを終わらせ、溜息をついた。


「でも安心した。イケメンが女装したら必ずしも美女になるわけではないんだな。世の中不公平ばかりじゃない」


「……不評なのか?」


「控えめに言って、ドラマで見かける、意地悪な悪役。辛辣に言えば魔女。化粧でパーツが強調されて、濃いというか……威圧感がある」


「いいか、女性に変装する場合、美女である必要はない。女に見えればいいんだ」


「その点も……いや、まあ、ギリ、見えないこともない、かな。新宿2丁目に潜伏捜査するなら満点だと思う」


「やはり、女装は野田がやるべきだ。ちょっとここへ座ってくれ」


「え、やだよ。なんでぼくが罰ゲーム……ぎゃあ……!」


 さらに小一時間が経過したあと、奇跡は起きた。丹野に強制メイクされたぼくは鏡を覗き込んで恍惚となっていた。


「可愛い……。なんて可愛いんだろう。ぼくの……理想だ。ぼくの人生に初めて奇跡が起こった……!」ぼくは感動に揺り動かされて震えていた。


「フリルのスカートを履いてみないか。ピンクのニットもあるぞ」


「うわ。ますます可愛くなった。どうしよう、ドキドキしてきた。なあ、丹野、ぼく可愛いよな、どう思う?」


「喋らなければ女性には見えるだろう」丹野は冷静に答える。負け惜しみに違いない。


「写真撮ろうよ。一緒に並んで、ほらほら」


 どうすれば女性らしく写真に写るのか。腕を組んだり、顔を寄せたり、ピースをしたり、上目遣いにしてみたりと検証の名目のもとに写真を撮りまくるうちに、ぼくは次第に自我を取り戻していった。


「落ち着け。やばいぞ、これは。日比野さんと一緒にいるときよりテンション上がってるなんて」


「ようやく気がついたのか。野田は自分自身が大好きなんだ」


「人をナルシストみたいに言うな。おまえのほうがよっぽど……まったくもう、無駄遣いして。これからは一度に一万、いや、五千円以上買うときは必ずぼくに断ってからにしてくれ。それから女ものの服はもう買わないこと」


「交渉の余地はないのか?」


「ないよ。ところで、今、何時だ?」


 時計を見るととっくに寝ていないといけない時間になっている。明日は朝早くから仕事だ。


「急いで風呂に入らないと」名残惜しさを振り払い、スカートとニットを脱いで丹野に返した。


「丹野はさ、化粧しないでいい男なんだから、金の稼ぎようはいろいろあるから、そんなに心配しなくてもいいのかもしれないけどさ、でも三か月で150万は厳しいと思うんだよ。150万稼げるまではぼくの言う通りにしてみなよ」


「稼ぎようがいろいろあるとは?」


「いざとなったら、ホストとかで稼げそうじゃん。顔がいいやつは得だよな。あ、でも酒が弱いから無理か」


 頭に思い浮かんだことを、ぼくは脚色なく口にした。もし自分が丹野の容姿をしていたら、女性にちやほやされるのに、と嫉妬が混じっていたことは言うまでもない。ちょっとした嫌味だった。

 だが丹野の反応は予想外だった。


「おれは探偵だ!!」


 キレたのかと思った。荒々しい仕草で化粧品を雑に紙袋に放り込み、無言のままクローゼットに引きこもった。


「なんだよ。ぼくのほうが可愛かったからって……ふてくされなくても……」




 風呂から上がると丹野はベッドに寝ていた。「次どうぞ」と声をかけたが反応がない。寝たふりかもしれない。当然の権利のようにひとのベッドを独占している。

 しかたなく、今夜もリビングに来客用の布団を敷いて寝ることにした。


 横になって目をつぶる。今日は失敗が多かった気がする。反省という言葉を噛みしめるべきだろうか。死体遺棄現場で刑事とあったときのやり取りを丹野に相談した方がよかったのではないか。

 被害者との関係を疑われたあのとき、生きた心地がしなかった。任意同行を求められてもおかしくなかったはずだ。客観的に見たら線上にいると思われても仕方ない、と自分自身でさえ思う。

 だが、丹野は「野田は無実だ」と言った。断定だった。いくらダーツが下手だろうが女装姿が恐ろしかろうが、丹野は探偵として有能だ。その片鱗は自分の目で確認した。

 だから丹野に信じてもらえているのなら、良い。心強い。マジシャンがシルクハットの中からうさぎを取り出すように、彼は真実を掴んで引っ張り出すことができるのだから。

 早く事件が解決するように、出来る範囲で彼の手伝いをしてもいいかもしれない。探偵の真似事も楽しくないこともなかった。もちろん助手になる気はないけど。


 ああ、そういうことか。ぼくは今頃になって丹野が不機嫌になった理由が理解できた。今日一日、丹野につきあって、彼の探偵ぶりを見せてもらった。うまくバランスがとれさえすれば成功するだろう。ぼくもそれを望んでいる。そうなってもらわなければ、困る。

 そしてなにより、丹野は探偵という職業に誇りを持っている。

 ぼくは揶揄うべきじゃなかった。


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